第23話 絶望


「.....なに、これ?」


 王都から一日。離宮に辿り着いたドリアは、目の前の光景が信じられない。

 離宮は既に包囲され、多くの人々が行き交い戦いの後片付けをしていた。

 縛られ転がされる有象無象の男達。百人はおろうかという芋虫どもが、うぞうぞと大地にひしめいている。


「何が起きたの?」


 馬に乗ったまま慎重に辺りを散策すると、見知った顔が手を振っていた。


「久しぶりだな、ドリアっ!!」


「ジェフ? あ、みんないるっ、なんで?」


 わらわらと寄ってきたのは故郷の街の冒険者達だ。


「そっちの王都より、こっちの街のが離宮に近いからな。先に着いたから、掃除しておいた」


 ああ、なるほど。


 たしかに故郷の街からここまでは半日くらいだ。それにしても早いし、冒険者らだけでよくぞこの人数を。

 感心するドリアの考えを察したのか、ゲルドがニマニマと笑う。


「俺らだけじゃないさ。辺境伯からの騎士団も合流してな。いや、凄かったわ」


 なにそれ、見たかった。


 よくよく見れば、遠目にある離宮周辺には騎士らがいる。ドリアは駆け足で馬を走らせ、離宮に急いだ。


「おおお、御令嬢。お久し振りです」


 そこにはまたもや見知った顔。以前にリカルドを迎えに来たオイフェン騎士団長である。

 少し難しい顔をして、大きな離宮を見上げていた。


「不審者らが占拠しておりましたので、奪還したのですが...... 王太子殿下も公爵閣下もおりませぬ」


「え?」


「しかし、こいつらが不法に占拠していた。間違いなく何かあるとは思うんですが」


 話を聞けば、捕らえられた奴等は魔王を信奉する邪教の人々だった。

 魔王が顕現出来るのは高い魔力を持った人間に封印された時だけらしく、七年前にリカルドを拐い、壊そうとしたのも、こいつらである。

 さらにはリカルドの父親を殺害したのも。

 幼い姿のリカルドに番人が継がれるよう、父親を殺害したのだ。


 あとは前述の通りである。


 こいつらがリカルドを....っ!!


 ドリアの瞳が憎悪に歪む。今回だけではない。七年前にも。

 事が終わったら、死んだ方がマシな目に合わせてくれるわっ!!


 ドリアがやらかす前にリカルドが専用の拷問具を作って奴等を放り込むのだが、そんな未来を今の彼女は知らない。


 さらに奴等の手先は王宮にも潜んでいて、王太子の嫉妬心を煽り、巧みに誘導し今回の事件を起こした。

 全てはリカルドを絶望させ、魔王を復活させるために。


 話を聞いたドリアは、真っ青な顔で離宮に駆け込んだ。


「リカルドっ」


 騎士らが探索する中を駆け回り、ドリアは眼前の階段を見上げて絶句する。

 その階段を上がった正面には大きな肖像画。

 にっこり微笑む優美な貴婦人はドリアと瓜二つだった。


「御祖母様?」


「おお、そうですか。以前にお会いした時、似ておられると思いましたが。やっぱり縁者でしたか」


 暢気に呟くオイフェン団長。


 そして周辺を見渡すと、至るところにオレンジ色の髪の少女が描かれた絵画が飾られている。

 それとドリアを二度見三度見する騎士達。


 い....っ、いたたまれないっ!!


 顔を赤くして駆け回ったドリアだが、騎士団長の言ったとおり、何処にもリカルドの姿は見当たらなかった。


「いったい何処に.....」


 フランソワーズは間違いなく離宮だと言った。彼女のいうとおり、驚く程の枚数の御祖母様の肖像画もある。


 予知が外れた? いや、そんな訳は.....


