3
紅のいる東棟は、小児棟である。
「見送り桜」という単語は、ほとんど自分の部屋から出ないうえに、人とのコミュニケーションが絶望的に苦手な紅ですら、聞いたことのある単語だから、かなり有名な話なのだろうと思う。
もちろん詳しくはよく知らないが、ピンク色のドアの奥で、静かにその時を待つ子供達が、春を待つ、固い桜の蕾に似ているからだろうか。東棟の子供が次の世界へ飛び立ってしまった時、それが夏だろうと冬だろうと、見送り桜が咲いた、という言葉が使われる。
そして、喪に伏す人々が、黒い服に身を包み、黒い飾りを用いるのと同じように、見送り桜が咲くと、看護師たちは、首から下げている名札に、桜の花びらの形に切られた、薄桃色の折り紙を入れる。
二、三日、看護師の胸で咲いた見送り桜は、お葬式の日に、見送り桜を咲かせた子供と共に、散る。
どこの手芸屋でも売っている、クラフトパンチで作られた桜は、ほんの一週間前も、浅倉と由美の胸でひっそりと咲いていた。
「紅ちゃん、大丈夫?」
とん、と肩に手を置かれ、紅は、はっと背を正した。瞳に、険しい表情の浅倉が映る。
「大丈夫、大丈夫。ちょっとぼんやりしてただけ」
「ならいいけど。何かあったらすぐ言って」
紅が慌てて言うと、浅倉は、ペンを取ろうと胸元に伸ばしていた手を引っ込めた。それでもまだ心配そうに眉をひそめたままの浅倉に、大丈夫だ、と言おうとした紅より僅かに早く、由美が口を開いた。
「アサー。桜見えるとこ、他にあるっけー?」
「……」
浅倉が頭を抱えるのが見える。本当に、新井由美というこの看護師は、一人だけ、異常にゆるやかな時間軸で生きている。それは看護師としていいのだろうか。
「ん?なんで二人とも、頭押さえてるのー?熱でもあるの?」
まあ色々置いておいて、測る?と体温計が胸ポケットから出てくる辺りは、看護師である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます