スラム街編.7.探索


【寂れてんなぁ】


「……スラムと言うくらいですから」


 外套のフードを深く被り直しながら、頭の中に響くアークの声に返事を返す。

 ここ数日で幾人かの人間を狩りましたが、何が原因かは分からなくともヤバい雰囲気でも感じ取ったのか、ダンジョンの近辺で人を見掛けなくなってきました。

 ですので今日は少しばかり探索範囲を広げようという事で外出しています。


 そして少しダンジョンから離れてスラムの様子をじっくりと見て回っている感想としては……まぁ、悪辣な環境という事ですね。

 舗装なんてものはされておらず、剥き出しの地面に吐瀉物やら汚物やらが散乱して常に何処に居ても悪臭が鼻につきます。

 鼠や害虫が我が物顔で闊歩し、人の生気というものがまるで感じられません。


「にしてもすっかり人を見かけなくなりましたね」


【こんな治安が悪い所に暮らしてるだけあって嗅覚は鋭いんじゃねぇか?】


「かも知れませんね」


 彼らの魂から《危機感知》という技能も取得できていましたし、あながち間違ってはいないのかも知れません。

 特に根拠がある訳でも、何が原因であるのかも分からずともダンジョン周辺を避けているところは素直に凄いと思います。


「にしても……文明レベルがよく分かりませんね」


【使ってる武器が青銅じゃないのが驚きだ】


「1000年単位で引きこもってたアークの感想はアテになりませんね」


【うるせぇ】


 まぁ、それはそれとして……下水道から出て直ぐに殺したスキンヘッドさんが剣などを使っていたところを考えると、そこまで文明レベルは高くないのでしょうか。

 いえ、地球基準で考えてはいけませんね……なんせダンジョンなんていう不可思議なモノが存在する世界です。

 そもそもの技術体系などが全く異なる可能性だってあるのですから、早計は命取りですね。


「とりあえず人を見掛けたら話し掛けてみますか」


【連れ込んで殺さねぇのか?】


「少し遠いので人目に付く可能性がありますし、これから先で強い人物と会敵した場合にこの世界での武力を知らないのは致命的ですから」


 この世界に銃火器があるのか否かでも、ダンジョンに設置する罠などが変わってきますからね。


「――と、丁度いいところに人を発見しました」


 視線の先には怖そうなお兄様方が昼間だというのにお酒らしき物を手に談笑しているのが見えます。

 こんなスラムという治安の悪い場所でこの様な真似ができるという事は、恐らく何らかのグループに所属しているのかも知れませんね。


【おいおい、あんな怖そうな兄ちゃん達で良いのかよ?】


「むしろ都合が良いですね」


 見知らぬ人物が急に話し掛けてきて、この世界で常識とも呼べるような質問をしだしたら警戒するでしょうし、タダでは教えないでしょう。

 だからといってスキンヘッドさんからの戦利品であるいくらかの貨幣を差し出しても、スラムの住民はさらに警戒を増すか持ち逃げされる危険性があります。

 ですが、このスラムに於いてある程度の余裕があるあの方達ならばどうでしょう?


【つまり警戒するどころか舐めてくるって事か】


「そうです、少なくとも身構えられる事はないでしょう」


 スラムでは見掛けない様な小綺麗な女が話し掛けてくる事に疑問は抱くでしょうが、得体の知れない何者か、よりもどうやって私から利を得るかを考えるのではないでしょうか?

 少なくとも一見してただの小娘に警戒はそこまでしないでしょうし、そんな小娘が常識とも言えるような質問ばかりをすれば益々油断するでしょう。

 何処からか迷い込んだ箱入り娘か何かと勘違いしてくれれば上出来ですね。


【で? 情報を搾り終わったり失敗した時はどうするんだ?】


「ダンジョンまで逃げます。本格的に整備する前に簡単に用意した防衛機構や、ダンジョン内での戦闘という状況のテストをしたいですから……それにあの人数なら丁度いいです」


 それに、私がダンジョンまで人間を引きずって移動するのと、私が怖いお兄様方に追い掛けられているのとでは、仮に誰かに目撃されたとしても後者の方がスラムという場所において違和感は少ないでしょう。

 触らぬ神に祟りなしという事で、追い掛けられている私を見ても何もアクションを起こさず言い触らしもしないでしょうから問題ありません。


【抜かりねぇなぁ、お前】


「褒め言葉として受け取っておきますね」


 逃走経路の確認は……大丈夫ですね、きちんと来た道を覚えています。


「では話し掛けましょう」


 真っ直ぐに彼らに視線を固定して歩みを進めれば、先方もコチラに気付いたのか会話を辞めて顔を向けて来ます。


「失礼、少し聞きたい事があるのですが」


「おう、綺麗な姉ちゃんだな」


「少しと言わず色んな事を教えてやるぜ?」


「刺激的過ぎてぶっ飛んじまうかもな!」


 ……まぁ、はい……お世辞にもお行儀が良いとは思えませんが、我慢です。


「この世界で飛び道具と言えばなんですか?」


「? そりゃ弓や投擲だろ」


「聞きたい事ってこれか? 変わった姉ちゃんだな」


 なるほど、銃火器などは存在しない様ですね……まだ安心はできませんが、一先ずはほぼノーモーションで目に追い切れない致死攻撃の一つの可能性を排除できただけでも良しとしましょう。


「ここは何処ですか?」


「あん? そんなんも知らねぇのか?」


「知らないので教えて下さい」


「……アウソニア連邦トリノ伯国、その首都だが」


 なるほど、連邦制の国家なのですか……どの程度の結束なのかは分かりませんが一枚岩ではなさそうですね。


「地理関係はどうなっていますか?」


「北の大山脈を越えた先にシュヴィーツ誓約同盟、北東にはエスタライヒ公国、西にはガリア聖王国が……って、本当にこんな事も知らねぇのか? 国境の都市だぞここは」


「あら、そうなのですか」


 ふむ、そこまで重要な地理にあるとは思いませんでしたね……これが田舎の町であれば、世間知らずのお嬢様としてゴリ押し出来るかと思ったのですが。

 そんな重要都市の名前も、周辺の地理も知らない小綺麗なスラム女性などむしろ不気味ですね。

 彼らの顔からも侮りや下心といったものが消え、警戒や疑惑といった種類の感情が現れています。


「なぁ、お前いったい何処から――」


 あぁ、これ以上はダメですね、失敗してしまいました……目の前の男性がコチラへと手を伸ばし、他の二名もゆっくりと私の背後へと回ろうとする動きを見せています。


「――ふんっ!」


 これはもう仕方がないので目の前の男性から伸ばされた手が届く前に、彼の股間を思いっ切り蹴り上げてから逃走しましょう。


「――ぉあ――、っ――?!」


「あ、この野郎!」


「何しやがる!」


 先手必勝とばかりに攻撃を食らわせ、残りの二名が声にならない悲鳴を上げて悶える男性の介抱をするか私を捕まえるか悩んだ一瞬の内に身体を反転させて走り出します。


【いきなりアレは引くわ〜】


「初手急所は基本です。隙がある方が悪いのです」


 アークの揶揄いをいなしながらも、チラリと後ろを振り向けば――


「待てやゴラァ!」


 よしよし、ちゃんと追い掛けて来てますね……下手に仲間を呼ばれたり見逃される方が面倒なので運が良いです。


【で、これならどうすんだ?】


「適度におちょくりながらダンジョンまで誘い込みます」


【……程々にな】


 なぜアークに呆れた様な声を出されるのか分かりませんが、必要な事を順番にこなして行きましょう。

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