領地簒奪編.27.勇者と名乗る少女


「……つまり、君は本当に勇者なのだね?」


「えぇ、そうです」


 私達の対面に座り、父上の質問に答えるのは……前評判通りの非常に美しい少女だった。

 個人の主観に過ぎない美醜をなぜ特徴の一つとして挙げて来たのかが分からなかったが、確かにこんなにも整った顔立ちをしていれば嫌でも目立つ。

 東の地には鶴が羽根で立派な反物を織ったという逸話があるらしいが、この少女の黒髪は鴉の羽根で織られているかの様に美しい。光を反射して天使様の輪っかを幻視する程の艶など、いったいどうやって出しているのか。

 日焼けもしておらず、シミ一つない白い柔肌は遠目から見ても滑らかで、淡いピンクに色付く頬と小さな唇が彼女が生きた人間だという事を知らせる。

  学院の制服らしい全く見慣れない衣服を纏っているというのに、違和感よりも魅力が勝るのは着ているのが彼女だからだろうか。


「ユーリ、と言ったかな? 何故この街に居たのだね?」


「……と、言われましても召喚された地がここだったというだけですので……」


「ダンジョンについて何か知っている事はあるかね?」


「ダンジョン、ですか……私から言える事は何もないですね」


 父上の質疑応答に淡々と答えるユーリを見つつ、手元の魔道具に視線を落とす……どうやら嘘は何も言っていないらしい。

 女神様の使徒である勇者様に通用するかどうかは分からないが、とりあえずは危険はないと見て良いだろうか。


「保護される際にスラム街から逃げて来たと言っていたらしいが……勇者であればスケルトンくらいは簡単に撃退できたのではないかな?」


「向こうの世界では戦闘経験のない学生の身分でしたので」


「なるほど、力を与えられても急に使いこなせる訳ではないか」


「華奢な女性であれば尚更ですね」


 会話に入りつつ、角砂糖を一つのみ紅茶に入れる事で父上に『魔道具に反応なし』と伝える。

 彼女が勇者を騙る不穏分子の可能性が低くなった事を悟ったのだろう、父上の表情も幾分か柔らかくなった。


「さて、とりあえずだが準備が出来次第に君を聖王国に送りたいのだが……大丈夫かね?」


「それは……困りますね」


「おや? それはどうしてだね」


 てっきり彼女も聖王国行きを望むものと思っていたが、理由はいったいなんだろうか。


「わざわざ私のみがこの地に召喚されたという事は、それ相応の理由があると思うのです」


「ふむ、何かしらの役目があると?」


「私はやるべき事があると思っています……なので、差し支えが無ければこのままここに置いて貰えれば、と……」


 ふむ、確かに女神様が行われた事で失敗などある訳がない。そこには何か理由が、必然性がある筈だ。

 であるならば彼女の言い分も全く的外れという訳でもないだろう……実際に突然街の中でアンデッドが溢れた事だしな。


「それは別に構わないが、何をするつもりなのだね?」


「そうですね、とりあえずは女神様に頂いたであろう力がどんなモノなのか探っていきたいです……後はこの世界の常識などを学びたいですね」


 なるほど、彼女は未だに自分がどんな力を賜ったのか理解していないのか……だからこそ一般的なスケルトンからも逃げていたと。

 そして召喚されたばかりであるならば、彼女がこの世界について何も知らないのは道理。

 ……ここは、サヴォイア家の利益を考えても保護するべきだろう。


「それは確かに必要ですね……私も勇者といえども戦えない世間知らずの少女を旅に出すのは気が引けます」


「それもそうだな」


 私の考えは父上も思い至っていたのだろう。即座に肯定の言葉が返ってきた。

 それにここで彼女を保護し、ある程度の支援をする事で恩義でも感じで貰えれば聖王国がその一切を独占する筈だった勇者の一人に繋がりが持てる。

 上手く理想的な関係を築く事が出来れば我が領地との間で係争地を抱える聖王国への牽制にも、アウソニア連邦内での発言力の強化にも繋がるかも知れない。それらは全て我がサヴォイア家の、ひいては領民達の利益となるだろう。


「ではそうだな――ジョット、アイーダ」


「はっ!」


「ここに」


 父上の呼び掛けに応える様に、今まで背後に控えていたサヴォイア騎士団団長と侍女長が一歩前へ出る。


「ジョットは彼女に訓練を、アイーダは身の回りの世話を行う者達の選定をしてくれ」


「「かしこまりました」」


 私の剣の師匠でもあり、周辺地域に武名の轟くジョットなら勇者の指南役としては申し分ないだろう。

 アイーダも母上の信頼も厚く、長年このサヴォイア家の内務を家令と共に支えて来てくれた傑物なのだから心配はない。

 それに、完全に信頼できた訳でもないので監視の意味合いもあるのだろうか……そんな二人へ父上が指示を出しているのを、目の前の勇者は感情の読めない表情でただじっと見詰めていた。