 焦燥感に狼狽えるドリアの肘を、小さく誰かが引く。

 そこには追いかけてきたジャックが静かに立っていた。


 そして口元に指を立てる。


「しっ....外部に知られる訳にはいきませんが、正面玄関の対向かいの大広間奥に地下への隠し階段があります。魔王に関する極秘なモノでもあるので」


 ドリアは固唾を呑み、ジャックの後をついていった。




「ここです」


 広間はすでに探索済みなのだろう。ガランとした空間には誰もいない

 そのまま広間を横断して、カーテンをめくると壁にしか見えない場所が、カタリと開いた。

 扉になっている奥は薄暗い。微かに見える階段は螺旋状に地下へと向かっている。


「足許に御気をつけください」


 ジャックが先導するのに従って螺旋階段を下りた。

 しばらく降りると灯りが見え、少し広めな部屋に出る。堅牢な石壁や石床。


 まるで牢獄のような雰囲気だ。


「そこまでだ。止まれ」


 二人が階段を降りきる前に静止の声がかかる。

 慌てて声の方に視線を振ると、そこには満身創痍なリカルドに剣を向ける王太子がいた。

 薬でも使われているのか、リカルドは朦朧とした顔で力なく王太子に抱えられている。

 王太子も、いつもの人好きする笑顔ではなく、妙に無機質な微笑みを浮かべ、半透明な紫眼は焦点が合っていない。


 あきらかにおかしい雰囲気だ。


「何でここが分かったかな? もう少しなんだ。邪魔しないで?」


 なんで疑問系なんだよ。


 ドリアはそうっと剣に手を伸ばす。

 だが、王太子はそれを見逃さなかった。


「これが見えないかな?」


 王太子の突きつけた剣が、すうっとひかれ、次の瞬間、リカルドの肩から鮮血が噴き出した。


 思わずドリアは両手を上げ、悲痛な面持ちで叫ぶ。


「やめてっ!!」


「うん、君が大人しくついてくるなら止めよう」


「わかった、わかったからっ」


 アワアワと手を上下させるドリアはパニック状態。

 愉快そうに笑いながら、王太子はリカルドを抱えたまま奥へと姿を消した。

 その後ろ姿はユラユラと傾ぎ、妙に不安定である。

 言い知れぬ不安に襲われるドリアだが、その耳元でジャックが小さく囁いた。


「御嬢様。いよいよとなった場合、私はリカルド様を選びます。.....申し訳ありません」


「それで構わない。リカルドを頼む」


 封印の番人たるのがミッターマイヤー公爵家だ。それは何よりも優先されるだろう。つまりリカルドは絶対的に守られる。

 安堵に胸を撫で下ろし、ドリアは王太子を追っていった。




「ここは......」


 唖然と部屋を見渡し、ドリアの瞳が泳ぐ。


 公爵邸の地下室のように、一見して用途が丸わかりな器具や道具。ここは公爵家の離宮だ。つまり、これを設置したのは.....


 そこまで考えて、ドリアの顔が真っ赤に染まる。


 その変化を忌々しげに見つめ、王太子は嘲笑気味に吐き捨てた。


「公爵の趣味のようですね。その様子だと、貴女も御存じのようだ。.....こういうのが御好みですか?」


 嘲るように嗤う王太子。それが鼻につき、ドリアは少し顔をしかめた。


 舐めるなよ。


 あからさまな挑発に、ドリアの眼が弧を描く。


「ええ。愛する人と睦むのならば、如何なる行為でも甘美な戯れですわ」


 挑戦的に答えるドリア。


 言外に含まれた、お前なんかお呼びじゃないんだよという言動。王太子の顔が憤怒に色めく。


 そして残酷に口を歪めた。


「ああ、そうでしたね。君は公爵の婚約者でしたね。なら此方へどうぞ」


 促され開けられた扉を潜ると、目の前には大きな寝台。人が五人くらい並んで寝られそうな上等な寝台の左側には格子のはまった牢屋がある。

 そしてその中にいる人物らは、限界まで眼を見開き、ドリアを凝視していた。


「公爵令嬢?? まさか....っ、何でここにっ」


 驚愕にワナワナと震えるのはアンドリウス。足に嵌められた枷をガチャガチャ言わせながら、絶望的な眼差しで格子にすがり付いている。


「お前っ、逃げろっ、殺されるぞっ!!」


 同じく足の枷に苦戦しながら怒鳴るのはヨシュア。


「何で二人が牢に? 側近なんでしょ?」


「そのはずだったんですがね。二人とも公爵を連れて逃げ出そうとしまして。残念ですが、処分します」


「は?」


 今、なんと言った? 処分?


