第6話 女の道は帰り道
背後でドアの閉まる音を聴きながら、ツルは曖昧な道順の記憶を頼りに、あの長いエレベータに向かおうとした。十和のいた部屋からは真っ直ぐに長い廊下が伸びていて、その左右にいくつも同じような部屋があった。一方は行き止まりになっているのが見えたので、ツルは反対方向に向かって歩いた。誰もいない廊下に、自分の足音がやたらと反響している。
角を曲がった瞬間、くしゃっという音が足元からして、ツルは何かを踏みつけたのを感じた。
思わず立ち止まり、ツルは自分の足元を見た。足をどけてみると、その下で紙のようなものが丸まって潰れているのが見えた。表面に、黒い縞模様が走っていて、よく見てみるとそれが印刷された文字であることに気づいた。
その少し先に、また別の何かが落ちていて、ツルはそれが自分の足元にあるものと同じものだと気づいた。それは、文字の印刷された紙で折られた折り鶴だった。折り鶴はその少し先にも一つ、そのまた少し先にも一つ、足跡のように点々と落ちていて、ツルの向かう先にある分かれ道を左に曲がっていた。折り鶴は大小さまざまで、奥に行くほど落ちている密度が高くなっているのが見て取れた。
気味の悪さを感じながらも、ツルは無意識のうちに壁沿いに寄って、足音を立てないようにして進んだ。曲がったところに誰かがいるのかもしれない。どこからか、地鳴りのような音と、マッチを擦るような音がかすかに聞こえてくるような気がした。
ツルは他の折り鶴を踏まないようにしながら、壁を背にして分かれ道に立ち、折り鶴の曲がった方向の先を覗き込んだ。
そこには誰もいなかった。
カップ式の自動販売機が立っていて、音はそこから来ているようだった。自動販売機の対面にパイプ椅子が置いてあり、椅子の上には新書サイズの本が伏せて置いてある。表紙は外されていてカバーの部分も引き剥がされており、何の本なのかはわからないが、目次のページが外を向いているのが見えた。その本は明らかに元のサイズより痩せて見え、床に散らばっている折り鶴はその本のページを使って作られたのだろうと思えた。パイプ椅子の足元には、何個か積み重ねられた空の紙コップが無造作に置いてあり、その周辺を覆いつくすように折り鶴が転がっていた。
パイプ椅子の先もまた行き止まりになっていて、反対側に行く以外に道はないらしい。
それを確認すると、ツルは振り向いて歩き出した。
そうすると、いつの間にか背後に立っていた誰かとぶつかった。
思わず声を上げながらツルは数歩飛びすさった。まるで壁にぶつかったような衝撃だったが、相手はまったく動じず身じろぎ一つしなかった。
そこに立っていたのは、ツルが少し見上げるぐらいの背丈の誰かだった。その姿は、頭から靴の先に至るまで全身真っ黒で、頭はフードをかぶっている上に、目元と口元を完全に覆い隠すスキーゴーグルのようなものを着けていて顔の造形はかけらも見えず、一部も肌が見えない。マスクの部分に開いたいくつかの穴から呼吸が漏れる音が聞こえてくるので、生きた人間が入っているらしいとようやくわかるぐらいだった。足元は登山に使われるようないかついブーツで、ツルとの身長の差は靴底の厚さによるものかとも思えたが、服の上から見える全身のシルエットでは腕も太く、肩幅もツルより一回り大きく見え、おそらく男だろうとツルは思った。
ついさっきまで誰もいなかったはずの場所に、一瞬で音もなく現れたその男は、何か言うでもなく、ツルの様子をじっと見ているようだった。呼吸の漏れてくる音がやけにはっきりと聞こえた。
黙ったままの男に、ツルが何か言おうとしたとき、男はツルの腕を掴んで捻り上げた。
ツルは痛みで声を上げると同時に、何かで手首が締め上げられるのを感じた。
腕が離されたと思うと、ツルは自分の手首のあたりに違和感を感じた。
ツルの手首に、腕時計のようなものが着けられていた。
その時計は、ベルトと盤面の外枠が紫色で、上部に犬の耳のような模様が描かれている。暗転していた画面が点灯したかと思うと、デフォルメされた犬の顔が画面いっぱいに映り、やけにフレームレートの低いアニメーションが再生され、その後に時計の盤面の画面が表示された。
ツルは男のほうを見た。
「なんだこれ? おい!」
男は答えなかった。
男は、ツルの腕を引っ張って、そのまま振り返って歩き出した。重たいブーツがごんごんと床を叩く音が響く。途中、男は転がっている折り鶴を何個か踏みつぶしたが、気に掛ける様子もなかった。
しばらく歩いた末に男は立ち止まった。そこはエレベータホールのような場所で、間口の広い搬送用らしいエレベータへの扉が一つあった。男がパネルのボタンを押すと、ドアはすぐに開いた。
男はツルに振り返り、そこに乗るように手で示した。
ツルが渋々乗り込むと、男が身を乗り出してきて、エレベータ内部のパネルのB1ボタンを押した後、開くボタンを二度押した。すると開くボタンが常時点灯の状態になった。
男は、近くにあった銀色のゴミ箱の蓋を開けると、その中から紙袋を取り出し、それをツルの足元に置いた。
こいつが十和の言っていた迎えか、とツルは思った。
男がボタンを押すと、エレベータのドアが閉じ始めた。
ドアが半分ほど閉まったところで、ドアの中に何かが投げ込まれた。それはまた別の折り鶴で、これもまた印刷されたページを使って折られていた。
ツルはそれを拾い上げると、顔を上げて男のほうを見た。
男は、右手の人差し指と中指を伸ばして、目元からツルに向かって突き出した。
それは、お前を見ているぞ、というメッセージのように見えた。
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