第21話 滅亡への序曲


「精霊の祝福を与えられたときいたが?」


「何の話ですか?」


 学園のカフェテリアで、王太子が声を潜めながらリカルドに話しかけた。


 アンドリウスの馬鹿野郎様は、律儀に報告したらしい。


 どう話したのか知らないが、上手いこと祝福の事実のみが伝わっているようだ。冒険者の件に王太子は触れて来ない。

 素知らぬふりのリカルドを焦れた眼差しで見つめ、王太子は同じテーブルに腰かけた。


 おい、許可してないぞ。


 据えたリカルドの視線をモノともせず、王太子はドリアに話を振る。


「精霊の祝福は、本当に稀なものだ。それを所持しただけて、全ての精霊の加護を受けられる。以前受けた者は二百程前になるが、平民ながらも王子妃となり、国の発展に貢献した」


 そこで王太子は、チラリとリカルドを見た。


 だから?


 物言わぬまま、視線でリカルドは答える。


 その不遜な態度に苦虫を潰し、王太子は大仰に溜め息をついた。


「いい加減、自覚したまえよ公爵。彼女は君に過ぎた女性だ。旧き血族であり、王家の色を受け継ぎ、精霊の祝福を賜る。どう考えたって彼女のいるべき場所は一介の貴族ではなく、最高位の王族であるべきだろう?」


 あからさまな王太子の挑発。リカルドは瞬間沸騰。思わず激昂し彼が口を開こうとした、その時。

 ガチャンと言う硬質な音がテーブルに響いた。

 ドリアがカップをソーサーに叩きつけ、剣呑な眼差しで王太子を見つめている。


「......こちらの話も聞かずに、好き勝手な仰りようですわね。最高位の王族? はっ、それが何なのですか?」


 いつもの淑やかな御令嬢ぶりは成りを潜め、その瞳に宿る光は命のやり取りをする冒険者のモノ。

 切った張ったの世界に長らく暮らしていたドリアだ。こんな温室育ちな男どもに負ける訳がない。


 辛辣に口角を歪め、ドリアは王太子とそれに付き添う側近らを睨めつけた。


「わたくしの未来は、わたくしが決めます。相応しい相応しくないなど、どうでも宜しいの。わたくしが伴侶に選ぶのはリカルドです。リカルドだけです」


 凜とした清しい姿。誰にも反論を許さない、確固たる口調でドリアは断言する。

 王太子らも呆気に取られたまま、動けない。

 そして静かにリカルドを見つめ、これ以上ないくらいに彼女は優しく甘やかに微笑んだ。


「リカルドしか考えられなくてよ。わたくしは貴方の物。地の果てまでだってついていくわ」


 思わぬ言葉にリカルドは鼻の奥がツンとする。


 ドリアが欲しくて欲しくて、どれだけ貶めても辱しめても、手に入れた実感は一瞬で霧散してしまって、貪欲に彼女を求め続けてきた。

 眼に見えない彼女の心を支配しようと、一瞬でも彼女の意識が他に移らないようにと、執拗なまでに折檻を繰り返した。


 だが、そんなもの必要なかったのだ。


 ようやくリカルドは気がついた。


 姉上の眼にはリカルドしか見えていない事に。


 愚かな子供だった。眼に見えないモノに拘り、眼に見えるモノに拘り、姉上の心を.... 胸中を理解していなかった。


 彼女は銀級冒険者だ。本気で抗われたらリカルドだって手こずる相手だ。

 その彼女が言われるままに従い、受け入れ、従順だった事実。リカルドは何も見えていなかった。

 そしてドリアの性格なら、嫌な事を受け入れるはずもない。好きになれる訳がない辱しめや折檻を彼女が受け入れていた理由は一つしかない。


 リカルドが好きだから。


 本当にようやくドリアの心を理解したらしいリカルドを、彼女は呆れたような微笑みで見つめる


「そうよ。わたくしは貴方が大好きなの。貴方にされるなら、どんな事でも嬉しいし、許せちゃうのよ」


 はっと顔を上げたリカルドの眼は瞠目し、大きく揺れ、その瞳に宿る光は脆く今にも崩れそうだった。


「分からなかったの? おバカさんね」


 泣き出しそうな顔でドリアを見つめ、リカルドは恐々と腕を伸ばす。

 それを受け入れ、ドリアはリカルドを抱き締めた。


「愛しているわ、リカルド。貴方だけが、わたくしの王子様よ」


「僕も.... 姉上しかいません」


 砂糖で塗りかため、蜂蜜を垂らしたような光景。


 二人の世界に閉じ籠るな、出てこい、こら。


 うんざりとした顔でアンドリウスは抱き合う二人を眺めていた。

 周囲は二人のラブシーンに騒然とし、黄色い声や悔しげな唸りが聞こえるが、呆れなからも、その眼差しは好意的である。


 まあ、氷の微笑しか浮かべない公爵の素の本心なんざ、そうそう見られるモノではないしな。みんな役得だと思ってるんだろう。


 微笑ましく二人を包む空気に、一ヶ所だけ噴き出す違和感。


 王太子ェ.....


