第2話 開戦

 どうやら私は、めんどくさいやつに目をつけられたらしい。

 昨日も今日もで、電車で同じ奴に声をかけられている。


「沖野さん? 起きてますかー?」


 起きてますけど、何か。


「返事がないと、さすがにわたしもメンタルに来ちゃうな〜……なんて?」


 私はあなたの事情なんて知らないんだけどね。

 目は閉じたまま、視覚以外の五感をフル活用する。

 匂い……はなんか変態みたいだからやめておこう。

 手触り……は、まあ少し試してみよう。

 声がする方向に向かって腕を伸ばす。


「ひゃあっ?!」


 むむ、なんだねこれは。なかなか悪くない感触ではないか。


「……」


 黙ってしまった。とりあえず隣に座っているのは分かった。

 ……女の子なのもわかった。なんでわかったのか、は言わないけれど。

 うーむ……。このまま放っておいたままでいいのだろうか。

 さすがに声を掛けた方がいいかもって気がしてくる。

 ……わざとでは無いんだけどセクハラまがいの事もしてしまったし。

 決してわざとでは無い。

 ジーッとした視線を横から感じる。

 電車はまだ走っている。学校最寄りの駅に着くまではまだかかりそう。

 ここはやはり謝罪――もとい返事をしてあげるべきだろうか。

 でも、一回「起きてまーす」なんて言ったら負けた気がする。

 よくわかんない意地が私を縛ってくるのだ。

 それに万が一本物のヤベー奴だったらちょっと怖いし。


 というか、第一、電車で寝てる女子高生に、毎日、「起きてますかー?」なんて声をかけてくる

やつがヤベー奴じゃないわけがないのだ。

 そういうことにしておこう。

 ただ、さっきの――何とは言わないけど、手触りで私と同じ制服らしきものを着ているのがわかった。

 同じ高校なのはまず確定していいだろう。

 ……コスプレ変態おばさんとかじゃなければ。

 ………………。

 まあ、いいか。

 結論。めんどくさいので狸寝入りします。

 おやすみなさい。そしてごめん。

 謝罪の意はせめて私の心の中だけでも……。


 


 というか狸寝入りだから寝ちゃダメじゃん!

 危うく全てを放棄して意識をシャットアウトしてしまうところだった。

 思考を一度止め、再び視覚以外の五感を以て周りの状況を確かめようとする。

 電車はまだ私を揺らしている。

 あれから何分たっただろう。

 

『間もなく……』


 ナイスタイミング車掌さん。

 これで学校最寄り駅の二つ前なのがわかった。

 彼女の様子は――薄目で少し見てみる。

 久々に私の意識に侵入してくる光は、待ちわびていたのか私の目を焼き尽くさん勢いで輝いている。

 眩しいなあ、おい。

 おかげで少ししか見えなかったけれど、胸を腕で隠したまま静かに座っているっぽい。

 顔までは見えなかった。

 一体彼女は私の何なんだろう。

 血縁者? 従兄弟? 友達?

 どれも私にはありえない話だ。

 でも私の苗字を知ってるのなら、最低でも知り合いだったりするのだろうか。

 私の知り合いなんて親戚と近所以外にはほとんどいないのだけれど。

 もしくはストーカーなんて線も······。

 まあ、こんな堂々としたストーカーなんているのかわからないけど。

 そもそも、彼女女の子だし、同じ学校っぽいし……。

 私自身ストーカーができるほど容姿に恵まれている訳でもない。

 自惚れにも程があるって感じかな。

 まあ、そのうち折れるでしょ。めんどくせ。


 ――無視は何より辛いものなのだから。




 特に何も無いまま五日くらいたったと思う。

 わたしは依然ゆらゆら揺れながら、森……というか山の中を走る電車の中で、沖野かえでの隣に座っていた。

 それでも沖野かえでは一向に動かない。

 めんどくさい奴め……。


 ……いや正確には動きはした。

 寝ぼけてたのかなんなのか知らないけど、突然こちらに腕を伸ばしてきた。

 ……何だったんだろう、あれ。


 でもそれ以外は本当に何も無かった。

 もしゲームで、わたしが彼女のことを調べたら、『既に屍のようだ』って出てきそうなくらいには反応がない。


 最近に至っては少し近づいただけで、寝息はスタ――って音のない宇宙みたいに止まる。

 寝起きがいいのかな? いや、そんなことはどうでもいいんだけど。

 作戦名をつけるのならば、今夜は寝かせないぜ――かな。

 ん〜でも、……夜ではないか。

 じゃあ、今夜も寝かせないぜ、ならぬ、今朝も寝かせないぜ、かな。


 これはわたしが始めた、今となっては始めた理由すらうろ覚えの一方的な勝負だけど、彼女にわたしの名前を覚えてもらって、彼女の生態を満足いくまで探るまでは諦めないつもりでいる。

 あれ、これが目的だっけか。


 電車がダメなら今度はバスだ! って思いはしたんだけど、少しは寝かせてあげないと可哀想かなとも思った。

 それにあのバスには同じ中学校だった子達が乗っている。

 あんまり彼女たちにわたしの存在を認識させたくない。

 だからそれはやめる。


 でも変化をつけるのは大事だと思う。

 わたしはどちらかというと、やってから後悔したい派なのかも知れない。

 まあ、なんだ。

 わたしはさらに進化するからな、沖野かえで。

 ……かかってこい!




