第14話 お返し

 かえでがわたしの膝を枕にし、眠りについてから十分ほど。

 最初はすごく慌てふためいたけど、さすがに落ち着いてきた。

 わたしの膝の上でかえでが寝てるって言う事実はまだむず痒いけど。

 

 かえでの髪ももう梳き終わった。

 かえでが眠っているうちに、近い距離でかえでを観察する。

 やっぱり美人。

 なんで彼氏いないんだろ……性格か。

 性格が悪い訳では無いけど、かえで自身好んで人と関わろうとしない。

 だからそういった機会がなかったのかな。

 それに今もすごい格好だし。


 髪を梳いたから幾分かましに見えるけど、ボサボサの髪にキャミソールにショートパンツ。

 とんでもないな……。

 それでも容姿端麗だから絵になって見える。

 確かに、美人とは罪なものだな。


 かえではちっちゃい。……決して胸の事を言っている訳では無い。決して。

 ……かえでの胸から目を逸らしたのは内緒の話だが。

 かえでは身長がかなり低い。平均ぐらいのわたしより頭一つ小さい。

 というか体自体が全体的に小さい。

 よく言えば華奢な体型。

 ちっちゃいなあ……。

 保護欲……というか母性本能? みたいなのが湧いてくる。

 美人だけどかわいい、なのにかっこいい。

 かえではよくわからない。


 


 二十分ほどたっただろうか。かえでは依然私の膝の上で丸まったままだ。

 恐る恐るかえでの頭に手を伸ばし、頭を撫でてみる。

 気持ちが落ち着く。

 ちっちゃい頭。なのに頭はいい。

 ちっちゃい唇。

 なのに割と一口が大きい。

 唇……。

 

 無意識に唇へ視線が奪われ、わたしの体は意思を失ったかのようにかえでの口へと近づいてい――――。

 

 いやいやいやいや。正気に戻れわたし。

 何、やってんだ。

 なんなんだ? 本当に、この、気持ちは。

 頭がまたショートしそうだ。わけがわからない。

 また正気を失ってしまう前にかえでを起こしたほうがいい。

 そうわたしの本能が訴えている。


「かっ、かえで! 終わったよ!」

 

 両腕でゆすりながら大きな声でかえでを起こす。


「お、おぉ~あき。ありがと~」

 

 かえでは多少驚いた様子だったけど、すぐいつもの調子に戻ってお礼を私に言った。

 わたしの膝から頭を起こし、正面へと正座する。

 

「ごめんね~。ちょっと寝すぎたかも」


「だ、だいじょうぶ! 四十分くらいだし!」


「ん~」


 少し目を逸らしながら気まずそうにかえでは頬を掻く。

 やっぱりわたしが大きな声で起こしたのに少し驚いているんだろうな。

 かえでは人の前……それはわたしの前でもだけど、あんまり素の表情を見せようとしていない気がする。

 むしろ、何かを隠している感じ……とでも言おうか。

 でも、今のかえでは寝起きのせいか、二人だけのせいか、いつもより少し表情を隠すのが下手になっている気がした。

 普段はなんというか、仮面を被っている感じなのに。

 猫を被っているんじゃなくて仮面を被っている感じ。

 その仮面が少し外れてしまっているように見えた。

 それくらいかえでを驚かせてしまったのだろうか。


「わ、わたしこそごめん。……大きな声出しちゃって」

 

 咄嗟に謝る。かえでに嫌われるのは嫌だ。

 


「あ~、びっくりしてるのに気づいちゃった? ごめんね~私大きな音苦手なの」


「ご、ごめん」


「気にしないでよ。髪ありがとね。あきのお膝は何というか……丁度よかったよ」


 場を和ませるためだろうか、かえではいつもの調子で冗談を言う。

 心なしか表情もいつもの様に、薄い笑みを纏っている様に見える。

 いつもだったらその言葉にわたしが照れたりしているんだろうけど、生憎今のわたしにそんな余裕はない。


「うん……」


「どうしたのあき。そんなに気にしなくていいんだよ。もともと寝てたの私だし」


 少し申し訳なさそうに笑いながらかえでが言った。

 違うんだよかえで。そうじゃない。

 でもこのことを本人に話してしまったら、今の関係が壊れてしまいそうな気がして……。


「うん、気を付ける」


 結局わたしもいつものかえでの様に笑ってごまかすことを選択していた。

 かえでは普段どんな気持ちで笑ってごまかしているんだろうか。


「で、あき。どこ行くとか予定あるの? おじいちゃんの店?」


「そこはあとで行く……かな。予定とちょっと時間がずれちゃったから、次のバスまでかえでの家でくつろいでて……いいかな?」


「ん~。そそ、あき? 私さ、服持ってないんだよね」


「え? あ、私服?」


「そ~そ~、だから今日は制服着てこうかなって」


「服選んでって、そもそも持ってなかったのか……、なるほど……」


「あき? あきワールド入んないでね」


「あ、うん」


 さっきからわたしの心は気持ちを切り替えることに必死だ。なのに、悉くその試行は失敗している。

 冷静になれない。

 どうしたらいいんだ。

 