 嫉妬と怒りに言葉もない彼は、二人の包容を、食い付かんばかりの顔で睨めつけている。

 そしてガタンっと席をたつと、失礼すると一言を残し踵をかえした。


 その背後に残る怨念のような邪悪な残滓に、気づいた者はいない。




「何でだっ、何故、奴なんだっ!!」


 王宮の自室で王太子は荒れていた。

 彼は初対面からの一目惚れを自覚している。だが自分は王族である。国のために政略結婚するのも理解し呑み込んでいた。


 そこへ降って湧いた婚約解消。


 一目惚れを成就させるため、王太子は努力した。恥も外聞もなく。両親である国王夫妻にも懇願した。

 しかし、国王夫妻は良い返事をくれない。フリーであった頃ならいざ知らず、すでに公爵の婚約者である彼女に手出しは出来ないと。


 何故そこまで公爵を慮るのか。


 王家と対等とは聞いているが、所詮貴族の一人ではないか。


 憤る王太子は知らない。


 王とその伴侶にのみ伝わる口伝を。


 ミッターマイヤー公爵家の血筋には魔王を封印する門番の責務があるのだと言う事を。

 ミッターマイヤー家の当主には常に紫眼の者が選ばれる。それは代々受け継がれる魔王の封印を瞳に宿すため。


 リカルドの父も紫眼だった。


 養子であろうと、その条件は変わらない。

 そして今世、封印を受け継いだリカルドは、既に一度壊されかかったのだ。

 父親が早世してしまったため、公爵から父に引き継がれた封印を、幼いリカルドが引き継ぐ事となり、惨事が起きた。


 これ以上、魔王の封印に綻びが入るのは食い止めなくてはならない。


 結果、国王夫妻は王太子の恋を積極的には応援出来ないのである。

 もちろん、成就してくれれば、それはそれで有り難いが、強行的に公爵と事を構えることは出来ない。


「奴さえいなければ.....っ!!」


 嫉妬と怒りの汚濁の中で、ポトリと一滴の邪悪な思考が王太子の心に落ちて拡がった。

 猛毒のようなそれは、瞬く間に王太子の意識を絡めとり、深い深淵に叩き込んだ。


 奴さえいなければ?


