隻眼迷宮編.58.チンピラ二人


「一晩経っても現代の空気には慣れねぇな……うじゃうじゃと増えやがって」


 街の中を見て回るだけでも満足するかと思ったが、予想以上に現代の空気は俺様には毒だな。ユーリの中から覗くだけじゃ分からなかった事も、こうして肉の器を得れば詳細に感じ取れる。

 空気中に漂う豊富な神素と、反対に数千年前とは比べるまでもなく減少した魔素のアンバランスな比率。

 一応この都市は隻眼の支配下だからこれでも魔素は多いのかも知れねぇが、あの女神は余程俺様がトラウマらしい。


「【――ᚲᚨᛚᚨᛗᛁᛏᛇ災いを】」


 死後も存在しない筈の臓腑を灼き尽くすありったけの憎悪を込めて、嫌悪感しか齎さない塵芥を掃除する忌み言葉タブーワードを口にする。


「……………………へっ、無理か」


 未だ全盛期とは程遠く、所持している文字もアンスールの一文字だけでは不発に終わるらしい。

 空気中の神素や魔素が驚いてザワついているが、今の俺様が与えられる影響なんてのはその程度が限界の様だ。

 ま、ユーリから悪目立ちするなって言われてるし、大人しく街を見て回るだけにしときましょうかねぇ。

 その為にわざわざ髪を銀色に染め、目だって金色にしたんだからよ。


「さーて、何処に言ってみるかな……なんか食べ歩きでもしてみるか?」


 最近少し肉付きが良くなって来たとはいえ、まだまだコイツの身体は貧相と言う他ないからな。

 なんか適当に栄養がありそうな、精力が付きそうな肉とか買って食べてみるか。


「――おい、テメェ今何かしたろ」


 この場所は市場だし、適当に屋台を見渡せば何かあるだろうと歩き出した俺様の腕を誰かが掴み上げる。


「……あん?」


「……女?」


 この身体に勝手に触れられたという怒りと嫌悪感から敵意を剥き出しにして振り返ってみれば、そこには人相の悪いクソガキとも言うべき印象を抱く背の低い少年が居やがった。

 硬質な髪を後ろに撫で付けたソイツは、俺様の顔を見上げるなり何故か怪訝な顔をしやがる。


「なんだテメェは」


「そっちこそ何しやがったんだコラ」


「何ってなんだよゴラ」


「わっかんねぇけどお前を中心に空気がザワついただろうがボケ」


「空気がザワつくってなんだよカス」


「知るかよ、だから聞いてんだろうがゴミ」


 気が付けばお互いに額が触れ合う程の距離まで顔を寄せ合い、こめかみに青筋を立てながらメンチを切り合っていた。

 コイツからは珍しくこの世界の人間に対する憎悪は抱かねぇが、それはそれとして気に入らねぇ匂いが纏わりついてやがる。

 それは相手も同じなのだろう、何か知らねぇが目の前のコイツが気に入らねぇという共通認識をお互いに持っていた。


「おメェ、背が低い癖に生意気な面してやがんなクソガキ」


「おいコラ、お前地雷踏んだぞもっぺん言ってみろや」


 怒りのボルテージを上げていくクソガキに対して俺様は丸めていた背筋を伸ばし、身長差をこれでもかと見せ付け相手の頭頂部に指をグリグリとしながらお望み通りもっぺん言ってやる・・・・・・・・・――


