第10話 昔とった杵柄 ~前編~


「どうして、こうなった」


 以前にも似たような言葉を呟いた気がする。


 今現在の状況は最悪だ。馬車と馬しかなく、水も食糧もない。陽は陰りはじめ、周辺は鬱蒼とした森だけだった。

 どうしたモノかとドリアは思案する、ホンの数刻前、彼女は級友らと共に崖から転落したのだ。


 今日は貴族学院の新入生歓迎会のレクリエーションでピクニックが行われた。


 はしゃぐ生徒らを乗せ、馬車で二時間程の森の湖に向かっていた列がそれなりの幅のある山道に差し掛かった時、いきなりの落石に見舞われた。

 故意か偶然か。サンドリアの乗った馬車は同乗していた三人の貴族子女、子息とともに崖下へと転落したのである。

 緊急事態ではあるが、幸いリカルドから与えられていた守護のペンダントが働き、馬車を馬ごと守ってくれた。

 煌めく結界に包まれて、いきおい良く転がりながらもドリアらは無傷で崖下へ着地する。


 そして何が起きたか分からず茫然としたまま、現在に至るのだった。


 かれこれもう五時間はたつだろう。


 事故とはいえ、落ちた場所も判明しているのに、未だ救出が来ない。とうに誰かしらが助けにきても良い筈だ。

 さわめく森の木々を見つめながらドリアは考え込んだ。


 おかしいな。


 思案げに眉を寄せるドリアの耳に、すすり泣く御令嬢の声が聞こえる。

 正直ウザイ事この上ないのだが。今の現状を思えば無理もないだろう。


「御父様、御母様.... ぐすっ、怖いです」


「大丈夫、きっと助けがあります。泣かないで?」


「そうですよ、転落したのに怪我もなく、馬車も無事なのだから。我々に運は向いています」


 慰める御令息らの声も聞こえる。かれこれ五時間泣きっぱなしとは。貴族令嬢は存外体力があるのだな。

 慰める御令息らはお疲れ気味であるが、紳士としての態度を忘れてはいないようだ。

 だが食べ物は勿論、水分もとらずに数時間。さすがにキツイ。


 この三人がいなきゃなあ。とっくにビバークや食糧確保に走ってるんだけど。


 サンドリア・サンドリヨン・ミッターマイヤー公爵令嬢。彼女は数年前まで平民の銀級冒険者だった。

 夜営や狩りは御手の物。今でも豪奢な制服の下には、暗器や道具が忍ばせてある。


 紆余曲折して、数奇と言えば聞こえは良いが、単なる棚ぼたで公爵家に迎えられた御令嬢だ。

 世間は彼女をシンデレラガールと呼ぶが、本人にとっては契約に縛られ、リカルドに酷使されているに過ぎない。

 義弟との雇用契約がなければ、ドリアは一目散に王都から逃げ出していた事だろう。

 誰が好き好んで、こんな窮屈極まりない暮らしをするものか。


 五年の辛抱だ。そうしたらリカルドに公爵家を押し付けてトンズラする気満々である。


 そうこうするうちに夜も更けてきて、外が暗くなっていった。魔術具のランプがなくば、馬車の中も真っ暗だったに違いない。

 さすがに言葉少なくなった三人も、ようやく今の現状が異常である事に気がついたようだ。


「.....何故助けが来ないんだ?」


 呟いたのはランドルフ伯爵令息。名をベリスタスと言う。金髪に緑の瞳で、少し神経質そうな細い青年。


「本当に.... 上では大騒ぎなはずなんですが、灯りすら見えません。おかしいですよね」


 答えたのはフレーベルク侯爵令息。名をクリストファーと言い、薄い茶髪に青い瞳。言葉から察するに、現状を理解し中々に胆力が有りそうな感じがした。印象は、人懐こいワンコである。


