真夏の夜の幼馴染。

上野 からり

真夏の夜の幼馴染。


 高校二年生の夏休み。八月も折り返しに差し掛かり、今は世間で言うお盆期間だ。

 大抵の社会人達も仕事が休みで、普通なら帰省するとか旅行に行くとかするのだが、去年からはその普通が世界的に壊れた。


 学校はもとより、どこに行くにもマスクを着用しなければならない。て言うか出掛けるなと言われる。テレビの中の偉い人に。

 まあ、自己防衛はするけどね。


 でも、出掛けるなと言われると出掛けたくなるのが人間の性。そんな訳で俺は近所のコンビニに行く為、出掛けた。スミマセン、偉い人。いや、ウチの偉い人(母親)に買い物頼まれたんで。そゆことで。


 自宅のマンションを出る。午後四時。日中、殺人的な熱波を放っていた夏の太陽もだいぶ傾いてはいるが、西日が眩しく、且つ熱い。

 焼けたアスファルトやコンクリートが、太陽が沈んだ後も熱帯夜を演出するのだろう。

 短パンTシャツで出できたが、まだ肌を焼かれる感覚がある。


「そろそろヒグラシと交代してくんねーかな」


 アブラゼミだかミンミンゼミだか知らないが、通りを走るクルマの排気音より耳につくセミの鳴き声。

 余計に暑さを煽る声にウンザリしながら、歩いて五分程のコンビニに到着した。


「いらっしゃいませー!」


 元気な店員さんの声が掛かる。あー涼しい。なんなら寒い。温度差で体が縮みそうだ。金属かよ。


 入り口で手を消毒する。最早当たり前の儀式。

 さて、カゴを持ってドリンクコーナーに……


「あ!凛之助ー!」


 俺の名前、稲葉凛之助いなばりんのすけの名を呼ぶ声。


「今日出勤だったのかヒナ。つーかさ、俺の名前フルで呼ばないでくれる?」


 レジ裏から出てきたのは俺の幼稚園からの幼馴染、

 高根陽菜子たかねひなこだった。

 ヒナは高校に上がってからこのコンビニでバイトを始めた。お盆中は学生バイトは朝から駆り出されるのだろう。


「凛之助なんで?どうして凛之助って言っちゃダメなの?凛之助。ねぇ凛之助?」

「之助の部分がなんか恥ずいからだよっ!」


 なに名前連打してんだよ。コイツは昔からこうやって俺を弄り倒すのが趣味で日課だ。


「いい名前じゃないのー古風でさ。親に感謝しろよ?凛之助」


 凛之助。この名前はあまり好きじゃなかった。この時代錯誤のような名前で小学校時代はよく名前で弄られたものだ。やれ時代劇だの、やれお侍さんだの。

 でも、親に文句を言った事はない。良かれと思って付けてくれた名前なのは間違い無いし、もう既に慣れた。

 ただ、ヒナみたいに公衆の面前で声を大にして呼ばれるのは未だに恥ずかしい。


「せめて太郎が付いてれば良かったのにな」


「それはダメだよ。あたしが死んじゃう世界線になっちゃうでしょ?」


 急になんかぶっ込んできたヒナ。字が違うから安心しろ。

 てか、お前あんな儚げじゃないだろ。


「で、どした?ゴムでも仕入れに来たのか?ん?」


 また茶化しにくる。手を後ろに組んで俺の顔を覗き込む、いつものポーズ。あのな、それはもっとかわいい事言う時の仕草だからな?


「それは嫌味か?ヒナ。てか女子高生がゴムとか言うな」


 ムッとする俺。他にもお客さん居るんだから自重しろよ、クビになるぞ?


「ごめんよー、振られたんだっけかー?」


 そんな俺を嘲笑うような態度のヒナ。もうゴムの出番は無くなったんだよ!てかそこまで行ってねーよ、悲しい事に!


「ああそうだよっ!再認識させてくれてありがとよ!」


 俺は二年生になってから彼女が出来た。高校生の花形学年二年生。だよな、うん。

 ここで彼女の一人くらい居なくてどうする!ってなワケで同じクラスのいいな、って思った子に告白した。

 結果、オッケー!俺有頂天!彼女とアチコチ遊びに行ったり、学校でも同じクラスなのをいい事に、休み時間には彼女の席にべったりしていた。

 が、大体、これまた同じクラスのヒナが割り込んできて邪魔しやがるんだ。なにコイツ?ヤキモチ焼いてんの?とか思ったが、ただ割り込んで散々俺と彼女を冷やかして、話の主導権を握って去ってゆく。超お邪魔虫だった。


 それからしばらくして夏休み前、


「ごめん、凛君とはこれ以上付き合えない」


 と、彼女から告げられた。どうして?の問いに彼女は、


「ヒナちゃんに悪いから」


 ヒナァーーーー!!


 クッソ幼馴染のせいで初めての彼女と別れる事になってしまった。

 いや、あいつは邪魔して面白がってるだけだからな?と、説得してみたがダメだった。

 がっくり肩を落とす俺をにやにやしながら眺めるヒナ。あんまり腹が立ったから一週間ほどヒナのヤツを無視してやった。


 そしたらヒナのヤツ、クラス中が心配する程落ち込みやがって。

 矢面に立たされたのは俺だ。


「ちょっと稲葉君!ヒナなんとかしてよ、可哀想でしょっ!」

「凛!ヒナちゃんに何をした!」

「幼馴染でしょ?ケンカでもしたの?」

「オイ凛之助、クラスのアイドル泣かせたら殺す」


 などなど。終いにゃ俺を振った彼女から、


「凛君、ヒナちゃんに何か言ったの?そういうの、良くないよ?」


 振られた相手に叱られた。


「ムキャーー!わかったよっ!俺が悪かったよっ!」


 ……まあ、落ち込むヒナなんてヒナらしくないしな。


「あー、ヒナ?どうした?なんかあったか?」


 衆人環視の中、背中を丸めたヒナに話しかける俺。


「……ぐずっ……凛之助が無視する……」

「うぐっ……」


 周りを見ると、どいつもこいつも俺を非難するジェスチャーか、早くなんとかしろのジェスチャー。


「あ、あのな?ヒナ?お前を無視なんかしないぞ?俺とお前の仲じゃないか、仲直りしよう、な?」

「……凛之助のバカ」

「そぉーだとも、俺がバカだった!だから機嫌直して?陽菜子ちゃん、マジごめん!」


 必死の頭上拝みポーズ。


「…………ふ」

「ふ?なに?どした?ヒナ」

「ふーふふふ」

「?!」

「ハーッハッハッハ!ようやく己の過ちに気が付いたようだな!凛之助!」


 豹変するヒナ。俺は呆然とするしかない。


「あたしを無視しようなんざ百万年早いわ!凛之助!これに懲りたらカワイイカワイイヒナちゃんを無視……むきゅ」


 気が付いたら幼馴染の首を絞めていた。後悔はしていない。


「あ、思い出しちゃった?カワイイ彼女の事っ!ざーんねーんだったねぇ〜」


 回想モードの俺の心を超揶揄いモードのヒナがグイグイえぐってくる。

 なんか男って振ると悪者、振られると笑い物になる気がするんだが?


「あのカワイイからねぇ〜ショックだよねぇ〜」

「俺はその後のお前のクソ演技にショックを受けたんだが?」

「演技じゃないもん!ホントに傷ついたもん!凹んだもん!」

「凹んだのは俺だ!モンモン星へ帰れ!」


 小学生みたいないつものやり取りだった。


「まあ、凛之助。気を落とすな」

「誰のせいだよ……」


 肩をぽんぽんするな。腹立つわー。


「凛之助にはあたしがいるじゃないかー!」

「…………」


 明るく言い放つ幼馴染をジト目で見て、がっくり肩を落とす。まあ、コイツもカワイイんだけどね?むしろ美少女だけどね?