「――チビで生意気つったんだよ」


 その瞬間、何かがブチギレる音が辺りに響いた。


「――その喧嘩買ってヤらァァアッッッッ!!!!」


 怒号と共に放たれる拳を寸前でギリギリ躱し、流れるように繰り出される蹴り上げを後ろに飛び退く事でやり過ごす。

 ユーリがいつも使ってるカッターナイフは……あんま使った事ねぇし、流石に喧嘩で刃物を取り出すと怒られそうだしな。


「逃げんなッ!」


 顎を狙った回し蹴りを上体を反らす事で避け、クソガキの蹴りの風圧で倒れて来た角材に足を引っ掛けて掬い取る。


「よっ、と……やっぱ獲物は長柄だよな」


 空中で掴み取った角材を振り回して具合を確かめるが……まぁ、他人の身体な上に数千年のブランクがあるにしてはそこそこだな。


「んだそのちゃちぃ武器はよォ!!」


「ガハハ! お前なんかこれで十分だクソガキ!」


 拳で顎をガードしながら背中を丸め、ユラユラと左右に揺れるという妙な動きから断続に放たれる拳を全て角材で叩き落とす。

 見慣れねぇ喧嘩殺法だが、奴もまだ本気ではないのか威力はそこそこで速度も見切れない程じゃない。


「なんだなんだ!」


「喧嘩か?」


「喧嘩ってレベルじゃねぇだろ! 誰か衛兵を呼べ!」


 頭を狙った突きを裏拳で弾かれるがその勢いを利用して角材を半回転させる事で前方を薙ぎ払い、裏拳から流れる様にそのまま懐に潜り込もうとする動きを牽制する。

 ギリギリで踏み込みの勢いを殺して頭を上げる事で躱されるが、クソガキの鼻頭に角材の先を掠めてやった。

 赤くなった自分の鼻を抑えたソイツは恐れるでもさらに怒るでもなく、段々と凶悪な顔付きになりやがる。


「クハハ! んだよ、お前結構やるじゃねぇかァ!!」


「ダッハッハッハ! 今さら気付いたかクソガキ!」


 徐々に攻防の速度が上がっていく。振り被られる拳や突き出す角材が実際よりも多く見え、衝突する瞬間と音までもがズレていく。

 風圧で近くの屋台から商品が飛び散り、砂埃が巻き上げられて視界を悪くする。


「ひ、ひぃっ!」


「街中で何やってんだコイツら!?」


 あぁ、何だか段々と楽しくなって気やがったぜ!


「ッラァ!」


「シッ!」


 楽しくなって来たのは向こうも同じなのだろう……その顔に既に怒りの感情はなく、喜悦のみが浮かんでいる。

 だがしかし、残念だがお楽しみの時間はすぐに終わってしまう。


 ――バキャッ


 派手な音を立て、手に持っていた角材が破損する。

 お互いに魔力での強化なんかは一切していない、素の身体能力のみで殴り合ってはいたが……まぁ、ただの角材にしては頑丈だった方だろう。


「……チッ」


「どうやら先にこっちが限界みたいだな」


「ふざけんな、これからだろうが! さっさと愛用の槍を出せや!」


「おいおい、流石にそれはマズイだろ」


 そんな事してみろよ、俺様がユーリに叱られちまうだろうが。


「それに――ほら、誰か来たみたいだぜ」


「あん? ……あ、やべっ」


 遠目にも何人かの武装した人間がこっちに走って来てるのが見えるな。街の衛兵って訳でもなさそうだが、全員が黒髪っていうのが気に掛る。


「――和久井くん! あれだけ騒ぎを起こさないでって言ったでしょ!」


「あーあー、うるせぇなぁ」


「うるさいって何よ?!」


 なんだ、クソガキの仲間が迎えに来ただけか。


「そうだよ、今度はいったい誰と喧嘩して――神田さん?」


「あん?」


 なんだ? 誰だが知らねぇが、なんでこの男はユーリの苗字を知ってやがんだ?


「「「……え?」」」


「なんだよ」


 なんでクソガキ以外が驚いた顔で俺様を見るんだよ、なんなんだよ。


「コイツがあの神田なのか? 俺は顔を知らねぇけど、神田はこんな派手な髪と目の色してんのか?」


「いや、違うけど……」


「でも凄く似てるし……」


 ……待てよ? さてはコイツらが噂の勇者達か?

 そうであるなら人間でありながら憎悪を抱けず、その癖して嫌な匂いを纏わせてる説明も付くが。


「……テメェ、何もんだ?」


「あん? それを知ってどうする」


「いやなに、ただのトーシローじゃねぇ上にクラスメイトと同じ顔をしてるみてぇだしな」


 仲間が迎えに来た事で少し冷静になったのか、幾分か落ち着いた様子でクソガキが語り掛けてくる。


「男も女も関係なく、弱ぇ癖に俺を馬鹿にした奴は分け隔てなく凹して来た……だがお前だけは違う。お前みてぇな実力の伴った馬鹿は初めてだ」


 クソガキが、言うじゃねぇか。だがその飾らない物言いは好きだぜ?


