第6話 自覚

 習った魔法の中に姿隠しというものがある。うっかり活用して危機に面し、優しい人たちにしこたま怒られた少々苦い思い出のある魔法だ。

 国王様が私の国外逃亡を心配する一番の要因でもある。


 当初、魔法士は軽い気持ちで教えてくれたのだろう。なぜなら彼らにこの魔法は通用しないからだ。

 だが私は異世界産の聖女様。規格外の魔力で彼らにすら気付かれない魔法を習得してしまった。透明人間ここに現る、である。祖母の声で再生された。

 気苦労を増やしてしまい申し訳なかったが、切り札がある安心感は大切だ。


 なぜそんな話をするかというと、ここ数日それが大活躍だったからだ。


 フォ……デイヴ様の新たな一面を知ってしまった私が真っ先に思い至ったのは、国王様による美形青年を使った籠絡作戦だ。ハニートラップともいう。私にだけ優しい理由に納得がいく。

 だが面会時に何度も、かの青年に無理強いをしたのではないかと詰め寄った際、硬く否定した国王様が嘘をついているとは思えなかった。

 そして、デイヴ様の様子からも無理をしているようには感じなかった。聖女様に媚びへつらうにはあまりに自然だった。すべて演技だったなら彼は大俳優になれる。


 百聞は一見にしかず。直接観察することにした。姿隠しを駆使して。


 プライベート空間は除き、仕事中や休憩中の彼を数日かけて追った。

 もちろん私にも予定はあるのでわずかな時間だが、事情を説明したエリーにアリバイ工作を頼んだら興奮しながら引き受けてくれた。

 そうして見えてきた彼は、噂通りの人物像であった。

 表情が乏しいというより無。嫌悪の表情は誰よりも雄弁。姿を隠した私にすら近づくなオーラが感じ取れるほどだった。

 双子の兄弟はいなかったはずだが、自分の知る彼とはあまりにかけ離れている。やはり二面性がおありになった。

 ハニートラップを再度疑った。


 相変わらず毎日のお迎えに来てくれる。ただ、最近は少し口数が減り、元気がないように見えた。演技疲れか……。

 心配のあまりこちらから話を振る回数が増えた。すると嬉しそうに返してくるものだから、ますます混乱を極めた。


 エリーは「カナメのことが好きで取り繕ってるんでしょうね」としか言わない。

 取り繕うというレベルだろうか。二重人格……?


 繰り返すが、体育会系の環境で育った。深く長く考えることは少々苦手だった。だから直接聞いてしまったのだ。

 私といることに無理はしてませんか、と。


 本当は遠回しに尋ねるつもりだったが、定期のお茶会で席に着き、わずかに零したため息を拾ってしまったら咄嗟に口にしていた。


 目を見開いて固まってしまった。私も釣られて固まってしまった。

 気まずいなんてものじゃない。時間を巻き戻せたらあんなことは――――いや、やっぱり言うかな。


 たっぷり時間をかけ、長いため息をついた彼は肩の力を抜いた。片手で口元を覆い、伏せた目を逸らす。

 これだけの動作でも麗しさがビシバシ伝わってくる。つい拝みそうになった手を固く腿に押しつけた。


「……アルバートに、他の者への対応を見られていたと聞いた」

 護衛の名が出た。

 私が知ってはならない一面だったのか。実は今まで無理してたんだと告白されるのだろうか。まだご令嬢を見つけられていないが、早く解放した方が……

「失望しただろうか」

 うん?


 身勝手で不躾な自分に失望しただろうかと繰り返される。

 凛とした佇まいはそのままなのに、なぜか親戚宅の叱られたときの大型犬を思い出した。か、かわい……頬の内側を噛み締めて耐える。


「私が言いたいのは、あれが素であるなら、自分といる時も無理はしなくていいということです」

 もちろんすぐの婚約解消でも構わない。

「無理はしていない。むしろ他の者と接する時の方が無理をしている。ああ、そちらはわざと遠ざけているのではなく、苦痛だから無理という意味だ」


 誤解する間もなく一息で言い切られた。つまり、私といるのは苦ではないと言いたいのだろうか。

 家族や親しい友人に対しては私への態度に近いというのだから、別人格というわけでもなかった。

 そこまで他人を嫌悪する原因が少々気になるが、軽率に踏み込んでいい話題ではないだろう。

 もしかして魔力にも相性があったりするんだろうか、とふと零した。


「カナメは悪意もそれと気付かず受け取るくせに、好意は真っ直ぐ受け取ってくれないな」

 くせにとか言われた。

 この顔は知っている、拗ねている時のそれだ。ギャップで攻め立てないでほしい、簡単に落ちてしまうので。


 悪意というのに覚えはないが、なるほど、彼は私に好意的であるのか。二重人格ではなく特別扱いだった。

 聖女様は敬われ慕われる。でも彼個人に言われたことに喉の奥がキュッとした。


「短い期間で簡単に信用が得られるとは思っていない。だが、あなたを慕う気持ちだけは疑わないでほしい」


 救国の聖女様である私には、少々難しい。しかし頬が染まらないようにするのも難しかった。





 最近の元気のなさがなかったかのように、たくさん話をしてくれた。

 兄弟の話題になり、跡目争いなどとは無縁の家族仲が良いことを知る。私は一人っ子だったので兄弟喧嘩すら羨ましい。親戚にはよく構ってもらったが、近い年頃の子供はいなかった。