 中学までバスケをやっていたヒナは、女子としては身長が高く170センチ近い。俺より五センチ低いくらいだ。運動で鍛えた引き締まった身体は、帰宅部になった高校生になっても変わらない。トレーニングは続けているからだ。

 整った目鼻立ち、ピンと背筋が伸びた立ち姿は、言ってみればモデルのような見た目……なんだけど、いかんせん付き合いが長くて慣れ過ぎてしまっている。

 勿論、この見た目だ。異性としては見ているが、この顔を合わせばお互いふざけた言葉しか出てこない関係が十数年続いているのだ。恋愛対象となると、?ってなる。


「オイコラ、幼馴染ちゃんが構ってやるっつってんだよ。なにガッカリしてんだよ?」


「あのな、お前がしょっちゅう俺達の邪魔してただろ、そこんとこどう弁解すんのよヒナ?」


 マジそこな。いい感じのトコをピンポイントで割って入ってきやがって。


「うーん、嫉妬?」

「嫉妬?!嫉妬だと?!揶揄ってただけだろーが!」


 あーコイツの首を絞めてやりたいが、ここはコンビニエンスストア。店員の首なんか絞めたら通報されるっ!


「お前、アレか?なんか俺に恨みでもあんの?無駄に長い付き合いの中でさ」


 まあ、恨みの一つや二つあるだろうよ、お互いに散々弄り合ったからな!


「ね、凛之助。花火しよーよ」

「はあっ?」


 コイツマジで、イヤそのマジおかしくね?唐突過ぎるだろ。


「じゃーバイト上がりの頃に迎えに来てね、八時くらいかなっ」

「なっ、じゃねーよ。了解した覚えねーよ」


 腕時計を見ながら一方的に話を進めようとするヒナ。


「夜道を女の子一人で帰らせるつもりか?凛之助」


 腕時計からじろっと目だけこっちに向ける。


「あ、いや、いつもはどうやって帰ってんのよ」

「ん?お母さんが迎えに来るよ?」

「今日は?」

「来ない」

「あ、そ。わかった」


 流石にコイツを一人で夜道を帰らせる訳には行かない。了承した。


「あー、話まとまった?」

「「はっ!」」


 気がつけば店長さんが仁王立ちしていた。


「そろそろ仕事してね?」


 若干引きつった笑顔の店長。やばみ。


「「すみませんしたー!」」


 何故か俺まで頭を下げていた。すんませんした!髪の毛がヤバくてお腹が出てる店長!



 なんとか無事に買い物を済ませて、一旦家に戻る事にした。遅れるなよーと言うヒナの言葉に片手だけ挙げて店を出た。



 そして時間は午後八時前。ちょっと出てくるよ、と親に言って家を出る。

 流石に焼けるような暑さは身を潜めているが、蒸し暑い。もうこの国のスタンダードだ。

 帰宅後、一旦はシャワーを浴びたが、また汗ばんできた。その上マスクをしてるから息苦しくなってくるし、最早顔は汗だくだ。

 ヒナがバイトしている店に着き、店内には用が無いので外で待つ事にした。店内に入ると住みたくなるからだ、涼しくて。


「うわーあっつい!あ、凛之助。おまたせー」


 ヒナが出てきた。黒のブラウスに黒のスキニーパンツ、黒のスニーカーと真っ黒な出立ちで現れた。

 顎のラインで揃えられたマッシュショートの髪は、周りの照明を反射してサラサラキラキラしている。

 が、一旦影が差すと夜の闇に溶け込みそうな漆黒の黒髪だ。

 ただ、真っ白な肌だけが美しく闇に浮かびあがる。やっぱコイツ綺麗だったんだな、と再認識させられた。


「おう、おつかれ」


 軽く手を上げて応える。ちょっとでも見惚れていたのがバレたら即、弄り案件だ。気を付けよう。


「んで?花火どこでやるんだ?てか、花火は?」


 見たとこ花火を持ってるように見えない。肩に下げたトートバッグはこの時期よく見る厚紙にペタペタと色んな手持ち花火が貼りつけてあるやたら嵩張る袋とか、巾着の様な縦長の袋にこれでもかと言うほど打ち上げ花火を詰め込んだアレが見当たらない。


「ん?あるよ?」

「どこに?そのバッグか?」

「え!」


 驚いた顔のヒナ。


「え?えって、だから花火はそのバッグに入って……」

「何言ってるの、凛之助?これ見えないの?」


 そう言ってバッグの上の方を摘む仕草をする。


「え、え?!見えないって……え?!」

「これよこれ!ホントに見えないの?!」


 焦った様子でバッグの口の上で何かを摘んでるように手を動かすヒナ。


「ち、ちょっと待って?!マジで?」


 訳が分からずオロオロするしかない俺。マジ何かヤバい病気?それともこの時期お馴染みの現象?と、その時!

 見てしまった。ヒナの鼻がヒクヒクしていることを!


「……ヒナァ……」


「ふ……ふひっ……なに?凛之助?」

「ヒナァーーーーッ!!」

「ご、ごごごごめんよーーっ!あはははははははっ!」


 コイツッ!既におちょくりモードだったのか!


「お前っ!どれだけ俺をおちょくればっ!」


 グイグイヒナの両肩を揺らす。


「うあんっ、あうっ、ごめっんよっ!ほんっとっ!ごめっんてっ!」


 ぐらんぐらん揺らされながら謝るヒナ。反省の色は見えない。


「ったく、いい加減にしろよ?このまま帰るぞ?」

「ああーごめんっ!帰らないでぇ〜凛之助ぇ〜」


 縋り付くヒナ。でも顔は笑っている。またもやコイツにしてやられたよ、クソ。


「ホラッ、行くぞ!アホ」

「はいはーい、くひひ」


 半笑いのヒナを伴って歩き出す。目的地は分からないまま。


「ふんふんふーん」


 鼻歌交じりのヒナについて歩く。辺りは既に暗闇に覆われている。LEDの街頭には小虫が飛び交っていた。

 俺はこんな夜の闇の中、ヒナと歩くのは初めてだ。暗闇に紛れて歩く彼女。ぴょんぴょん跳ねながら軽快な足取りで進んで行く。

 いつもは只々、明るい彼女が教室で皆んなと騒いでいる姿が頭にこびり付いているが、今夜の彼女は、その真っ黒な装いも相まって、謎めいた美しさを醸し出していた。

 彼女がくるくる回る度、綺麗な黒髪が街灯を反射してキラキラ輝く。

 笑顔で踊る美しい姿に釘付けになってしまう。


 そんな自分になんか気恥ずかしい気分なり、紛らす為に口を開く。


「なあヒナ、マジでどこ行くんだよ?」

「そこだよー」


 と、指を差した先。住宅街を通る道路の、等間隔で街灯が並んだ突き当たりにうっすらと見える広場。


「公園?」

「そうだよん」


 住宅街によくある小さな公園。家一軒の代わりに公園になっているような、ベンチと遊具も二人で満員のブランコと、背の低い鉄棒しかない公園。


「こんな狭い公園で花火なんかやって大丈夫か?いや、それより花火は?」


 さっきのおちょくりですっかり忘れていたが、肝心の花火はどうした?


