第2話 再会

 聞けば伯爵家の出である彼は家同士の縁談がまとまる直前だったというではないか。

「他の女に取られる前でよかったね、セーフ!」なんて小声で親指を立てているエリーにはたっぷり苦情を入れたい。

 人様の人生を狂わせたのだ。なんてことをしてくれたのだこの侍女は。それを聞き入れて一瞬で囲い込んだ国王様は。なにより、あれだけ不用意な発言に気をつけていたのにぺろっと溢してしまった私は。


「エリー……今すぐ国王様に取り次いでくれる……?」

「残念ながら今朝早く領地視察へ向かわれたのでお帰りは一週間後になりますね」


 逃げられた!! さすが、王妃様に尻に敷かれようと仕事はできる国王様だ! 危機管理意識が高い!


 床に膝をつき、謝罪したままの姿勢で打ちひしがれていると、目の前に人がしゃがみ込む気配がした。顔を上げると透き通るような瞳とぶつかる。

 うわ、綺麗……。


「とりあえず、あちらに座らないか?」


 そう言ってお茶が用意されているソファを指す。

 青年の声も久しぶりに聞いた。というかしっかり聞いたことなどほとんどない。なぜなら護衛騎士とはいえ、彼とはほとんど会話したことなどないからだ。

 正直名前だってフルネームは知らない。他の騎士仲間が呼んでいたのを聞いただけで、それもおそらく愛称だろう。

 ただただアイドルに向けるような目で見ていた。そんな相手を無理矢理婚約者に……なんてことだ……。


 口元を抑え、ますます顔色の悪くなった私の背をさすって気遣ってくれる彼は神の使いだろうか。縁談をぶち壊し、物のように聖女に差し出されたというのにこの態度。人格者だ。

 そんな人を困らせ続けるわけにはいかない。この状況を早急にどうにかせねば。

 彼に支えられながら移動する私を満面の笑みで見ているエリー、後で覚えておいてほしい。


 お茶を飲み、どうにか気分を落ち着けた私は早速自己紹介をした。聖女様の元護衛騎士にはまったく必要のないやりとりだ。しかし私は名乗った。なぜなら彼のフルネームを知らない。知らないことを悟られる前に情報が欲しかった。こちらが名乗れば名乗ってくれるだろうという浅知恵だ。


「デイヴィッド・フォーサイス。二十三歳。フォーサイス伯爵家の次男で、聖女様の護衛騎士の任を解かれてからは元の配置である近衞騎士で従事している」


 あっこれは私がたいして彼を知らないことをご存知かもしれない。冷や汗が出た。

 もはや自分にできることなど早々に謝罪してお帰りいただくことだけだ。


 それにしてもつくづく綺麗な青年だと思う。

 長めの前髪を横に流した薄灰色の髪は襟足がスッキリと短く、ライトブルーの瞳は宝石のよう。顔のパーツが整っているのはもちろんだが、纏う雰囲気がガラスのような硬質さを持ちながらも、けして近寄り難いと思わない。ニコリともしないのに愛想の悪さは鼻につかない。美人の不思議。

 しかし見惚れている暇はない。


「単刀直入に申し上げますと、今回我々の婚約が整えられた件につきましてはこちらの手違いによるものです。大変申し訳ありません。謝罪して済む問題ではありませんが、上の者に誤解を説いた上で、そちらの縁談をご破算にしてしまった挽回をさせてください。国王様にすぐ話を通せない以上、現状での責任者に話を通した上でフォーサイス伯爵家へ直接謝罪に赴き、相手方との和解の場を設けていただきたく……」


 自分の言葉に胃がキリキリしてきた。泣きたい。

 これは私の我儘ではないのです私もあなたも巻き込まれた事故なのですという主張はしておかねばならない。

 少しでも真面目さを醸し出そうと堅苦しくなってしまったけれど相手は元護衛とはいえお貴族様だ。これくらいがちょうどいいだろう。


「それは困るな」


 えっ。

 思わず肩が跳ねてしまった。びくついたのがバレていませんように。


「申し訳ありません、どちらに不都合がございましたか?」

 まどろっこしい事はせずにはよ謝罪しろということなら喜んで飛んでいく。


「当家では私が聖女様に婿入りする形でまとまっているだけではなく、相手方はすでに新しい縁談を結んでいる。元に戻そうとするのは難しいだろう」


 国王様、たった一日でどこまで根回しをしているの!? これ聖女が権力を振りかざしてお気に入りの青年を横取りし囲い込んだ構図でしかないのでは!?


