♪ ♪

 ウタは少し悩むそぶりを見せ、言葉を選びながら言った。

「お誘いいただきありがとうございます。とても魅力的なお話ですね。ところで、実は、私は町を巡って歌を歌うことを生業としています。国歌も非常に興味深いのですが、もしよろしければ私が今まで旅の中で集めた歌を町のどこかで歌わせてもらうことはできませんか?」

「とんでもない。そんなこととても許可できませんよ!」

「え……」

「この町で歌といったら国歌のみです。国歌以外の歌を歌うなど、町の住民はもちろん旅のお方にだって禁止です」

「そう、でしたか。わかりました。突然失礼な申し出をしてしまい、すみません」

「わかってくれればいいのです。安心してください。我が国の国歌は大変すばらしいものです。きっとあなたも、国歌を聞いた後には他のどんな歌も歌う気は失せるでしょう」

「それは楽しみです」

 ウタは言って、にっこりと笑って見せた。

 他のどんな歌も聞いたことのない人たちが、なんでそんなことわかるのかな、と内心怪訝に思いながら。


 ――そして、現在である。

「ああ退屈だ」

 ウタとハナは鐘のある建物から離れ、人気のない町を散歩していた。

昨晩は誘いに乗り、ウタも町の住民と一緒に国歌を歌ってみたのだが、堅苦しく重々しく、途中退場こそしなかったものの、もう一度歌いたいとは思えなかった。

「町の中だっていうのに、静かだねえ。本当にみんな、あの国歌とやらを歌ってるんだ。一人くらい、サボっている人がいてもおかしくないと思うんだけどねえ」

 ウタは辺りをくるりと見回してから、小さく息を吸う。

「少しくらいなら、いいよね?」

 まるで自身に言い聞かせるかのように呟くと、本当にごくごく小さな声量で軽やかにハミングを始めた。

 それは、良く晴れた日にはしゃぐ風の精霊の様子を表現した歌のメロディーだった。

「……歌は禁止、だけど、ハミングするだけなら歌じゃないよねー」

 ウタはひとしきり満足するまで歌う……いや、ハミングすると満足そうに伸びをした。

「んー、よしっと。宿に戻ろうか、ハナ?」

 ポケットからおざなりな光が漏れる。

 立ち去るウタの背後には、小さな人影が一つ、じっとウタを見つめていた。


 朝。

 ハナは夜明けと共に目覚める。

 宿の部屋はベットと鏡付きの机、それからシャワーとトイレがあるだけの簡素で手狭なものだった。鏡付きの机には小ぶりの花びんがあり、一輪の花が活けてある。町に着いてすぐ、ウタがこの町の花屋で買い求めた花だ。

 ウタの枕元にしつらえた花の刺繍のあるハンカチの寝床から抜け出し、ふよりと浮かび上がると、花のところへ近づいた。

 赤と黄の花弁が交互に並ぶその花は、国が存在していたころより栽培が続けられた町の特産品なんだとか。

 ハナは花に小さくおじぎをする。それから、二、三回ほど短い間隔で柔らかく瞬いた。

 花の周囲をくるりと廻り、花びんのふちにちょこんと腰掛け、ウタが目覚めるまでの間、ずっとそうして花を眺めていた。

 昇った日で部屋が明るく照らされ、ウタがようやく布団から身を起こす。枕元のハンカチに目を向け、部屋中に視線をさまよわせて、妖精が鏡付きの机にある花びんの花を眺めているのに気が付くと、

「おはよー、ハナ?」

 寝起きの声であいさつをする。

 ハナ、と呼ばれた妖精はいつもよりもほんの少しだけ丁寧に、そして機嫌がよさそうに発光した。

 身支度を整えると、ウタは朝食を食べるために宿屋の食堂に行く。

 宿屋の食堂ではあるものの、ウタの他に旅人の姿はない。あるのはこの町の住民の姿ばかりで、なんとなく勝手知ったる気安い雰囲気に包まれていた。

「おはようございます、旅人さん」

 かわいらしいソプラノが食堂に響く。何人かの食堂の客が物珍しそうにこちらを見た。

「おはようございます」

 ウタは笑顔であいさつを返しつつ、ソプラノの声の持ち主である少女のことをこっそりと観察する。

 ウタよりも少し年下だろうか。上質な布を使った肌触りのよさそうなワンピースに身を包み、サラサラな髪を腰まで伸ばしている。

 少女はにっこりと笑った。

「私、ソンといいます。この町の町長の娘です。旅人さん、私はあなたとお話がしたくてここに来ました」

 ただでさえ旅人は珍しい存在だ。そんな珍しい旅人の話を聞きたがる町の人もよくいるので、ウタはなんの疑問も持たず、喜んでお話させていただきます、と答える。

「私はこれから朝食なのですが、よければご一緒にいかがですか? のんびり食事をしながらお話しするのも楽しいかと」

「あ、それは結構ですので」

 ソンは思いの外きっぱりと言い切った。

「ここではちょっと話しにくいので、旅人さんの食事が終わるまで外で待ってます。食事の後で、お時間よろしいですか?」

「ええ、私は構いませんよ」

 ウタは内心首をひねりながら、断る理由もないので快諾する。

 宿屋の食堂で出された朝食は、ちょっと非常食に似ていた。シリアル、というそうだ。フレークと呼ばれる楕円形の薄くてパリパリしたものを大量に皿の中へ入れて、そこへ牛乳を注ぎ込み、少しふやかして食べる。

 ウタがしゃくしゃくとシリアルを食べるのを、ハナがポケットの中から不思議そうに見上げる。

 おいしい? ウタ。

 ハナがウタには届かない声で、そう尋ねた。

「ううーん……ぼんやりとした味がする、かなあ」

 ウタは花の声が聞こえたわけでもないのに、小声でシリアルの感想を漏らす。

 もくもくと朝食を食べ終えると、ウタは食堂を出た。

「お待たせしました、ソンさん」

「そう。じゃあ、こっちに来てください」

 ソンが先導して、ウタとハナは人気のない方へと移動する。

 ハナがポケットの中からウタを見上げた。

 ウタもハナへ視線を送る。

 こっちは、昨日散歩したところだよね? と、声を出さずに視線だけで互いに確認し合った。

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