 あれから土日を挟んで、五月……何日だっけ?

 まあとりあえず月曜日なのは確実。

 また学校が始まる。

 今日も彼女は声をかけてくるのだろうか。

 今日こそは、顔だけでも確認しておきたいところ。

 前回は光に裏切られましたからね。許しません。


 バスに乗って一眠りした後、今日は珍しく、運転手さんに起こされることなく自然と目覚めた。

 なぜならばふと、どこかで聞いたことがある声が聞こえたから。

 

「ありがとうございましたー」


 どこかで聞いたことある気がするんだけど······。

 中学校が同じだった子かな。

 私の中学時代、友達なんていなかったんだけど。

 ――今もか。


 同じ制服で驚いたけど、まさか奴ではないだろう。

 ······まさかね? だとしたら何故奴はバスでは声をかけてこないんだろう。

 まあ理由はちょっとわかるかもしれない。

 こんな田舎から、さらに田舎の遠い学校へわざわざ通っている……ってことなのだから。

 あまり中学校にいい思い出がない子なのかもしれない。

 ――私と同じタイプなのかもしれない。




 ここからが本番。

 電車を乗り換え、いざ戦場へ。

 今日も電車はガラガラ。このガラガラ具合が何故か私の心を癒してくれる。

 やはり私は人間が苦手なのかも。


 とりあえず、今日こそはその顔だけでも確認しておこうと思う。   

 ここまで来たらなさそうだけど……万が一ストーカーだったら、顔を覚えとくのは大事。

 ストーカーだったのなら。

 ストーカー被害にあったこともないし、顔を知っているところで何が変わるのかもよく知らないけど。

 

 最近の奴は、私が寝付く前に声をかけてくるようになった。

 そしてそのまま隣に座ってくる。

 でもそれは決して近くに座っている訳ではなく、私の腕が届かないぐらいのスペースを空けて、座っている。

 ……ごめんって。




 電車が動き始める。

 今日もこの大きな箱はユラユラ揺れながら私を遠くへと運んで行ってくれる。

 するとそのうち眠くなってきて――。


「……起きてますか?」


 ん〜きた。なんか最近は声が少し、か細くなってきている気がする。

 可哀想だけれど、所詮私にとっては他人でしかない。返事してあげる義理も動機も理由もない。

 

 私には同年代の女の子との円滑なコミュニケーションはとてもじゃないが出来ない。

 したくないわけじゃない。――出来ない。

 だから今日もシカトして、五分ぐらいしたらその顔をこっそり確認しておこうと思う。


 そして何より、奴に一方的に私の事を知られているのが気に食わない。

 私は彼女の名前すら知らない。

 それはきっとフェアじゃない。

 スポーツマンシップもくそもないけど……。

 せめて顔ぐらいは把握しておきたいな、って思う。




 気づいたら日曜日さんは、遠くの国へ行ってしまって、月曜日さんが帰国していた。

 ようするにまた学校が始まっていた。


 今日も今日とて、沖野さんの隣に座する。

 もう半ば諦めている。

 無視は正直心に応えるし。

 だから彼女のことを考えてその気持ちを誤魔化す。

 半分意地だ。

 ――まるで片思いの恋をしているような状態だなって一人で思う。

 恋なんてしたことないけど。

 彼女は部活とか入るのだろうか? 

 寝ることが好きそうだから、土日も寝るために部活には入ってなさそうだけど。

 そもそも運動できるのかな……。

 今度体育の時少し見てみようかなって思う。


 ガラガラの電車に乗って、今日も声をかけてみる。

 結果はいつも通り。まあ予想通り。

 正直何も思わない。

 ――嘘です。実は結構メンタルきてます。

 こういう時は目標を立てよう。一人でもできる。

 ……うーん。


 じゃあ、今日は電車から降りたら、彼女の隣で学校まで歩いていくのを目標としてみよう。




 なんか今日、彼女の様子がおかしい。ちょっとソワソワしてる。

 電車の揺れではないと思う。

 いつも通り電車はお山の中を通行中。

 何かあったのかな。

 なんかここまで来ると少し心配。

 わたしとしては、スマホを見るふりをして様子を伺う所存である。




 そろそろ五分たったでしょ。

 ここからは私のターン。

 反撃ののろしをあげるのだ。

 ――攻撃されたっけ?


 ま、まあいい! 目を開き、今度こそ薄目で奴を見る。

 奴はスマホをいじっていた。現代病め。

 というか今トンネルじゃないか?

