第4話 表裏

 部屋まで送り届けてくれたフォーサイス様にお礼を告げ、扉の前で別れた。いつもの護衛が控えていたので彼と共に見送る。

 背筋の伸びた後ろ姿も美しいが、美人の隣に立つのは少々気疲れするので遠くから眺めるだけで満足だ。


 部屋に戻った途端、なぜお茶に誘わなかったのかとエリーに怒られた。明らかにお仕事中の彼を誘うなんてできないが、それも婚約者の仕事のうちなのだと言われれば納得した。王命とはそういうものなのか。

 そう考えると、今後も会うであろう婚約者様に対する罪悪感は幾分か和らいだ。彼の仕事に組み込まれているのなら問題ないだろう。私にできることは婚約解消後のフォローと彼の縁組だ。


「エリー、年頃のご令嬢でフォーサイス様のお相手になりそうな人はいる?」


 この国の貴族事情は多少学んでいるが、所詮付け焼き刃の浅い知識しかない。この道のプロに教えを乞うのが一番だ。

 エリーの用意してくれたお茶菓子を二人でつまみながら尋ねれば、彼女は可愛らしい顔を盛大に顰めた。


「本気で断るつもり? そんなにフォーサイス様では駄目なの?」

 名前を上げておいて断る自分の身勝手さは重々承知している。


「私じゃあんなに素敵な人の奥さんは務まらないよ」

「カナメの自信のなさってどこからくるのかしら」

 こんなに愛らしくて性格もいいのに、異世界人特有の価値観? だなんて持ち上げられて、エリーの友人贔屓がすごい。私は身の丈をよく知っているだけだ。


「もう少し、相手を知ってからでもいいんじゃない?」

 たしかに、婚約者になりたてで他のご令嬢を勧めたりすれば失礼に当たるかもしれない。けして軽んじているわけではないけれど、客観的にはそうは見えないだろう。


「ご令嬢は私が探っておくから、カナメはとりあえずフォーサイス様のことを知った方がいいわね。まさか本当に顔と愛称しか知らなかっただなんて」

 面目ない。

「婚約者は無理でも、私の他に友人ができるかもしれないわよ」

 それはいい考えだと目を輝かせたら、カナメの一番は私だからねと主張された。私の友人は今日も可愛い。





 次の日も、そのまた次の日も、教会や魔法師団を訪れた私を彼は迎えに来た。なんだかんだ、再会したその日から毎日顔を合わせている。


 相変わらず愛想はないが、会話中にまとう空気は柔らかい。遠目では分からなかったことだ。あの迫力ある微笑みも幻だったのかと疑うほど。あと肌艶がとてもいい。


 並んで歩きながら覗き見ていたら薄い口元に目が止まり、そういえば、私は彼にもお小言をもらったことがあったのを思い出す。

 あの時はもっと厳しい人なのかと思っていた。


「どうかしたか」

 盗み見がばれた。いや、まだ誤魔化しはきく。

「毎日来てくださってますが、お仕事に支障はないでしょうか」

 さも気にしてました風を装う。私は女優、私は女優。聖女様を勤め上げたのだからこのくらいの演技はお手の物だ。ただし優秀な侍女兼友人には通用しない。


 彼が宰相閣下の護衛に当たっていることはエリーから聞いている。私が帰宅する時間に合わせて調整していることも。

「問題ない」

「それなら良かったです」

 過度の遠慮は失礼に当たると学んだ。

「私があなたに会いたくて来ている」

 しかし甘い言葉の躱し方など知らない。


 なんて恐ろしい攻撃呪文だ。歩調が乱れ石畳に躓きそうになる。すかさず支えようと反応した隣の腕を見なかったことにして、しっかり地面を踏みしめる。


 今、息をするように口説いてきたぞ。こんな相手と友人になれるのだろうか。戦々恐々とする私などお構いなしに青年は続ける。

「次回の約束はしたが、それまで待てそうになかった」

 ひええ。

「ご……ご無理はなさらず……」


 現実味がない。生まれてこの方男の人に口説かれたことなどない。

 何組の誰それがお前のこと好きなんだってー! ばっかちげぇよ! という間接的な告白からの全否定とは雲泥の差だ。真っ直ぐすぎて好意しか感じ取れない。

 私は重宝される聖女様、私は大人気の聖女様、と自分に言い聞かせる。よし。


「迷惑だろうか」

 あー! 騎士様! 困ります! 眉を下げたその顔で! あっあー! 困ります騎士様!


