第3話 浄化の旅
「エリーのばかばか! 裏切り者! ひどい!」
フォーサイス様と別れ、自室へ戻った私は速攻でエリーを詰った。半泣きの語彙力小学生はきょとんとした彼女になんのダメージも与えられていない。
「好きな人と結婚できるなら嬉しくない?」
お互い好きな人との結婚ならね! そんな相手いたことないけど多分ね!
寝耳に水の婚約者よりなにより、私がショックを受けているのは友情が裏切られたことだ。彼女には王国からの必要以上の援助には困っていることまで相談していたのに。
まさか友達だというのも演技だったのだろうか。人間不信になりそう。
「信じてたのに……」
本格的にベソをかき出した私に、エリーの顔が悲しげに曇る。なぜあなたがそんな顔をするのか。
「私だってカナメを困らせたかったわけじゃないわ。ただ……」
可憐な女の子の悲しそうな顔はそれだけで庇護欲を引き立てられる。
そう、エリーはとても可愛い。
編み込まれたブロンドの艶めく髪に、輝くサファイヤの大きな瞳、垂れがちな目元もふっくらした唇も彼女の可憐さを最大限に引き立てている。
少々気が強くお転婆で、表情豊かなところなど百点満点どころか一兆点だ。眺めているだけで幸せになれる。
そんな彼女が悲しんでいるのだ。責めている張本人である私は速攻で発言を撤回しそうになった。
危ない。私はまだ許していなんだぞ。
「カナメがこの国の人と結婚したら、同じ王国民としてずっと一緒にいられるでしょ? お互い家庭を持っても、友達としていつでも会える距離でしょ?」
許す。
「私はこんな性格だから、平民の友達はいてもやっぱり壁はあるし、貴族社会でははみ出し者だった話はしたと思うんだけど。カナメみたいに仲良くしてくれる人、初めてだったの。どうしても離れたくなかった。今まで上には当たり障りのない報告しかしてなかったけど、カナメに気になる人がいるって知ったらもう、これはチャンスだなって思っちゃって…」
国王様に報告し、この一連の流れなわけですね。叱られた子供のような顔でごめんねと言われたらもう、いいよぉと言うしかない。
こんなに可愛い子に大切にされていた事実が発覚し、悲しみから一転、胸に広がるのは感動と喜びだ。
「そうだったんだ……あの、エリーの気持ちも聞かずにひどいこと言っちゃってごめんね。せっかくできた友達も国王様の差金や演技だったのかと思ったら悲しくなって……許してくれる?」
「カナメのひどいことなんて悪態ですらないから大丈夫よ! 私こそ、困らせてしまってごめんなさい」
バッサリしてるところも彼女の魅力だ。やっぱり可愛い子には笑顔の方が似合う。
うふふえへへと二人で照れ笑いをしていると、エリーがふと何かに気がついた。
「フォーサイス様のこと好みって言ってたのに、どうして嬉しそうじゃなかったの?」
心底不思議だと言わんばかりのエリーはやはりこの王国のお貴族様なのだ。
でもエリーだって好きな人いるって言ってたじゃん。平民相手で恋愛結婚狙ってるじゃん。私だってするなら恋愛結婚がいい。
「見ていて癒される意味での好みなの。異性として好きかと聞かれると……そこまであの人のことを知っているわけではないし」
ただ、今回のことは私にも原因があるんだろう。エリーの好きな人の話をしている時に名前を出してしまったのは良くなかった。あれでは恋愛対象として好んでいると言っているようなものだ。改めてエリーに謝る。
「そっか。じゃあ仕方ないか。でもフォーサイス様も満更でもなさそうだったけど」
初めて、エリーのその愛らしい目は節穴かな?と疑いの眼差しを向けてしまった。
「いやいや、あり得ないよ」
あの美形青年がこの平々凡々ちんちくりんに惹かれる要素は見当たらない。唯一の魅力は聖女の力くらいだろう。
「私もフォーサイス様のことは社交界の噂程度でしか知らないけれど、印象が全然違ったというか……まぁあくまで噂だものね」
