第14話 転機 2


「あら、リカルド。階段が違うのではなくて?」


「姉上の教室まで御一緒いたします」


 にっこり笑うリカルドに、ドリアは首を傾げる。


 学院は一階が初等科、二階が中等科、三階が高等科に区切られている。いつも三階へ上がる階段で別れていたのに、今日は教室までついてくるらしい。


「大丈夫よリカルド。心配はいらないわ」


「......心配だらけですよ。ほら来た」


 ドリアの教室前に人だかりがある。

 良く見るとそこには、学院の制服をまとったフィヨルド王太子がおり、二人に気づいた途端、満面の笑みで出迎えてくれた。


「やあ、公爵、ちゃんと登校してきてくれたんだね」


 好印象のとびっきりな笑顔だが、一癖も二癖もある冒険者や、ならず者らと鎬を削ってきたドリアから見れば、胡散臭い事この上ない。

 ふっくりと弧を描き、ドリアの笑みが深まる。

 それを察して、リカルドは嬉しそうに彼女を見上げた。


 姉上は、あの笑顔に騙されて黄色い声を上げる婢らと全く違う。


「おはようございます、殿下」


「ここではフィヨルドと呼んでくれ、君らになら許そう」


「ご冗談を。王太子殿下を名前呼びするなど、畏れ多い。そういった栄誉は、賜りたい御令嬢へどうぞ」


「哀しいね。私は君達ともっと親しくなりたいのに。王位につく者として、これからを考えてね」


「リヨンは取り込めませんよ。そういう契約です。個人的な努力は評価しますが」


「....言うね」


 王家と付き合いを深めようと言う王太子に、公爵家は王家におもねらない。御呼びじゃないんだよと返すリカルド。


 バチバチと火花を散らして、言外に色々含む辛辣な攻防。


 狡猾な言い回しのそれは若い世代の生徒らには理解出来ず、当然ドリアも首を傾げている。


 リカルドは、昨日の呼び出しからこちら、事細かに王宮内を調べさせていた。

 そして上がった報告に頭が沸騰する。


「王女側の不始末で婚約解消だと....? しかも、公表していないとか...... 抜かったな」


「申し訳ありません、閣下。王太子の結婚は四年後なため、油断しておりました」


「狸どものやりそうな事だ。隠しておいて安心させ、姉上をかっさらってから公表する気だったんだろう」


「御嬢様に御伝えしますか?」


 家令の言葉に、リカルドはしばし考え込む。


 これは極秘事項だろう。


 王太子が婚約者を寝取られるなど前代未聞。とんでもない醜聞だ。

 公表するにしても、それを上回る何かがないと公表しにくい。


「姉上との婚約で、醜聞を払拭する気だな」


 ここまで調べ上げた公爵家の暗部が異常なのだ。通常であれば、鉄壁に秘匿し一滴の漏らしもなかったはずの情報である。

 これを姉上が知っていたと、万一にも相手に知られるのは不味い。


「これは内密に。箝口令をしき、徹底させよ。王太子は僕の敵だとな」


「御意」


 これより公爵家では、水も漏らさぬ警備に加え、喧嘩上等の態度を王家に取るようになったのだが、ドリアは知らない。


 きらびやかな笑顔で不穏な空気を撒き散らしている二人に、訝しげな声がかかる。


「皆さん、何をしておられるのですか? もう、始業の鐘が鳴りますよ」


 やってきたのは担任教諭のぺラード。隣には副担任のジョシュアがいた。

 剣呑な雰囲気を霧散させ、王太子とリカルドは、にこやかに挨拶する。

 その姿は二人とも好青年そのものだった。


 変わり身早っっ!


