第1話

 昼なのか夜なのか。

 とばりなのか雲雀ひばりなのか。

 そんな長い夢を見ていた気がする。

 微睡みの中、鈍った頭で考える。


 今日は月曜日かな?


 何とはなしに不安を覚える。一度なかった事にしてもう一回寝る事にしたいが、どうやらその不安は風船のように今まさに膨らみ始めて、ある時に弾けるのが自明の理のようだ。どうせそうなって、後で自己嫌悪に陥るくらいならば、少しでも取り返す姿勢をみせることで軽くしたい。もう既に手遅れだとしても……。

 目をく。目が光を捉えるのに数秒、真白の視界からひらけて、まず飛び込んで来たのが、自室の天井でもなければ横にある学習机でもなかった。

 空がこの地を喰うような。そんな圧倒的なほど広く広く澄んだブルースカイに目を奪われた。その絶海を航行するはまるで軍艦のような雲。風という名の波に乗り、自由気ままに凱旋をする。その風の流れに呼応するように揺れるこの新緑の大地は、力強くみずみずしい生命の息吹きで満たされ、聖母に包まれていると錯覚するほどの穏やかさと安らぎを感じる。至上の絶景とはまさにこのこと。まるで、ファンタジーの世界に迷い混んだようだ。

 何を間違えたか、この期に及んでまだ夢を見ているらしい。が、そんな些細な指摘など、どうでも良くなるくらいに全てが美しかった。

 これが夢であるなら、いや、夢であるからこそ可能な限りここにいたい。現代社会のコミュニケーションに疲れてストレスを抱えているから、こんな現実離れした明晰夢めいせきむを見ているのだと、分かっていても。

 もう一度目を閉じる。

 視界がシャットアウトしたせいで感覚が鋭敏になり、草が擦れる音や頬撫でる風だとか土の匂いとか、リアル過ぎて逆に落ち着かないが、そんな違和感すぐに消えるさ。

 ほら、もうすぐ隣に睡魔がいるじゃない。後はコイツに身を委ねるだけだ。

 眠りの魔力が闇へといざなう。その闇の手に捕まれば最後、ずるずると底無し沼のように吸い込まれてゆく。人類はこの悪魔にきっと勝てやしない。ブラックミントのガムだとか、眠気を退けるツボだとか、そんな俗物的なモノでどうこうしようと、その負債が後になって大きく返って来るのだから人類は抗ってはならないのだ。


 ―二時間後


 学校をサボった二度寝後の快眠ときたら、それはそれは形容しがたいほどに気持ちが良かった!そんな優越感と同時に、今も授業で退屈そうに黒板をノートに写す作業をしているであろうクラスメイト諸君への罪悪感が少し刺さる。

 まぁ、そのくらいの罪悪感甘んじて受け入れるが、それはそうと、なかなかどうして拭えぬ謎がここにある。

 それは何故今も夢の中にいるのか。

 目を擦ろうが凝らそうが、そこにあるのはただただ蒼穹の青さだけ。

「いやいやいや、そんな訳ない」と、立ち上がって新緑の大地を見渡す。夢?幻覚?そんな都合のいい解釈はすぐに砕けた。ふわりと香る土の匂い、凪ぐ風、草の、どれを取っても眠る前と寸分違わぬ現実リアルなのだから。


 唖然とする。

 声が出ない。


 空想のような自然が、どうしようもない巨大な現実かべになって、俺の目の前にそびえ立っているようで。しばらく、息すら忘れた。

 そんな俺を現実に引き戻したのは、これまた非現実的な出来事で、どうやら思考が一周して現実を受け入れたらしい。

 だって、どう見たってそれは、ガスマスクを着けた騎士みたいなヤツが二人、俺を一直線に目指して馬を駆けているからだ。


「……マ、マジか、よッッ…………!!」


 走る― 


「ハァ、ハァ、ハァッ―」


 本能が、恐怖が、走れと告げる。

 肺が酸素を求めて悲鳴を上げる。

 蹄の足音はもうすぐそこだ。


 相手は馬だ。敵う訳ない。それなのにこんなに走るのは、恐怖から少しでも逃れたい、本能故か。

 ヤツらの目的は一体何だ?