「ふっふっふ、じゃーん!」


 トートバッグからビニールの買い物袋を取り出したヒナ。


「随分と少なめなんだな。いいけど」


 あまり派手にやるとご近所から苦情が出るからな。ちゃっちゃとやって撤収した方が良さそうだ。

 据え付けてあるベンチにバッグに入っていたものをだしていく。


「ローソクと台とライターと紙コップ。と、水っと」

「ふむふむ、花火はどんなだ?」

「これだぁ!」


 袋から取り出したのは赤い封筒のような物。


「これ……線香花火?え、これだけ?」


 中には和紙でよじったお馴染みの線香花火が十本ほど入っていた。これならほんの数分で終わってしまうだろう。


「甘いぞ、凛之助!これが十袋あるのだ!」

「耐久線香花火かよ!多過ぎだろ!」


 まだ一本も火を着けてないのに腕がプルプルしてきた。


「大丈夫、両手の指に挟めば最大八本同時にいけるよっ!」


 ナイアガラかよ……。


「まー風情も何もあったもんじゃないな……とにかくやるか……」

「うんっ」


 蝋燭を皿にセットして火を着ける。

 線香花火の先を近づけて……ジジッ、と赤く燃え上がり、すぐに深紅の球状になった。

 二人で並んでベンチの傍らにしゃがんで花火を手にしている。


「この赤い玉が蕾」

「ん?」


 花火からチラと隣に目をやる。彼女は花火から目を離さず独り言のように話し出す。


「これが牡丹……松葉」


 花火に目を戻すと、ぱちぱちと火球から赤い光が飛び散っていて、その勢いは増してゆく。


「そして柳」

「……」


 黙って彼女の呟きを聞きながら移ろいゆく光を見つめる。

 飛び交っていた光はやがて柳の枝のように降り出し……。


「……散り菊」


 流れ落ちていた光もすぐに勢いを無くして赤い玉に戻り……黒く消えた。


「詳しいな」

「へへ〜、コレ取り寄せる時にネットで読んだんだ〜」


 そう言って用意してあった水を入れた紙コップに、燃え切った花火を入れた。


「小さい頃は線香花火って苦手だったな」

「あ、あたしもー。派手なヤツをぶんぶん振り回すのが楽しいのになんでテンションMAXに水を差すようにじっとしてなきゃならないの?って思った」


 次の花火に点火しながらの昔話。


「で、大体途中で火種が落ちるよな」

「そーそー、散り菊まで保たないんだよねー。悔しいから揺らさないように息止めてみたり」

「苦しいから結局揺れるんだな〜」

「そうそう!あははは……あ、」


 ぽとり。と火球が地面に落ちた。


「凛之助〜」

「俺?!イヤイヤ、違うだろ……あ、」


 ジト目のヒナに反論しようと口を開いたら、俺の花火も犠牲になった。


「……」

「…………ぷっ」


 二人で笑い合う。


 昔よくヒナと俺、両親らと夏休みになると夜、花火をした。

 双方の家は同じ集合住宅だったので花火で遊べるような庭が無かった。だから皆んなで近所の河原に出掛けた。

 歩いて行ける距離だったので、アウトドア用のテーブルセットとクーラーボックスを持って行って、母親達はお喋りして、父親達はビールを持ち込んで酒盛りして。

 俺とヒナはひたすら遊ぶ。夕方から夜にかけて汗だくになって河原を駆け回った。

 そして日が落ちたら花火タイム。父親達が打ち上げる花火に歓声を上げるヒナ。

 俺は両手の手持ち花火を振り回して光の輪を作ったりして、やけどしそうになって母親に怒られた。

 最後に残るのが線香花火だった。

 俺とヒナはとりあえず手に持って火を着けてもらうが、大抵途中で火が落ちてしまう。

 二人共既に遊び疲れて眠くなっていて、もうやらないとか言って残った線香花火を親に丸投げしてた。

 そこからの記憶はあまり無い。多分、寝落ちしてしまってそのまま家に運ばれてたんだろう。


 そんな事が幼稚園から小学校低学年まで毎年続いていたが、どちらの家も家を建てて引っ越したり、俺とヒナも同性の友達と遊ぶようになったりと、家族間の交流は自然と無くなっていった。

 ただ、俺とヒナ、子供同士は小中高と同じ学校だったから高校二年になった今でも仲良く?やっている。てか、こういうのを腐れ縁て言うのか?いや、別にコイツと離れたいワケじゃないけどさ。

 なんか回想がおかしな方向へ行きそうになってむず痒くなった。

 なんだろう、久しぶりにヒナと二人きりで夜、花火なんかやってるからか、それとも初めての彼女に振られたばかりで寂しいのか。

 なんだか制服姿じゃないヒナが新鮮に感じられて、と言うより大人びて見えて意識してしまいそうになる。

 まずい、ドツボにハマる前に切り替えなくては。


「あ、あーそう言えばさ。この時期っていつも田舎のおばあちゃんのところに行ってたよな」


 ヒナはおばあちゃん子だ。本人がそう言ってる。

 毎年盆休みはお母さんの実家へと家族で帰省していた。

 高校生になった去年も確かバイトで新幹線代を貯めて、盆以外にも一人でおばあちゃんに会いに行っていたはずだ。


「……うん、行ってた」

「今年は行かないのか?それともこのご時世で行けないとか?」


 もう何本目になるのか、花火をじっと見つめるヒナ。


「そういうのもあるけど、おばあちゃんね……」


 俺は、はっと察してヒナの方を見た。拍子にぽとりと火種が落ちる。


「……死んじゃったの」

「……」


 ゆらめく蝋燭の炎に照らされた彼女の白い頬に一筋、流れ落ちるものがマスクに吸い込まれていくのが見えた。


「……去年ね、あたしが会いに行った後に体調を崩して、……入院先の病院で感染しちゃって……そのまま……」

「……そうだったのか」


 ブラウスの袖で顔を拭って、ふう、と息をつく。


「でね、今年初盆でね、お墓参りも出来なかったからせめて」


 新しい線香花火に火を着ける。


「これで送ってあげようと思ったの」


 しゅるっと燃え上がって直ぐに丸い火球になる花火。


「……なら、あまり失敗は出来ないな」

「そうだねっ、さー気合い入れて力まず優しくしっかりと!残りやるよー!」

「おう、線香花火と真剣勝負するとは思わなかったぜ」

「あはははははっ」


 それから俺達は取り留めのない会話を挟みながら花火を消化してゆく。散り菊までやり切る為に結構真剣だ。

 そんな中でヒナからある情報が入った。

 ホントはこういう事言いたくないけど、と前置きの後、


「あのね?彼氏……いるよ?前から」

「んなっ?!」


 ぽとりと火種が落ちた。

 なんでも彼女には大学生の彼氏がいるらしい。たまたまその二人が喧嘩をしたのか浮気をしたのかわからないが、ギクシャクしている時に俺が告ってしまったらしい。

 つまりは……キープってやつか?で、寄りが戻ったらしく、めでたく俺はヒナをダシに振られたようだ。


「なんでそんな事知ってんだ?」

「女子のネットワークなめんなよ?」


 ヒナはその人当たりの良さから顔が広い。すぐに納得させられた。


「……うわ〜、きっつ……」


 火が消えた花火を握りしめた拳を額当てて、きつく目を閉じた。


「あー、あのあの、もう終わった事だし?その……その、……その……ごめん」


 隣で言葉が見つからないヒナは、そのまま黙ってしまった。


 二人で近場だが遊びに行った。毎日教室で話した。そのどの彼女も可愛らしく思えた。それが、……それが全くの偽りの可愛らしさだったのか?そうなのだろう、俺はただの保険。本命と別れた後の埋め合わせ。それも一時的な間に合わせだったのかも知れない。


「バカみてーだな、俺」


 次の花火を手にして火を着ける。けど、

 手が震える。上手く花火を持てない……案の定、その花火の寿命を縮めてしまった。


「あ……ワリ、やっちまった……って、」


 ふわり。何かが頭から覆い被された。次第に重くのしかかる様な……あれ?


