22.近づく気持ち

「シヴァ君、グラウス様……今日もまだ起きてこないの?」


「御主人様は基本、午前中は寝てますよ。夜行性なんです、ボクと一緒ですね」


「まあ、シヴァ君は狼の習性で……と言いつつ、いつも夜ぐっすり寝てるよね?」


「そうなんですよね~、人間の身体だとすぐ眠たくなっちゃうみたいでー」


「でしょ? グラウス様だって本当なら、夜にたくさん寝るべきなのよ」


宝珠のことやらシリウス様のことやら、いろいろ大変なのはわかるけど……。


「……それに、食事は? グラウス様、ちゃんとご飯食べてる?」


「そういえば、昨日は食べてない……ですねぇ」


「また? 食事も睡眠もメチャクチャ……これはもう、見過ごせないっ」


「ふふっ、御主人様のことがそんなに心配ですか?」


「そりゃあ心配だよ~! だって私はね、孤児院で規則正しい生活をして育ったの。特に食事に睡眠! それがどれだけ大切か……グラウス様はないがしろにしすぎ」


「御主人様、研究以外のことには無関心ですからね」


「規則正しい生活……とまでいかなくても、せめて食事くらいきちんと取らなくちゃっ」


「と言っても、御主人様……そんな簡単に言うこと聞いてくれますかねぇ」


「うーん、なら……何か、グラウス様が喜んで食べてくれるようなものを、毎食用意するとか?」


「……あ! それなら簡単ですよ」



・・・・・・・・・・。



「なんなんだ、こんな早くに叩き起こして……優雅にティータイムか」


「全然早くないですよ……もうランチの時間だってとっくに過ぎてます」


「仕方ないだろう。よくわからんが、眠りの周期がおかしくなるときがあるんだ」


朝弱いのは仕方がない。睡眠不足になる方が心配だし。

でも、食事だけなら。私がなんとかできる……はず!


「これから私が毎日、朝ごはんを作ります。朝早いのが辛いなら、せめてランチで食べてください」


「……いらん、余計なお世話だ」


「と、言うと思いましたけど……グラウス様の身体が心配なんです。なんだか最近、特に元気がないみたいですし」


「だからどうした。貴様には関係ない」


グラウス様は不機嫌な様子で食卓から立ち上がった。


「これ! ペロリンアップルで作ったジャムです、とっても甘くて美味しいですよ!」


私はここぞとばかりに、ジャムの瓶を差し出す。


「ペロリン……アップル?」


「ペロリンがぺっと吐き出した果物で作ったペロリンジャムです!」


「プキュンッ、クエエエッ!」


合の手のようにペロリンが誇らしげに鳴いた。


「なん……だと」


素直に戻ってきて、すとっと椅子に腰かけるグラウス様。


「いただこう」


スコーンを手に取り、ペロリンジャムと共に一口……。


「……うん、素晴らしく美味だ!」


「プキャアッ、プエプエッ♪」


「わー、よかった。お口に合って」


「口に合うなんてものじゃない! こんなに美味しいもの、今まで食べたことがないぞっ」


グラウス様はメチャクチャ感動している。


「……ぷぷーっ!」


思わず噴き出すと、グラウス様がきょとんとした顔をする。


「何がおかしい?」


「だって、ジャムを食べてそんなに感動するって……あはは! おかしいですよっ」


「このジャムの素晴らしさを理解できないとは……貴様の方がおかしいんだ」


と、グラウス様は目を輝かせせきを切ったように熱弁し始めた。


「この果実はペロリンから生み出されたんだぞ、言ってみればこれは……奇跡。そんじょそこらの果物ではない、一口食べるだけで力がみなぎってくる! 俺はこの奇跡のジャムを食すことができて感無量かんむりょうだ」