「とんっでもないです」

 まともな返答すらできなくなるので効果抜群すぎるその顔は控えてほしい。とんでもないですってなんだ。おまけに勢いがつきすぎた。


 表情の変化に乏しいという青年への認識はここ数日で改めた。コロコロと変わるわけではない、ごく僅かな変化だが、向き合ってみるとはっきりと分かる。彼は結構表情が豊かだ。

 今も私の返事に目元が和らいだのを直視してしまった。心臓へのダイレクトアタックは勘弁願いたい。





「心臓麻痺でコロッといってしまいそう」


 不謹慎な言葉に眉を顰めるでもなく、私の髪をまとめながら侍女は言う。

「フォーサイス様に惚れた? よかったじゃない!」

 微塵もよくないしまだ惚れてはいない。はずだ。そう遠くないうちに絆されそうな予感はヒシヒシと感じる。


 美しさに人間味が加わった時の破壊力は凄まじく、神々しさに拝んでいたあの頃の自分は遠い過去のよう。うっかり好きになったら目も当てられない。婚約破棄後に好きな人と他の女性との縁を結ばなきゃならないとは、この世の地獄だ。


「こっちも惚れさせたらいいのよ」

 万事解決とばかりに勧めてくるが、そんなの元の世界に戻るくらい不可能なことでは?


 聖女様が大事にされるのは分かる。それ以外は目立った特技もない、ただの小娘だ。卑屈にならないようやんわりと伝えれば、なるほど、と頷かれた。


「聖女だからあなたと出会えたけれど、聖女じゃなくてもあなたが好きよ」

「エリーと結婚したい」

「私はダニエルと結婚する予定だから無理ね」


 いい笑顔でお断りされてしまった。告白していないのにすごい自信だ。でも、溢れんばかりのこの笑顔なら商家の嫡男もあっという間に手玉に取れそう。なんせ私の友人は同性から見ても魅力的だ。

 滲んだ涙はフラれた悲しみということにした。





 カナメは可愛いのだから自信を持ってほしい。そう送り出してくれた侍女が丹精込めて着飾ってくれたが、婚約者様と会うのは前回と同じ応接室だ。


 いつもよりしっかり施された化粧と華やかなお洒落着が浮かないか心配していたら、会うなりベタ褒めされた。自分のために着飾ってくれて嬉しいだなんてイタリア人かな。少し照れたように言うものだからタチが悪い。どちらかと言うとこの国の人々は北欧寄りの人種と生活様式だと思っていたのだが。


 薄々気づいていたが、彼は女性を褒めるのがあまりに上手である。

 言語は来た当初から不思議と理解できていたが、コミュニケーションに難を見つけた。歴史の授業と合わせて世辞への返答も習わねばなるまい。


 前回のように床に平伏すこともなく、穏やかに席に着く。

 今日の給仕はエリーが来る前までお世話になっていたベテランの侍女だ。今でも慣れない王城でのマナー講師をお願いしているので、生徒の気分で気を引き締める。

 お茶を一口飲んだところで、真剣な顔つきで切り出した青年につられてさらに背筋が伸びた。


「もうすぐ一週間が経つが」


 そうだ。国王様がやっと視察から戻ってくる。状況は変えられずとも抗議と助力をお願いせねばならない。面会の希望は早々に出してある。

 もちろん分かっておりますとばかりに神妙に頷く。


「まだ少しも気を許してもらえないのだろうか」

 全然違う内容だった。

 え? そんなに神妙な顔で繰り出す話題だった?


「カナメは気安く接してくれとこちらに言うが、自分は距離を置いているではないか」

 美人に苦言を呈され全面降伏したい気持ちになる。気安く接してほしいとは、国を巡っていた時の発言だろうか。この人受け入れてくれてたんだな、優しい……。


 思い返せば、彼には最初から堅苦しい言葉遣いや仰々しい態度を取られたことはなかった。その上この、まるで拗ねているような物言い。

 え、拗ねているような……?


