第15話 転機 3


「さあ、授業が始まります。皆さん教室に戻りなさい」


 教師がそう叫ぶと、誰もが踵を返して教室に向かう。王太子も例に漏れずだが、一人だけ動かない者がいた。




「今日から同じ教室で学ぶ事になったリカルド・フォン・ミッターマイヤーです。宜しく御願いします」


 唖然とするクラスメイト達に、リカルドは軽く笑みをはいた。


「あー.... 皆も知っての通り、彼は既に卒業までの単位は取得済みだ。学院に通っていたのも授業より研究のためだった。で、まあ、姉上様の世話と護衛のため、このクラス所属となる」


「わたくしの?」


 担任の説明を聞き、思わず呟いたドリアにリカルドは悪戯気な眼を向ける。


「前回の事故で骨身に染みました。御側にいさせて下さい、姉上」


 それを言われるとドリアは言葉に詰まる。

 あの時リカルドは、半狂乱でドリアを捜索していたらしい。

 不眠不休で魔術を駆使し、封じられた空間を壊そうと、必死に術式を解いていたのだとか。

 複数の魔術師による術式であったため解読は遅れたが、ドリアによる攻撃で綻んだ僅かな隙間を、即抉じ開ける事が出来たのは、そういう背景からである。


「ごめんなさいね、リカルド。貴方には面倒をかけてばかりだわ」


「面倒だなんて。僕にとっては何を差し置いても重要な事です。だから、笑って?」


 申し訳無さげに眉根を寄せるドリアを労り、リカルドは優しく微笑んだ。

 するとそこに空気を読まない声がする。


「姉弟のくせに気持ち悪りぃ」


 吐き捨てるように呟いたのは大柄な男子生徒。短く刈り上げた緑色の髪に鋭い眼光の青い瞳。名をヨシュアと言い伯爵家ご令息である。

 如何にも不機嫌な顔の彼に、リカルドはニタリとほくそ笑んだ。


「妬いておられるのですか? 僕が可愛らしい婚約者と仲睦まじいのが気に入らない?」


 そう言うとリカルドはドリアの膝に頭を乗せて、幸せそうに相手を見上げる。


「貴方も婚約者に甘えたら良い。こんな風にね」


 途端ヨシュアが席から立ち上がり、怒りも顕にリカルドへ殴りかかった。

 しかしそれは、ドリアの身に付けている守護の魔術具に弾かれる。


「貴方、今なにをなさろうとしたの?」


 一瞬見開いたドリアの瞳が、みるみる剣呑にすがめられた。その憎悪に満ちた眼光は、周囲をも呑み込み室内を凍てつかせる。

 急激に下がった温度に狼狽え、ヨシュアは目の前の御令嬢を凝視した。

 御令嬢とは思えぬ覇気に殺気。

 炯眼な瞳に射抜かれて、知らず呑み込む固唾に苦戦するヨシュアだが、ふいにパンパンと手を打つ音が聞こえ、彼の瞬間氷結が解ける。


「はいはい、そこまで。ヨシュア君、君、不用意すぎ、あと考えなさすぎ。相手は現公爵閣下と公爵令嬢。そこ分かって? 今から反省室で反省文三十枚ね」


 そう言うと、担任教諭はサッと手を振り、その途端ヨシュアが姿を消した。

 ドリアは、いきなり目の前から人間が消え、思わず眼をパチクリさせる。


「はい、そうそうに罰則食らう生徒が出たが、みんな覚えておいてね。無法は許しません。身分をひけらかしての横暴も許しません。穏やかな学習態度を望みます。問題を起こしたら、反省室に強制連行&反省文なので、よろしく」


