Ⅱ 国歌の町
♪
大きな鐘の音が鳴り響いた。
家々のドアが一斉に開き、明るい表情の住民たちがめいめいに挨拶を交わす。
日が昇り、鳥はさえずり、輝かしい一日の始まりに期待で胸を膨らませ、人々は鐘のある建物へと吸い込まれて行った。
……それを、浮かない顔で眺める一人の少女がいる。
年のころは十を少し過ぎたところか。フワフワと癖のある栗色の髪を肩口で切りそろえ、質素だが頑丈な作りの服を身にまとっている。若者好みの華やかな服ではないものの、何よりも丈夫さと動きやすさを重視しているようだ。
その小柄な体躯には不釣り合いな巨大なカバンを椅子代わりにして座り、少女はどんよりとした眼差しを町の住民に、ひいては人々の集う鐘のついた建物に向けている。
「退屈だなあ」
すっかり町の人々を飲み込んだ建物からは、すがすがしい朝にぴったりな真摯な歌声が響いていた。
少女のポケットから一匹の妖精が顔をのぞかせる。妖精は少女の顔の高さまでふよりと浮かび上がると、その黒々とした瞳でもの言いたげに少女を見つめる。
ウタも一緒に、歌ってくればいいのに。
妖精は少女に告げる。もちろん、妖精の言葉が人間には届かないことは承知の上ではあるのだが。
「なに、ハナ? もしかして、一緒に歌ってくればいいのに、とか思ってる?」
妖精からウタ、と呼び掛けられた少女は、言葉はわからないが何が言いたいのかは察しがついたようで、どんよりとした目をさらにどんよりとさせて荒々しいため息を吐いた。
「歌は好きだよ。私は歌を歌うのが好き。でもさー、なんというか、わかるかな、ハナ? 違う、そうじゃないっていうか、これじゃない感じがすごいっていうか」
ハナ、と少女から呼びかけられた妖精は、ますますもの言いたげに首をかしげる。
歌が好きなのなら、ウタも混ざってくればいいのに。あの人間たちと一緒に、同じ歌を歌うことなら、禁止されなかったのでしょう?
鐘のある建物からは、住民たちの歌声が聞こえてくる。
ワガ クニノタミヨ
ユメユメ ワスレル コト ナカレ
ツネニ ワガコクミントシテノ ヒンカクヲ……
ウタはまた、荒々しいため息を吐いた。
「私は堅苦しいの苦手なの。もっとこう、歌ってさ、自由に好きなことを表現するものなんじゃないのかなって思うの。楽しくて伸びやかな歌は好きだけど、この歌はなぁ……」
ハナは、よくわからない、とでも言いたげに首をかしげたままだ。
クニノ タメナラ
ワガミヲ ササゲ……
ウタは天を仰いで、あーとよくわからない声を漏らした。青々とした広い空を見上げ、ふいにがばりと立ち上がる。
「退屈だ。ここは退屈だから、ちょっと散歩でもしよう」
♪ ♪ ♪
「ようこそワガクニへ! 旅人さん、あなたを歓迎します!」
「ありがとうございます。数日間、お邪魔します」
ハナとウタが道に沿ってやって来たのは、今まで旅してきた中で比べれば中規模の町だった。
そびえ立つ高層ビルがあるわけではないが、町の人間全員を収納できそうな頑丈な作りの大きな建物が一つと、それなりに大きな建物が複数、それから民家がちらほらとある。全自動で動く電気の車はないけれど、燃料で動く手動の車ならあり、また電気や水道などライフラインも整っている様子だ。
花畑、は難しいかもしれないけれど、花屋くらいならありそう。
ウタがそんなことを考えていると、町長がニコニコとしながら話しかけてくる。
「ところで旅人さんは、歌はお好きですかな? ワガクニでは毎日朝晩の二回、あの建物に集まって町の人間みんなでコッカを歌う習わしがありましてですね」
ほら、と指さしたのは、鐘のついた大きな建物だった。
「歌は好きですよ。でも、コッカ、というのは初めて聞きました。それから、先ほどから出ているワガクニというのは……この町の名前のこと、なのでしょうか?」
町長はよくぞ聞いてくれましたとでも言わんばかりに胸を張り、鼻を膨らませる。
「やはり気になりますかね? では、ご説明いたしましょう。きっと旅人さんもワガクニのコッカを気に入ることでしょう!」
そうして、自慢たっぷりの説明が始まった。
ウタはその長い長いワガクニの歴史を辛抱強くうんうんと頷きながらも半分は聞き流し、ハナはポケットの中で居眠りして時間をやり過ごした。
要約すると、こうだ。
この町はかつて、今よりもずっと大きく栄えていたころがあり、町はさらに大きな国というものの一部だったという。国には国民がいて、国の一部であった町の住民は国民と呼ばれていた。国はとても大きく立派なもので、そんな国の一部なのだから、町の人々もまた、とても大きく立派な存在にならなくてはいけない。国民一人一人がその自覚と信念を持ち、なんやかんやでそれらを歌にして歌うこととなり、いろいろあって国は無くなったけどそのころ作られた歌を今でも大切にしているのだとか。
「どうです? すばらしいでしょう?」
町長がえへんと威張る。
ウタはとてもすばらしいことだと思います、と相槌を打った。ポケットの中であくびをするハナを恨めしそうな目で見ながら。
「国はすでに解体されましたが、この町に古くより伝わる我が国の国歌を由緒正しき伝統として守り続けているのです。そして、朝晩二回、国歌を歌っているわけでありますが、あと少しでその晩の時間が来ます。どうでしょう? 旅人さんもぜひ、我が国のすばらしい国歌をご一緒に歌ってみられては?」
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