 圏外だと思うんだけど……。

 まあいいか、とりあえず様子を伺ってみるとしよう。

 うーん、よく見えない。

 彼女との距離をゆっくり、慎重に詰める。

 これで見えるかな。

 

 やっぱり奴は女の子だったらしい。

 じゃなかったらあの膨らみはなんだ、って話だけど。

 まあ一安心。――謝った方がいいかもな、なんて思う。

 というか彼女、やっぱり朝のバスの子じゃん。

 家が近い可能性もでてきた。

 でもやっぱり私、彼女のことを知らないし、接点なんて思い浮かばないんだよな……。


 んーまあ、知らない声の高い、お胸に立派なものがついている男が隣に座っていた……ってよりはいいだろう。

 もしもそうだったら、私は結構ビビっただろう。いや、もしもの話だけどね。


 気づかれないようにかなり集中しながら、彼女の観察を続行する。

 髪は腰上まで伸びているロングヘアー。

 少し色素が薄い薄茶色。

 そして同じ制服。

 まあバスで見た通り――かな。

 正直記憶に残ってないから別人かもだけど。

 同じ学校なのはなんとなくわかっていたけど、いつ目をつけられたんだろう。


 少なくともヤベー奴ではなさそう。

 なんで私に目をつけたのかはわからないけど……。

 まあ、とりあえずは今日の目的達成って感じかな。

 悪い子でも、ヤベー奴でも無さそうだからこれで気概なく眠れる次第である。

 それじゃあ、おやすみな――。




 どうやらわたしの様子を確認していたらしい。

 本人はチラチラみてたから、わたしに気づかれていないつもりかもしれないけど、バレバレだった。

 怖がってたのかな。それともわたしに少し関心を持ってくれたのだろうか。

 それはそれで……少し悪いことをした気がする。


 ――とか思ってたけど、彼女は電車に揺らされながら、穏やかな寝息を立て始めた。

 というか、わたしを見た後、すぐに寝始めるってことはなめられてる?


 まあ、少し安心してくれたってことにしておこう。

 少なくとも警戒は解けたんだろうから。

 だとしたらちょっと嬉しい。

 ――なんなんだろう、この気持ちは。




 電車のアナウンスが車内で響いた。

 いつもなら彼女はこの時点で意識をぼんやりながらも取り戻すのだけれど、今日はとても気持ちよさそうな顔で、わたしによりかかって眠りこけてしまっている。


 起こした方がいいのかな。

 気持ちよさそうに寝てるから起こすの罪悪感があるんだよね……。

 そしてなんだこの可愛い生き物。

 彼女の身長や体格も相まってまるで妹みたいだ

 周りと比べて明らかに小さな身長。

 その慎重に比例するような、貧――……す、スレンダーな体。

 でも髪の毛は長い。ちゃんと梳いてるみたいだけど、所々ボサボサだ。


 さあ起こすべきか否か……。

 でも別に今更か。

 思い返せばわたし、寝てるところに声掛けてたもんな。


 それにこれは彼女の声を身近で聞けるし、彼女自身も返事をせざるを得ない状況になると思うんだ。

 大チャンスじゃん!

 チャンスを掴み取れ。




「お、沖野……さん。そろそろ、降りないと乗り過ごしますよ」


 いきなり耳元で囁かれた。思わず彼女の方をまじまじと見つめてしまう。

 すっかり眠ってしまっていたみたいだ。

 どうしようこれは――お礼……を言った方がいいよな。

 一応起こしてくれたんだし。


 無視する、という選択肢もあるが……。

 それは人間としてどうなのだろうか。

 会釈ですませるのもいいけど。

 でも、お礼はちゃんとせいって、おばあちゃんが言ってた。

 ぐぬぬ……。

 仕方ない……。


「……ありがと」


 不本意だったからか、寝起きだったからか。

 両方かな。

 声が思ったより小さくなってしまった。聞こえていただろうか。

 彼女の方を恐る恐る見てみる。

 ――なんで顔真っ赤なんだ?

 ま、まあ言いはしたよ! おばあちゃん!




 さすがに返事が返ってきた。

 お礼が言えるのはいい子の証。

 笑顔で返事をしたつもり。

 でもさっきから顔が熱い。ちゃんと可愛く笑えていただろうか。

 まるで恋する乙女みたいなこと考えてるな――なんて駅の階段をゆっくり降りながら思う。 


 今日は隣を歩いていこうかなって思ってたけど、彼女は電車から降りたらそそくさと、危ない足取りで行ってしまった。

 それにわたしもなんか満足しちゃった。

 目標は達成できなかったけど、予想外の収穫。


 ということで今日はこのぐらいで勘弁してやろうと思う。

 わたしの勝ち……かな? いやわたしの勝ちで違いあるまい。


 明日はもっと踏み込んでみようかな。

 彼女のことが、もっと知りたい。


――――――――

文字数二倍ぐらいになっちゃった。

許してください。



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