「――俺は和久井わくい啓太けいたってんだ」


 聞き慣れねえ名前だな。まるでユーリのフルネームみてぇだが、同郷ならそれも当然か。


「お前は?」


「ふっ――」


 ケイタへ馬鹿正直に名乗り返す義理はねぇ……ましてや相手が勇者なら尚更だが、こういうさっぱりした男は嫌いじゃない。


「――アークだ」


「そうか、アークか……顔と名前、覚えたかんな」


 今の俺様の顔と名前を覚えたって意味は無いが、それでもコイツが勇者なのが惜しいくらいには気に入った。口には出さないが。


「はんっ! 覚えたって、次また会えるか――」


【――アーク、何をしているんですか?】


「ひっ……!」


「? どうした?」


 やべぇ、どう言い訳しよう。


「(い、何時から起きてたんだ?)」


【喧嘩の途中からですかね】


「(声掛けてくりゃ良かったのに)」


【それよりもこの状況はなんですか?】


「(気に入らない奴に因縁を吹っ掛けられたから喧嘩売ったら、ソイツが勇者だった……?)」


【……頭が痛いです】


「(……すまん)」


 こりゃあ、言い訳なんかしない方が良さそうだな。そもそも俺様が悪いんだし。

 あーあ、せっかくユーリを休ませようとしたのにクソ女神が関わると理性が弱くなるのが難点だな。

 なんかめちゃくちゃ臭かったんだもんな。そりゃなんか腹立つよな。思えば確かにクソ女神の腐臭だったわ。


「おい? なんで急に黙り出した?」


【……まぁ、考えようによっては事態は好転したとも言えますね】


「(お?)」


【今から私の言う通りにしてください】


「(おう! それくらい任せろ!)」


【はぁ……】


 余計な心労を掛けさせてすまん……本当に申し訳ないと思ってる。


「あ、あー、こほんっ! ……お前ら勇者なんだろ?」


「だったら何だよ?」


「俺様がダンジョン攻略を手伝ってやろうか?」


「は? なんでだよ」


「ふっ、昨日の強敵てきは今日の強敵ともって言うだろ?」


「ふっ、なるほど確かにな」


 流石俺様のマスターだぜ。この短時間で上手く場を誤魔化しながら、どん詰まりになっていた状況の打開策を閃いたようだ。

 まぁ打開策と言っても単純な事で、コチラを勇者とは思わせずにただの善意な協力者って事にするだけだけどな。


「……その前に聞きたい、君は神田さんじゃないのか?」


「お前は?」


桜庭さくらば大輝だいきだ」


「(知ってる奴か?)」


【そうですね。どうやら勇者として召喚されたのは私のクラスメイト達で確定なようです】


 ふーん、つまり俺様がユーリを召喚するのがあと少しでも遅ければクソ女神に奪われてたかも知れないって事か。危なかったな。


「ダイキか、生憎だが俺様はアークだ。カンダさんとやらじゃない」


「……嘘じゃないみたいよ」


「そんな馬鹿な」


「す、凄く似てますね……」


 お、どうやら虚実を判別する何かしらの力か道具を使われたみたいだな。

 だがまぁ、俺様がユーリじゃないのはどう足掻いても覆しようのない真実だ。意味は無い。


「あれだろ、他人の空似だろ。言うじゃねぇか、自分とそっくりな奴が世界には三人居るって……いや、ここは異世界だし合わせて六人になるのか?」


「で? 結局のところ俺様は同行しても良いのか?」


「……ま、いいんじゃねぇの? 本気がどのくらいかは知らねぇが、俺とそこそこやり合えるくらいは強いしよ」


 とりあえずケイタは賛同してくれたが、他の三人はどうだ?


「どうするつもり?」


「……監視下に置いた方が良いと思う」


「同感ね。怪しいもの」


「わ、私はどちらでも……」


 一応聞いていない振りはするが、まぁそりゃ多少は怪しまれるわな。こればっかりは仕方がねぇ。

 ユーリだってそこは承知の上だろうし、これでも勇者としてカミングアウトして潜り込むよりもマシなんだろう。


「他の仲間達の意見も聞かないとだけど、概ね賛成よ」


「……他にも居んのか?」


「えぇ、メインメンバーは勇者が七人と聖騎士様が一人かしら? それと荷物持ちが数人」


「ほーん……ま、了解しとくぜ」


「そう、では私達の宿に案内するから着いて来て頂戴」


「ふんっ、これからヨロシクな」


 ケイタに背中を叩かれながら、偉そうな少女の後を言われた通りに着いていく。


【勇者、多くないですか?】


「(それは俺様も思った)」


 生前の記憶は朧気だが、それでも以前の大戦では三人くらいしか居なかった筈だ。

 必要とされる代価も高くつくだろうに、こんなに無駄に召喚してあのクソ女神は何を考えてやがんだ?

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