第5話 こちらの事情

「なんてことだ……」


 この世の終わりとばかりに項垂れる。実際、自分にとってはこの世の終わりのようなものだった。

 騎士団寮の自室でベッドに腰掛け、同室のアルバートからもたらされた情報に絶望した。


「デイヴ……まだ本性がバレて捨てられたわけじゃないだろう。元気出せよ」

「人聞きの悪いことを言うな」

 カナメはそんな人間ではない。


 はっきり否定すれば、ドアに寄りかかりこちらを伺っていたアルバートは面倒そうな顔になった。


「お前、好きな子の前でカッコつけすぎなんだよ。化けの皮はいつか絶対剥がれるもんだ」

「……彼女はなにか言っていたか」

「いや、驚いてはいたが特には。ただ、王への謁見後も心ここに在らずという様子だったな」

「なんてことだ……」


 警戒されないよう慎重に距離を詰めていたのに、他者への雑な対応を見られていたなんて。なぜ止めなかったアルバート。八つ当たりだという自覚はあるが。


「嫌われたかもしれない……」

 優しい彼女は表立って俺を拒絶などしないだろう。ただ、心の距離は置かれるかもしれない。想像しただけで胸が痛む。

 ここのところ幸せが続いたものだから、反動が耐え難い。



 デイヴィッド・フォーサイス。聖女様の元護衛騎士にして、聖女様であるカナメ・タバタの婚約者――――に強引におさまった現近衞騎士である。





 伯爵家の次男に生まれた俺は、仲の良い両親としっかり者の兄、数年後にできた要領のいい弟と妹に囲まれて育った。

 家族に恵まれ、幼い頃はまだ平和であった。両親の容姿を継いだ子供たちが世間に出る頃になり変化は訪れる。


 見目が良く、器量も良い伯爵家嫡男の夫人の座を狙う者は多く、まだ十歳足らずの少女たちが水面下で繰り広げる蹴落とし合いにうっかり遭遇し、軽いトラウマとなった。

 さらには醜い争いが繰り広げられるのを間近で見るどころか、学園に入る頃には巻き込まれるようになった。

 優しい顔をして無害を装い近づく彼女たちは虎視眈々と兄を、ついでとばかりに俺や弟妹を狙っているのだ。中には堂々と主張する強気な者もいた。


 その頃には完全なる女性不信になっていた。貴族とはそういうものだと学ぶ頃には腹の探り合いも身についていたが、植え付けられた不信感が消えることはない。


 嫌気がさして騎士の道に進んだが、近衛以外の道を選ぶことにいい顔はされず、家や親への反抗心があったわけでもなかった。

 進んだ先も結局は貴族社会の一部であった。


 淡々と職務を熟し、重鎮の護衛を任されるようにまでなったある日のこと。聖女の召喚が成功したと吉報が駆け巡った数日後、国を巡る際の護衛に抜擢された。

 両親は栄誉だと喜んでいたがその裏で、旅を終え、王都へ戻る頃には縁談でも持ち込まれていそうだと思った。

 人付き合いに難がある息子を心配していたことは知っている。この両親ならやる。だが気づいたところでどうにかできるものではない。


 利用し利用されるのは精神がすり減る。これまで魔獣と対峙したことは何度かあるが、人間を相手にするよりよほど楽だった。


 さらに幸いなことに、聖女様の側仕えは愛想がよく気配りのできる者で固められ、その中には同期のアルバートもいた。該当しない自分は後方で支えるのみ。


 煩わしさと王都から離れられるこの旅は、慰安旅行のようにすら思えた。



 聖女様を初めて見たのは出立の朝だった。

 よろしくお願いしますと行儀良く同行者に挨拶する彼女は、異世界から来たという割にはいたって普通の少女に見えた。この国では十八で成人となるが、まだ未成年なのだろう。小柄でどこか小動物のような挙動。

 事前に情報がもたらされてはいたものの、直接関わり合いになることはないと深く知ろうとは思わなかった。世話をする者が知っていればいいことだ。目線が交わることもないまま、持ち場についた。


 王都を出て数日、使い慣れない魔法を駆使しながら魔法士の指示に従い、浄化と祈りを重ね、進んでいく。少女の感情の波は低く、淡々と仕事をこなす姿に自分が重なった。


 ふと、ある日突然異世界に呼ばれ仕事を押し付けられたにしては、あまりに人間味が薄いように感じた。諦めているというには受け答えもハッキリしている。元々の性格なのか、身の回りにはいないタイプだった。

 少々過保護気味な侍女たちを別段気にすることもなく、言われたことをひたすら片付けていく。


 魔獣の出没地は当分先であり、暇を持て余した荷物番の俺は休憩中に彼女の資料を捲っていた。適当に鞄におさまっていたそれを取り出したのはほんの気まぐれだった。


 異世界人の召喚については専門外であり詳しいことは分からないが、天涯孤独の者が条件だということは広く知られている。強制的に招くための最低限の配慮だそうだ。どちらのための配慮なんだか。