「……ごめん、凛之助……ごめんね」


 ヒナが俺の頭の上から包み込むように抱いていた。


「お……おい、ヒナ?」


 俺は混乱した。いくら幼馴染とはいえ抱き合うような仲じゃない。お互いに軽口を叩き合う程度の関係が十数年続いているだけの……


「あの子に……凛之助があんまり夢中になってるからなんとかしないとと思って……だけど邪魔してるあたしって嫌な女だなとも思って……今みたいにあの娘の悪口言ってみたり。でもほっとけなくて……本当にごめんね、言わなきゃよかったのかな?そうすれば凛之助に嫌な思いをさせずに済んだかも知れない」


 頭を抱えられたまま、地面を見つめて黙って聞いていた俺は口を開く。


「でも、事実だろ?ヒナの言った事は」


 黙って頭の上でコクッと首肯するのがわかる。俺は頭を押さえられた窮屈な格好のまま、大きく息を吸って、吐く。


「ふぅ〜、実はな、俺も友達から忠告は受けていたんだ」

「え……」

「あの子はやめておけってさ。最初は妬みかとも思ったけどそう言う雰囲気でもない。多分アイツも又聞きだったんだろうな、詳しい理由は話してくれなかった。あと、俺が……舞い上がってたからそれ以上は言いづらかったのかもな」

「……」


 ヒナは黙って聞いている。俺はでもさ、と続ける。


「俺は、彼女に告った事は後悔してない。実際、付き合ってもらえたし一緒にいると楽しかったし。まあ、フタマタだったってのはショックだけど、その、面と向かって嫌いとは言われてない……し。……あ〜情けねぇ、未練タラタラかよ俺」


 ヒナが俺から離れた。そしてぺたりと地面に座って俺をじっと見詰める。


「凛之助、まだ、あの娘の事……好き?」

「ヒナ……」


 なんでそんな思い詰めたような顔なんだよ。


「好きかと言われたらそりゃ好きだけどさ、もう彼女にその気が無いのはわかってるし……」

「凛之助!」


 突然、ヒナの悲鳴にも似た声にはっとして彼女に目を向けた。


「あの娘とまだ付き合いたいの?!彼氏から奪うつもりなの?!彼女しか見えないの?!他にもっと……っ!……バカ!バカ凛之助!」


 立ち上がり、俺を罵倒する。強く握った手にはくしゃくしゃの線香花火。


「え、……え?ヒナ?お前……」


 ここまでくれば分かる。そうなの?いやでもまさかだろ。小さな頃からふざけ合って、軽口を叩き合って、今までそれ以上の、俺を勘違いさせるような素振りは無かった筈だ。


「こっち向け!凛之助!」

「向いてるが?!」

「そうじゃないっ!バカ!」


 ぐい、と胸ぐらを掴まれて無理矢理立たされる。


「こんなに長い時間!一緒にいて!まだわからないの?!」


 その言葉にカチンと来た俺はヒナの手を振り払う。


「何をわかれってんだ!わかって欲しかったら言えばいいだろ!」

「この鈍感!にぶちん!童貞!」

「ああ!誰かさんのお陰でこの夏も童貞だよ!どうしてくれんだ?!」


 正直言ってあわよくば、とは思っていた。当然だよな?


「何?あの娘にそんな事考えてたワケ?!この変態!」

「付き合ってたんだから当然だろ!変態とか言うな!」

「なんで、なんで凛之助は!……ふらふらと他の女の子の所行っちゃうのよっ!……あ……たしなんか眼中に無いみたいに!」


 叫ぶように心中を吐露するヒナ。俺だって、胸に仕舞った想いがある!


「お前こそっ!俺なんか何とも思ってないだろ!男子達と仲良く話してるのを何度も見たぞ!お前の笑顔なんか向けられたら男は勘違いすんだよっ!わかってんのか?!」

「仏頂面で話せるワケないでしょっ!女の子の前でデレ顔晒してるアンタに言われたくないよっ!」

「はぁ?!デレてねぇーよ!優しい笑顔と言え!」

「あたしにはあんな顔しないじゃないっ!あたしはなんなの?女の子として見られてないの?!」


 悲しそうに叫ぶヒナ。そんなの、そんなワケ……!


「んなもん、めちゃくちゃ可愛い幼馴染にしか見えねーよ!!」

「んひっ?!」


 目を見開いたまま固まるヒナ。マスクの下は口があんぐりと開いているのだろう。あー……言っちゃったよ、俺。


「で、でもさ、俺達って子供の頃からこんな感じだろ?今更恋愛方向に舵を切るのは難しいというか、告ってフラれたら立ち直れないのが目に見えてるし、これまでの関係が全部ダメになると思って、だったらこのままでもいいのかな、とか」


 なんかグダグダ語ってんなー、何言ってんの?俺。

 情け無い事口走ってる事はわかる、ヒナの顔が見られない。


「それであの娘に逃げた、と」

「うぐ……彼女には悪いと思ってるよ」


 冷徹に返されたけど、まったくその通りだから大人しく肯定するしかない。

 彼女の事はどうでもよかったのか、と聞かれれば決してそんな事はない。

 好きだから告白したし、振られた今も好きだ。

 でも前提にヒナを意識し過ぎる自分を抑える為、というのがあった。付き合った彼女に意識を向ける事で自分の平穏を保つつもりでいた。

 今思えば最低な行為なのだけど、それくらいヒナが魅力的だったのだ、俺にとって。


「はぁぁぁ〜〜っ、ホントバカだな。凛之助」


 思い切りため息を吐くヒナ。


「なんでさっさと言わないかな〜、あたしがハッキリ言えばよかったのかな〜」


 こめかみを抑えてブツブツ呟く。もうなんか俺が居た堪れない気持ちになってきた。

 そして、よし。と、こちらに向き直り、


「花火の続き、やるよ」

「え?、あ、おう」


 本来の目的であったおばあちゃんの送り盆。

 遠方の墓参りも出来ず、仏壇に手を合わせる事も出来ないヒナの精一杯のおばあちゃん孝行。

 別の方向に話が向いてしまったが、もう夜も遅い。こちらへ集中しよう。


「……」

「……」


 二人共無言で線香花火の光を見つめる。

 さっきの話の内容が内容だけにこっちから口を開くのは憚られる。とっても気まずい。

 俺にとってはヒナの意思は嬉しいものであるけど、俺は二人の女の子を裏切っていた事になる。

 それがとても心苦しいし、恥ずかしい。

 やっぱり付き合っていた彼女に謝った方がいいのだろうか?いや、その前に俺が裏切られていたってのはあるしな……でもそうしないと先に進めないような、自分自身のモヤモヤがあって……


「凛之助」

「えっ」


 思考がぐるぐるしてる時にいきなりヒナが口を開く。驚いて一本失敗した。


「な、なんだよヒナ」


 動揺が口調に出てしまう。ヒナは何を話そうというのか。


「彼女に謝ろうとか、思ってる?」

「んな……」


 日が消えた線香花火を摘んだまま、ヒナの方を見た。思考を読まれたのだ。

 あんぐりと口を開けた間抜け面をしているのが自分でわかる。


「だめだよ?そんな事してもただ凛之助の自己満足になるだけだし、彼女を責める事になるよ?」

「うっ……で、でもさ」


 言われてみれば確かにそうかもしれないけど、このままというのも……あれ?責めるって、ヒナからすれば彼女は二股をかけるような酷い女だ。

 実際、責められても仕方がない事をしたのだ。

 でも、今の言い方は彼女を責めるのは可哀想だと言っているように取れる。


「あのね?あたしあの娘と話したの」

「……え」

「凛之助があの娘と付きあいはじめて、少し経った頃。あたしが二人を邪魔しはじめた頃」



『ヒナちゃんは私と凛君が付き合う事に一言あるのかな?』

『ウワサが本当なら……あるよ』

『そうかー、やっぱり知ってるんだね。幼馴染だもんね、心配するのは当然だよ』

『と言うことはまだ?』

『うん。彼とは喧嘩中だけど別れてない』

『それでなんで凛之助と付き合うの?あなたが何をしてるのかわかるよね?』

『うん……わかる、わかるよ。悪いとは思ってる。最初はね?凛君の勢いに負けてOKしたんだけど、えと、彼と上手くいかなくてイライラしてたのもあったし。でね?……でね、いざ凛君と一緒にいると、なんか、安心すると言うか

