第二話 日常の欠片
石畳に身体を埋めたまま休んでいると、誰かが近づいてくる微かな振動が聞こえる。
足音はほとんどしない。それこそ、石畳に直接触れていないと分からないような音が、確かに聞こえた。
「——君、また上に行ったのか? 一途というか馬鹿というか……学ばないなぁ……」
そうして俺の顔を覗き込んだのは、右目に眼帯をした、ボサボサの緑の髪の女の人——『
「はい……まあ、また失敗しましたけど……」
「当たり前だよ。僕が言うのもなんだけど、お互いの為にも諦めた方が良いんじゃないか? あれは、真っ当な人間じゃどうにもならない。挑み続けるのは、時間の無駄としか言いようがないよ」
射手がいつものように無表情で、呆れたように首を振るう。でも、心の底から心配してくれているのはなんとなく分かる。
「——おーおー。クール気取ってんねぇ。毎朝ここで、勇者が落ちてくるまでニヤニヤしてスタンバってる癖によ」
「なんだと……!」
飄々とした鍛冶屋の声がしたかと思うと、射手がその小さく整った顔を怒りに思いっきり歪ませて、振り向いた。
「なんだぁ? 図星突かれたからって、キレてんじゃねぇよ」
「そうじゃない……! 鍛冶屋貴様、僕が何をやっているか分かっていて邪魔を——」
見えていなくても、視線がバチバチとぶつかる音が聞こえる。なんとかして止めたいが、身体はまだ動かない。
「——俺にとっても、大切だからな。悪いか?」
「っ……!」
静かな声と、押し殺したような声。僅かな間を置いて、大きく息を吸って吐く音がした。
「……悪かった。少し昂っていたようだ」
「気にすんな。邪魔したのは本当のことだしな」
空気が柔らかくなっていくのが、肌で分かる。ほっとしたからでは無いだろうが、気づけば身体に力が入るようになっていた。
「よっと……心配して下さってありがとうございます。お二人とも」
「いや、僕は別に君のことなんか……」
「俺は心配してたぜ? そこの薄情者と違ってな」
「何を言う鍛冶屋! 僕は彼の事が何より大切——」
そこで射手、とんでもない事を口走った事に気づく。俺と鍛冶屋の顔を交互に見ながら、顔を真っ赤にして崩れ落ちた。
「本性表したな? せっかく本人にもバレたことだし、もっとオープンにデレても良いんじゃねぇか?」
「勇者、今のは……やめろ! 僕をそんな目で見るな! あぁ……もう……! いっそ灰になってしまいたい……」
「ははは。それじゃ、僕は行きます。まだ、やる事がたくさんありますから」
「良いねぇ! 頑張れよ?」
「くれぐれも……無理はしないようにな……?」
「はい。じゃあ、また」
「おう!」
二人の声を背に、俺はこの場を後にした。次の予定は、剣の練習。『
「——ねぇ、そこの勇者!」
ずいっと目の前に立ち塞がったのは、小柄な身体に全く合わない、大き過ぎる鮮紅色のローブを纏ったやけに長い茶髪のツインテール女。また、厄介な奴に捕まったものだ。
無視して逃げたいが、それをすると泣いて駄々をこねる。辛辣でも、返事くらいはしなければならない。
「なんだよライ——」
——じゃないな。こいつの名前はなんだったか。確か『
「『
そうだ。この子生意気な奴の名は——『
世にも珍しい喋る琥珀の杖を片手に、明後日の天気もサクッと命中とかいう、凄いんだか凄くないんだかよく分からない微妙なラインの触れ込みを自慢げに語る、どうしようもない奴である。
「だってお前が預言者とか何の冗談だよ。今すぐにでも改名を勧めるよ」
「なんでよ! ピッタリじゃない! ねぇ、お前もそう思うでしょ!?」
「思いません」
「シャラップ杖!」
「イデデデッ! 虐待反対!! 電撃制裁!!」
「いたたたっ!?」
そして、今楽しそうに杖と戯れているこいつは、孤児院で一緒に育った仲でもある。とんでもない奴と一緒に育ってしまったものだ。
「で、何の用だ? 忙しいんだが」
「朝ご飯取って来て!」
それぐらい自分で行けよと突き放したいが、例によって無視すると泣く。面倒なことこの上ない。
「どのくらい持って来ればいい?」
「いっぱい。やけ食いしたい気分だから」
「……太るぞ?」
「私をなんだと思ってるの! そんなことある訳無いでしょ!……無いよね?」
俺に聞くな。自分で考えろ。そういえば、今日の朝食はなんだったか——
「——どうぞ。ご注文の朝食ですぜ?」
真っ白なエプロンを装着し、コーンスープと山のようなパンを持って颯爽と現れた、髭の似合うナイスガイ——『
手先が器用な為か料理が異常に上手く、ここでの料理担当の一角を担っている。人気も高い。
「あ、ありがとうございます……」
「ナイスタイミングだったろ? 勇者」
「はい。助かりました」
「だろ? ま、そんじゃあな。仲睦まじく食べろよ」
何かを盛大に勘違いしている盗賊が、親指を立てて静かに影の中に溶けて消えていった。
「……美味しい」
ふと隣に目をやれば、頬を膨らませて不満そうに、それでいて美味しいそうに預言者がスープをがぶ飲みしている。
このままここでゆっくりしたい気持ちがない訳ではないが、山の中からパンを一掴み。今はそれで我慢するとしよう。
「——待って勇者」
いやにか細い声だった。こいつのこんな声を聞いたのは、決戦以来だろうか。
「なんだよ?」
「あんたはこれから先もずっと、こんな調子で——」
「まあ、折れない程度に頑張るよ」
「……最後まで言わせてよ、馬鹿」
心配されてるのは分かってる。本当は戦ってほしくないのも分かってる。ただ、俺以外の誰にもこれは任せられないから、俺がやるんだ。
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