 この世界の人間であり、異世界人の犠牲によって恩恵を受けている自分に言えることなどなに一つないのだけれど。

 資料には、彼女は天涯孤独などではなく、両親を亡くしたばかりで精神面が影響されたのだろうと書かれていた。


 そうか。あの無機質さはただ、現実を受け入れられていないだけなのだ。

 壊れ物に触れるように接している周りに納得した。


 資料により成人で弟と変わらぬ歳だということには驚いたが、なにかが変わるわけでもない。順調に歩を進め、二つ目の街に着いた。


 疲れが出たのだろう、一人にしてほしいと部屋に篭った聖女様を言葉はなくとも皆心配しているのが伝わる。静観していた自分はなんとなく居心地の悪さを覚えた。

 部屋の見張りに向かえばアルバートが控えていた。交代し、ドアの横に腕を組み寄りかかる。夕食を食べたあと休まれたので、問題がなければ朝までこのままだろう。


 天気の崩れもなく、予定より早く補給地に着きそうだった。たとえ聖女様が数日休んだところで支障はない。

 周囲に気を配りながら今後の予定を考えていた時だった。


 誰かを呼ぶような小さな声が聞こえる。

 食堂になっている階下の騒がしさを切り離し、意識を集中させればすぐに、部屋の中からだと分かった。それは人の名前だったり、意味をなさない音だったりした。くぐもった声は布団越しのものだろう。


 聞かせるつもりのないものを、暴いてしまったような罪悪感。

 ドアから一歩でも距離を置けばよかったのだろうが、縫い付けられたようにその場に留まった。


 通りがかりの宿の者に、必要になるかもしれないと桶と水差しを頼んだのはいいが、渡すタイミングを計りかねていた。あれから一時間は経ったが、中からはまだ啜り泣くような声が聞こえる。


 そのうち出てくるだろうか、こちらから声をかけていいものだろうか。どちらにしろ今まで一度も会話したことのない、まともに顔を合わせてすらない人間に突然話しかけられるのだ。気まずいなんてものではないだろう。今からでも侍女に声をかけるのが無難だ。


 だが、なぜかそうしたくはなかった。彼女が泣いていたことを知られるのは憚れた。


 とはいえ、いつまでも桶を抱えたままでは悪目立ちだ。布団に篭っているだろう間にドアの内側に置いておけばいい。そう思い立ち慎重に任務を遂行した。

 ドアを開けたところでタオルを忘れていたことに気づき、部屋の中にもあるだろうが念のためとハンカチを添えておいた。これまでのどの任務よりも神経をすり減らした気がする。


 陽が上る前、見張りを交代し仮眠を取った。声は夜中には止み、ドアの前で気配を感じたが、出てくることはなかった。

 今日は休養日になるだろうかと食堂へ向かえば、予定通り出立するという。他の者に昨日のような不安は見当たらない。気もそぞろに朝食をとり、荷物を積みに行く。準備ができたところで宿の入り口に薄茶の髪が見えた。


 配置につき、いつも通りその小さな頭を目に留めていると、号令と同時に振り返った瞳とぶつかった。思わず目を見張り、すぐに伏せたが、離れていても分かるほどに揺らぐことのない強い瞳だった。

 たった一晩でなにを思ったのだろう。

 その朝から彼女は日に日に変わっていった。



 聖女として以上のものを身につけようと必死に見えた。無理をすれば周りが止めるが、許容範囲内でうまく留めるものだから止めるに止められない。

 真面目でゆっくりながらなんでも吸収するので、魔法士などは嬉々として教え込んでいた。そして魔法士を止める教会と護衛。いまだにその風潮はある。


 問題は、魔法と旅に慣れてきた頃に起こった。周りが思う以上に彼女は行動的だった。

 最初の淡々と仕事をこなしていた姿が別人のようで、これが本来の彼女なのだろうと皆が理解し安堵していても、もう少し大人しくしてくれと嗜められる姿が度々見られた。一定の距離を保っていた自分すら、思わず口を挟んでしまったほどだ。


 時折、視線を感じることがあった。それは決まって、なにかを決めかねている時だったり、不安を抱えている時。理由は分からないままだったが、彼女の心の一部に自分がいると思うと込み上げる感情で落ち着かなくなった。

 一度だけ、目線をぶつけてみようとしたらなぜかこちらに向けて祈る姿が目に入り、深く考えることをやめた。


 いつしかその瞳に一切の欲は含まれていないことが、安堵するどころか不満にすら思えた。


 ちなみにあの晩のハンカチだが、立ち寄った宿で手ずから洗い、覚えたての魔法で乾かし丁寧に皺を伸ばし、洗濯済みの荷物へ重ねたのを見た時には心臓が変に脈打った。回収したそれを使うことは今後ないだろう。