 、彼はさ、凄く優しくて色々気付いてくれて……カッコイイし、このまま……とも思ってたんだけど、……ダメだよね、こんなままじゃ』

『そうね……ダメね』

『うふ、ダメだなぁ、私。魅力的な男の子にすぐ靡いちゃってさ……わかったよ。ヒナちゃん、ちゃんとするよ。近いうちに凛君にはさよならするよ。そのあいだプツッ』


 ヒナが携帯の録音再生を停止した。コエーよ、こっそり録音とか。


「ふふ、あの娘に黙って録音しちゃった」


 俺はふぅ、と息を吐く。


「良かったよ、彼女に嫌われてなかったのがハッキリして」

「……まったく……お人好しだなぁ、凛之助は。そんなだからあの娘も……」

「うん?彼女が?」

「なんでもない。それよりどう?今の聞いて」

「優しくて色々気が付いてカッコいい」

「そこじゃねーよ」


 がすっと腕をグーで殴られた。


「イテッ……と、それとやっぱり俺は振られたんだな、と。本命がちゃんと居たんだな、と。改めて彼女の声で聞いた」


 さっきヒナから聞かされた彼女の二股の話、信じられないと言うか信じたくない事実を今、彼女自身の声で確認させられた。そして、


「ありがとな、ヒナ。お陰で吹っ切れた」


 ヒナにお礼を言ってマスク越しにニカッと笑う。


「やっ、やめてよ!あたしめちゃくちゃ嫌な女だなって自己嫌悪中なんだからっ。凛之助達の邪魔したし、彼女の事密告するし、コソコソ録音するし……」


 シュンと項垂れるヒナ。


「でも、それって俺の為にやってくれたんだろ?だからありがとう、ヒナ」


 ヒナはマスクの下で口をもごもごさせて視線を俺から逸らす。


「……花火、やろ」

「おう」


 大分、大量にあった線香花火も減ってきた。

 途中結構失敗したが、集中していれば風も無いし大体最後の散り菊まで行けた。

 この花火自体も外国産の安物ではなくて、ヒナがわざわざ取り寄せた国産の高級線香花火だ。


「なんだかんだそろそろ終わりそうだな。花火」

「そうだね、ところで凛之助?」

「ん?なんだ?」


 お互い自分の花火に目を落としながら話す。大体、ここで横を向いたりすると失敗する。


「昔から誘ってたのにとうとうおばあちゃんに会ってくれなかったね」

「……あ〜……」


 確か小学生の頃から夏になると、『一緒におばあちゃん家に行こう!凛之助!』と、ヒナに誘われた。それが自粛ムードが漂う最近まで続いた。


「無茶言うなよ、すげー遠いから交通費莫大だし、それに俺、親戚じゃないし。どう考えても行きづらいだろ」


 自慢のおばあちゃんに会わせたいのはわかる。

 が、極端に人見知りなワケじゃないけど、高根家の親戚一同が集まる田舎のお盆に飛び込めるほどの度胸は無い。

 そんな映画を観た事あるけどあんなん無理無理。数学苦手だし。


「むー、そりゃそうだけどさ、おばあちゃんにずっと言われてたからさー」

「何を?俺連れてこいってか?」


 次の花火に点火しながら言う。おばあちゃんに俺の何を語ったんだ?いい事言われてる気がしないのはそれがヒナだからだ。


「好きな人が出来たらちゃんとおばあちゃんに会わせてねって」

「――っ」


 火が着いたばかりの花火は、俺の動揺に素直に反応して地面に落ちた。


「……え、いやそのだってそれ、小学生の頃から……」


 ヒナの方を見るが、彼女の目は花火を見ている。


「幼稚園の頃は遊び友達として好き。小学校低学年の頃は男友達として好き。……五年生から……中学……今まで」


 しゅっしゅっ、と細い線光を散らしてしたヒナの線香花火はやがて、しゅるしゅるとその勢いを急に弱めていく。

 そして、消えた。ここにある光は道路側を向いたLEDの街灯の、うっすらと公園まで辛うじて届く光と足元の点火用蝋燭の小さな光のみ。


「……彼氏になって欲しい……の好き」


 蝋燭の光にぼんやり照らされたヒナが俺を見る。

 その表情はマスクをしてても穏やかに笑っているのがわかった。

 そんな前から?……俺は、……俺も!ヒナをずっと見てきた。

 ヒナはそれから黙って次の花火を手に取り点火した。ヒナははっきりと言ってくれた。俺は応えなければいけない。


「俺は……ずっとヒナが好きだった」


 隣でびくっと肩が揺れて火種が落ちた。すぐに次の花火に火を着けるヒナ。


「小さい頃から、高根陽菜子という女の子が大好きでいつも一緒にいたいと思ってた。でも中学生に上がる頃にはあまり二人で会うなんて無かっただろ?まあ、会えば会ったでヒナが俺を弄るいつものやり取りでさ、学年が上がるごとにヒナはどんどん女らしくなって、可愛くなって、でも俺とはいつものやり取りしかなくて、それでそのうち俺達の関係は、気兼ねなくふざけ合うだけの普通の幼馴染なんだなって思うようになって。スゲェ可愛くなっていくヒナと付き合いたいとかおこがましいと思ったんだ。お前が中学時代から散々告られてたの知ってるし、俺もその振られた男子達の一人になったらもうふざけ合う事も出来なくなるんじゃないかと怖くてさ。でも、それでもヒナの事は気になって気になって、だから、なんとか吹っ切ろうとして……彼女に告った」


 全部、言った。包み隠さず。隣のヒナが凛之助と口を開きかけて、


「あ、それと俺の名前さ、お前に何度も呼ばれてるうちに好きになった。さすがに知らない人が大勢いる中で呼ばれるとまだ恥ずかしいけど、うん。好きになった。ありがとな、ヒナ」