 泣きそうどころではない。涙が膜を張っているのが分かる。絶望した。

 あまりに悲壮な顔をしていたのか、少々慌てた様子で言葉を重ねられた。


「いや、王命では私を婚約者に、という話だけだ。その後の縁談については……元々お相手のクリスティーナ嬢には想い合う者がいて、これを機にその相手と縁談を結んだに過ぎない。家同士の力関係でどうにもできない問題が解決したのだから、当人はむしろ感謝しているだろう。早期に行動したのも横槍を入れさせないためだ」


 お相手にとっては好きな人と結ばれて良かったのかもしれないが、供物のように捧げられたこの青年は不幸でしかないのでは?

 尋ねたいことが顔に出ていたのだろう。


「我が家としても聖女様に必要とされることは誇りに思う。私でお役に立てるのなら如何様にも」


 なんという愛国心。素晴らしい騎士様だ。申し訳なさしかない。


「それとも、私では不満だろうか。実際に会って無理だと思ったのなら仕方がないが……」

「それはないです。こうしてお話しするのは確かにわずかな時間ですが、あなたはとても素敵な方だと思いますし、仕事の腕前も存じております。むしろ相手が私で申し訳ないくらいです。不満などあるわけもなく、私の軽率な発言であなたを巻き込んでしまったことがただ申し訳ないのです」


 そんな、美しいまつ毛を伏せて気落ちしたように言わないでほしい。罪悪感の膨らみが半端ない。自分は聖女ではなく悪女なのではないだろうか。

 そんな思いからつい否定に力が篭ってしまった。早口の全力否定だ。


 ほんのりと目の前の白い肌が染まり、見てはいけないものを見たようで思わず目を逸らす。

 色気がとんでもない……直視したら神経が焼き切れそう。こちらまで照れて変な汗をかいた。この短時間で背中はもうびっしゃびしゃだ。


「申し訳ないなどと、謝らないでくれ。あなたのような方に選ばれるなんて光栄だ」

 そう言うしかないよね、忠誠心に溢れた騎士様だものね。思わず卑下してしまったがために言わせてごめんなさい!


「それに、少しでも気に入る箇所があったから選ばれたのだと自負している」


 ええ、はい。火のないところに煙は立ちませんものね。とても好みの顔立ちで道中こっそり癒されていましたからね。まさかバレてはおるまいな。

 もう汗も顔の暑さも限界を超えた。恥ずかしさで人は死ねるのかもしれない。


 政略結婚が当たり前のこの国では大したことではないのかもしれない。けれど恋愛結婚が主流だった異世界の現代っ子である私は、身売りさせてしまったとしか思えないのだ。


 私自身、彼を恋愛対象として見ているわけではない。むしろ鑑賞対象だ。正直その造形美は美術品の一種なのではと思っている。お触り禁止。恐れ多いにも程がある。


 ことを荒立てずに婚約解消する手立てはないものか、そもそもどこまで話が広がっている? フォーサイス伯爵家にはすでに受け入れられてしまった。角が立たないお断り方法なんて一学生の小娘に思いつくわけがない。いっそ素性も知れぬ異世界人などと反対してくれたら良かったのに。せめて内々に済ませたい。聖女の婚約なんて国内に広まるのは一瞬だ。自分の立場の影響力などこの一年でよく知っている。知っているから気をつけていたのに!


「他に心配事でも?」

 この世界の常識を否定するわけではないけれど、こんな、気に入ったからといって相手の人生を一方的に奪うことには抵抗しかない。


 自ら望んでおきながら(望んでないけれど!)煮え切らない私の態度に苛立つでもなく、静かに尋ねられる。

 元いた世界の倫理観上、当人の意思を無視した関係を築くのは難しいと伝えれば、


「婚約期間中に気が乗らなければ破棄してもらって構わない。貴族間でも期間中に解消することはないわけではない」

 よくあるわけでもないと。


「解消によってあなたにかかる不利益は?」

「国民に公表しなければごく一部の暇人の口の端に上る程度だ。女性のように将来の心配も必要ない」


 つまり社交界の話題になり、女性ほどではないけれど今後の縁談に差し支えると。不名誉しかない!