 次の瞬間、大柄な騎士のグローブが俺の白シャツのえりを掴むと、まるで、マルチーズを小脇に抱えるが如く騎士は左脇に俺を持っている。


「積み荷を確保した。オレンジの信煙弾を」

「了解!」


 すると、もう一方の比較的細身の騎士はラッパの口をした銃を取り出し、弾丸を込め、空へ放つ。もくもくとオレンジ色の煙が、立ち上る。

 もう何がなんやら分からない。痛いし、足はダルいし、乗り心地は最悪すぎる。吐きそうだ。


「お、おい!頼む。せめて、後ろに乗せてくれ!もう逃げないからッ!!」

「……捕まれ」


 ハッとガスマスクの曇った掛け声を合図に、馬は更に駆ける。ああああああ気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。もう車酔いとかそんな次元じゃない。馬の筋肉が上下するたびに脳震盪を味わってるみたいだ。加えてガッチリとホールドされているので、さながら、アトラクションとしてのエンタメ性はデタラメなのに安全性だけはバッチリなジェットコースターだ。

 ウェェと真っ青な顔で垂れる。もう気分はサイコーよ。


「……来るぞ、先導しろ」

「イエス、マイロード!」


 細身の騎士が銀閃のつるぎを静かに引き抜き、二十メートルほど前に出る。大柄の騎士が見据えるは七騎の騎兵。それぞれが横並びに展開している。そこまでして逃がしたくないのだろう。だが、それはせっかくの数の利を捨てるようなものだ。騎士からすれば的は絞られるのだから。そもそも騎兵と呼ぶにはいささか装備が不十分だ。よく見ると、不潔で粗野そやな格好と、継ぎ接ぎの甲冑姿は盗賊と言って良い。


「てめぇら!やっちまえ!」

「「えいッ!!」」


 リーダー各の男が指示すると、その手下達は粋な返事をする。

 接敵まであと十秒。

 数的不利な戦闘をこれから始めるのに、さして抵抗はない細身の騎士。表情こそ読み取れないが、凄味、いわゆる強者の圧がピリピリと伝わる。

 その圧が僅かに七騎の盗賊達の手綱を引かせる。

 決定的だった。

 騎兵の正面きっての戦いとは、接敵のタイミングが命だ。急くと当たらず。遅れは絶命。だからこそ、達人とはハッタリやフェイントの読み合いは必然。数の利があったにも関わらず、それが理解できていない二人の盗賊の末路は、無慈悲なものだった。

 騎士の銀閃が瞬く間に鋭く二つ首を裂く。そこに悲鳴はない。あるのはただ鮫が獲物を捕えるような、そんな圧倒的な殺戮だけだ。

 残った五騎の内、右の一騎―リーダー各の男がすれ違いざま、大柄の騎士に仕掛ける。


「オラぁ!死ねぇぇねぃぃい!!!」


 騎士の心臓目掛けて突く鈍い剣。大柄の騎士は動じることもなく、そのなたとも斬馬刀とも言える白亜の大剣を引き抜きざまに横一閃。

 パワーもスピードもそのどれもが、細身の騎士と違いすぎる。剣は砕け、頭を守る防具はその意味がなく、紙切れのようにスッと。脳漿のうしょう斬獲ざんかく―この一言に尽きる。

 指揮官を失った盗賊達はもう追ってこない。

 当たり前と言えば、当たり前だが、あんな光景を見せられれば誰だって戦意を失う。


「……もう少しの辛抱だ」


 白亜の騎士は俺を労ってかそんな言葉をポツリと呟いた。























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