スラム街編.21.悪霊の女主人その2


「な、なんっ、だ……?!」


 漆黒の鎧に包まれた青い炎――としか形容できないその見た目。

 ラピスラズリの様なその焔は何を燃料に滾っているのか、それを包み込む紅い葉脈の走った夜の装身具はどんな材質で出来ているのか。

 明らかにスケルトンやレイスとは違った存在の登場に、驚きを隠せない様子の男を無視して憮然とした声で予定とは違う出方をしたアークに話し掛ける、


「……出て来るのが早すぎるんですが」


【おいおい、自分の主人のピンチに駆け付けたんだぜ? ちょっとは礼を言ったらどうなんだ?】


「保険は掛けてありました。そんな事よりも私はもう少しだけ対人戦の練習をしたかったのですが?」


 いざとなれば自分の足下に落とし穴を発動して緊急脱出も出来ましたし、何ならすぐ目の前にアークを召喚して盾にする事も出来ました。

 いくらスキルオーブから他人の技術や経験を得られるとはいっても、私自身の戦闘経験というのも大事だと思うのです。

 今回は格上を相手に実戦レベルで経験値を得られるチャンスだと云うのに、予定よりも早く出て来てしまってどうしたと言うのですか。


【……自分のマスターがボコられて、侮辱されたのが気に入らなかったんだ】


「……貴方本当に悪魔ですか?」


【大悪魔だが?】


 そんな理由で……何ともまぁ、人間臭い言い訳ですね。不快ではありませんが。


【どうせお前だけに戦わせはしねぇんだ、今のうちから俺様との連携を練習するんだと考えたらどうだ?】


「勝手に決めて……まぁ、良いです」


 アークが私の傍を離れないというのであればそれで構いません。

 ダンジョンの外で活動する時はどうするのか、といった事は後で考えましょう。


「――今は目の前の男を練習台にするのが先ですね」


【そういうこった】


 口元の血を拭い、呼吸を整えて静かに顔の前でカッターナイフを構える。

 心做しかアークの登場によってダンジョン全体が引き締まった様な気がします。

 スケルトンやレイス達も程よい緊張感を漂わせ、伝説の悪魔の号令を待っている。


【ダンジョンとマスターは一心同体――お前の痛みは俺が引き受ける】


 私自身も何処か安心する彼の背中を見て、何となく視野が拡がったような気がする。


【――安心して殺れ】


 その言葉に背中を押されるがままに、私達ダンジョンが動き出す。


「雰囲気が変わっ――?!」


 上空に召喚した『火石(極小)』で燃え盛ったグールが男へと殺到しては着弾する。

 飛び散った腐った肉の脂で燃え盛る炎に視界を遮られますが、ダンジョンはしっかりと炎の中の敵を《把握》している。

 そんな炎の中でも比較的に問題なく動けるスケルトンを落とし穴から出撃させ、時間を稼いでいる間に準備が整う。


「では行ってきます――」


【――行って来い!】


 アークの組まれた両手に乗り、そのまま人外の膂力で投げ飛ばされる。

 生まれて初めて体感する速度にちょっとした感動を覚えながら炎を掻き分け、驚愕の表情を晒す男へと首を狙った一撃を放つ。

 寸前で回避行動を取られますがそんな事はコチラも織り込み済みで、カッターナイフの刃を直前で伸ばす事で対応する。


「ぐっ……!?」


 傷は浅くとも、今回の戦闘で初めてまともに与えられた有効打を見て――なるほど、と……攻撃や騙し討ちというのはこうやって避けられない状況を、当てられる条件を揃えて初めて意味を為すのだと肌で理解できました。

 私の持つ刃が伸びる事など相手は知っていて、それでいて間合いではなく武器の軌道を読む事で避ける技術を持っている。

 それでも、分かっていても避けられない事態を作るのが肝要なのでしょう。


「――アーク」


【分かってるぜ、マスター】


 勢いが衰えず、そのまま放り出される私を瞬間移動したアークが抱き留めてくれる。

 目の前に召喚すれば着地の心配はしなくて良いとは、何とも便利な悪魔です。


【なんか失礼な事を考えてねぇか?】


「別に」


 返事もそこそこに、剣風によって炎を吹き散らし突撃して来る男を出迎える。


【おっとぉ! 温い剣撃だなぁ?】


「なんだ、なんだこの悪魔は?! 本能がコイツを滅ぼせと叫んでいる!!」


【それは俺様がお前らの天敵だからさァッ!!】


 アークの拳の振り下ろし一つで周囲の地面が――より正確には落とし穴の蓋が粉砕され、足場を失って強制的にさらに下層へと落とされていく。


「ぐっ……?!」


「移動手段を封じさせて貰いました」


 ただ落ちるしかない状況では私が対応できない速度で動き回る事は出来ず、下から吹き上げる風圧に剣筋もある程度はブレてくれる。

 そして何より、お互いが距離を縮められないのであれば間合いを自在に変えられる私が有利です。


「ヂィッ!!」


 それでも落下速度が常に一定という訳でもありませんので、稀に相手の剣先が私へと届く事があります。

 しかしそれも不思議な事に私自身は一切の痛みを感じず、傷を負った端から癒えていく。


 ――お前の痛みは俺が引き受ける。


 そんな言葉を思い出し、無意識に、少しだけ口角が吊り上がる。


「クソォ!!」


 元々お粗末だった剣技に、筋力や体幹が足らずに風圧でブレまくる剣筋……けれども一方的に攻撃されているというプレッシャーは無視できず、切り離した刃を飛ばす動作を織り交ぜる事で手傷は与えられている。

 相手も自由落下中だというのに十分に対応してはいます……私が繰り出す斬撃をいなし、時折飛来してくる刃を身を捩る事で凌ぎ、たまに私の視界を遮ろうと魔法か何かで光を発生させています。

 然しながら全ての攻撃を捌けている訳ではありませんし、私の視界を遮ったところでダンジョンが視ているのですから意味はありません。

 そしてそんな状態では――


【――背中がガラ空きだぜ?】


「――ガッ?!」


 私の召喚に応じ、男のすぐ真下に現れたアークが大振りな拳による痛烈な一撃をお見舞いしてくれる。

 一瞬だけ男の意識が飛び掛けたのを見逃さず、つかさずアークが男を羽交い締めにするのに合わせて、足下に召喚したグールを足場に跳躍――そのまま胸を貫く。


「ガハッ――?!」


 ……心臓を狙ったつもりでしたが、やはり未だに技術が追い付いていませんね。


【プッ! 外してやんの!】


「黙りなさい」


 こんな時でも私を揶揄うアークにイラッとしつつも、そのままこの落とし穴の終点へと辿り着く。


「――最終手段の溺死を味わいなさい」


 スラムに井戸が存在していた事からもしやとは思いましたが、きちんとこの街の下には地下水脈が通っておりました。

 水源の問題を解決する為に10万ポイントの大部分をここを領域化する事に費やしたのですが、それとは別に必殺の罠としても機能してくれる様ですね。


「それではアーク、私は先に上がってますからね」


【おう、任せとけ】


 アークには呼吸が必要なく、グールやスケルトンよりも遥かに強い膂力がありますので敵を拘束したまま沈んでくれるでしょう。


「離せッ!! 離せぇェエエ!!!!」


「まぁ、そうですね――」


 ――そこそこ練習にはなりましたよ、と……そう最後まで言い終わる前に勢いよく地下水へと着水していく。

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