 目上の方は敬う年功序列の染み渡った環境(出身世界ではそれを体育会系という)で育ったものだから、年上相手に敬語を外すのはすぐには難しいと言えば、それでも他の者に比べたら堅苦しいと重ねられた。ちょっと不機嫌そうに寄った眉とバツが悪そうに伏せられた目元を見て、転げ回りたい衝動に駆られる。

 年上の美人が拗ねている。奇声を上げそうになった。


 迷惑をかけたのだから失礼のないようにと気を張っていたのは確かだ。そうだよね、自分ばかりが相手に求めている方が失礼よね……。

 堅苦しくならないよう言葉を選び謝罪して、避けていた愛称を呼べば、嬉しさの滲む目が撓んだ。ギエエエ。

 心の中の奇声なので許されるだろう。



 彼はあまりに誠実だった。突然身柄を所望した聖女相手にも関わらず、心を砕き関係を築こうとする。愛国心も忠誠心も兼ね備えた実力のある騎士様。優良物件にもほどがある。そんな彼が今まで独身でいたことが信じられない。

 王国の貴族の婚約は十代が主流だ。家同士の縁談がまとまるはずだった先日まで、なぜフリーでいられたのだろう。ご家庭の事情か、なにか表に出せない理由でも? と不思議だった。

 それはまもなく判明した。





 国王様が帰城し、取り付けた面会時間に間に合うよう余裕を持って城内を移動していた時だった。

 宰相閣下に付き従う彼が、他の騎士と交代して離れていくところに遭遇した。


 これから休憩だろうか、こちらに気づいていないようだが、挨拶くらいはするべきか。

 迷っているうちに他の人物が彼に声をかけていた。視界に入る華やかなドレスはお貴族様のそれだ。妙齢の女性と、年配のふくよかな男性。知り合いとの世間話ならばこのまま立ち去ろうと、青年へ顔を向けて――――二度見どころか三度見、四度見した。


 口元は硬く引き結ばれ、眉を深く顰めている。そんな不機嫌丸出しの顔など見たことがなく、表情筋をここまで動かせたのかと驚きしかない。

 内容までは分からないが、私の知るものより低く硬い声が聞こえた。二、三何かを口にして、踵を返した彼は元来た道へと進んでゆく。まだ何か話しかけたそうな二人を残して。


 最初から最後まで全身で相手を拒絶するその姿は、硬質なガラスそのものだった。


 去っていく背が見えなくなるまで見送ってしまった。私に合わせて立ち止まった護衛騎士も、ピクリとも動かない。

 仕事中は無駄話をしない護衛だが、そこそこ親しい仲である。斜め後ろに控える彼に今見たものは私の知る人物かと確認してしまった。

 なぜか気まずそうに肯定された。


 その後の国王様との面会は上の空だった。あまりに早い手回しに文句は言ったが、婚約解消やその後の助力の話はすっかり抜けてしまい、とりあえず婚約期間は様子見ということにまとまっていた。

 身の入らない私を見て、強引なことをして国を見限ってしまわないかと国王様がハラハラしていた事にも気づかないまま。


 部屋に戻ってエリーに見たままを報告すると、なぜか納得のいった表情をした。いわく、社交界での噂通りなのだと。


「反りの合わない相手に会ったから不機嫌だったんじゃなくて?」

「誰に対しても無愛想の鉄仮面で、ご令嬢に対してはとくに壁を作っているそうよ」

 女性がというより人間嫌いに近く、幸い伯爵家の跡取りが上にいたため、騎士団に所属後もこの歳まで婚約者がいなかった。だから顔合わせの時に先行イメージと重ならずに噂の信憑性を疑ったそうだ。


 つまりはどういうことだ。心根が優しいと思っていた青年が、他者に取り繕わないほどの人間嫌い?

 では私への態度は。まさか聖女様は人間ではないという認識……これはないな。多分。


 今まで国のためだと心底無理をさせていたのだろうか。そうは見えなかったけれど、否定できるほど彼を知らない。私に見せる顔も本物であるなら、その理由も浮かばない。


 彼のことを少し理解できるようになってきたと思っていたが、まったく分からなくなってしまった。

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