「どうかされましたか?」


「……いえ、もしかしてですが、まさか私をこの屋敷に置いてくれるのですか?」


 彼女の表情が気になり声を掛けてみれば、そんな疑問が飛び込んで来る。


「そのつもりだったが、何か問題かね?」


「そうではなく、まさかここまで世話をしてくれるとは思ってもみなかったもので」


「なるほど」


 細かい指示を出し終えた父上が振り返り、彼女へと問い返せばそんな答えが得られる。


「我がサヴォイア家は戦う術も、一人で生きていく知識もない女性を一人で放り出す様な真似はしない」


 下心も勿論あるがこれも本心だ。

 無論、際限なく無尽蔵に助ける訳ではないが、せっかく縁が出来て知り合った人物なら絶対に見捨てはしない。


「そう、ですか……誠に感謝致します」


 そう言って頭を下げる少女に、思わず父上と顔を見合わせてしまう。


「よい、気にするな……もしも心が痛むのであれば、この地での役目を果たして聖王国へと赴いた際に返してくれれば良い」


「……ふふ、そうですね」


 お茶目にウィンクしながら心の負担にならない様に下心を態と晒した父上に対して、それを受けた少女が今日初めて微笑んだ。

 やはり急に異国の、異世界の地を踏んで右も左も分からず不安だったのだろうか……本来であればもっと笑う様な女性だったのかも知れない。

 こんな、こんな……毒とも言える魅力的な笑顔を見せられてしまえば彼女に抗える男など居ないだろう。


「さぁ、異世界からやって来たばかりで疲れているだろう? いや、聖王国からの使者が到着した日を考えると……いや、止そう。今日のところはゆっくり休んでくれたまえ」


 私の妹とそう歳の変わらない彼女が一人で路上生活をしていたかも知れないなど、想像しただけで心が苦しくなる。

 父上が途中で言葉を止めたのも頷けるというもの……早く彼女が先程の様な笑顔を沢山見せてくれる様になれば良いと願う。


「お気遣い感謝致します。それでは私は先に休ませて頂きますね」


「あぁ、何かあれば部屋の前で待機している者に申し付けると良い」


 父上の言葉に頭を軽く下げ、そのままアイーダに連れられて彼女が部屋を出て行く。


「少しばかり軽率だったな」


「……いえ、可能性は限りなく低くなりましたが彼女が完全に白だと決まった訳でもありませんので」


「そうだな、そうかも知れないな」


 口ではそう言いつつも、私も父上も彼女が周辺地域からの間者だという疑いはもう持ってはいない。

 間者であれば勇者を騙るなどという目立つ手段は取らなかっただろうし、何よりも――


「……我々を警戒していた様子だったな」


「えぇ」


 彼女が我々を見る目には警戒と猜疑の色が浮かんでいた。

 激しく虐げられて来た者特有の相手の顔色を窺い、また自らを防衛しようと起こる身体の強張り。

 むしろ彼女が我々を敵ではないかと疑っていたという事なのだろう。


「ベアトリーチェが遠い異国の地に飛ばされ、何も分からないままに路上で生活しなければならないとなったら何日もつと思う?」


「……すぐに倒れると思います」


 例えとして出された妹の名前に若干言い淀みながらも、素直な感想を口にする。


「まず勇者様には心を癒して貰う必要があるだろうな」


「そうですね、そして勇者様にあの様な目をさせるまでに虐げた者を見付け出して裁かねば」


 あの様に昏く、世の人間など誰も信用していないかの様なあの瞳……我々が保護するまでの間にいったいどれだけの責め苦を受けたのだろうか。

 もしやスラム街をアンデッドの楽園に変えた者が犯人ではあるまいか。


「……あまり入れ込み過ぎるなよ」


「しかし父上」


「あの勇者様の境遇には同情するし、本心から心身の快復を望むが……お前のそれは不純な物が混じり出しているのではないかね?」


「そ、れは……」


 私自身、今日が初対面でいくつか言葉を交わしたのみだというのに、もう既に彼女に惹かれ始めている自覚はあった。

 この様な感情は初めてで、どう処理して良いのか分からない……勇者様が女神様から頂いた力が魅了の類だと言われたら信じてしまいそうな程だ。


「サヴォイア家の跡継ぎとしてその様な感情に振り回されてはいかん……相手が勇者様となればお前の相手として申し分はないが、この世界に来てからどの様な体験をして来たかを考えれば――」


「父上ッ!!」


「……憶測で物を言い過ぎたな、勇者様にも無礼であった」


「……」


「今日は解散としよう」


 私を置いて応接室から父上が退出しても、私は暫くの間黙って拳を握り締めていた。

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