一人で納得してしまったエリーが、気になる?と笑顔を向けてくる。小悪魔っぽいそれも良いな。好き。
「カナメって面食いだよね」
「えっ」
「私の顔好きでしょ。フォーサイス様のこともしっかり見てたし」
「えっ」
「自惚れるわけじゃないのよ。ただ、カナメって出会った時からしっかり目を合わせてじっと見てくるじゃない?最初は顔色を窺われてるのかなって思ったけど、こっちが表情を変えるたびになんだか嬉しそうにするし……長いこと一緒に過ごせば好かれてるんだろうなって気づくわ」
照れ臭そうに言われたが私の方が恥ずかしい。不躾に見てごめんなさい。
「いいのよ、私もそんなカナメを見るのは楽しいし。裏表のない好意を向けられるのは嬉しいから」
もちろん、好かれてるのは顔だけじゃないって分かっていると言われてしまえば火照った頬は戻りそうもない。
こんなに理解して心を許してくれる友人は得難いものではなかろうか。このまま家庭を築き根付いてもいいかもしれないな、なんて絆されそうになる。相手はかの青年とはいかないけれど。
浄化という聖女の役目を終えた後も、タダ飯食らいにはなりたくない。与えられた王城の一室で王国や世界の常識を学びつつ、魔法の研究に日々協力している。
なので私の日常といえば、国教会や王国魔法師団と関わることが多い。
国教会は王国各地に点在し、祈りを捧げるだけではなく、国民の声を聞き届け生活を支える役目を担っている。
私が召喚された時に宥めてくれたおば様方は大半がこちらに所属しており、今でも日々の小さな愚痴や出来事を聞いてくれているので、すっかり甘やかされている。
与えられるのも素朴なお菓子が多いので、遠慮なくいただける数少ないご好意だ。もちろん私もお土産を持参して困りごとはないかと訪ねている。断じて遊びに行っているわけではない。
併設の病院では聖女の力が特に必要なのである。平和なこのご時世、必要とされる機会はそう多くはないが。
魔法師団は幅広い年齢の魔法士が所属しているが、私が主に接するのはお偉いさんの親世代以上であるため、息子や孫をめちゃくちゃアピールされる。押し付けられるわけではない、ひたすらのアピールだ。
頷くだけでは即縁談の場を整えられてしまうので、躱したあと魔法の話題に逸らすことにすっかり慣れた。五歳に満たない息子孫を勧める人もいて、ただ自慢したいだけなのだろうが、けして油断はしない。
僅かでも求めたら与えられてしまう。聖女とはそういうものなのだ。根っからの庶民の私にはタダほど怖いものはない。
元々が魔法に夢中な人の集まりなので、魔法の話題に持っていけばあとはこちらのものだ。
私の膨大な魔力を使い放題のエネルギーとでも思っているのだろう。夢中になった彼らに様々な実験を肩代わりさせられているが、このくらい遠慮がない方が正直なところ安心する。
広々とした王城の一室を借り、侍女や護衛など、たいそうな待遇を受けていると今でも感じているので。
そんな風に日々のルーティーンが固定されてきたところの、先日の婚約騒ぎだった。
少しだけ、婚約者ができればこの面倒なアピール合戦も一掃できるかなと考えたが、彼を犠牲にするほどの問題ではない。ないというのに。
「婚約者候補のデイヴィッド・フォーサイスだ」
魔法師団で検証という名の人体実験中(笑うところ)の私を迎えに来た青年は、対応した魔法士にそう名乗ったらしい。
ひどく慌てた様子で呼び出しを受け、出入り口に向かってみれば先日会ったばかりの青年が本日も麗しい真顔で待っていた。
白を基調とした近衞の制服姿も大変お似合いで眩しい。煩悩まみれの聖女はその神々しさに浄化されそうになった。
混乱したまま魔法士たちに帰宅の挨拶をし、二人で並んで歩く。
魔法師団は王城に隣接されているため、毎回徒歩で向かうが、護衛がいたはずなのに。聞けば先ほど入口で替わってもらい、先に戻っているそうだ。そうなのね。……そうなのか?