 もはやここに呼ばれた時点で彼は被害者であり私は加害者であるのだ。状況は巻き戻せない。それならば私ができることは。


(円満な婚約解消と彼の名誉回復の手助け、新しい縁談の手配だ!)


「分かりました。ひとまず公表はしない方向で。こちらが迷惑をかけているのに気遣ってくださりありがとうございます。貴族方の婚約期間は半年と聞いておりますが……」

「我が伯爵家は三ヶ月だ」

「男爵家も短いですね、平民相手なら即日結婚もあるし」


 食い気味に前後から訂正された。なぜだ。

 貴族間の婚約は式の準備はもちろん、相性や子供ができるかの有無を確かめるための期間だと聞いたことがあるけれど、家にもよるのだろうか。まぁその辺は私たちには関係ないだろう。

 それに解消前提なら短い方がいい……のかな?詳しくは後でエリーに聞けばいいか、と思っていたら彼女の口からとんでもない言葉が飛び出した。


「では、以前から我が王よりお話のあった王都での新居ですが、フォーサイス様と共に明日から移り住むとのことでいいですか?住居も使用人も手配済みです」

「何から何までおかしい!!」


 間違えた! 心の声が出てしまった!!


「待って、全部必要ないでしょう、え? 手配済み? あれははっきり断ったよね? 嘘でしょ?」

「本当ですよ、王様は聖女様の婚約がまとまった時にでも使えばいいと仰ってました」


 囲い込み方がえげつない。王都の平民街に家を借りたいという私の意見を受け流して用意された住居が貴族のお屋敷並みなの知ってるんだからな!


 いまだに王城でお世話になっているのは、どちらも譲らないその辺りの事情のせいだ。防犯上の問題と言われたら希望を通すのは難しいと理解しているけれど、お屋敷暮らしなんてとんでもない。


 目の前にいる青年の存在も忘れて、呑気にお茶のおかわりを注ぐ彼女に縋りつく勢いで言い募る。

 エリーはもう敵だ、堂々としたスパイだ、国王様の手下だ。彼女を止めなければ言質をとったとばかりにすべて実行される。


「用意してくださった家は受け取らない。婚約中の同居も、公表するつもりはないので不要よ」

「ええ~……分かりました」

 不満たらたらの表情を隠しもしないエリー。私がそうしてくれと頼んだとはいえ、お客様の前でもその態度とは……お客様……そうだお客様がいた!


 ハッと振り返ると表情の読めない顔と鉢合わせた。とんだ失態だ。

 失礼しました、と小声になった謝罪と共に姿勢を正し、向き直る。


「同居に関しては了承した。話は我が家とクリスティーナ嬢の伯爵家で留まっている。とはいえ、王命でもあるので婚約者としての時間を設けることは許してほしい」

「こちらこそ、お願いする立場です。フォーサイス様のお時間をいただくことをお許しください」


 よかった、国王様は最低限の囲い込みで止まってくれたのか。いやいや、無理に囲い込むなって話だ。危ない絆されるところだった。


「できれば婚約も前向きに考えてくれると嬉しい」


 もう完全にお断りする私の気持ちが伝わりすぎている。重ね重ね申し訳ない。失礼千万の異世界人にもこの態度、やはり彼は人格者だ。


 とはいえ、それは難しい。私はこの好みど真ん中の青年にコロッといくかもしれないが、彼が平凡女性に惹かれることはあるまい。忠誠心の厚い彼は相手が誰であれ構わないのかもしれないけれど。虚しい結婚は嫌だなぁ…。


 次回会う約束をし、彼の職場をまた私の護衛騎士に戻したらいいのではと提案するエリーを止め、ようやく解散となる頃には激しい体力の消耗を感じていた。


 扉の前で別れの挨拶をするためフォーサイス様と呼んだところ、手を取られ、一つ分高い位置にあった顔が覗き込むように近づけられる。


「どうぞデイヴと」

 

 有無を言わせぬ声色に思わず目を見開いた。

 表情が乏しい状態よりも、初めて目にするうっすら引かれた笑みの方が迫力を感じるとはこれいかに。


 もしかして、二面性がお有りになる……? ひえ……。

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