少年勇者と常夜の塔の亡霊

佐座 浪

第一話 一日の始まり

 ——カン、カン、カン。カン、カン、カンと心地良く金属を叩く音が『廃雄塔はいゆうとう』の中に鳴り響いたら、『勇者ゆうしゃ』の一日が始まる。


「もう、朝かよ……」


 硬い石のベッドから身体を起こして、湧き水に浸したタオルを、思いっきり顔に叩きつける。


「冷ってぇっ! あー……さて、頑張るか」


 そうしたらすぐに、建て付けの悪い鉄格子の扉を蹴破って、俺は部屋の外に出るのだ。


「——ぃよぉ、勇者! 夕べも馬鹿みてぇに良く眠れたか!?」


 早速俺を出迎えたのは、どっしりと広間の端に座り込んで、素手で真っ赤な金属を叩く女の人——『鍛冶屋かじや』。


 勇者、鍛冶屋——というのは役職の名であり、ここでの正式な名前でもある。


 ここでは誰も、本当の名前を呼ばない。呼ばれない。揉め事を呼ばない為の掟なのだと、一番最初に彼女が教えてくれた。


「まあ、それなりに」

「はっはっはっ! そりゃ良いねぇ! そぉら、馬鹿ども聞けや! 吉報だァ!!」


 橙の目にかかった金の髪をかきあげて、男勝りな大声で笑いながら、鍛冶屋はまた腕を振り下ろす。


 穴だらけの塔の天井にまで届く、この澄んだ音色を、皆は朝の始まりにしているのだ。


「——うるせぇ鍛冶屋! ちったぁ儂に気を利かせろい! こちとら二日酔いなんでぃ!」


 頬を真っ赤に染めて、鍛冶屋に向かって大声で怒鳴り散らす男の人——『道具屋どうぐや』。


 ぷっくりと立派に膨らんだお腹と、見事なまでにハゲ上がった頭がチャーミングな人だが、どうやら昨夜は少し飲み過ぎたらしい。頬以外が白くなっている。


「あぁ? 気を利かせろだぁ? 笑わせんな。たかだか一斗樽一つ空にしたくれぇで二日酔いするお子ちゃまの為に、俺様のルーティーンワークを止めろってか?」

「お子ちゃまだぁ……? はっ! 虫嫌いのガキが言ってくれるじゃんかよ! 今日という今日は許さんぜ! その面ボッコボコに畳んで、スクラップの棚にでも並べてやらぁ!!」

「上等だッ! かかってきやがれハゲデブ! そのダルンダルンに垂れ下がった脂肪、さぞや景気良く燃えるだろうよッ!!」


 さぁて、始まった大喧嘩。弾に炎に拳に鉄。ボロボロで今にも崩れそうな塔を揺らして、色んなものが飛び交っている。


 この二人、仲は良いんだがどうにもケンカっ早くて、いつも最後にはこうなってしまう。


「——やれやれ、朝からうるさいねぇ。あの二人は、どうしてああなってしまうのか……」


 この大騒ぎを、呆れたように見つめる黒髪の男の人——『学者がくしゃ』。


「おはようございます。学者さん」

「おや、おはよう。未だ小さき勇者殿。君は、今日もまた忙しいのかい?」

「ええ、まあ」

「そうかい、偉いねぇ。じゃあ、あれは僕がなんとかしておこう」


 自信たっぷりに笑うと、学者は丸眼鏡をクイっと上げて、白い研究着の下に隠された、丸太のように太い腕をバシッと叩いて見せる。


 フィールドワークには筋肉が必要——いつも自慢げにそう語る彼だが、いささか度が過ぎているような気がしなくもない。


「お願いします」

「大丈夫さ、任せ給え。いつもの通り、徹底的かつ、圧倒的に終わらせてあげよう——!」


 研究着を内側から破り捨て、筋肉の塊に変貌した学者が飛びかかったのを横目で見ながら、俺は塔を登る。どんなことがあっても、一日の一番始めにすると決めていることの為に。