 ニッと笑ってヒナを見る。


「り、凛」

「ヒナ」


 また俺はヒナの言葉を遮る。まだだ。まだ一番伝えたい事を伝えていない。


「……ヒナ、いままで臆病でごめんな。お前から言わせてしまってホント、情けなくて悔しい。けど、言わせてくれ」


 ヒナの目をしっかりと見る。泣き出しそうな、不安そうな、それでも期待しているような。


「陽菜子、お前の事が好きだ。小さい頃から大好きだ。ただの幼馴染じゃなくて、恋人として、俺と付き合って欲しい」


 言った。言えた。ほとんどヒナのお陰だけど、誤魔化す事も茶化す事も無く、幼馴染の軽いノリでも無く、胸に仕舞っていた彼女への想いを、ようやく本人を前に、言えた。


「……うん、うん、……うんっ」


 ローソクの炎に照らされたヒナの目にいっぱいの涙が溜まっているのがわかる。


「あたし、をっ……凛之助のか、彼女にして?」

「ありがとう、ヒナ。これからもよろしくな」


 すぐ隣の彼女に手を伸ばして、出来るだけ優しく、優しく抱きしめた。



 それから二人で残りわずかの花火に火を着ける。


「おばあちゃん、見てる?約束の大好きな彼氏連れてきたよ」


 ヒナが空を見上げて呟く。


「あたしはもう大丈夫だからね、おばあちゃんも安心してね」


 静かに、でも激しく光を散らす花火。それを見ながら俺は、


「ヒナのばあちゃん、俺達はこの花火のようにはならないから安心してくれ。約束するよ」

「怖い事言わないでよっ、付き合ったばかりで!」

「はは、わりぃ」

「もー、なんか縁起悪いみたいじゃーん、おばあちゃんの為にやってる花火が」

「この花火はおばあちゃんを送る為。それと、前付き合っていたあの人を忘れる為の花火だよ」

「凛之助……」

「……なんてな!似合わないな、俺」


 ヘラヘラ笑ってみせる。あの娘との事はいっときの線香花火のようなもの、花火が消えたらそれまで。燃え上がっていた心はもう、無い。隣に大切な人がいるから、これからはその炭火のような暖かい炎を末永く大切にすると決めた。


「これで、最後」

「ようやくかぁ〜」


 ヒナが最後の一本を摘み上げた。


「いやー最後だと思うと緊張するねーあはは」

「失敗したら締まらないからな」

「ちょっと!そういう事言わないで!」


 両手で最後の花火を持つヒナ。その方が花火を固定できそうと言うのだけど、なんか力が入り過ぎてふるふるしている。


「なら、こうだな」

「……っ」


 ヒナの正面にまわって、震えるヒナの両手を俺の両手が包む。


「これで失敗しても二人の責任だ」

「……えへへ、うん」


 はにかむ表情のヒナ。マスク越しでも可愛い。

 むしろマスク効果の一つに小顔効果があるらしいが、ヒナは元々小顔だ。

 顔形どこもマスクで誤魔化す必要のない美少女だ。

 ということは、俺は今すごく損をしているのだ。だってこんなに近くにいるヒナの綺麗な顔が半分隠れてしまっているんだ、これを人生の損失と言わずして何と言う?

 などと考えていたら花火を見ていたヒナがふい、と目を上げてこっちを見た。


「ん?なに?」


 マスクをしていてもお前は可愛いよ。なんて恥ずかしくて言えない俺は、


「あーうん、ヒナは可愛いなって」

「んひっ?!」


 いやぁ、普通に恥ずかしげも無く言っちゃったよ、俺。

 何?ナンパ野郎なの?素質あんの?てか、それよりも、


「「あ」」


 今の動揺で最後の線香花火が途中で終わってしまった。


「「……」」


 二人で地面に落ちた火種が消えていくのを見つめた。

 すっと顔を上げたヒナが俺を見る。コワイ目で。


「凛之助〜……」

「いやほらなに?って聞かれたから素直に答えただけで、ヒナがあんなに動揺するとは思わなかったし?花火に集中してなかったのは悪いと思うけどさ!」


 俺の早口な弁解など聞いてない風なヒナの目は据わっていた。


「凛之助っ」

「は、はひ」


 ずいっと顔を寄せてくる。ヤバい、可愛いんだけど。


「そういうセリフ、何人の女の子に話したのっ!」

「え、そっち?!」

「それしかないでしょっ?!」


 イヤイヤ待て、花火消した事じゃないの?セリフ?なんだっけ?


「そうやって色んな女の子に色目使ってんだなー!」


 襟首掴まれてがっくんがっくん揺さぶられる。


「まっ!待て!ヒナ!何の!話だよ!あうっ!ちょっ!おちっつけってばっ!」


 やっと解放されて大きく息を吸う。もう俺のTシャツよれよれだよ。


「はぁぁ〜、いきなりなんだよ、色目とかなんとか」

「だ、だって凛之助てば呼吸するみたいに自然にあたしを褒めるから……」

「当たり前だろ、彼女なんだから」

「んひっ!」


 両手で頬を押さえてくねくねするヒナ。これはこれで可愛いけど。


「あのな、ヒナ。前の彼女を褒める事は勿論あったけど、彼女でもない女の子を褒めまくってたら下心丸出しみたいで怪しいだろ」

「う、そうだよね、ごめん凛之助」


 コイツってこんな独占欲強めなヤツだったっけ?だったら前の彼女と付き合った途端に刺されてる筈だ。


「なあヒナ、お前の気持ちを確かめられたし、お陰で俺の気持ちを伝える事ができて晴れて付き合えるようになった。のはいいんだけど」

「うん?だけど?」

「なんか今回は……その、グイグイ来たよな?いつもは揶揄って揶揄われて終わってたと思うんだけどさ」


 あんなに感情剥き出しのヒナを見たのは小学生以来だ。

 あの時はクラスの悪ガキにキレたヒナが、そいつの鼻に右ストレートを見舞って泣かしてたっけ。鼻血と涙でヒドイ有り様だった。


 あーそう思うよね、と言うヒナに首肯を返すと、


「えと凛之助、アンタ自分で自分をどう思う?」

「え、暗いとかキモいとか汗臭いとか?」

「なんでネガティブな分析結果なのよ!別に暗くもないしキモくもないから!汗臭いとか言ったらあたしも暑いのにこんなブラウス着てきたから汗で張り付いて気持ち悪いし、なんならちょっと臭うかもだよ!言わせるな!」


 なにキレてんだよ、だったら普通にTシャツとかでいいじゃんと言う俺に、


「今日は法事のつもりでこういう格好なの!」


 なるほど、だから真っ黒スタイルなのか。


「暗いキモい汗臭いは実際言われた事あんだけど」

 そう言うと、

「それ誰に言われたの?女子?」

「あ、いや男子の友達だけど?つか、それ女子に面と向かって言われたら死ねるぞ?」


 はぁ〜とため息を吐くヒナ。


「あのね?あたしが訊きたいのは自分の容姿とか立ち振る舞いとか性格的な部分だよ」

「えー、わっかんねぇなーあまり気にした事ないからな。まあ、可も無く不可も無く?かな?」


 今まで容姿とかあまり気を使った事は無かった。

 高校生にもなってそれはマズいのだろうが、毎朝鏡に向かっても特に髪型こうしようとか無くて寝癖とか、ヒゲとか、そのくらいしか気をつけてなかった。


「凛之助は可以上の優良物件って言われてるの、女子の間で」

「ウソ!マジで?!」


 突然の情報に嬉し恥ずかしな気分に舞い上がりそうになる、と、ぱしっと、両手で顔を挟まれて、ぐいっと顔を寄せるヒナ。


「君の彼女は誰?」

「目の前の幼馴染」

「よろしい」


 ぱっと手を離す。結構痛かったからね?ヒナちゃん?


「それで、優良物件の俺がどうしたって?」


 頬をさすりながら続きを促す。


「でね?凛之助狙いの女子がクラスに居てね」


 ここでまたマジで?!とか言ったら話が進まない。黙って聞く。マスクの下でニヤけていないか心配だ。


「……ニヤけてる?」

「失礼な!俺を信用しろ」


 ニヤけていたようだ。マスクを過信しちゃいけないな。


「あたしが掴んだ情報によるとクラスに三人ほど」

「マジか?!」


 ぱしっ!