 よくよく見れば二人は生傷だらけで薄汚れていた。リカルドを助け出そうと、王太子を裏切ったのか。

 王太子は牢を開けるとリカルドを乱暴に投げ込む。それをアンドリウスが慌てて受け止めた。

 床に投げ出された衝撃のせいか、元々薬が切れる頃合いだったのか、リカルドの瞳が生気を取り戻す。

 そして現状を理解して、顔から血の気を下げた。


「姉上......? 何でここに? え?」


 それにほくそ笑み、王太子はガシャンと扉を閉めて鍵をかける。

 そして大きな寝台に座ると、如何にも愉しそうに脚を組んだ。


「健気だよね。君を探して、ここまでやってきたようだよ。麗しい姉弟愛だね」


「まさか.... やめてくれっ、頼むっ!!」


「へぇ、君が僕に頼み? へぇええ?」


 ガシャガシャと必死に格子を鳴らすリカルド。真っ青から真っ白に顔色を変えた側近二人。


 意味が分からず、惚けるドリア。


 王太子が腰に装着した鞭に手を伸ばしていたのを、牢の中の三人は気が付いていた。


 あれが彼女に振るわれる??


 三人から音をたてて血の気が下がるのも無理はない。


「じゃあサインする?」


「するっ、するから、姉上だけは見逃してくれっ」


「ははははっ、必死だねぇ。最初から彼女を連れてきたら良かったのか」


「何の話なの?」


 訝るドリアの前で、王太子は牢の中に紙とペンを入れた。リカルドはそれに慌ててサインをする。

 受け取った紙を眺め、王太子はニタリと酷薄な笑みを浮かべた。


「婚約解消の承諾書。君のサインももらえるかな」


 すっとテーブルに差し出された書類を読み、ドリアは愕然とリカルドを見る。

 俯く彼の表情は見えないが、満身創痍な状態を見れば、今まで全力で抵抗していたのが一目瞭然だった。

 フランソワーズも言っていたではないか。拷問されていると。最悪、殺されると。


 そんな責め苦にあってもサインしなかったのだ。


「さあ、サインを」


 王太子がドリアの前にペンを滑らせる。

 それを冷たく一瞥し、ドリアはキッと顔を上げ、羽ペンをへし折った。


「断る。あたしの最愛はリカルド一人だ」


「姉上っ?!」


 思わず上がったリカルドの顔は、絶望に彩られ、恐怖に染まっている。

 自分が受けた拷問をドリアもされると危惧しているのだろう。


 されても構わない。死んでも婚約解消などしない。


 確固たる光を眼に宿し、自分を睨め下ろすドリアを、面白そうな眼差しで王太子は見つめた。


「そう。なら.....」


 王太子が立ち上がりドリアに近づいた。

 そして、さっと足払いをし、ドリアを寝台に押し倒す。


「......え?」


「抵抗しても良いよ。公爵がどうなっても良いならね」


「御嬢様っ!!」


 隙を窺い、事態を傍観していたジャックが寝台に駆け寄るが、ジャックと寝台の間にガシャっと格子が降りてそれを阻む。


「なっ!」


「気づいてたよ。少しずつ牢の方に移動してたろ? うるさい蠅は、じっとしてろ」


 そう言いながら、王太子はドリアに覆い被さった。そしてドリアの腹部に手を当て、じっとりと臍の辺りを撫でる。


「僕の胤を注いで、ここに命が宿れば..... 諦めつくんじゃない? 公爵も君も」


 ねぶるように耳元で囁く王太子の声に、ドリアは全身を粟立てた。


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いっっ!!


 だが、それでリカルドが助かるなら.....


 あまりの現状に、蒙昧な思考が彼女の脳裏を過る。


 二人は御互いが人質みたいな状況だ。どちらか片方でも救われるなら。

 自分が王太子に屈しても殺される訳ではない。妻にと望まれているのだから、問題はないだろう。


 実は大いに問題があるのだが、それを知らぬドリアは今のリカルドを救おうと、最悪の階段に足をかけた。


 ドリアを失えばリカルドは闇落ちするとも知らずに。


 しかし、そこに部屋を劈くようにリカルドの絶叫が迸る。


「ふ...っざけるなぁぁぁあーっ!!」


「リカルドっ、大丈夫っ、平気だから...っ」


 王太子に抑えつけられながらも、ドリアはリカルドを見た。


「こんなの平気だからっ、リカルドだけだからっ、眼を瞑って、耳をふさいで? すぐ終わるわ、だから......っ」


 言ってる事が支離滅裂ですよ、姉上。


 リカルドの異変を逸速く察知したのはジャックだった。

 あたりに漂う強大な魔力。人在らざるそれは、アンドリウスにすら感じられる邪悪さを伴っている。


「若っ、落ち着いてくださいっ!!」


 落ちつけ? 無理だろう?


