舞台裏.46.異世界召喚


「……遅いな」


 何ともなく、教室の後ろの壁に張り出された席表を見ながらボソリと呟く。

 自分の桜庭さくらば大輝だいきという名前の横にある、神田かんだ悠里ゆうりという名前を何度も読み返す。


 俺にはこれといった趣味が無い。友達は居るが、その友達がハマっている物や薦められた物を面白いと思った事もなかった。

 アニメも薦められれば見るし、ドラマだって家族が見ているのをボッーと眺めている事もある。

 けれどもハマるという事はついぞなく、何もやる事が無い俺が打ち込めるものなど勉強か睡眠くらいしか無かった。


 そんな高校生にして老人ばりに早寝早起きが当たり前で、小学校や中学校でも先生よりも早く来ては教頭が昇降口の鍵を開けるのを同じく早く来てしまった別学年の奴らと待ってはクラスで一番乗りするような奴が俺だ。

 高校生になった時も、また俺が一番乗りでクラスの奴らから『いつも早ぇよ〜』なんて揶揄われるんだろうなと思っていた。

 そんな若くして枯れ果て、半分無キャに片足を突っ込んでいた俺の予想だったが……けれど蓋を開けてみればどうだ――


『……おはようございます』


『ぁっ、おっ? あ、あぁ……おはよう……』


 俺より早くに学校に来ており、何をするでもなく死んだ目でずっと窓を眺め続ける神田さんがそこには居た。

 予想外の出来事に意表をつかれ、情けない声でしりすぼみに挨拶した俺にもあまり興味は無い様だった。


『……おはようございます』


『……おう』


 俺は毎朝5時半から6時には既に起きており、学校に着くのはいつも7時前だというのにそれからもずっと……神田さんよりも早く学校に来れた試しはない。

 早く着いたところで俺のように勉強する訳でも、本を読むでもなく……さりとて友達と会話する訳でもない。というかクラスメイトともあまり話している所を見た事が無い。

 つまりは、彼女がここまで早起きして学校に来る理由が俺には見付からなかった。

 後に俺のところまで流れて来た噂によると、どうやら家庭環境に問題があるとか無いとか……まぁ所詮は噂だし、彼女の容姿に嫉妬や邪な感情を抱く奴らも多いから半分も信じていない。


「みんな、おはよう」


「あっ! 松井くん!」


「おはよう! 今日もかっこいいね!」


 あー、俺があんまり好きじゃない奴が登校して来たって事はもう7時半か。

 この松井まつい陽介ようすけって奴は、名前から分かる通りの生粋の陽キャでイケメンで文武両道で……とにかくいけ好かない。

 いや、別に何かされた訳ではない。悪い奴ではないし、揉め事が起きても自分の友人だろうと客観的で公正な判断をしてくれるむしろ良い奴だ。

 でもいけ好かない。何故かって、そんなの理由はモテるからに決まってるだろ。


「……桜庭、神田さんは来ていないのか?」


「……なんで俺に聞くんだよ」


「いつも話しているだろ?」


「そうだっけ」


 まぁ、隣りの席だったし、早く来ておきながらお互いに何も喋らない空気というのも重苦しくて勉強に集中できず、何度か自分から話し掛けた事はあった。

 その影響か、神田さんも何か分からない事があれば先ず俺に質問して来る様にはなっていたとは思うが、本当にそれだけだ。

 業務的なやり取りのみで、何かしらの会話が成立した覚えが全くない。


「まぁいいや、俺の知る限り神田さんはまだ来てないね」


「……そうか、残念だな。風邪を引いてないと良いんだが」


「「「……」」」


 おいおい、自分の後ろを見てみろよ……お前がそうやって無自覚に好意を匂わせるから、お前のファンが凄い顔して神田さんの机を睨んでんじゃねぇか。

 コイツは本当にモテる癖してこういう女性の感情に疎いというか、鈍感というか……こういう部分も俺がコイツを好きになれない要因なんだろうな。


「皆の者、おはよう!! とおぅっ!!」


 あー、また俺の苦手な奴が登校して来た……クラス中に響き渡る大声での挨拶に、何故か意味もなく行われるバク転による入室。

 このいつも録画している仮面のヒーローや戦隊物をギリギリまで視聴しているせいで遅刻ギリギリのアホ――高野たかのじゅんが来たって事は、もう朝の自由時間も終わりか。勉強道具を片付けよ。


「おい純、いつも遅いし煩いぞ」


「陽介か、ヒーローとはいつも遅れて派手にやって来るものと相場は決まっているのだ!!」


 これもまた、毎朝行われるいつものやり取りだ……クラスの皆も気にせず『もうそんな時間か〜』とか言いながら席に着き始めている。


「君たち、席に着きなさい」


「元気が有り余ってるならプリントを配るの手伝ってくれないかい?」


 そんなやり取りをボッーと眺めていると、いつもより少し遅れて担任と学級委員がやって来た。

 担任の稲田いなだ智弘ともひろ先生は寺生まれで自分にも他人にも厳しく、聞くところによると古武術の黒帯らしい……その無表情で厳つい顔も相俟ってめちゃくちゃ怖くて生徒から恐れられている。

 反対に、いつもニコニコしていて物腰の柔らかい学級委員長――石神いしがみとおるは一年生ながら生徒会の副会長も兼任していて、何を考えているか分からないが怒ったところも見た事がない。

 基本的には松井、高野、石神の三人がこのクラスの中心的な人物だ。逆らうと村八分を食らう……稲田先生? 逆らったら死ぬよ?