「今一度問う」

「勿論ヒナちゃんが俺の可愛い彼女ですっ!」

「よろしい」


 ひりひりする両の頬を両手でさする俺。衝撃的過ぎる情報に体が反応してしまう。


「でもなんか今ひとつ信じられないな〜俺のどこが優良なの?クラスでもそんなそぶりを見せる女子なんか居たかなぁ」


 完全に陰の者じゃないくらいにはコミュ力ある方ではあるけど、そんなに女子達と和気あいあいな会話は無い。

 大体男子共とおバカなお喋りしてる俺だ。あーこの間までは元カノとばかり喋ってたけどね。あれ?さっきの録音に確か……


「凛之助のルックスは悪くないよ?むしろ良いんだよ。髪の毛とかあまり構わないから表情がよく見えなかっただけで……」


 そう言ってふわっと俺の前髪をかき上げるヒナの手。


「ほら、カッコいいよ?ふふっ」


 目を細めるヒナの言葉がなんだか恥ずかしくて顔が熱くなってきた。


「そ、そうか?なんか正面から褒められると恥ずかしいんだが」

「褒めるよ〜あたしの彼氏だもん」

「うっ……」


 さっきのやり取りの仕返しをされた。なるほど、嬉しいやら恥ずかしいやらで多分耳まで赤い筈だ。

 両手を頬から離せない。暗いからわからないけど、なんとなく悟られそうで。


「それでその娘達の事を聞いた時点であたしは行動する決心をしたの。それまではいつか凛之助から言ってくれると信じてたから待つ事が出来たけど」

「ごめん」

「まああたしもね、構って欲しくてちょっかい出してばかりで凛之助が変な方向に行っちゃった責任の一端はあるかなっ」


 俺の顔を見れば揶揄われてたからな。

 これが喧嘩ばかりしてたら逆に仲が良いように見られたりするのだろうか?そして俺の気持ちは?むーわからん。

 わからんけど、多分この幼馴染への気持ちは変わらないであろう自信がある。


 そしてヒナは行動に移す事が出来なかった。俺が動いてしまったからだ。


「それで他の娘達は諦めたかどうかわからないけど、手出ししてこなかったワケ。あたしも含めてね」

「あの〜関係あるかわからないんだけどさ、俺が元カノと付き合い始めた直後に学校欠席しなかった?ヒナ」

「したよ!まさか凛之助が他の女の子に告白するなんて思って無かったからショック過ぎて学校行けなかったよ!自分の部屋でめちゃくちゃ泣いてたよ!」

「……マジでごめん、ヒナ」


 唇を噛んで項垂れる俺。悩んだ末の行動が好きな女の子を泣かせる結果になるなんて、後悔の念に押しつぶされそうだった。


「でもその後、あの娘の噂を友達から聞いて、絶対に取り戻してやるって思ったの」


 それがあの妨害行為に繋がったという事か。

 話し終わったヒナがふぅと一息つき、


「お互いが素直だったらこんなに拗れなかったのにね」

「そうだな」


 特に俺がな。元カノに告白する度胸があるなら何故その度胸をヒナに向けられなかったのか。

 ヒナに別世界の人、テレビのアイドル、物語のヒロインのような恋とは違う憧れにも似た感情を抱いていたのかも知れない。

 対してヒナはヒナで幼少期からの幼馴染は絶対に告白してくれると、高校生になった今も信じて疑わなかった。

 故に俺に対する態度が昔のままで、恋心を思わせる振る舞いが見えなかった。

 そして俺はヒナを誰よりも可愛い女の子、自分とは釣り合わない存在として手の届かないアイドルにしてしまった。

 普通に好きなら好きと言えば良かったのだろうけど、皆んな出来ない。俺達みたいな子供では。

 思い込み、勘違いし、恐れて、それでも恋をして、でも怖くて。

 拗れて拗れて、それでも大好きな女の子は、頑張って俺を引っ張り上げてくれた。


「ヒナ、ありがとう」

「ん?何が?」

「ヒナのお陰で素直になれた。それで大好きな娘に告白出来た」

「それさっき言ってたよ?」


 言いつつ、嬉しそうなヒナ。

 帰り道、ヒナを送る為に俺は遠回りして二人で夜道を歩く。

 じー、じー、と虫が鳴いている。家が立ち並ぶ住宅街には走行する車も少なく、夜も遅いので歩く人も俺達以外見当たらない。

 時刻は夜の九時半過ぎ、そろそろ帰らないと補導される時間になる。が、気温は高い。所謂熱帯夜だ。

 そんな息苦しくなるような気温ではあるのだが、さっき気持ちを確認しあった俺達新米カップルは、わざわざ肩を寄せ合って歩く。

 幼馴染というだけの関係の今までではあり得なかった事だ、こんなにヒナが側に居るなんて。

 それが嬉しくてつい同じような感謝の気持ちを言葉にしてしまう。


「そうだっか?」

「おやおや〜?可愛い彼女が出来て浮かれちゃってるのかな〜?」


 いつものヒナのノリで揶揄ってくる。


「そうかもな」


 ヒナを見て笑顔でそう肯定すると、


「んにっ?!……むぅ、やりづらいなーえへへ」


 困ってるのか怒ってるのか喜んでるのか、曖昧な表情で腕に絡んでくるヒナ。暑さなんか今の俺達には関係なかった。


「凛之助にお願いがあるの」

「え、なに?」


 俺の腕に絡んだままこちらを見上げてヒナが言う。


「これからはあたしも名前で呼んで?凛之助」

「呼んでるけど?」

「ヒナは愛称だから!あたしの名前は?ハイ!」

「陽菜子」

「よろしい」

「でもなんで?皆んなそう呼んでるだろ」


 学校でもヒナを陽菜子と呼ぶ生徒はいない、なんなら砕けた感じの先生もヒナと呼ぶ。


「だからだよ。ウチの親ですら自分達で名付けておいてヒナ呼びなんだよ?おかしいでしょ?」


 親が愛称呼びするのは別におかしくは無いと思うけど。


「愛称呼びは嫌だったのか?」

「嫌じゃないよ。他の人はヒナでいいけど、凛之助だけは名前で呼んで欲しいの。おばあちゃんもちゃんと陽菜子って呼んでくれてたし。あたしこの名前好きなの。今時、子が付く女の子って少ないでしょ?気に入ってるから、その、彼氏にだけはちゃんと呼んで欲しいなって」

「照れてる?」

「……うるさい」


 俯き加減でマスクの下で口をもにょもにょさせるヒナ。もとい、陽菜子。


「わかったよ、陽菜子。お安い御……よ……う?」


 言いながら気がついた。コレって結構ハードル高くね?


「なあ、ヒ、陽菜子?それって勿論学校でもだよな?」

「当たり前でしょ、むしろ学校で声を大にして呼んで?」

「それは……付き合ってますアピールの一環デスカ?」

「そのとーり!分かってるじゃん、凛之助!」


 教室で俺だけ陽菜子呼びは結構なインパクトだ。それも二学期から突然呼び方が変わるのだ。勘繰られないワケが無い。あー夏休み中になんかあったのね、と。


「……やりづれー」

「誰かに訊かれたらちゃんと自分の言葉で説明してね?陽菜子に言われたからってのはダメだよ?」

「わかった。周知されるのは早い方がいい」


 俺は腹を括る。どうせ陽菜子と付き合っている事がバレればなんやかんや聞かれるのだ。そういうイベントは早いうちに済ませよう。


「そーそー、因みに既にクラスの女子は知ってるからねー」

「なにっ?!いつの間に!」


 ふふふーと笑いながらスマホをふりふりする陽菜子。


「夏休み明けにいきなり行動に出る女子がいないとも限らないしね」


 電光石火のマウント取り。もう名前呼びとか関係無いんじゃ?まぁ陽菜子の友達が知ったとなれば最早周知されたも同然。おしゃべりだからな〜、黙っていられないからな〜。


「よーし、これで気兼ねなく凛之助と遊べるぞー」

「待て、お前バイトは?」

「ん?今日で終わりだよ?」

「それは辞めたって事?」

「彼氏が出来る予定だからって店長に話してあったんだよ」


 しれっと言ってのける陽菜子。


「完全にキメるつもりで今日のイベントは執行されたのか。でも、あ、いやまさかウチの母さんにも?」

「凛之助がうちの店に来たのは偶然じゃないよ、凛之助のお母さんに連絡してお使いを頼んで貰ったの」

「マジか……」


 俺包囲網が怖すぎる。陽菜子を裏切るつもりは毛頭無いが、万が一俺が浮気なんぞした日には処刑される!マジで!