 リカルドは内側から己を蝕む、どす黒い感情に身を任せた。


 呪い? 封印? 知るものか。


 リカルドの青い瞳にピキリとヒビが入る。


 この青い瞳は綻んだ封印を補強するための重ねが掛けの魔法だった。冒険者をやるときに使う変化の魔術の元となった魔法だ。


 瞳全体に網目のようなヒビが拡がり、パキンっと音をたてて砕け散る。


 その下には、爛々と輝く黄昏色の瞳。


「若ーっ、封印がっ、魔王が顕現してしまいますっ!!」


「か....まうものかーっっ!!」


 一際大きく叫ぶと、リカルドは意識を失った。




「リカルド.....?」


 そこには一人の青年。フランソワーズがいれば萌え死んでいるだろう美青年。


 仄かに揺らめく陽炎を背負い、無機質な笑みで柔らかく格子を撫でる。

 すると格子がドロリと溶けて、そのままリカルドは牢から優美に出てきた。


 この離宮の魔封じをもってしても封じられないのか??


 容易く魔力を使うリカルドに、ジャックの顔が凍りつく。

 どうやら魔王の強大な魔力とリカルドの強大な魔力が合わさり、特異な変異を起こしたらしい。


「な.....っ?!」


 驚愕で硬直する王太子を煩わし気に押し退け、ドリアはリカルドへ駆け寄った。


「御嬢様、危険ですっ、魔王ですっ!!」


「魔王??」


 突然の事態に理解が追いつかないアンドリウス達だったが、ジャックの言葉に思わず後退る。


 邪悪な気配とは思っていたが、まさか魔王だとは。


 ゆらりと牢から出ていくリカルドを凝視し、アンドリウスは固唾を呑んで見守った。


『姉...上』


「ここにいるわ、リカルドっ!」


 虚ろな眼差しで自分を呼ぶ青年に、ドリアは抱きついた。

 いつもなら頭をごと抱き込めるのに、今は腰に取りすがるしか出来ない。


『姉上....?』


「ええ、そうよ、リカルド」


 虚ろに正面を見つめたまま、青年は声を頼りに手探りでドリアを抱き締める。


『姉上.... 姉上....』


「ええ、ええ、リカルド。わたくしは大丈夫」


 リカルドの腕は手加減がなく、力任せに抱き締められドリアは全身の骨が軋んだ。

 悲鳴を上げる骨に顔を歪めつつも、彼女は青年を安心させるように努めて優しく穏やかに話しかける。


「大丈夫よ、リカルド。わたくしは、ここにいるわ」


 すると青年は薄く笑みをはき、そのまま崩折れるように倒れ込んだ。


「リカルド?」


 茫然と青年を抱き締め、ドリアは不思議そうに呟く。

 ずっしりと重くのしかかる青年。まるで眠るようだが、その顔は青白く、呼吸をしていない。


「リカルド? どうしたの? 眼をあけて、リカルドっ!!」


 座り込んで青年を揺するドリアの傍に、アンドリウスがやってきた。

 そしてリカルドの鼻や口に手を当て、首筋の脈をとる。


「死んでる.....」


 愕然と呟くアンドリウス。


 格子の向こうでジャックも膝をついた。


「魔力の暴発に.....魔王の魔力も加わって。.....その負荷に人の肉体が耐えられなかったのでしょう」


 リカルドは本来なら封印の綻びで既に青年のはずだった。そして、数年を経てから魔王となる。

 その段階をすっ飛ばしたため、幼いリカルドの身体は、その負荷に耐えられなかったのだ。


「嘘よ、ずっと一緒って....っ、リカルド起きてーっ」


 誰もが言葉を失う中、ドリアの絶叫が谺する。


 その頃、離宮上空に怪しい影が拡がっていた。それは意思を持つかのように蠢き、禍々しく大きい。

 すっぽりと離宮を覆ったその影を見上げ、一人の魔術師が呟いた。


 文献でしか知らないが、魔術を修める者ならば伝承としての、この物体を知っている。


 眼を限界まで見開き、彼は戦慄く唇を駆使した。


「.....魔王が野に放たれた」


 一斉に人々の視線が彼を捉える。そして絶望の眼差しで離宮上空の巨大な影を見つめた。


 ここに魔王の呪いが解放されたのである。

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