第10話 蒼国のディスコード
主に殺害予告と爆破予告を中心に活動しており、対象者への私刑のような行動が多いことから、報道で蒼国が取り上げられるときなどはインターネットの自警団というように呼ばれることが多い。
蒼国がその名前を含めて一般に広く認知されるに至ったのは、予告の数に対して実際に犯行がなされる件数が圧倒的に多いためだ。過去に一度、椎木を殺すのに使えないかと蒼国について調べたときに、実行された予告のあまりの数に驚いた覚えがある。
ツルはあれからすぐ後、秋葉原の安心お宿にチェックインした。時刻は二十二時を回っていた。
ツルはチェックインが終わると、真っ先に浴場に向かってミストサウナに入った。サウナから出た後、大浴場のシャワーで全身を洗い、湯船に浸かった。湯処は人工温泉を謳っていて、ラジウム鉱石による天然ミネラル効果で健康増進がうんぬん、と壁のパネルに効能が書かれていた。脚を伸ばせる風呂に入ったのは久々のような気がした。
湯処から出ると、ツルは髪を乾かして館内着に着替え、携帯を充電するついでの時間でそれまで着ていた服をコインランドリーで洗濯した。
洗濯が終わった後、カフェスペースで米が無料で提供されていたので、お茶漬けにして食った。
ツルはコワーキングスペースのフロアに行き、空いているスペースに入ると、そこに置いてあるPCの電源を点けた。
蒼国はいつの間にかインターネット上で自然に形成されていったコミュニティだというのが通説で、特定の誰かが主導しているものではない。蒼国を名乗って犯罪に関与した人間が逮捕されるという例は毎日のように起こっているが、主犯格というものが存在せず意思決定が総体によって行われているため、蒼国という概念そのものが活動することを止めるのは不可能だと言われている。
蒼国をうまく利用することができれば、念写した椎木の写真から、一週間以内に場所を特定することも不可能ではないだろう、とツルは考えていた。写真に写った人物の瞳に映り込んだ風景から場所が特定された、という例もあるほどだ。
しかし、蒼国に介入するならば相応の覚悟が必要だ。
蒼国には数々の厳格な暗黙のルールがあり、それを破って一線を越えたと認識された人間は、極刑名簿と呼ばれるリストに名前が載る。この名簿に名前が載ったら最後、その人間は蒼国からの攻撃の対象になる。当人が死んでも名簿から名前が消えないどころか、死んだ後でも遺族に対して嫌がらせなどの攻撃が続く場合があり、それを止める手段は全員が飽きるまで待つ以外に存在しない。
ルールを破った者に対しては、極刑名簿に名前を載せるべきか、蒼国の中で審査が走るという。その対象となるのは例えば、蒼国の名を騙った者。蒼国の名を揶揄する者。蒼国で議論がなされ既に決定された事項に対して、後から異を唱えた者。蒼国から処刑人として任命されたが、それに従わなかった者。
蒼国に対して参加の意思を表明すること自体は簡単で、蒼国が運営しているオープンなDiscordサーバーへのリンクを見つければいい。これは検索すればすぐに出てくる。問題はその先の面談だ。
蒼国のサーバーへ誰かが参加意思を表明すると、審査官の
ツルは以前、参加意思の表明をする直前で止めたが、蒼国の審査官との面談に備えて入念に台本を作っていた。蒼国に参加したいという動機を用意し、その上で椎木を極刑名簿に恣意的に載せられるよう、動機に絡めて椎木がいかに悪辣な人間であるかを事実を逸脱しない範囲で可能な限り誇張して、かつ私怨と悟られないよう感情がこもらないような言い回しで、蒼国の制裁対象に値すると思わせられるようにシナリオを用意した。ツルはPCでブラウザを開き、クラウドストレージにアクセスすると、そこに保管しておいた台本のテキストファイルをダウンロードした。読み返してみて、まだ使えると思った。ここに現在の情報をうまく混ぜ込んでいけば、違和感なく椎木の居場所特定まで話を持っていけるだろう。
ツルは何から調べようか考えて、手始めにブラウザで"日本イーリアス株式会社"を検索した。
するとトップに会社の公式サイトが出てきたので、ツルはそのリンク先に飛んだ。日本イーリアスのサイトは非常に簡素なもので、トップページに事業内容と信条が書いてあり、他には問合せフォームと利用規約など最低限のものがあるだけだった。従業員数はグループ全体で一万人を超えていて、なかなかの規模があるようだ。
日本イーリアスの事業概要の部分には、"
ツルは眉をひそめた。
次に、祈手くじについて検索をしてみると、祈手くじ販売の公式サイトが出てきた。そのサイトを開くと、キャリーオーバー発生中とか年末ジャンボ十億円というような文字が目に入ってくる。特に年末近くになるとやかましく宣伝が始まるので、ツルもその存在自体は知っている。祈手の取組の勝敗結果を予想した上で、くじの番号が選定されたものと的中していれば億単位で払い戻しがあるというような、一般庶民の夢のイベントだ。
ツルは、そのくじ販売のグループ統括であるという、日本イーリアスからの郵便物が大量に椎木神社に届いていたことの意味を考えた。椎木本人が大量に購入でもしたのかもしれないが、何かが引っかかる。
ツルはそれから、再び日本イーリアスについて検索して、いくつかのオンライン雑誌連載記事や個人サイトの記載を読んでいったが、読み進めていくうち、ある事実に気付いた。
日本イーリアスはその前身となる勧業銀行時代から、現在のメガバンクの一つと密接な関係にあったらしく、メガバンクから祈手くじの販売業務の大部分を委託されている。そのメガバンク自体は元々"全国自治祈手くじ事務協議会"から、販売業務のほぼ全てを委託されている。協議会は全国の各自治体で祈手くじを販売するため、統括的に発売計画を立てるための組織だという。
そして、その協議会の会長に通例として就任するのは、各自治体の親玉である東京都知事だ。