「怖いです。何故こんなことに.....」


 またまた泣き始めた御令嬢は、スワチェフ男爵令嬢。名をフランソワーズと言う。

 ふわりとしたパウダーピンクの髪に赤い瞳。か弱く華奢な印象だが、何時間も泣き続けられるあたり、存外図太い体力持ちであった。


 緊急事態用にリカルドから持たされている魔術具の数々。これを使えば何とかなるが、どうするか。


 誰も眠らず不安に包まれた一夜が過ぎ、仕方無しにドリアは動き出した。




「これは....?」


 目の前には水の溢れる器がある。


 三人は驚愕の面持ちで、水の滴るコップを見ていた。

 料理や食糧は別の馬車に積んであったが、カトラリーはそれぞれの生徒が専用を持ち込んでいたため、この馬車に積んであった。


「義弟から持たされていた魔術具ですの。水、火、風、土、守護。使うか迷いましたが..... すでに守護の結界が発動してしまいましたし、隠す事もないかと」


 それを聞いた三人は昨日の滑落を思い出す。

 煌めく虹色の光が馬車を包んでいた。あれが守護の結界か。


「命を救われました。ありがとうございます」


 驚愕の面持ちなまま、クリストファーが謝意を述べた。他の二人もそれに倣い頭を下げる。

 ドリアは柔らかく微笑み、謝意を受け入れ、水の魔術具の説明をした。


「これは一定の量の水が継続的に出ます。込められた魔力が尽きるまで。大体十日ほど使えると聞いています。飲むことも出来るし、清める事にも使えるでしょう」


 そう言うとドリアは別のグラスに水を受け、そのまま飲み下した。

 三人からゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。


「この通り。宜しければ皆様も御使いになってね」


 弧を描く彼女の紫の瞳。その美しさも伴い、三人の眼には神々しい女神が映っていた。


 各々喉を潤し、顔を洗い、ようやく人心地ついた感じで今後の事を話し合う。


「誰も助けに来ないなんて.... どうしたら良いんだろうか」


 白んだ空はすっかり明け、森の中を渡る風のさわめきがやけにハッキリと聞こえた。

 重い沈黙に耐えきれなくなったのか、クリストファーが立ち上がり馬車に向かう。

 そして彼は荷台から一刀の剣を持ち出した。


「森を抜けてみる。幸い王都の方向は分かるし、助けを呼んでくるよ」


 何故にピクニックに剣を持ち込んでいるのか。


 思わず座りそうになる眼を必死に立ち上がらせ、ドリアは淑やかに尋ねた。

 するとクリストファーは、騎士を目指す者として、剣を手放したくなかったのだと小さく苦笑する。

 彼は侯爵家三男だ。いずれは家を出るか、爵位のない家人として王宮勤めするしかない。


 その職に騎士を選んだのだろう。


 ここまでの距離は王都から遠くはない。

 皆で移動する事も考えたが、万一猛獣などと出逢ったら危険だ。ここなら馬車があり逃げ込める。

 剣を持つクリストファー一人なら戦う事も逃げる事も出来るが、皆を守りながらは無理だ。

 そう説明し、クリストファーは王都の方へ歩き出した。


「必ず迎えを連れてきます」


 笑いながら歩いていったクリストファーと再び合流出来たのは半刻後。


 凍りつく顔が四つ並び、微動だにしない。


「なんで....?」


 掠れた声音で絞り出すクリストファー。


 彼は向かった方向と反対側の森から現れた。


 絶句する三人を余所に、ドリアはリカルドの言葉を思い出していた。


 これは端と端を繋ぎ、空間を閉じる魔法だ。


 たぶん外側でも同じ事になっているのだろう。


 ドリアは以前リカルドがしてくれた魔法講義の一つを脳裏に描いていた。


「これを見てください」


 覗き込んだ中には魔力で作られたリボンがあり、表が赤。裏が青のそれをリカルドは軽く一捻りして繋げた。

 その平たいリボンの上に小さな魔力の玉を転がすと、それは裏表を延々と繰り返して滑っていく。


「このように閉じる事で永遠のループを作る事が可能です。かなりの魔力を必要とし、媒介が必要になります」


