第73話 - 覗き屋
萌と志乃は夜の百道浜を散歩している。暑い日差しで汗が吹き出る昼間とは打って変わって、夜は海からの風も相まって涼しく心地良くなっている。
「風が気持ち良くて涼しいね〜」
萌が伸びをしながら志乃に声をかける。志乃も「そうね」と頷いて賛同する。
「心配? みずちゃんのこと」
萌が浮かない表情をしている志乃に尋ね、それに対して志乃は「まぁね」と答える。
「志乃ちゃんのお父さん、お母さんにも伝えてみずちゃんのお姉ちゃんにも連絡はしたんでしょ?」
「うん」
「それにホテルにいる医療関係の人たちも異常はなかったって言ってたよ?」
ホテルオーキには、宿泊者の体調に異変が生じた場合に備えて医療従事者と医療従事アンドロイド数名が勤務している。瑞希が眠っている間に診察がされたが、身体に異常は見られなかったという。
「だけどあれ、とんでもなかったよ?」
「確かに……」
2人の足は自然と昼間に瑞希から教えられた砂浜へと向かう。
「私たちが見といてあげないとね」
萌はそう呟いて海の方に目をやる。月明かりが穏やかに波立つ海を照らす。少し欠けた歪な月が波によってさらにその歪さを助長する。すると何かの影が海から跳ね上がり、静かな海面に波紋を広げる。生じた波と
「志乃ちゃん、今の見た!? 何か大きいのが跳んだよ!」
「見間違いじゃない? 結構浅いでしょ、あの辺」
「いや、絶対何かいたよ!」
萌はそう言うと海の方へと駆けて行く。志乃もやれやれと後ろに付いていく。
「ほら見て!」
萌が指差した方には小さなイルカが弱々しく泳いでいた。絶滅危惧種であるイルカが間近で見られたことに2人は驚く。
「何でこんな所にイルカがいるの!?」
萌は興奮を抑えきれないといった面持ちで志乃に言う。志乃も不思議がりながらそれに応じる。
「まだ小さいっぽいよね。仲間とはぐれちゃったのかな? あの子に直接聞いてみなよ」
志乃の言葉に頷いた萌は、サンダルを砂浜の上に置いてワンピースの裾を持ちながら子イルカの方へと近付いていく。志乃はジャージの裾を折るが海の深さを見て溜め息をつくと、意を決してそのまま海の中へと入って行った。萌は結局ワンピースを濡らしながら子イルカの側まで寄り、手にサイクスを宿しながら子イルカに触れる。
––––〝
萌は自身の超能力で子イルカに話しかけた。
––––こんな所でどうしたの?
––––ママが……皆んなが捕まっちゃったんだ……。
志乃は後ろで静観している。萌にしか子イルカの言葉は分からないため、「キュー」という、高音で少しガラガラしたイルカの鳴き声しか志乃には聞こえていない。志乃は、そのイルカがサイクスを纏っていたことに気付いてその珍しさに驚く。
(このイルカ……サイクスを宿してる!? イルカでしかもギフテッドって珍しいわね……)
––––僕たちを捕まえようとする悪い人間たちがいるんだ。それに僕とママはこの不思議な光を持ってることで余計に狙われるんだって……。
萌は、子イルカの言う光がサイクスのことだと瞬時に理解した。
––––それでママは僕を庇って……。
イルカの声が悲痛に満ちている。萌は子イルカをさすりながら落ち着かせる。
––––どうしてまだここにいるの? また悪い人たち来ちゃうよ? パパは?
––––パパはずっと前に捕まってしまったんだ……。残った仲間たちと一緒に別のグループに合流したんだけど、さっきすごく大きな優しい光に包まれて。それを探してたらここに辿り着いたんだ。
萌は大きな光の正体が瑞希のサイクスだと確信する。子イルカは後ろを振り向くと
––––仲間たちが呼んでる。もう行かなきゃ。
––––うん。その方が安心だよ。
萌が優しく子イルカに告げる。去り際に子イルカは萌の方を振り返る。
––––お姉ちゃん、ありがとう。また会いに来てもいい?
