隻眼迷宮編.52.遭難?


【なぁ――】


 吐き出す息は白く、鼻や頬は赤く染まる。あまりの寒さは眠気を誘い、瞼も半分くらいしか開いてはくれません。

 標高が上がっていくにつれて酸素も薄くなり、余計に意識を保つのが難しくなってきていますね。

 首に巻いたマフラーに顔の下半分を押し込み、吹き付ける寒風を凌いでみる。


「……なんですか?」


 そんな私の脳内に響くアークの声に段々と落ちていた意識が呼び戻され、少しだけ遅れて返事をする。

 荒れる猛吹雪で視界も狭い中で、あまり会話に集中力を持っていかれたくはないのですが――


【――これ遭難してねぇか?】


「……」


【なぁ】


「……」


【おい】


「……」


【聞こえてんだろ】


 喧しいアークの呼び掛けを全て無視し、淡々と吹雪に向かってアンスールの文字を刻んでみる。

 この雪山の住民とも言える彼らに聞けば道とは言わずとも、簡単な方角くらいは教えて貰えるのではないでしょうか。


「少しお聞きしたい事が――」


『って――』


 そう思っていたのですけどね。


「……」


【ぶはっ!】


 そうですよね、相手は吹雪ですから物凄い勢いで何処かに行ってしまいますよね……何故最初からそれに気付かなかったのか。吹き出すアークにはどんなお仕置きが良いのか。

 しかしながら、今のような状態になるのであれば風と会話するのも難しそうですね。一所に留まっている竜巻か、それか緩やかな風くらいでないとまともな交流は出来なさそうです。

 仕方ありませんし、今度は頭の雪を払ってそこの岩に聞いてみましょう。彼ならば何処かへ飛んで行く事もないでしょう。


「すいません、道を尋ねたいのですが」


『…………………………………………ここ、から、動いた、こと、ない……………………』


「……さようで」


【ダッハッハッハッ!!!!】


 人の脳内で笑い転げるアークが鬱陶しい。私が遭難しているという事は、自分も遭難している事になるのに気付いているのでしょうか。

 にしても盲点でした。通常であれば言葉を持たないモノ達とも交流できるとは言っていましたが、確かにそれで望む結果が得られるとは言ってませんでしたね。

 風は話す前に何処かへと飛んで行き、岩はむしろ全く移動をしないので自分の周囲以外の情報を持たないとは。


『………………………………でも』


「はい?」


『…………………………………………ここに、落ちて……くる、前に………………上、洞窟、あった…………………………君も、出入り、してた…………』


「君も? ……あぁ、他にも人間が出入りしていたという事ですかね」


【やべぇ、この会話めっちゃ面白ぇぞ】


 なるほど、岩も完全に移動しない訳ではないのですね。当たり前ですが、このような高低差がある場所であれば落石や雪崩などで下に落ちる事も多そうです。

 まぁ、とりあえずは上に登って行けば人の出入りがある洞窟があると言うのですから、頑張って登って行きましょう。


「ありがとうございました。お礼は何が良いですか?」


『……………………………………名前』


「名前、ですか……変わった要求ですね」


 岩に名付けなどした事がないのですが、どんな名前が良いのでしょう。そもそも彼らも名前が欲しかったりするのですね。


「……では岩吉がんきちで」


【えぇ……】


『………………………………わかった、俺は、今から、岩吉…………仲間、にも、自慢、する……』


【えぇ……】


 本人――いえ、本岩も満足している様なのでこれで決まりですね。

 何故アークが困惑しているのかは分かりませんが、これで全て丸く収まったので良しとしましょう。


「さて、行きましょうか」


 それにしても、岩吉が言っていた上とはどのくらい登った先にあるのでしょうか――






「――急げ、早くしろ」


 あまりにも鈍い配下達の動きに苛立ちを隠し切れず、身体を揺するという高貴な生まれにあるまじき醜態を晒してしまう。

 気温の低さのせいもあるが、この僕が下々の者たちと同じような落ち着きのなさを見せる事になるのも仕方がない。

 何故なら僕の、僕達の契約者が望んでやまない物が遂に発見されたというのだから。


「コンラート坊ちゃん、本当に密入国するので……?」


「違う! あそこはもう国ではない! ダンジョンだ!」


 アウソニア連邦を構成する各国はダンジョンがある土地の帰属を主張するだろうが、元トリノ伯国地域は既に人類の領域ではない。

 あの土地を支配しているのは人外の悪魔であり、断じて半島国家の連中ではない。


「つまり密入国などという、野蛮な事をこの僕がする筈がないだろう」


「では何故こそこそと、この様な秘密の道を使われるので?」


「……密入国ではないが、それでも連邦が煩く言ってくるのは予想できるからな。要らぬ労力は払わぬ主義だ」


 ふん、自分達の土地でもないのに欲しがる強欲な連中の事だ。どうせ自分達以外の国の者が足を踏み入れれば躾のなっていない犬のようによく吠えるに違いない。

 そんな不毛な事に割くほど、私の時間というものは安くはないのだ。


「だからこそ、こうやって余計な騒ぎは起こさぬように――っ、誰だッ!!」


 即座に魔眼を発動・・・・・しつつ、気配がした奥の方――これから僕達が向かう筈であった洞窟の出口へと意識を向ける。


「――すいません、遭難してしまったのですが」


 そこには、今まで見てきたどんな令嬢よりも美しい黒髪の少女がたった一人で佇んでいた。

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