 教室が水を打ったかのように鎮まり返った。有無を言わせぬ教師を眺めつつ、リカルドは苦笑する。


「あの人、僕の元師匠。転移と結界魔法に関しては僕すらも及ばないエキスパートです」


 つまり、今のは転移魔法か。


 御貴族様の子供らにはうってつけの教師だろう。


 驚きつつも納得顔なドリアを見つめ、リカルドはピクピクと緩む口角を抑えきれない。


 姉上が怒った。僕のために。


 あのみなぎる覇気に放たれた殺気。


 教室をも凍らせたあれらはリカルドのためだった。

 くすぐったいような面映ゆさに、一日中リカルドは上機嫌で、とことんドリアを甘やかしたのである。


 勿論、王太子を警戒するように言い含めるのは忘れず、それに首を傾げるドリアを地下に連れ込み、彼女が理解するまで、延々とお仕置きする事も忘れてはいないリカルドだった。


 あらゆる鞭や蝋燭、何種類もの拘束具。いびつな形の椅子や壁一面に埋め込まれた格子。


 用途は御察しなそれらが、着々と揃えられている公爵家の地下室で、今日も妖しげな甘いお仕置きがドリアを襲っていた。




「はあっ? 罰則食らった??」


 王太子は王宮にある自分の宮で、思わずすっとんきょうな声を上げる。

 目の前で縮まるヨシュアを睨めつけ、冷たい眼差しで話を促した。


「その.... あんまり、甘ったるい空気だったんで壊してやろうと....」


 決まり悪そうな面持ちのヨシュア。


「で、反撃されて手が出て反省室送りになったと。脳筋にも程があるでしょう? 王太子の護衛になる話は考えなおさないとかもですねぇ」


 渋い顔のアンドリウスが呆れたかのように、憮然と頭を掻いた。

 ヨシュアには情報収集と、さりげなく公爵令嬢の趣味嗜好を探るよう命じてあったのだが..... 早々に自爆するとは、使え無さ過ぎる。


「あのガキ、俺に婚約者がいないのを馬鹿にしたんだ。....可愛い婚約者に甘えろと。....くそっ」


 そんなんだから婚約者がいないんですよ。


 ヨシュアは柄が悪く乱暴で口も悪い。こういうと良いとこなしだが、実直で真面目。忍耐力もあり、非常に護衛向きな一面も持っていた。


「適材適所だ。ヨシュアが諜報に向いてないのは分かっていた。他に人材がなかったから致し方無しだ」


 王太子の側近の殆どが一学年上である。彼女のクラスにはヨシュアしかいなかった。


 しかし甘ったるい空気か。見てみたかったな。


 何気なく探った結果、あの二人がとても仲睦まじい婚約者同士だという噂が学院内に蔓延している。

 政略結婚でもなく、本当に愛おしむ恋人同士だと。


 王太子は、知らず知らず臍を噛んだ。


 彼らには二年の絆がある。どんな二年だったかは知らないが、信頼関係と恋心を育てるには十分な時間だろう。


 ましてや公爵の方は最初から彼女に惚れてたしな。


 ドリアの社交界デビューのファーストダンスを、射殺さんばかりの眼差しで見据えていたリカルドの煮え滾った瞳を、王太子は忘れる事が出来ない。

 あの執着心にがんじがらめにされた二年なれば、彼女が絆された可能性はある。


 実際は異常な愛情を叩きつけられた結果、ドリアがそれに染まってしまっただけなのだが、彼には知るよしもない。

 貪欲に求められ、貪るような束縛がドリアを虜にしているのだとは夢にも思っていない王太子だった。

 真っ当でない分、沸き上がる背徳感。歪んだ恋情に太刀打ち出来る術はない。

 実際になぶられているのはドリアだが、リカルドの見てくれが子供な事から、いけない事を子供にやらせている。あるいはやられていると言う倒錯的じみた背景も入り交じり、ソフトタッチとキスのみの間柄なのに、複雑で濃厚な行為の余韻に満たされる二人だ。


 真っ当な恋愛にしか考えが及ばない王太子には、とても太刀打ち出来る二人ではなかった。


 彼らにデカデカと貼られた、取り扱い注意の但し書きが見えていない、お馬鹿な王太子である。

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