––––良いけど気を付けるんだよ。
––––うん。
そう言い残すと子イルカは海深くへと帰っていった。
#####
「そうなんだ! 凄いね……! 痛っ」
中本は右目の眼帯を取る。上から縦に傷が伸び、その瞳は白く濁っていて明らかに失明している。
「大丈夫ですか!?」
その場でうずくまる中本に萌が駆け寄り、同じように屈んで背中を支える。
「いやいや、ありがとう。ときどき目が痛んでしまうことがあるんだ。薬は飲んでいるんだけどね」
志乃も心配そうにしながら萌と一緒に中本を海から離れさせる。
「いやー、迷惑をかけてごめんね。僕も今日は帰ろうかな」
「大丈夫ですか? 誰か人を呼んできますよ?」
志乃の言葉に手を振りながら中本が答える。
「いやいや、大丈夫だよ。今は治まっているから。君たちも早く帰るんだよ」
「はーい」
萌は元気良く返事をし、それに対して中本はニコッと笑うと2人に手を振りその場を後にする。
––––〝
視力を失った右目を相手に晒し、それを相手が見ることで発動する。対象者の頭上にサイクスで創られた目が現れて意図的に解除するまで永久的に監視、録画する。中本から200メートルとる圏外に出ると瞳は自動的に閉ざされ活動を停止する。監視できる人数は7人までで、それを超えると古い順に監視対象から外される。
中本は16歳で自ら目を傷つけて失明、その狂気さにサイクスが連動し、監視時間という時間的制約を失くさせた。
既に右目に痛みなどないが、痛がる素振りを見せることで女性に近付き、超能力にかける、そして着替えなどの現場や痴態、弱みを録画することで脅迫、店で無理やり働かせるといった非人道的な行いを繰り返しているのだ。
(あの巨乳ちゃんの方には監視を付けといたぜ)
中本は萌の動物と話せるという超能力が『近藤組』の活動に役立つだろうという見立てと、あわよくば彼女の日常を録画し、脅迫して自分たちのものにしようという魂胆で〝
(ありゃあ将来楽しめるぞ)
下卑た笑みを浮かべながら中本は近藤たちのいる拠点へと向かう。
#####
「お嬢ちゃんたち、こんな夜にずぶ濡れになって何しとんじゃい」
半袖のTシャツに薄手の紺色のジャケットを羽織り、ジーンズを膝下まで折り曲げている若々しい老爺が萌と志乃の後ろに立って2人に話しかける。
「あ、いや、そこにイルカがいたから見に行ってて」
志乃は突然声をかけられて驚きながら答える。
「ほう、あんな浅い場所に……。子イルカかのー?」
老人は目を細めて遠くの海を眺めている。
「おじいちゃん、オシャレだね。てか若い!」
萌は明るい声で老人に話しかける。老人は「そうか?」とまんざらでもなさそうにして自分の服装を見ている。
「おじいちゃんは何でここに来たの?」
「ん? まぁ近くに来たからの。昔、孫とよくここに来とったから懐かしくての」
「みずちゃんもお祖父ちゃんに教えてもらったって言ってたよね」
「うん。そう言ってたね」
老人はチラっと2人の方に目をやると尋ねた。
「お前さんたちどこから来たんだ?」
「東京から皆んなで旅行に来たの! 志乃ちゃん今度オープンするあのホテルの娘さんなんだよ!」
萌がホテルオーキの方を指差す。老人もそちらの方に目をやりながら「なるほどな」と呟いた。老人は志乃の方を向いて話しかける。
「親父さんに明日か明後日かに来るって伝えとってくれ。吉塚仁と言えば分かるはずじゃ。お前さんたちもとっとと帰りーよ」
そう言うと老人は後ろを向いて2人に手を振りながらゆっくりと歩き始めた。
「どこかで聞いた名前だなぁ……」
萌が呟いた後、2人は同時に「あっ!」と声を発し、急いで老人の方を向いた。しかし、その老人の姿は既になく、地平線まで届こうかという砂浜が広がり、静かな波の音がただただ鳴り響いているだけだった。
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