第5話 侵入者とサンドリヨン


「存外早かったな」


 ほぼ駆け足で走り抜けてきた四人の馬車は、夕刻前に関所へたどり着いた。

 堅牢な石垣が建ち並ぶ半砦のような関は、陽が沈むまで開いており、未だに行き交う人々で賑わっている。

 徒歩と馬車では門が分かれていて、ドリア達は当然馬車の列へと向かった。

 隣国への門を選び並ばせようとしたドリアだが、リカルドが窓から憲兵に声をかける。


「これを」


 少年はジェフにブローチのような物を渡し、ジェフはそれを憲兵に見せた。とたんに憲兵は青ざめ、転げるように馬車へと駆け寄ってくる。


「ミッターマイヤー公爵家の方々とお見受けいたしますっ、間違いございませんかっ??」


「違いない。通れるか?」


「勿論でございますっ、あちらの門からどうぞっ」


 窓から中を確認して、兵士はゆったりと座る貴婦人の姿に絶句した。

 鮮やかなオレンジ色の髪に極上のドレス。煌めく宝飾品にも劣らないのは、その双眸に携えられた黄昏色の貴石。

 口許を扇で隠した女性の妖艶な微笑みに、兵士は言葉もなく、ぼーっと惚けている。


 しばらくして、はっと我に返った兵士が慌てて姿勢を正した。


 深々と頭を下げる兵士達に頷き、誰も並んでいない開けた門を潜る。すると憲兵から指示を受けたのか、兵士らがざっと並び、馬車が通り過ぎるまで微動だにしない。

 いささか固い歩みで、馬車はそのまま隣国アルバシールに入国した。


 手綱を握るジェフは顔面蒼白。緊張に強ばる声帯を駆使して言葉を紡ぐ。その声は微かに震えていた。


「公爵って.... 聞いてねぇぞ、ドリア」


「リヨン姉上だ。間違えるな」


「さーせん.....」


「ここからは敬称を忘れるな。物理で首が飛ぶぞ」


「「..........」」


 うっわぁ.... あの二人が黙ったよ。


 父親と懇意な二人の冒険者はドリアとも親しかった。

 酒が入らずとも賑やかで遠慮のない男どもだ。それを黙らせるリカルドの貴族然とした態度に、思わず瞠目するドリアである。


 過ぎ去った馬車を見送りながら、兵士らは窓から見えた御婦人に思考を奪われる。

 静かな面持ちの貴婦人が、僅かに流した視線。それに含まれる、しっとりとした微笑み。長い睫毛がバッサバサな瞳は魅惑的に輝き、初な兵士達を虜にした。


 眼福の極みである。


 至福の一瞬を瞼に焼きつけながら、兵士達はしまりのない顔のまま、馬車が見えなくなるまで見送り続けた。



 国境の街は中々に賑やかな街である。

 行き交う人々の顔も明るく、ひしめくように並んだ露店からは景気の良い掛け声や、芳ばしい香りが、そこかしこに漂っていた。


「ここらで一泊だな。明日の午後には王都に入れるだろう」


 幸い国境周辺は宿が完備されている。安宿から高級宿まで。


 安全を兼ねて、ドリア達は一番高級な宿に宿泊する事にした。

 三階建の老舗宿。ここなら部外者は入れないし警備もちゃんとしている。

 最上階の部屋をとり、左右と真下の部屋もキープしたいとドリアが申し出ると、支配人は快く承知してくれた。

 身分の高い者を相手にしている宿だ。良くある事なのだろう。


「何故そんなに?」


 訝るリカルドに、ドリアは軽く眼をすがめる。


「ここはもう敵地と思え。御家騒動なら末端にまで情報が行っているはずだ。高位貴族相手ともなれば、ここも安全とは言い切れない。左右や下の部屋から忍び込まれるのも想定内だ。可能性は潰しておく」