 道中で知った彼女の魅力は積み重なるばかりだが、なによりもその心根の優しさだ。

 彼女は聖女様だが完璧ではないことも理解している。それでも、醜いものに触れてきた自分にはあまりに綺麗で眩しかった。


 旅を終える頃には積りに積もった恋情でうっかり想いを告げてしまいそうになった。気づいたアルバートがしっかりと護衛の任を果たして阻まれたが、あの時は本当に助かった。可能性などないまま突っ込んで終わるところだった。


 王都へ戻ると事後処理で慌ただしく、聖女様に再び会うこともないまま近衛へ異動になった。

 数ヶ月ぶりの実家に帰れば案の定整えられていた縁談に、相手方の令嬢と抵抗できないかと画策していた時だった。王により聖女様との縁談を持ちかけられたのは。


 謁見の間で告げられたのは、彼女が自分を指名しているということ。

 詳しく聞けば友人との些細な会話の中で名が出たに過ぎず、自分はそれが恋慕ではないと知っている。だが、王は打診するほどの認識だ。きっと彼女の淡い恋心だとでも思っているのだろう。

 この機を逃す手はない。高速で考えを巡らせた。


 自分も聖女様を密かにお慕いしているが、他の縁談がまとまりそうな身であること。相手方にはすでに恋人がおり、彼らの縁談をまとめていただければ自分は喜んでこの話を受け、想い人に婚約の申し込みをするでしょう。


 かくして俺の希望はすんなり通った。

 その日のうちに両家に話がいき、彼女とは翌日顔合わせとなった。翌朝急遽、遠方へ旅立った王には薄々、聖女様から抗議が入ると気づかれていたのだろう。だがまさか、完全なるこちらの片思いとは思うまい。

 この日俺は王族を欺いた。罪の意識は低い。


 権力や富や名誉に執着がないことは旅の中でよく知っていた。そんな聖女様を上層部が扱いかねていることも。

 囲い込みが嫌で国を出たいのならついて行く。責任はとる。ただし俺には囲い込まれてほしい。

 そう決意して顔合わせに向かった先で、まさか平伏されるとは思わなかった。





「彼女の罪悪感を利用したことは否定しない」

「拗らせすぎじゃないか……」


 あの時お前の告白を止めずに玉砕させておけばよかったかもしれん、なんて言われるが、はたして簡単に諦めただろうか。自分でも分からない。


 そもそも、アルバートはいまだに聖女様の護衛騎士におさまっているが、こちらは会える機会など皆無なんだ。必死にもなる。

「護衛対象を交換してくれ」

「無理だ。聖女様にとって危険人物を側に置けないしその権限は俺にはない」

 否定できない。


「しかしなぁ、聖女様もよく分からん。国を回ってる時からよくお前を見てたのは気づいていたんだが、今回の話には困惑が大きかったようだし……単に顔が好きなだけか?たまに祈りを捧げるような素振りを見せていたからまさかお前、信仰の対象に」

「やめてくれ」

 それは考えたくなかった。

 こちらの無事を祈ってくれていただけかもしれないだろう、決めつけるな。


「聖女様がこの外見を好きなら最大限利用してやる」

「かつて魔法で顔の造形を変えようと研究してた人間の言葉とは思えん」

「災いの元でしかなかったからな」

 両親譲りの容姿が誇らしかったのは幼少期までだ。以後は煩わしさしか感じなかった。だが彼女が気に入っているというなら利用しない手はない。

「容姿一つで落ちてくれたら楽なんだが」

「そんな相手なら惚れてないだろ」

「違いない」


 女性への世辞も相手の気持ちを乞うことも、自分には無縁だった。社交辞令で口にするのも苦々しく思っていたものが、彼女を前にすると伝え足りないとばかりに出てくる。

 本心とはいえ、慣れない台詞に多少の覚束なさは自覚しているが、気づかれてはいないだろう。


 こちらの言動に度々小さく肩を揺らす姿を思い出して癒されていると、そんなことより本性がバレた心配をしろと言われ、逃避していた現実が戻ってきた。


「もし婚約が破談になったりそれが原因で聖女様が国に愛想を尽かすことになれば、デイヴにも責は向くぞ」

「どうでもいいな」

「おっ前……」

「彼女がどんな人間かはアルバートもよく知っているだろう」

 相手を見限る前にまず自分を犠牲にする。俺はそんな彼女の良心を利用した。


「まぁ、自分のために誰かを悪人にすることはないな」

「だろう」

「なんで自慢げなんだ……それより、聖女様は婚約解消後にお前の縁談までお世話する気だって知ってるか?」

「は!?」

 侍女に聞いた。侍女とはたしか、友人でもあるという男爵令嬢か。

「なぜそんな話に」

「彼女の良心を利用した罰だ。自業自得だろ」



「誤解が深まる前にさっさと観念した方がいいぞ」

 意図して作り上げた誤解しかない関係など、どうすればいい。

 俺は再度頭を抱えた。

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