なんか子供みたい、可愛い……。


「うふふ」


「……何を悟ったように笑っている」


「ペロリンアップルはまだありますから、明日はパイを作りますね」


「何っ……」


「明後日はそうだなぁ……あ、そうだ。スイーツをたくさん作るために、全部コンポートにしちゃいましょう」


「たくさんの……スイーツ」


グラウス様は甘党……しかもかなりのスイーツ好きだというとっておきの情報を、私はさっきシヴァ君から入手した。

好物で釣る――古典的ではあるけど、グラウス様にちゃんと食事を取ってもらうには最適な方法だと思う。


「……まあ、ランチであれば……起きられないことも、ない……早朝は厳しいが」


「うふふ、やった!」


「なんでそんなに嬉しそうなんだ」


「グラウス様がきちんと食事してくれる気になったからですよ」


「……おかしなやつだな。俺がどうなろうと、貴様には関係ないだろう」


「あります! グラウス様は、私にはもう大切な人ですからっ」


「…………っ」


私が勢い込んで答えると、グラウス様が面食らったように押し黙った。


「あ……あのっ……えっと、すみません。唐突に……しかも勝手に『大切』とか、図々しいですよね」


「……いや、貴様は感情表現がストレートなのだな」


「だって大切な人には、自分の気持ち……ちゃんと伝えたいじゃないですか」


「自分の気持ち、か……」


「それに私には初めてなんです、グラウス様みたいな人……」


私は急に恥ずかしくなって、グラウス様の顔を見ないよう下を向いた。


「ペロリンがいるからって、私を避けたりしないで……それどころか、色々と助けてくれて……本当に、ありがたいと思ってます」


「俺には……特別なことではない。幼い頃から王族として、率先して人々を助けろと叩き込まれてきたからな」


「率先して?」


「そうだ、『何を置いても民のために自らを捧げろ』と厳しくしつけられた」


なんか意外……王族って、かしずかれる方だとばかり思ってたのに。


「……あー、だからなんですね。グラウス様が自分のこととなるとおざなりなの」


「おざなりとは失敬な」


「だって事実ですもん。もっと自分を大切にしてください」


「自分を……?」


グラウス様が美しい口元をふっとゆがませた。


「グラウス様……?」


「……いや、以前シリウスも同じようなことを言っていたなと。『兄さんは誰かのために働きすぎだ、もっと自分を大事にしろ』……と」


「それなら、シヴァ君も言ってましたよ。たぶんアレクセイ様も……みんな、思ってることです」


「人のために働くのは、俺にとってはもう身に染みついた……自然なことなのだが」


「ふふっ、さすがは王子様です」


「いや、今はもう……。ここへ引きこもり、それほど公務に熱心でもない」


「あー、それは私のこととか宝珠の件も解決してませんし……すみません、迷惑をおかけして」


「それは宝珠のことがなくとも、貴様だから懸命に……」


「え?」


「いや……なんでもない」


さっと立ち上がり、ダイニングから去ろうとするグラウス様を慌てて追いかける私。


「今っ……今、なんて言いました? 『私だから』って、どういう意味ですか?」


「バッチリ聞こえているではないか」


「ねえねえグラウス様、それって私が特別……とか、そういう意味に取ってもいいんですよね?」


服の裾をつまんでグラウス様を引き止める。


「本当に図々しいな」


「だって、ちゃんと聞いておかないと……グラウス様は特にわかりにくいですから」


「特に、を強調するな」


グラウス様は立ち止まって、口元を手で押さえた。


「特別なのはペロリンだ、と……今は答えておこう」


「『今は』? じゃあ、これから先は変わるかもしれませんね? ねっ?」


「厚かましいやつだ」


「う……ごめんなさい」


しょんぼりと、私は掴んでいたグラウス様の服を離す。


「――まあ、構わない。俺には……それくらいわかりやすい方がいいかもしれんしな」


「え!? い、いいって? それってどういう意味っ……」


「顔がうるさい、犬のようにはしゃぐな」


「わっ、アイタッ! で……デコピン!?」


グラウス様は私のおでこを優しく弾いて、颯爽と去っていった。

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