 リカルドは繋がるリボンの境目を指差した。

 そこには一捻り入れたため、色違いの境目がある。


「ここを繋げるための媒介が必要なのです。大抵は宝石ですね。純度や硬度が高いほど媒介として優秀です」


 魔術具を使う者の嗜みとして教わった魔法講義。それが今役に立つ。

 これはどう考えても悪意のある状況だ。このまま閉じ込められたら命にかかわる。

 何が目的で閉じ込めているのか知らないが、早々に脱出しないと彼等三人はもたないだろう。

 冒険者暮らしの長かったドリアと違い、生粋の貴族な三人の疲労は色濃い。

 フランソワーズなど、たった一晩で目の下に隈が出来ていた。

 食べ物もなく水だけでは、あっという間に衰弱してしまうだろう。動ける今がチャンスだ。


 猫を被ってる場合じゃないな。


 ドリアは制服の前をはだけると、ボレロを脱ぎ、肩パットや膨らみ部分に潜ませた物を次々取り出した。

 いきなりの淑女らしからぬドリアの行動に面食らう御貴族様三人だったが、目の前に並べられていくモノを理解すると驚嘆の眼を向ける。

 そこには干し肉やドライフルーツ。細い鎖や小さなナイフ。蝋燭や革紐など、本来淑女が持つべきではないような雑多なモノが並んでいた。

 彼女は干し肉やドライフルーツをそれぞれに渡し、他にもミックスナッツなどを加え、三人に食べるよう薦める。


「ここを抜け出せたら、今日の事は忘れていただけると助かります。緊急事態なので..... 少しの間、淑女をやめさせていただきますね」


 苦笑しながら話すドリアに、三人はただ頷くしかなかった。


 非常食を口にする彼等に、ドリアはリカルドから聞いた魔法講義の説明をする。

 この状況は、そのループ魔法だろうと。

 助けが来るか分からない状態で無為に時間を浪費すれば、衰弱し動けなくなる。その前に、まだ体力のあるうちに動くべきだとドリアは話した。

 それに頷き、クリストファーはドリアに賛成を示す。


「確かに。その話通りなら、私が反対側の森から出てきた事も頷けます」


 得心顔のクリストファーとは逆に、ベリスタスは不審気な顔でドリアを見返した。


「それが本当か分からない。今も皆が探してくれているだろう。動くべきではないのではないか?」


 そう言うと彼は崖を見上げる。かなり落ちた崖の上は視認出来ず、微かな声すら聞こえない。


 その現実が見えていないのか。


 もし、ここが閉じられていないなら、上からは喧騒が聞こえ、とうに救助の誰かしらが来ているだろうに。

 虚ろな眼差しで見上げているベリスタスを一瞥し、フランソワーズは軽く首を振りながら呟いた。


「来るなら、とうに来ていますわ。わたくしはサンドリア様に従います。このまま時間が過ぎれば、わたくしが一番に足手まといになるでしょう」


 ドリアはパウダーピンクの御令嬢に眼を見張る。


 泣いてばかりなか弱い方だとはかり思っていたが、なんのなんの。中々に決断の早い御仁ではないか。

 しかも自分を良く知っておられる。動けるうちに行動と言うドリアの話の意味を正しく理解していた。


「ならば三人で行きますか。ベリスタス様は、ここに残ると言う事で宜しいですね?」


 淑女らしからぬ冷たい声音と据えた眼差し。

 ベリスタスは言われた言葉が理解出来ずに狼狽えた。


 話は移動するかしないかではなかったのか? 反対すれば移動しないと思ったが、別行動?


 二択だと思っていた選択肢に第三の選択があるとは思いもせず、ベリスタスは絶句する。

 それを見て小さく嘆息し、ドリアは立ち上がった。


「残るも来るも御自由に。わたくしは参ります」


 一人で残る?


 唖然とするベリスタスを置き去りにし、三人は王都に向かって歩き出す。


 それを茫然と見送りながらもベリスタスが立ち上がる事はなかった。


 これが運命の別れ道になるとも知らずに。

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