02: 繋囚

第5話-① 啓蒙のいかづち

「悪くない」というのが、ツルが話し終えたあとの十和の第一声だった。

 目の前が真っ白になった後、ツルはしばらく気絶していたらしい。次に目覚めたときには、手錠をかけられた状態のまま車の後部座席に乗せられているところだった。降りろ、と誰かに指示されたが体が動かず、体を引っ張られたり押されたりしながら、フラフラの状態で歩いたのを覚えている。車から降ろされたのはどこかの鉄道の下だった。おそらく有楽町のあたりだろうと思う。十和が言っていたというのは、旧第一生命保険本社ビルの別名だ。そのまま連れられ、広大な駐車場の奥にあったエレベーターに乗せられ、気の遠くなるような時間を昇り続けていたような気がする。意識が朦朧としたまま誰かと何かを会話し、何かの検査を受け、もう一度エレベーターに乗せられると、ツルが今いるこの部屋に連れてこられた。十和が来たのはその後だ。

 そこまでのことを話しきり、「これでいいか?」とツルが聞いたとき、十和ははっきりと言った。

「悪くない」

「……何が?」ツルは言った。長い間話し続けたおかげで、口の中が乾ききっているのを感じた。

「ん?」ツルが言うと、十和は驚いたように目を見開いた。自分で何かを言ったことに気付いていなかった、というような反応だった。「いや、あー、……振り返る、ドカン、気絶でいいのかな?」

「あ?」

「ドカン、振り返る、気絶じゃなくて?」十和は念を押すように言った。「その順番で間違いない?」

「どっちでもいいだろ、そこまでしか覚えてないんだよ」ツルは言った。

「はっきりさせておこう。振り返る、ドカン、気絶でいいんだね?」十和は一つずつ手振りをつけて言った。

「そうだよ!」ツルは思わず大声を出していた。

「そうか……」

 十和は一度だけ、はっ、と息をつくように笑った。それは、それまでの作り笑いとは明らかに違う、表情が浮かんでくるのを抑えられないというような喜びの表情だった。だが、それは一瞬で元に戻った。

「で、」ツルは言った。「今の話のどこが理由で私が逮捕されてんのか理解できないんだけど」

「逮捕というわけじゃない。正確に言えばね」

 十和はツルに答えたが、どこか別のことを考えているような様子だった。十和があらゆることを煙に巻こうとしているように感じて、ツルはだんだんと苛立ちを強く感じ始めていた。

「私の頭でもわかるように説明してくれ」ツルは言った。「あの銃は椎木さんが許可証も持ってる椎木神社の持ち物だし、発砲報告書用に私の指紋も登録してある。捕まってんのがあの女じゃなくて私のほうなのはおかしいだろ。お前のとこのは何やっても許されんのか?」

 十和は一切動じず、作り笑いのまま両手でツルをなだめるようなジェスチャーをした。

「その女というのは……、さっき言っていた"切り取り線のタトゥーの女"のことかな? 彼女が捕まるべきだとしたら、それは何の理由で?」

「不法侵入と暴行かなあ?」ツルは可能な限り大声で言った。

「ふむ。そしてキミは、彼女がアカホタルのを受けている人間だと思っているんだね?」十和はツルの言ったという言葉を訂正するようにそう言った。

「とぼけんなよ、そうなんだろ? 念力みたいなやつを使ってきたぞ」

「一つ誤解があるようだが、QESによる啓蒙を受けた人間がすべてアカホタルに所属しているとは限らない」

 QES――クイント・エッセンス・システムと呼ばれるもので、人間のを引き出すための方法としてアカホタルが導入・推進しているプログラムのことだ。曰く、言霊ことだまを持った特定の音声を使用することで、被験者の身体に変革をもたらすという。

「レベル2までのQESなら民間でも受けること自体は可能だよ、費用は相当高いらしいがね」十和は続けた。「それに、QESを受けることなく霊的な潜在能力を発揮できる例があることも知られている」