「今日は重要な連絡事項がある。真面目な話なので私語は慎むように」


 いつもよりも何倍も低い声で発せられた稲田先生の言葉に、自然とクラスメイトの皆の背筋が伸びる。


「先生、神田さんがまだ来ていませんが」


 そんな中で一人気にせずに質問ができる松井は本当に凄いよ。尊敬はしないけど。


「その件についても合わせて話す。質問は全て終わってからだ」


 ……神田さんにも関係がある事なのか?


「もしかしたらスマホで速報を見た者も居るかも知れないが、今朝方この付近で殺人事件が起きた」


「えっ……」


「被害者の遺体は見付かっていないが、現場に残された血液量から死亡はほぼ確定との事で、警察は死体遺棄事件も視野に捜査に入っている。推定犯行時刻は日の出間近であり、犯人は未だに不明だ」


 ここら辺で衝撃から立ち直ったのか、クラス中がザワザワし出す。

 耳を澄ませば他のクラスからも聞こえてくる辺り、全クラスに通達しているのだろう。

 そりゃそうだ、生徒の通学路で起きた大事件なのだから注意を促すのは当然と言える。


「――現場は神田の家だ」


 そこでまた、クラス中が痛いほどに静まり返る。


「神田の家から近くのビルまで遺体を引き摺ったような血痕と、神田自身の生徒手帳と定期が発見されているが、遺体も神田自身も行方はまだ分かっていない」


「えっ、それじゃあ神田さんは無事なのですか……?」


「質問は最後に……まぁ、いいだろう」


 今回ばかりは松井の肝の据わりように拍手を送りたい。そして先生も珍しく前言を翻す柔軟を見せてくれて感謝する。

 まぁ、それくらいクラスメイト達の顔が蒼いからだろうが、俺も早く神田さんの安否が知りたい。


「神田は生きている……というより、警察は神田悠里を容疑者とみて捜査している。いずれ君たちにも情報提供が求められるだろう――」


「――ちょっと待って下さい! 神田さんが人殺しなんてする筈がありません!」


「……お前がどう思おうと勝手だがな、まだ殆どの人が寝静まっている早朝に起きた殺人事件であり、被害者と一緒に暮らしていた娘だけが行方不明……神田の人となりを知らない警察が容疑者だと疑うのも無理はないだろう」


 それは、まぁ……正論だ。確かに松井の反発もよく理解するし、共感もするが……今回ばかりは状況証拠的に警察が神田さんを容疑者と見るのも仕方がない気がする。


「でも彼女に親を殺す動機なんて――」


「――ある」


「……」


「動機なら、ある」


 ふと、脳裏に過ぎるのは神田さんの家庭環境に問題があるという根も葉もない噂話。


「私から話せる事はここまでだ。神田が容疑者であるにせよ、そうでないにせよ、まだ犯人が捕まっていない事は事実だ。皆も登下校の際は必ず二人以上で行動し、十分に気を付ける事だ」


 それだけを言って、稲田先生は一限目の道具を持って他クラスへと行こうとする。


「待ってください! それだけじゃ納得できません!」


「松井、話は終わりだと言った筈だ。座れ」


「ですが先生!」


「お前達が知るべきは身近で殺人事件が起きた、犯人も遺体も行方不明、容疑者にクラスメイトが挙がっている、警察がその容疑者について尋ねて来るかも知れない、登下校の際は気を付ける――以上だ」


「先生!」


「口説い!」


 担任の稲田先生と、松井との間で睨み合いが続く。


「……クラスメイトを、自分が受け持つ生徒を信じるべきです」


「……あぁ、信じてるさ」


 何となく、直感的に稲田先生は神田さんの事を全く信じていないのだと理解った。それは松井も同じなのだろう、奥歯を強く噛み締め怒った表情を作る。

 その唯ならぬ雰囲気にクラス中が怯え、誰もが何も出来ないでいる……いや、例外が二名ほど居るな。

 どのタイミングでヒーローっぽく仲裁に入るかソワソワしている高野と、一連のやり取りをただずっと一人でニコニコとしながら見ている石神だ。この二人だけはある意味で通常通りと言える。


「……ふぅ」


 そんな二人を見て、少しだけ冷静を取り戻して来た……と言っても俺に出来る事など何も無い訳だが。

 しかしながらこうやって担任の先生とクラスメイトが睨み合っている状況が良くない事も分かるし、ここはあまりにも介入が遅い高野ヒーローの代わりに間に入って有耶無耶に終わらそう。上手くいくか自信は無いが。


「先生、松井、もうそのくらいで――」


【――見付けました。私の勇者様】


 突如として脳内に響き渡った柔らかな女性の声と共に、床に拡がった魔法陣の光に呑み込まれる。

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