「おーい、あき?」


 ハッとして意識を現実に切り替える。

 そこには少し心配そうなかえでの顔があった。

 

「あ、うん。聞いてたよ?」


 咄嗟に誤魔化してしまった。

 一瞬かえでの顔がますます心配そうにわたしのことを見ていたが、すぐに薄い笑顔へと切り替わる。

 どうしたらそんなに表情や心を隠せるようになるのだろう。

 少しうらやましい。


「嘘だ~。さっき私なんて言ってたかわかる?」


「え~っと……」

 

 三秒ほど考えてみる。だめだ、今それどころじゃない。

 

「はい時間切れね。正解は……教えません!」


「……」


「……どうしたのあき? ……やっぱりまだ怒ってる? ごめん」


 かえでは笑顔を消して、真剣みを増した表情になり、正座したまま頭を下げる。

 どこかで見た茶道のお辞儀みたいだ。


「いや、そうじゃ……ない。よく、わかんない」


「もしなんか悩み事があるなら、私相談に乗るけど」


「かえでには……話せない……っていうか話したくない」


「そう? でもそれって他の人に相談できること? 例えば……親とか、先生とか」


「そういうわけでも……ないかな」


 かえでの表情からはすっかり薄い笑みが消えている。

 本気でわたしを心配してくれてるんだろうな。

 素直に嬉しい。

 やっぱりかえでは優しい。

 不器用だけど、彼女なりに一生懸命何かをしようとしている。

 ――だから……しそうになる。


 これはかえでには話せない。

 もしこれをかえでに話してしまったら、かえではあっさり答えを見つけてくれそうで。

 でもそうしたらかえではわたしから距離をとってしまうような気もして。

 まるで根拠はない。わたしのただの勘。

 それにこれも気の所為なのかもしれない。

 


「おいで、あき」


「え?」


 かえでがこっちに手招きをしている。

 こっちにおいでってことなんだろうけど。


「ど、どうして?」


「いいからいいから」


 かえでの顔を見る。

 いつもの薄い笑みではない。笑顔なわけではないけど、何か穏やかな表情をしている。

 恐る恐るかえでへと座ったまま膝行する。


「えい」


 かえでがわたしを押し倒した。

 驚いて目を開いた。かえでの上半身が見える。それに後頭部からはほんのり温かい体温が伝わってくる。


「お返し。本当にどうしたのあき。そんな泣きそうな顔して」


「あ、あ、の。え、っと」


 言葉が詰まる。かえではわたしを励まそうとしてくれているのに。

 何も言えない自分自身が嫌で仕方がない。

 ごめん。かえで。


「もしかしてまだ気にしてる? 気にしなくていいよ? ほんとに」


「そういう訳じゃ……ないけど」


「まあ別に、言いたくないなら言わなくていいんだけど。私だってあきにはたくさん嘘ついてる……かもしれないしね?」


 目を開くとかえでの表情がほんのりと見える。薄い笑みなんかではない。

 今のかえでは素の状態でいるような気がした。

 いつもかえでとわたしの間にある、絶対にわたしからは開けられない、大きな扉が開いているような感じがする。

 わたしだけに見せてくれるその表情。

 ……だから尚更しそうになる。


「だからさ、こういう時は寝るの。どうせバスまで時間あるしさ。私はこういう時は今までも、今もずーっと寝て忘れてきたの。あきもさ、一回寝て忘れよう」


「……うん」

 

 かえでの表情が全く見えない。その顔をずっと見ていたいのに。

 

「泣いていいんだよ。泣きたいときゃ泣きゃいいのさ。あきがさ、どんなことで悩んでいるかは私には到底わからないけどさ、ありのままでいていいんだよ。取り繕ったって疲れるだけだしさ」

 

 かえでがわたしへとゆっくり言葉を伝える。

 何故かかえでが少し苦笑している様に見えた。

 まるで自分自身に対して非難するかのようにかえでが言うから。

 だから、本当に、本当に勘違いしそうになる。

 ――暴走しそうになる。


「おやすみ、あき。気にせず寝てて」


 ああ――ダメだ。

 だから、だから……になる。

 その言葉を最後に、わたしの意識はシャットダウンした。

 

 ――意識が途切れる前、最後に少しだけ「今度は私の番か」なんて聞こえた気がした。


 

 


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