 アカホタルという公的な組織の人間の口から、という言葉が出てきたのがどこか不釣り合いなように思えた。

「じゃああの女はお前らとは無関係だって?」ツルは言った。

「少々事情が複雑なんだけど……、まあ無関係と言い切れないことは確かだ」

 ツルは眉をひそめた。

「そして、この銃に関する話だが、」十和は拳銃の写真を指で示して言った。「椎木神社の所有している銃器類に関してはね、定期的に盗難被害に遭っているらしいことが確認されていて、それがあまりにも一定間隔で起きるものだから、作為的な貸し出しや売買仲介の類ではないか疑いが向けられていたところだったんだよ。だから今回の銃が本当に正式に許可の届出がなされているものなのかどうか、確認の時間が必要だったんだが、その間に関係者に逃亡されたら困るということで、キミには申し訳ないがここにいてもらったというわけだ」

 まったく申し訳なさそうに言った十和に対して、ツルは文句の一つでも言おうかと思ったが、こらえた。

「……で、確認の結果は?」ツルは代わりに聞いた。

「銃に関しては問題なかった」十和は言った。「正式に椎木および椎木神社の名前で届出がなされている銃器だったことが確認できた。二週間以内にキミが今日の二件について発砲報告書を出せば、この件に関しては不問だ」

 あまりにもあっさりと十和がそう言うので、ツルは少し戸惑った。

「じゃあ、私はもう帰っていいんだな?」ツルは言った。

「ところがね、」十和は指を立てて言った。「銃に関して調べている間、別の事実が見つかった」

 十和は、並べられていた写真のうち、たばこが写っているものを取り上げてツルに見せた。巻紙の色と形に覚えがある。ツルが三本作ったうち、吸わずにとっておいた一本のたばこだ。

「これに見覚えはあるかな?」十和は聞いた。

「……知らねえな」

「シラを切る必要はない」十和は言った。「状況的にキミのものだということは明らかだ。それに、紙を巻くときにのりの部分を舐めるだろう、そこからDNAを採取することもできる。多少時間はかかるがね」

「だったとして、それが何なんだ」

「現場でこれを発見した人間から指摘が上がってね、あまりにもこだわるものだから仕方なく検査に回したところ、驚きの事実が発覚した」十和はそこで言葉を切り、ツルの反応を見るように数秒間待った。それから続けた。「内容物から規定値の倍以上のTHCテトラヒドロカンナビノールが検出されたんだ」

 THCは大麻に含まれる向精神作用のある成分で、法で規制されている違法薬物だ。

「ふざけんな!」ツルは立ち上がろうとしたが、鎖に引っ張られてできなかった。

 ツルが使ったのは普通に市販されているたばこの葉で、しかも未開封の状態だった。それを検査してTHCが含有されているというのはあり得ない話だ。

「そうは言っても、結果がそう出ている以上は仕方がない。現行の大麻取締法は部位に関わらずTHCの含有量で基準を設けているからね」

 という十和の言い回しを聞いて、ツルの頭でピンと来るものがあった。

「……お前ら、事務所の神棚バラしたな? 御札の中のお祓い済の混ぜて測ったんだろ?」ツルは言った。

「何を言っているかわからないが、これはれっきとした大麻取締法違反だ」十和は言った。

「ふざけんな!」ツルは叫んだ。

「気持ちはわかる。納得がいかない部分もあるだろう」十和は指を立てて言った。「そこで我々から提案がある」

 ツルは眉をひそめた。

「これから、アカホタルからキミに対してを出す。それをクリアできれば、今回の件は不起訴として、逮捕自体もなかったことにしよう」

「課題?」

「アカホタルの本来の任務をサポートするような内容のものだね」

「……ネットの殺害予告と爆破予告のチェック?」

「もちろん、それも大事な任務だが」十和は指を立てて続けた。「協議の結果、キミに最適な課題を我々のほうで決めた。……キミは念写ができるそうだね?」

 そう言って、十和はスーツケースから何か取り出した。それは、ツルが椎木神社で念写に使ったポラロイドカメラだった。

「キミに頼みたいことは一つ」十和は言った。「今、この場でこのカメラを使って、の居場所を念写してもらいたい」

 椎木、という名前が出た瞬間に、ツルは体の中に電気が走るような感覚を覚えた。

 

 "切り取り線のタトゥーの女"だけでなく、アカホタル自体も明確に椎木を追っている。そのうえアカホタルは大麻取締法違反を、ツルの念写に頼らざるを得ないほど、切迫した状況に置かれているということだ。

 それが何なのか掴めれば、椎木を強請ゆすることができるかもしれない。

 アカホタルも出し抜いて、ツルが一番最初にそれにたどり着くことができさえすれば。

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