 一瞬惚けた王太子の顔が、みるみる酷薄に歪んでいく。


「そうだ。奴に放棄させれば良いんだ。....誰かっ!」


 王太子は人を呼び、公爵家に呼び出し状を送りつけた。

 それに応じた公爵は、その日を境に行方不明となる。同時に王太子も。


 突然の異常事態。


 王家は元より、公爵家も騒然となった。


 公爵が王太子の私室に招かれ、侍女がお茶を持っていくまでのほんの数分。その間に二人とその側近は煙のように消え失せたのだ。


「ありえないでしょうっ?! 王宮の警備は一体どうなっていますのっ?!」


 連絡を受け、王宮へ駆け付けたドリアは、説明に来た文官に食ってかかる。


「こちらも王太子が消えたのです。むしろ公爵に誘拐の疑いをかけています」


「王宮で? どうやってリカルドが王太子を?」


「......彼の御仁は優秀な魔術師ですから」


 ドリアは文官の言葉に絶句した。そして王宮は役にたたない。そう理解する。


「はあ..... 埒があかねぇな。もうあんたらには頼まん。時間の無駄だ。ジャック!!」


 ドリアの背後に立つ侍従一同から、初老の男性が一歩前に進み出た。

 無表情ではあるが、燃えるように炯眼な瞳。

 冴えた光を宿した辛辣な眼差しを文官達に向け、ジャックと呼ばれた男性は、ドリアに顔を寄せる。


「ここは当てにならん。我々で動くぞ。暗部総動員だ。おまえ以下も全て自由裁量を許す。リカルドを探せ」


「御意にございます」


 そう言うとジャックは静かに佇む公爵家の使用人らに目配せした。途端、侍従、侍女らが動き出す。

 わらわらと散っていく公爵家の面々を驚いたように見つめて、王宮の文官らがワタワタと慌て出した。

 それを据えた眼で一瞥し、ドリアは立ち上がる。


「失礼する。時間が惜しいのでね」


 そう言い残し、ドリアは家令を引き連れて王宮を後にした。




「リカルドには護衛も側近もついていたな? 暗部は?」


 馬車の中でドリアに尋ねられ、ジャックは軽く首を横に振る。


「ちょうど王太子と王宮の調査に出しておりました」


 ドリアはギリっと唇を噛み締めた。

 一体、何処に行ってしまったのか。王宮、それも王太子の私室という警護が厳しいはずの場所から、数人の一団がいきなり消える。有り得ない事態だ。

 王宮側は右往左往するだけで役にたたない。それどころが、こちらに冤罪を被せようと画策する始末。


 ドリアは公爵家に戻ると、冒険者の装備を持ち出し、武装に至るまで一式身に付けた。

 微かに眉をひそめる家令。それに苦笑しつつ、ドリアは晴れやかな顔で颯爽と部屋から足を踏み出す。


「しばらく御令嬢は休業だ。今はリカルドを発見するのが最優先」


「致し方無いでしょう」


 溜め息混じりにジャックが呟いた。御意と言わないあたりに、不承不承なのが見て取れ思わずドリアは笑う。


 生粋の御令嬢でなかった事をこれほど感謝した事はない。


 ドリア自ら捜索に乗り出し、あっという間に市井ではオレンジ色の髪の少女の噂が広まった。




「......おまえ、王族だったのか?」


「いや、貴族。そんな事どうでも良いから緊急クエストの依頼をしたい」


 見てくれは全く変わらないのに、そのオレンジ色の髪だけで神々しさが増している。

 さらには黄昏色の紫眼。その額には精霊の祝福たる魔石が輝いていた。


 どうでも良くはないだろうがよっ、俺、不敬な事やらかしてないよな??


 あうあうと狼狽えまくるギデアスの胸ぐらを掴み、ドリアは至近距離から睨み付ける。


 うっわ、近い近い近いっ!


 ただでさえ端正な顔立ちに王家の色。その妖しげなまでに神々しい美貌は、まるで視覚への暴力だった。


「緊急クエストだ。リカルドを知っているだろう? あいつが何処かに拐われた。その捜索を頼む。ただし、髪は金髪、眼は青だ。.....普段はリカルドの魔法で黒に変化させていた」


「リカルドが拐われた?」


 コクりと頷くドリア。


 なるほど。二人は仲の良い姉弟だ。形振り構わず駆け込んでくる訳だ。

 御貴族様のお遊びが冒険者ってのが、腑に落ちないがな。

 しかしドリアは銀級冒険者だった。最初から。

 隣国の冒険者プレートも所持している。

 御令嬢という方が不思議なくらい市井に馴染み、冒険者をやっていた。


 不可思議そうに首を傾げる受付だが、ドリアの言葉は依頼だ。受ける以外の選択肢はない。


「了解した。金髪碧眼のリカルドを探す。それが依頼だな?」


 彼等二人は冒険者ギルドでも可愛がられていた。多くの討伐や納品で多大な貢献をしてもいる。


 依頼は即座に回され、国を越えて隣国にも手配がされた。


 隣国辺境のドリアの生まれた街にも。


「はあっ?! あの坊っちゃんが拐われた??」


 張り紙を見たジェフは眼を見開く。

 ゲルドも落ちた顎が戻らない。


「ドリアは大丈夫なのか?」


「わからん、様子を見に行くか?」


「だな。心配だ」


 とるものも取り敢えず、急いで支度を始めた二人に、他の冒険者らも声をかける。


「今、ドリアとか聞こえたが、なんかあったのか?」


「ドリアは婆さんの生家が見つかって引き取られたんだろう? 幸せにしてるんじゃないのか?」


 護衛として隣国に送り届けた二人は、ドリアの事情を知っていた。王家うんぬんは削り、当たり障りない説明は街の皆に話していたのだ。


 裕福な生家が隣国にあり、素性の解った彼女を引き取ってくれたと。


 いきなりドリアが消えたら大騒ぎになるだろうから、前以てちゃんと説明したのである。

 街の人間達は、ドリアの亡くなった父親に多大な恩を感じていた。騎士である彼に守られ、怪我で引退したあとも街を警護し、魔物の脅威から救ってもらった。

 なのに自分達は、彼の忘れ形見に対して何もしてやれなかったのだ。

 借金でスチュアートに脅される少女を見守る事しか出来なかった。


 なれば今度こそ。彼女が窮しているのならば、手を貸したい。


 こうしてドリアの依頼によって、多くの人々が動き出した。


 王族が冒険者として走り回る異常事態が国王の耳に入らない訳がない。


 周囲を物の見事に巻き込み、ドリアは爆走していく。

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