 長い年月の間に崩れ落ち、最早階段とは呼べない突起を上手く使い、塔を登る。前はそれなりに苦労していたのだが、今では随分と上達したものだ。


「——良い感じね! 勇者ちゃん!」

「うぶっ……おはようございます……」


 塔の壁に空いた窓からヒョコっと顔を出して、女の人——『聖女せいじょ』が俺の顔が埋まるくらいぎゅうっと抱きしめてきた。


「んふふ……柔らかくて、良い匂い……! 食べちゃいたいくらい!」

「貴女が言うと……シャレにならないので、やめ——」

「ふふっ! もちろん半分本気! もっと抱きしめちゃう!」


 花の甘い匂いの中で、骨が軋む音が聞こえる。


 全く見えないが、綺麗な薄い茶褐色の猫耳をパタパタとさせて、牙を剥き出しに笑う彼女の姿が目に浮かぶ。


 獅子に分類される獣人の聖女は、華奢な体つきにも関わらず、非常に器用な動きで壁を登る。


 壁登り勝負をして、五十メートル以上の差をつけられ完敗を喫した『盗賊とうぞく』曰く、『速い上に気配が無い。どう見ても同類』だそうだが、本人は至って善良。


 塔の登り方を聞いた時も、親切に何日もかけて、付きっきりで色々と教えてくれた良い人なんだが、毎回毎回会う度に抱きしめてくるのは、いくらなんでもどうかとは思う。


「そろそろ……放して頂けませんか……?」

「えぇー! んー……ま、仕方ないか! また、屋上に行くんでしょ? 頑張ってね! 私はお祈りの時間だから、また後で!」

「……はい。じゃあまた」


 名残惜しそうに俺を離し、顔を引っ込めた聖女に手を振って、さらに上へと登る。


 しばらく登った時、ふと思い出したように下を見ると、広場が霞んで見える。辺りはすっかり静まり返って、人の気配はほとんどない。


 部屋はあり、聖女が顔を出した窓のように、生活スペースもあるものの、あまりの高さともう一つの理由から、この辺りに居る変わり者は少ない。


 この塔には、英雄になれなかった人、英雄ではなかった人、英雄でなくなってしまった人——そんな風に、色んな人が居る。


 だから毎日、色んな人と話して、色んな事を学べる。色んな事が出来るようになる。


 出来る事が増えるたびに、理想の『勇者』というものに近づけているような気がして、年甲斐もなく嬉しくなる。


 そして最近は、塔の屋上に居る人——皆から『亡霊ぼうれい』と呼ばれている、霧のような人に会いに行くのが俺の朝の日課。


 ——やがて見えてくる、長い長い階段だったものの果て。常夜の空の下、何も無い開けた所に、ポツンと石碑だけが置かれている寂しい空間。


 この世界から最も遠いここに、『亡霊』は居る。


 一歩でも足を踏み入れると、ゴオっと思わず目を瞑ってしまうくらいの強い風が吹く。


 それが収まって目を開けると、穴だらけの黒いローブを着た、霧みたいにボヤけた身体の人——『亡霊ぼうれい』が、石碑の前に立っている。


 屋上の主『亡霊』は、表情も姿も霧のようにボヤけていて、性別すらも分からない。


 『探偵たんてい』に教わった、存在を見極める魔法を使ってみても、やはりボヤけて分からない。


「——!」


 黒く塗りつぶされた顔のある筈の部分が俺の方を向くと、亡霊はいつもキィーと、よく分からない、何かが擦れるような声を上げる。


 この声が、塔の上に近づけば近づく程、人が少なくなる一番の理由だ。


 皆が言うには、これを聞いていると胸がムカムカして、嫌な気持ちになるらしい。


「また、来ました。今日こそ、話を聞かせて下さい」


 ——でも俺は、全然違う気持ちになる。


 寂しいんだ。とても、とても。何故だが分からないが、心の底から涙が込み上げて来る。


 それがどうしてか、この人に問い正したいのだが、何度来ても一向に取り合ってくれない。


 それどころか、こっちに来るなと言わんばかりに、さっきよりも遥かに強い風を叩きつけてくる。


「ぐ……がぁ……!」


 とはいえ、俺も大人しく引き下がれる程、素直じゃない。


 風の流れに逆らって、一歩一歩を踏みしめて前に出る。最初は一歩たりとも進めなかったが、最近は少しずつ進めるようになって来た。


「——!!」


 また、この唸り声だ。何を言っているのかも、声なのかも分からないのに、寂しくなる。俺の心が軋んでいるのが、分かる。だから、進む。


 正直な話、俺はここに来なくてもいい。ここで学べる事なんてきっと、何一つありはしない。


 でも、知りたいんだ。聞きたいんだ。どうしてこの声を聞くと、こんなにも寂しくて堪らなくなるのかを。


 胸の奥が、潰されたように苦しくなるのかを——


「あ——」


 そしてまた、失敗した。寂しくて堪らなくなってしまったら、そこで終わり。


 気がつけば俺の身体はいつも、真っ逆さまに落ちている。


 ドンっと床が砕ける音がして、呼吸が止まった。あの声が遠くに消えて、良く知っている声達が耳を満たしていく。


 身体は動かない。指一本動かせない。とびっきり頑丈なのだけが取り柄だが、流石にあの高さから落ちて無傷、という訳にはいかない。


「はぁ……あーあ……また……やらかしたなぁ……」


 ボンヤリとさっきまで床だった天井を眺めて、今の気持ちを溜息と共に素直に吐き出す。


 もう何回目の失敗か分からないが、進展は牛歩以下。一歩が二歩に、二歩が三歩になったところで、亡霊まではまだまだ遠い。


 ただそれでも、確実に進んではいる。いつかはきっと、あの人に届く。


 そうしたら俺は、ここから出ようと決めている。


 『魔王』を討ち倒す『勇者』として、あの世界に舞い戻るのだ。

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