都政の下にはアカホタルがある。
祈手くじとアカホタルには関連性がある。
"切り取り線のタトゥーの女"の言葉では、あの女が椎木神社に来ることを決めたのは、ツルと会った日の朝だったという。直前に何かが起きて、急を要する事態としてあの場に現れたということだ。
ツルは祈手くじに関する直近のニュースを調べた。
すると、一昨日のニュース記事の中に、目を引くものを見つけた。見出しには、"祈手くじ提案買い、42年ぶり全充足による的中、演目三段目で異例の
ツルはそのうちで、提案買いという言葉が気になった。
提案買いという言葉は、祈手くじの公式サイトを見てもどこにも載っていない言葉だった。検索をかけてみると、祈手くじでは通常、取組でどちらが勝つかという単純な勝敗予想をするが、その買い方とは別に、どちらのほうがより立っていた時間が長かったか、どちらのほうがより打撃の数が多かったか、というような項目を個別に組み合わせて予想を立てることができ、独自の買い方を販売者側に購入者が提案することから、提案買いと呼ばれているという。
提案買いは売り場やネットからでは購入することができず、販売業者である日本イーリアスを通して直接注文をする必要があるという。提案が可能なのも一部資格保有者などに限定されていて、一般に開かれているものではないようだ。
提案買いの実行が可能な対象資格の中に、神職が含まれているの目にした瞬間、ツルは思わず小さく声を漏らした。
そもそも何故"有限会社エヌズ・プロ"という会社の事務所が椎木神社を名乗っているのかというと、それは椎木という人間が正式に資格を得ている神道の
従来は神職の資格取得にあたっては、指定された大学で講習会を受講する必要があり、その受講資格を得るためには既存の神職からの推薦が必要かつ、神社本庁からの承認も必要で、かなり門戸が締められていたのだが、人員不足で当の神社経営者側から悲鳴が上がった結果、その条件が緩和される形になった。それ以降、一般神社の宮司になれる権正階という神職の階級までは、推薦のない民間人でも金さえ払えば資格が取得できるようになった。椎木はそれによって資格を得たため、正式に神社経営者となった。"有限会社エヌズ・プロ"というのは椎木が元々取り仕切っていた本職に使われていた拠点の一つで、それを転用して神社として要求される機能を満たした結果、元々ただの事務所だった場所が神社としても機能することになった。椎木神社は予約すれば参拝もできるようになっている。
"切り取り線のタトゥーの女"は何かを持ち出すつもりで椎木神社に来たと言い、アカホタルは椎木神社の壁と床をひっぺがして解体した。
そうまでして連中が何をしたかったのか、徐々にツルの中で想像が明確になってきた。
神職であるところの椎木が、祈手くじの提案買いを行って、数十年ぶりといわれるそれを的中させたのではないか。
祈手くじの胴元である東京都に属するアカホタルは、椎木の拠点に踏み込んで徹底的に全てをひっくり返してまで、何かを探していたのではないか。
おそらく、それは提案買いの当選くじだ。
そして、そうまでしてもアカホタルはくじを見つけられなかった。そのうえ椎木はどこかへ雲隠れをしてしまっている。椎木を見つけるために使える方法は何でも使うというつもりで、ツルの念写にまで声がかかったのだ。
あの女の様子からして、そこには相当な金額が掛かっているに違いない。数百万、下手したら数千万円という額の金額が関わっているかもしれない。
情報をまとめているうち、一つだけ気になることがあった。
日本イーリアスに対して提案買いをする際に、不的中の際の払込を担保するため、購入者の財政状況に対して審査が行われるという。
日本イーリアスは審査の結果、椎木の支払い能力にマルを出したということだ。借金まみれのはずの椎木が、財政状況のチェックに問題なく通過できたということが、妙なことのように思えた。
おそらく、それが椎木がアカホタルに追われている理由の一端なのだろう、とツルは思った。椎木が何か不正をして購入したくじが、それだけの価値のものになってしまった、というところだろう。椎木神社の郵便物の中にあった、債権譲渡通知書の神田莉子という名前も、これに何か関連があるのかもしれない。
ツルはダウンロードしてきた当時の面談用台本のテキストファイルを印刷すると、新たに集めた情報を元に、ボールペンで台本にメモを書き足したり言い回しを直したりして編集した。それを再度PCで打ち直し、また印刷して手書きでチェックするという作業を何度か繰り返した。
ツルは携帯に保存されている、椎木を念写したポラロイドフィルムを撮影した画像を、クラウドストレージに送った。PC側でその画像をダウンロードすると、ポラロイドのフィルムの枠が映らないよう、かつ写っている内容は出来る限り見えるようにトリミング加工をした。
そして、蒼国のサーバーへの招待リンクを検索した。
招待リンクのあるページを開くと、アカウントの作成を求められた。ツルは名前の設定をどうするかしばらく考えて、適当なアルファベットを十文字程度打ち込んだ。アカウントの作成が終わると、サーバーへの玄関となる画面が表示される。蒼国サーバーのアイコンが表示されていて、数字の「4」を左右反転させたような青い線の中に、単純な線でニッコリ笑った目が二つだけ描かれていた。サーバーの名前はそのまま"蒼国"で、その下には"招待を受ける"というボタンが表示されている。
ツルはまた印刷した台本の最終版に目を通した。そして、これならいける、と思った。どういう話の流れになっても、対応ができるようになったはずだ。
ツルは呼吸を整えると、そのボタンをクリックした。
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