 結婚すれば兄弟が三人もできるそうです。あっハイ。流れるように爆弾をぶっ込んできますね……。


 正直、こちらを尊重してくれる青年とは、愛情さえ求めなければ上手くやっていけそうだと思う。が、それを伝える日は来ないだろう。


 護衛を引き連れ王城の入り口まで見送る途中、食べたいものはないかと聞かれた。

 聖女様の物欲のなさを聞き及んでいるのか、彼の手土産はいつも王都のお菓子だった。毎回エリーと共に美味しくいただいているが、リクエストを求められたのはこれが初めてである。以前もらった焼き菓子がお気に入りだと伝えた。


 私も彼になにかお返しをした方がいいだろうか。

 浮かんだ疑問に集中していたら中程で階段を踏み外した。大きく傾いた体を、咄嗟に掴んだ手すりを軸に勢いよく起こす。セーフ。

 顔を巡らせると隣で受け入れる姿勢の青年がポカンとしていた。口が無防備に開いているのは貴重だ。

 こちらに手を伸ばしていたらしい後ろの護衛も、私が勢いよく体を戻したせいでホールドアップになっていた。

 アウトだった。ここは大人しく助けてもらう場面だったのだ。


 旅の途中であまりにウロチョロするため、守られることに慣れてくれと言われたのを思い出す。月日が経っても守りがいのない聖女様で大変申し訳ない……。

 デイヴ様は視線を顔ごと逸らして肩を震わせているし、護衛からは不自然な咳払いが聞こえる。いっそはっきり笑ってくれないか。


「お手を」

 彼にしては珍しい、傍目に分かる笑顔で腕を差し出された。さすがにときめけなかった。





「今度はパーメリンのミートパイが食べたいわ」

「エリー……自分の恋人に頼もうか」

 手土産にいただいたパウンドケーキを広げて二人でお茶を楽しんでいたところ、催促された。


 先日、想いを寄せていた商家の嫡男に告白されたエリーはますます可愛らしさに磨きがかかっている。彼からの贈り物だと嬉しそうに見せてくれたバレッタは、恋する乙女の艶めく髪を今日も彩っていた。

 そうだ、贈り物といえば。


「デイヴ様へのお礼の品?男性にはカフスとか万年筆……小物類が主流よ」

 できれば形に残るものは避けて消耗品がいい。かといって食べ物を返すのも芸がないし、お酒もどれほど飲めるのか分からない。花束はとんでもなく似合うと思うが、男の人にあげるにはこの世界的にどうだろう、おかしくはないが一般的ではないそうだ。

 うんうん二人で悩んでいるとふと閃く。確か、私の専属護衛は彼と交流があるようだったと。


「あいつは聖女様がくれるもんならなんでも喜びますよ」


 聖女様と侍女のお茶会に引きずり込まれた護衛のアルバートさんは全然あてにならない助言をくれた。

 エリーまで「ですよね~」なんて笑っている。困った。


「お酒はどのくらい飲まれますか?」

「そうだな……外じゃなにが入っているか分からんと控えてるが、部屋で飲んだ時に酔ったところは見たことがない。強い方だと思うぞ」

 なにが入っているか分からない。なにそれ怖い。

 生暖かい目を向けられながら、とりあえず好きな銘柄を教えてもらった。メモしてる間にもニヤニヤした視線が二方向から突き刺さる。自室なのに居心地が悪すぎる。


「いやぁ、あいつもやっと報われそうで安心しました」

「やっと?」

 しまった、と言うように口をつぐんだアルバートさんを、詳しく吐きなさいよとエリーが追い詰めている。

 屈強な男性に迫る美少女の図はなかなかいいものであった。

「ああ~……っと、その、気持ちを聞いたりはしませんでしたか?」

「慕ってくださっていると」

「そりゃよかった。他には?」

 とくには、と返せば何事か呟いてまた黙り込んでしまった。二人の様子からてっきりもう、とはなんのことだろう。


 横からの美少女の圧をものともせず(大男を威圧するエリーも可愛かった)、しばらくして口を開いた彼は、本人の口から出ていないことは言えないが、と前置きした。


「俺はあいつとは腐れ縁なんで、これまでの苦労も知ってるからまぁ、このまま幸せになってほしいんですよ」



 聖女様と、というよりも。

 なんだか、それではまるで、私となら幸せになれると言われているようではないか。



 顔に熱が集中するのが分かって咄嗟に俯いた。

 先程のように揶揄うような視線は感じないが、やはり居心地は悪いままだった。


 好きになりたくないなんて思った時にはもう、大体恋に落ちているものだ。

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