 一部始終を見ていたドリアは、意味が分からなくとも険悪だった二人の現金さに、軽く嘆息する。


 これだから笑顔って信用ならないのよね。


 借金苦に辛酸を舐め尽くしたドリアは、銀級冒険者な事もあって、人間を信用していない。

 パーティ仲間であろうとも、いよいよとなれば裏切る事もある。冒険者家業なんかやっていると、そんな汚い裏側を見る機会も多々あり、借金のダブルコンボで、かなり宿無れていた。


 そんなドリアを何の色眼鏡もなく欲しいと思ってくれるのがリカルドだ。


 公爵の身分も王家の色も平民出である事も、何もかも全て関係なく、ドリアを欲しいと言ってくれる。

 毎日寝台の中で、リカルドは睦言のように繰り返し彼女に囁いた。


『姉上は僕の物です。誰にも渡さない。僕の物ですよね? ね? 姉上』


 必死にしがみつきながら、夢現のようなリカルドの言葉に、ドリアも毎日答えていた。


『そうよ、わたくしはリカルドの物よ。大好きよ』


 そう言うとリカルドは陥るように眠りにつく。睡魔に襲われる一瞬だけ見せるリカルドの本音。

 何がここまで彼を追い詰めているのか。

 眠ったリカルドを抱き締めて、髪を撫でながらドリアも眠りにつく。


 こうして何度も尋ねてくると言う事は、リカルドはドリアを信じていないと言う事だ。

 失ってしまうかもしれないと言う不安が、彼の焦燥を煽る。

 恐怖でも羞恥でも何でも良い。とにかく自分に縛り付けようと必死なリカルド。


 病的なまでの彼の支配欲の根元が分からない。


 でもリカルドは苦しんでいる。それだけは分かる。ドリアを欲して狂おしいまでに。


 彼の行動をどんなに従順に受け入れても、それが和らぐ事はない。


 狂暴な行動も、甘えた悪戯も。一瞬はリカルドを潤すが、すぐにまた求められる。


 世間知らずなドリアだが、聡い彼女はリカルドの行動を正しく分析していた。


 共にある事。ドリアの意識が彼に向いている事。何でも受け入れてあげる事。


 これがリカルドを安定させる条件なのだとドリアは気づいていた。


 だから従う。


 狂気に振り回され自分を貶める彼に。際限なく甘やかして、まるで溶け合いたいかのように絡み付く彼に。がんじがらめに縛られ、束縛されるのをドリアは全て受け入れる。


 それが心地好いから。


 他人から見れば異常な関係だろう。しかしドリアは、リカルドが自分を求め、貪り尽くすような常軌を逸した行動が嬉しいのだ。


 求められている。


 これが恋なのかは分からない。


 だがドリアに彼を拒否する選択肢はなく、むしろリカルドが望むなら、お仕置きの果てに殺されても良いと思うくらい彼に依存している。


 地球で言うなら洗脳。あるいは共依存。医師の判断を仰ぐべき案件だ。そんな事はドリア達に知るよしもないが。


 リカルドの常軌を逸した過激な行動により、ドリアも人知れず歪んでいく。

 しかし、彼女はその歪みに気づいていた。そして自ら歪みに身を投じたのだ。


 自分がドン底だった時に救ってくれたリカルド。ならば自分も彼を救おう。自分を慰みものにする事で、彼が一時でも安息を得られるなら、喜んでこの身を差し出そう。


 ドリアにとってリカルドこそが白馬の王子様だった。


 無自覚に歪んでいるリカルドと、自ら歪むドリア。


 果てに待つものは何なのか。


 共に奈落へ堕ちる覚悟のあるドリアは、牽制し合うリカルドと王太子を生温く見守っていた。


 リカルド、知っていて? わたくし、貴方になら、何をされても嬉しいのよ?


 鞭で打たれても、いやらしい言葉で罵られても。貴方が望んでいると思うだけで身体がゾクゾクして熱くなるの。おかしいわね。でも嬉しいの。


『嬉しいですか? 姉上』


 思い返すだけで身体が昂る。


 ええ、嬉しいわ、リカルド。


 もっと、息も出来ないくらい束縛して欲しい。御互いの境界が分からなくなるくらいキツく抱き締めて欲しい。


 はしたないから言わないけれどね。あ、はしたない方が構ってもらえるかしら? 悩みどころね。


 互いを貪欲に求め合う二人。


 リカルドは、ドリアの瞳に宿るようになった仄暗い光に、未だ気づかない。

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