この状況が正常なのかどうかも分からない。だが、不安なことは確認せねばならない。
婚約は公表しないのではなかったか。
聖女様の婚約者「候補」となれば、内々で確定するまで国民に詳細が流れることはないという。でも貴族や魔法師団には丸分かりですよね?とは、続いた彼の言葉で言えなかった。
「これで少しは周りが落ち着くといいが」
「……これも国王様の指示ですか?」
目元だけで笑みを見せた彼のそれは、旅の途中で一度も見たことのない表情だった。
私は本当に、この人のことを何一つ知らないんだな。
私が彼を認識したのは、浄化の旅が始まって十日は過ぎた頃のことだった。
身の回りは最低限の協会関係者と魔法士、護衛騎士でまとめられ、侍女や積荷と共に後方に控えた数名の護衛の中に彼はいた。随分とキラキラしい騎士様だな、というのが第一印象。
ここ数日は屈強で愛想の良い護衛に囲まれていたからか、表情が乏しく細身ではないが屈強とは程遠い彼がやたらとに目についた。
それまでは慣れない環境について行くのに必死だったのだ。目に入らないというより、見えていなかったのだろう。王都を出て二つ目の街で、ようやく周りを観察する余裕が生まれた。
そうしてゆっくり身の回りを確認し、自分がとても気遣われていることに気がついた。
そばに控えるのは優しそうなおば様、臆せず話しかけてくれる護衛や魔法士、常に体調を気遣う侍女。私が何を言わずとも目を向けただけですべて先回りして整えてくれていた。
今日までそれを当たり前のように享受するばかりだったが、異世界から来たよく分からぬ人間に対して、少々無防備ではないのか。待遇が良すぎるのではないか。
彼らにだってこの世界に家族や大事な人がいるだろうに、得体の知れない私に付き従い、いつ帰れるとも知らない旅に出ている。
それとなく、近くにいた母くらいの年齢であろうおば様に家族の話を振ってみると、私から聖女に関すること以外で尋ねられたのがよほど意外だったのだろう。驚いたあと、私より少し上の歳の息子がいるのだと嬉しそうに笑った。それから、あまりに慈愛に満ちた目を向けられた。息子を重ねていたのかもしれない。
母を、父を思い出した。
慣れない環境だからと、きっと不安を吐露したらこの人たちは変わらず心を砕いてくれるのだろう。大切な人を守るために私に付き従い、旅をしているのだ。
今日までの自分はただ言われるがままに動いていた。私は勝手にこの世界に連れてこられたのだから、言われたことさえ守れば文句などないだろうと思っていた。
あまりの恥ずかしさに居ても立っても居られなくなった。宿屋の自室に一人篭り、声を立てずにひっそり泣いた。
両親が恋しく、元の世界にも帰れず、行きようのない心細さに苛まれた。それはこの世界の人々の優しさを感じるたびに深まるだろう。
いっそ道具のように扱われたら怒りで我を保てたのかもしれない。
郷愁の念はどうにもならない絶望感を与えてくれた。
夜中、泣き疲れて喉が渇き、顔を洗うついでに飲み水をもらおうと包まっていた布団から出ると、ドアの内側に水差しと桶に張られた水に浸された綺麗なハンカチがあった。
まったく気づかなかったが誰かが置いてくれたのだろう。落ち着いた頬が少し熱をもったが、ありがたく使わせてもらった。
翌朝、侍女にお礼を伝えると、自分ではないと言われた。おば様や護衛、魔法士も特に変わった様子はなく、赤みの引いた目元は心配されることもなかったので、見て見ぬ振りをしてくれているのだと思うことにした。
ふと、出立の号令に振り返るとあのキラキラの騎士と目が合った。
私が後方を見るとは思わなかったのだろう、距離があり定かではないが、目を見張ったように見えた。すぐに伏せられたため表情は伺えなかったけれど、差し込む朝日を浴びる彼に神々しさを感じ、思わず拝んでしまった。宗教画のようだ。
清廉な気持ちで前を向く。
頑張れそうな気がした。
その日から、私は積極的に学ぶことにした。自分の役割以外のことも、周りの人々のことも。
この世界を愛せたら、私の心は救われるのかもしれない。
そう意気込んだものの、一朝一夕で身につくものでもなく、あわや大惨事かというトラブルに見舞われたり、あまりにフットワークが軽すぎるために増えたお小言すらニコニコと受け入れるものだから、主に頭の疲労を心配されたり、たくさんの王国民と関わったり、思い出深い旅路だった。
足元が覚束なくなった時は彼の姿を探した。美しいものに癒される気持ちはきっと人間の本能である。
あの朝を思い出して心を保っていた。
あの時のハンカチは洗濯後に消えていたので、きっと持ち主に返ったのだろう。
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