第4話 彷徨4

 人影はゆっくりとこちらに近づいてきた。木村は横を振り向くと、小唄はすでにいなくなっていた。

 人影は中年の女だった。やや小太りで、顔には柔和な笑みが張り付いていたが、その笑みはどこか不気味でもあった。

「こんにちは。」

 中年の女の声は穏やかだが、少しねっとりとした響きを帯びていた。

「こんにちは。」

 木村はおずおずと返した。

「久しぶりですね。彼が来たようですので、私も来てみました。」

 木村は目を伏せていた。『彼』とは先ほど荷車を壊していった、あの大男のことを言っているのだろう。木村は無意識に息をのんだ。

「わたくしのほうも見て見ぬふりをせず、きちんと見ていただきたいのです。そうでないと、また嵐を呼ぶことになってしまいますよ。」

 木村にもわかっていた。この中年の女は、あの大男の代弁者だ。つまり、嵐を呼ぶものであり、警告者なのである。

「それで?」

 木村はこわごわと答えた。

「とりあえずわたくしの迷宮へ来ていただけます?」

 木村はまだ何も答えていなかったが、女に肘のあたりをつかまれると風景が反転した。女はどうやら白い宮殿から木村を連れ出し、別の空間へと強制的に移動させたようだった。

 そこは黄色みがかった鍾乳石のような洞窟だった。どろりと溶けた壁面は不規則なようでもあり、規則的なようでもあった。その中に、一対の机と椅子が置かれていた。

 木村はその上に置かれた大量の紙片を見つめた。

「この紙片をあるべき場所に戻してほしいのです。あなたなら簡単にできるはずです。」

「あるべき場所とは?」

「ここに6つの箱があります。」

 そういって鍾乳石に空いた穴を示した。確かに箱型の細長い空洞が6つ、胸ぐらいの高さに並んでいた。

「この箱に紙片をきっちりとおさめてください。そうすれば、この課題は終わりです。」

 女は簡単に言った。しかし木村には分っていた。この課題はそう簡単ではない。とりあえず課題の期限を聞くことにした。

「いつまで?」

「あの三日月が五度昇り、五度沈むまで。」

 女はまたあの不気味な笑いを浮かべながら答えた。木村は心の中で毒づいた。回りくどい言い方をしやがって。つまりは五日以内ってことじゃねえか。女は続けていった。

「でも安心なさってください。この迷宮は出入り自由にします。あなたの好きな時に入って、好きな時に出て行って構いません。それでは頑張ってくださいね。」

 女は音もなく消え、そこには木村だけが残された。

 机の上にある紙片には見覚えがあった。木村は以前にも似た課題をしたことがあったのだ。

 ここにある紙片はただの紙ではない。それぞれに独特の仕掛けがしてあり、その仕掛けを解かなければ、あの穴に収めることはできないのだ。

 それに木村には別の問題もあった。先生が残していった課題と、能力の問題である。

 先生は時間と課題の書かれた紙を木村に渡しており、その課題を中断してよいとは言われていない。木村自身も中断したいとは思っていなかった。なぜなら、先生はこの世界で彼の唯一といっていいほど希少な理解者のひとりであり、彼の課題もまた木村のためを思ってのものであることがわかっていたからだ。

 一方で中年女の持ってきたものは、彼を牢獄に閉じ込めるためのものでしかなかった。しかし、もしこれを実行しなければ、また新たな嵐を呼んでくるだろう。木村には嵐を耐え忍ぶ力は残っていなかったが、この地球にいる以上耐えなければならない。

 また、彼にはヘルズと呼ばれるエネルギーの限界というものもあった。人類にはそもそもヘルズと呼ばれるエネルギーというものを持っており、それが行動するときの原動力にもなり、夢や野心を抱かせるものにもなったが、彼のそれは極端に低かったのだ。これも、彼が人間でないことを考えれば仕方のないことだった。














 



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