第4話 未来への準備

 これは夢でも幻覚でもなく、間違いなく現実である。そう理解したユリアの行動は早かった。一週間閉じこもっていた自室の扉を開ける。


「ユリアお嬢様!」


 部屋の前に控えていた侍女が驚いたように、そして嬉しそうに駆け寄ってくる。


「心配をかけてごめんなさい」

「とんでもございません。あんな目にあった後ですもの。お体に違和感などございませんか?」

「ええ、お陰で元気になりましたわ。それと、本や新聞を用意してくれてありがとう」

「いいえ、侍女として当然のことをしたまででございます。」


 ユリアが自室に篭っている間、身の回りの世話は勿論、色々と調べる手伝いをしたのは彼女、マリーだった。ユリアが生まれた時から身の回りの世話をしており、屋敷にいる多くの使用人の中でも彼女はユリアにとって特別だった。穏やかで優しく、仕事は誰よりもきっちりしている。それでいて必要以上に踏み込んでこない。今回の資料だって、彼女は何も聞かずに用意してくれたのだ。普通なら、池に落ちた直後の5歳の少女が急に新聞や歴史書など欲しがったら気味悪がるのではないだろうか。


「ユリアお嬢様、ご回復なされた直後だとは思いますが、当社様と奥方様がお嬢様の回復を心待ちにしていらっしゃいました。」

「そうよね、みんなに悪いことをしてしまったわ…アルフィード様には悲鳴をあげてしまいました。嫌われてしまったかしら…」


 仮にも婚約者が自分の顔を見た途端悲鳴をあげて倒れたのだ、不快にさせてしまったに違いない。いずれ婚約解消してしまうとしても、やっぱりそうすぐには憧れは切り捨てられない。


(流石に嫌われたら、かなしい…)


 そんな様子のユリアを見たマリーは慌てて言葉を発した。


「ありえません!ご安心ください!アルフィード殿下はユリア様のご回復を誰よりも望んでいらっしゃいました!」

「そうかしら…」

「はい!命を賭けて誓えます!」


(でも、その人とわたくしはいつかお別れしてしまうのよ。)


 そう思ったが、言葉にせずにユリアはグッと飲み込んだ。


「…ありがとう」


 ユリアは微笑み、マリーはその表情をみてホッとした様子だった。


「マリー、少しお願いがあるのだけれど」

「はい、なんなりと」

「おかあさまとお話ししたいの。予定をうまく整えてくれないかしら?できるだけ早く、おかあさまのお身体の調子がいい時に」

「かしこまりました。奥様もユリアお嬢様を心配しておられましたし、すぐにでもお会いになられるでしょう!それと、当主様も非常に心配しておられました。お戻りになり次第、お嬢様のお顔をお見せになってくださいませ」

「ええ、わかってるわ。よろしくね」


 それでは早速、そう言ってマリーはやや小走りでその場を離れた。マリーの背中を見送り、ユリアはまた部屋に戻った。ユリアには、やらなければならないことが沢山ある。


「まずは記憶の整理からよ!」


 忘れてしまっては堪らない。この記憶がユリアにとって最大の武器になることは彼女にとって痛いほどわかっていた。

 幼い手で必死にペンを握り、机に齧り付いて彼女は記憶を書き起こし始めるのだった。








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