「で、母さんに何て言ったんだ?」

「今宵、お宅の息子さんを貰い受ける!」


 グッと拳を握る陽菜子。作戦通りになって良かったね!



 陽菜子の家に着いた。正直言って陽菜子と離れたくない。それはそうだろう、今日、つい一時間程前に付き合い始めたばかりなのだ、が、既に未成年が彷徨いていていい時間じゃない。

 陽菜子の親御さんも多分事情は知っているだろうが、心配だろう。

 家の前まで来て陽菜子が絡めた腕に更に力を入れて、


「う〜〜っ着いちゃったよ〜〜」

「俺も残念だけど、また明日にでも会えるだろ?」

「そうだね、じゃあ送ってくれてありがと、凛之助」

「うん、今夜連絡するよ」

「うん……」


 後ろ髪引かれる思いで高根家を後にする。陽菜子が玄関に入り、消える。


「……さて、帰るか」


 あえて口にして紛らわす。そして踵を返して家路に……


 ガチャ。


 音に振り返って、目に入ったのはこちらへ早足で迫る陽菜子。目が真剣だ。


「え、なになに?ひな、こ。どうし……」


 マスクを引きちぎるように外した陽菜子が俺の首に両腕をまわして、


「凛之助が好き」


 そう言うなりいきなり、キスされた。マスク越しに。

 勢いで倒れ込む二人、その間もマスク越しのキスは離れない。


「んむ?!む?」


 俺は陽菜子を受け止めるだけで精一杯だった。そして目の前で目を閉じて唇を重ねる陽菜子にマスク越しとは言え突然の事にパニックになる。

 そのままどうする事も出来ず固まる俺に、ふいと、唇を離して耳元で陽菜子は囁く。


「続きはまたね、凛之助」


 ぱっと離れて玄関に走って行って、振り返りもせず消えた。俺は倒れたまま呆然と陽菜子が消えた玄関を見つめていた。

 ……ズルいわー、俺動揺してただけじゃん。



 とか言いつつも帰り道の俺の顔は多分ニヤけていた。

 自宅マンションの入り口でそのニヤけているであろう表情を、なんとか真顔に修正してドアを開ける。


「ただい……ま?」

「おかえり、凛之助」


 母さんが玄関にいた。変な表情で。困ったような、笑ってるような、口元をもにょもにょさせて。


「ど、どしたの?母さん?」


 今夜の事は母さんは知っている。どうなったか気になるのだろう。それにしてもこの顔はどうしたのか?


「どうやら、ぷふっ……上手くまとまったようね。ふふっ」


 口を押さえて笑いを堪えて……いや笑っていた。


「え、陽菜子からなんか連絡あったの?今」

「無いわよーぷふふ、手洗いうがいしてねー、あははは」


 笑いながらリビングへと戻ってゆく母さん。その奥、リビングのソファーで俺の方を見ながらニヤついているのは父さん。

 なんかいらん想像を膨らませているのだろうか?


「何なんだよ、ったく」


 ぶつくさ文句を言いながら洗面所へ。帰宅後の手洗いうがいは最近では当たり前になっている。

 洗面台の照明のスイッチに手を伸ばして、


 パチッ


「?!」


 そこには当たり前だがマスク姿の俺。なのだけど、その白い不織布マスクの口の部分だけ白くない。

 落ち着け俺。おかしいな〜、デザインマスクだったかな〜?


「んなわけあるかー!陽菜子ぉー!」


 ぶわっはっはーとリビングから大笑いが聞こえてきた。

 クッソー超恥ずかしい!陽菜子のヤツ、べったりキスマーク付けてくれやがったっ!

 すぐにマスクを外して丸めてゴミ箱に!……捨てられない。だって陽菜子のキスマークだし。

 いそいそとマスクを畳んでポケットに仕舞った。

 なんか情けないな、俺。これが惚れた弱みってヤツか……!


 後で陽菜子に電話で文句を言うと、


『凛之助のお母さんに報告も兼ねてるから』


 あー充分俺の親には伝わったよ……

 結局、恋人として付き合い始めても、俺は陽菜子に振り回されるワケだ。


 ――――――――――――――――――――――――――


『――ちゃんとするよ。近いうちに凛君にはさよならするよ。そのあいだは出来れば私達の間に入って欲しくないかな』

『それは聞けないお願いね』

『どうして?彼とは別れるんだからわざわざヒナちゃんが凛君に嫌われるような事はしなくてもいいんじゃない?』

と凛之助が仲良くしてる所を見たくないの』

『……そっか、そういう事か〜、だったら今まで何してたの??』

『そうだね、近すぎて油断してた。あたしの失敗ね』

『ねぇ、ヒナちゃん。私が本当に凛君の事が好きだと言ったらどうする?』

『もうほとんど好きなんでしょ?ひなちゃん』

『ふふ、うん。好き。でも』

『二又、はダメね』

『前の彼と別れるって選択肢もある訳だけど?言っておくけど私、「中古」じゃないからね?彼がそっちにがっついて来るから今ケンカ中なんだけど、あんな男丸出しなヤツもういいかなって』

『それはひなちゃんの自由だけど、事実、今そのがっついた彼と切れてない状態で凛之助と付き合ってるんだよね?』

『そう。それが問題なんだよね、これが私の失敗』

『その彼と別れても、凛之助とは離れてもらうから』

『出来る?ヒナちゃん?』

『二又の件、凛之助に話すつもりだよ』

『強行するね、必死なんだ?』

『勿論。何が何でも凛之助は誰にも渡さない。それに、知ってるのはあたしだけじゃ無い。あたしが話さなくてもいずれ凛之助の耳に入るよ』

『なるほど、これは私から離れないと後がやりづらくなるなぁ』

『その一旦の間に絶対に凛之助はあたしが貰うよ』

『わかったよ、陽菜子ちゃん。でも私には彼から告白されたっていうアドバンテージがある。つまり、今凛君の心は私に向いているの。私が振ったからといってそう簡単には行かないよ?』

『凛之助の事はあたしが一番わかってる。ちゃん?あたし達、お風呂も一緒に入った仲なんだよ?』

『うわ、大胆。ホント?』

『……幼稚園の頃だけど』

『ふふっ、今決めたよ、ちゃん。私今彼と別れるよ。そして改めて凛君に全部話して告白する』

『その前にあたしと付き合ってるかもよ?いや、付き合ってる。必ず』

『そしたら今度は私がお邪魔虫になろうかな?うふふ』

『む……凛之助はあげないっ』

『さて、ひとまず凛君フッてくるかなっ、陽菜子ちゃんのせいにして』

『ぐぬぬ……その通りだけに反論できない』

『あはははっ、じゃあね、陽菜子ちゃん。話はこれで終わりね』

『そうね、ひなたちゃんは強力なライバルだって事がよくわかったよ』

『お互い頑張ろうねっ。……そろそろ録音止めてもいいんじゃない?』

『うええっ?!』

『あっはははっ、やっぱりー』

 プツッ


「……あたし負けないからね、おばあちゃん」



                  おわり。


































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真夏の夜の幼馴染。 上野 からり @manamoe

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