 言われてリカルドも理解した。


 最上階を選んだのは上に部屋が無いのと地面が遠いから。侵入経路をなるべく少なくするためなのだ。

 周りを見れば、ジェフとゲルドも頷いている。護衛とはこう言うものなのだろう。

 守るのは大前提。襲われない環境を作るのも彼等の仕事である。


 案内された部屋に入ると、そこには天涯付きの二つのベッドと皮張りで豪奢な応接セット。さらには物書き机や簡易バーまで設えてあった。

 ドリアの自宅並みの広さがあり、続く扉には広い浴室とクローゼット。至れり尽くせりな部屋である。


 一泊金貨五枚するだけあるな。


「じゃあ、ジェフとゲルドは左右の部屋に。半刻後に食事をとろう。それまで寛いでくれ」


 ドリアの指示に従い、ジェフは左の部屋、ゲルドは右の部屋へ消えていく。

 そんなドリアをながめながら、リカルドはソファーに座った。

 その眼には、やや複雑な色が浮かんでいる。

 それに気づいたドリアは、無言なまま少年の向かい座った。


 彼は一体何者で何を知っているのか。


「さてと..... 聞きたい事がある。サンドリヨンは我が家の隠し名だ。何故知っている?」


 リカルドは答えない。


 最初は偶然だろうと思った。しかし、彼はドリアが貴族の家系だと見抜いていた。

 そうなると話は変わる。ドリアの父の名はサンドルジュ。サンドは必ずつける頭言葉で、通称は下半分が使われる。本来の名前を知るものは少ない。

 サンドリアならドリア。サンドルジュならドルジュ。


 そして隠されたミドルネームがサンドリヨンなのである。


 これは婆様の家系に伝わるしきたり。貴族家には代々伝わる隠し名があり、それを名乗れる者は直系の当主と後継者のみ。

 父親の次はドリアしかいないので、当然ドリアが名前を継ぐ。

 継いだ当主のみがミドルネームを名前として名乗れる事を知らずば、ドリアの事をリヨンとは呼ばないはずだ

 つまりリカルドはサンドを頭言葉に持つ家系を知っている事になる。


 動揺もなく、沈黙する彼の姿がその答えだった。


「知っている.... そうですね。半分当たりです。でもまだ話せません。いずれ話すかもしれませんが、今ではない」


 辛辣に柳眉を跳ね上げるドリアに、リカルドは困ったような苦笑で応えた。


 そんな顔も可愛らしいんですけどね。自重しようと思っているのに、挑発しないでくださいよ。


 微かに熱を帯びた溜め息をはき、少年は柔らかい笑みを浮かべる。


「取り敢えず、今は僕を守ってください。お金は出しますし、ちゃんと指示に従います。御家騒動が終息しないと落ち着けないでしょ? これから時間はたっぷりあるんだし、焦らなくても大丈夫ですよ」


 そう、そのためのだ。逃がしはしませんよ、

 向こう五年の拘束。どれほど焦がれた事だろう。

 まさか、こんな形になるとは思わなかったが、結果は最上。まんまと僕の手の中に落ちてきてくれた。


 少年の脳裏には領地端にある離宮が浮かぶ。そこには多くの絵画が飾られ、祖父が切な気に見つめ、自分もその中で虜になる。


 不可思議そうな顔で首を傾げるドリアを舐めるように見つめ、リカルドは降って湧いた幸運を心から感謝していた。


 聞き出す事を諦めたドリアは、ジェフらと部屋で食事をとり、そのまま湯あみをして明かりを落とす。

 リカルドは既に眠っており、まずはドリアが深夜まで警戒し、次をジェフ、ゲルドと交代で眠る事にした。


 しかし交代するまでもなく、灯りを落としてしばらくすると、窓を破って何者かが飛び込んでくる。

 けたたましい破壊音が響き渡り、慌てて起き上がったリカルドをシーツで押さえ付け、ドリアは天蓋のカーテンを閉めた。


「出るなよっ! シーツにくるまっておけっ!!」


 音を聞き付けてやってきたジェフとゲルドは、ドリアと相対する黒装束な男らに武器を向ける。

 人数は五人。漲る 殺気からこの手の玄人なのが窺えた。

 リカルドを守るべくベッドと侵入者の間に入った三人は、信じられないモノを見る。


 手に手に得物を持った侵入者らは、なんと五人全てがドリアに向かってきたのだ。


 多勢に無勢、思わぬ状況にドリアはカーテンへ叩きつけられる。容赦ない男らの剣先が彼女の全身を掠めた。


「ドリアっ!!」


 一直線にドリアへと向かった男らの背後から、ジェフが切りつける。それをかわし、侵入者の一人はジェフへ飛びかかった。

 同じようにゲルドにも飛びかかり、ドリアの前には三人の男が残される。

 正面から剣を交え、受け止め、圧され気味ながらも善戦するドリアの目の前に、突然切っ先が飛び出した。

 なんと仲間の背後から仲間の身体を突き刺し、貫通させ、ドリアに向かって攻撃をしてきたのだ。

 正面の男と剣を交わしているドリアに為す術はない。

 いきなり現れた凶刃は、夥しい血飛沫とともにドリアを貫いた。


 ....かに見えた。


 しかしそこに伸ばされた小さな手が凶刃を止めている。


 天蓋のカーテンから伸ばされた手は、半透明な不定形物を操り、正面の男諸とも背後の男まで吹き飛ばした。

 壁に叩きつけられて、声もなく崩折れる刺客達。


「姉様に刃を向けるなど....っ、地獄へ落ちろっ!!」


 吹き飛ばされた男二人は燃え上がり、声にならない悲鳴を上げて床を転げ回る。

 唖然とする周囲を余所に、風がカーテンを跳ね上げた。


 そこには一人の少年。


 言い知れぬ怒気に満たされ、爛々と輝く空色の瞳。

 燻る魔力が陽炎のように揺らめき、傾いだ顔に宿る殺意は本物。

 流れる金髪の周りで、小さな火花がピシパシと弾けていた。

 暗殺を生業とするだろう男どもが、微動だに出来ないおぞましい迫力で威嚇する。


「......おまえら。楽に死ねると思うなよ?」


 ニタリと炯眼で嗤う死神に、思わず全身を粟立たせる侵入者達。


 やっぱ、おまえ、護衛要らんだろ。


 蛇に睨まれたカエルの如く竦み上がる男らに、ドリアは同情を禁じ得ない。

 ベッドで仁王立ちする悪魔を、じっとり半目で見据え、ドリアは大仰に溜め息をついた。


 火だるまにした侵入者らは既に事切れており、残る三人は戦意喪失。依頼人を吐かせたら叩き出すらしい。


 黒焦げな仲間を忘れずに持ち帰らせないとな。死体の処理なんざ、御免被る。


 そんな事を考えるドリアの耳に階下から大勢の足音が聞こえた。どうやら宿の警備がようやく異変に気づき、駆け付けてきたみたいである。


 その足音を聞きながら、この惨状を一体どう説明したものかと、一人頭を抱えるドリアだった。

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