第9話エピソード9
◇◇◇◇◇
今思えば、ヒナに惹かれ、付き合いたいと思い出した頃から、前兆はあったように思う。
“それ”を自覚したのは、ヒナと付き合い出す少し前。
色々なことがあり、ヒナと距離を置いていた時だった。
このままヒナと会わない方がヒナの為になる。
あの時、頭ではそう分かっていた。
でも身体が言うことを聞かなかった。
俺を避けていたヒナを捕まえ、ヒナが想いを寄せていると俺が勝手に思い違いをしていた男に威嚇した。
思い出すのも恥ずかしい黒歴史だが、結果的に全て丸く収まり今に至るのだから決して無駄なことではないということは理解できるが、できれば思い出したくないというのがマサトの本音だった。
その時にマサトは自分の執着心の強さを自覚した。
今まで女に対して執着心など感じたことがなかったマサトは自分の変化に戸惑いを覚えた。
でも、これは別になにかがあってマサトが変化したわけじゃなくて、ただ単にこれまで手放したくないと執着するような女に出逢っていなかっただけ過ぎない。
ヒナに対して執着心を感じる様になってから、マサトは徐々に女だけではなくそれまで気付かなかった食べ物や好みにもヒナほどではないけど執着心を持っていることに気付き始めた。
そしてさっきの発言にあったように『一度好きだと思ったものはなにがあっても嫌いにならない』という自分の性格を自覚したのだ。
だから今はいい。
でも万が一、ヒナが自分と別れたいと思う時が来たらその時は大変だろうな。
マサトは自分のことなのに他人事のようにそう思っていた。
だってヒナから別れたいと切り出されても手放してやれる自信が全くないのだから。
「う~ん」
「ヒナ」
「いくら考えてみても、やっぱり私は残念だとは思わないかな」
「はっ?」
「だってどう考えても嬉しいばかりなんだもん」
「嬉しいのか?」
「うん。だって、それって言い方を変えたらマサトは、私のことを手放してやれないほど好きってことでしょ? それだけ愛されてたら別れたいなんて考えすら浮かばないと思うんだよね」
「……」
「それに私もマサトのことが好きだから付き合ってるわけじゃん。その好きがなくなる時ってそこにはそれなりの理由があるわけじゃん」
「それなりの理由?」
「うん。例えば、マサトに他に好きな女性【ひと】ができたとか」
「それは100パーセントありえないな」
「でしょ? 他に考えられるのは、マサトがお金や時間にルーズだったら別れる理由になるかもしれないけど、その心配もないし……」
「……」
「……ってことは、私がマサトと別れたいと思う理由がないんだよね。だからやっぱり残念なんかじゃないと思うんだけど」
「そっか」
「うん」
自分の執着心はウザがられる。
マサトはずっとそう思っていた。
だけど、ヒナは意外にもマサトの執着心をすんなりと受け入れてくれた。
それはマサトにとって嬉しい誤算だった。
ポジティブで前向きで天然のくせに妙にしっかりした一面も持つヒナは、ことごとくマサトの予想を裏切ることが多々ある。
でも、その裏切りは驚かされることもあるが、嬉しいことの方が圧倒的に多い。
今回もまた嬉しい裏切りだった。
「それでなにがあったんですか?」
ヒナが改まった口調でおどけたように尋ねてくる。
でもそれはマサトが話しやすいようにというヒナなりの配慮だった。
この時点で、マサトはヒナに全てを話す気満々だった。
だからそれが当然とでもいうかのように口を開いた。
「四季って覚えてるか?」
「もちろん。マサトの友達だよね?」
「そう。今日、四季と連絡が取れなくなってたんだ」
「えっ? でも、夕方四季くんとラーメンを食べてたんじゃなかったっけ?」
ヒナは不思議そうに首を傾げた。
「あぁ、夕方ヒナに連絡した時は四季とラーメンを食ってたんだ。四季はいつも星莉を迎えに行くから放課後は一緒に行動することも少なくなってたんだけど、今日は星莉が友達と遊んでたらしくて暇そうだったから誘ったんだ」
「星莉ちゃんって四季くんの彼女だよね?」
「そう」
「星莉ちゃんはマサトや四季くんと学校が違ったと思うんだけど……どこだっけ?」
「花ヶ森」
「そうだ、花ヶ森だ。お嬢様学校の花ヶ森。なるほど、だから四季くんとラーメンを食べに行ってたんだ。それで四季くんと連絡が取れなくなったのっていつ?」
「ラーメンを食べ終わって、星莉から四季に連絡が入ったんだ。それで四季が慌てて星莉のところに行くって言って。その後だな」
「四季くん、焦ってたの?」
「なんかそんな風に感じた」
「そうなんだ。それで、なんで四季くんはそんなに焦ってたの?」
「分からない」
「えっ? 分からないの?」
「あぁ。俺はその時、四季になにがあったのか聞かなかったんだ」
「どうして?」
「見た感じでなんかあったぽいことは、一目瞭然だった。でも、もしなんかあったなら四季から話してくれると思ってたから」
「だからマサトは聞かなかったんだ」
「あぁ」
「それで、四季くんもなにも言わずに星莉ちゃんのところに行ってしまったってこと?」
「うん。で、その後ちょっと嫌な話を聞いて」
「嫌な話?」
「そう、shadowっていう小さなチームがあるんだけど、そこが学生を相手に金を稼いでるって話」
「……はっ? 学生相手に?」
ヒナは驚いたように目を見開いた。
ヒナのこの反応はもっともだとマサトは思った。
マサトだって溜まり場でこの話を聞いた時はとても驚いたのだから。
「そう。結構派手に荒稼ぎしてるらしい。短期間の間に被害者もかなり出ている」
「てか、どうやって学生相手にお金を稼ぐの?」
怪訝そうに眉を潜めるヒナに俺はソウタや樹から聞いたことを話した。
話を聞くヒナの表情は、どんどん険しさが増していった。
そして、一通りマサトの話を聞いたヒナは
「……なるほど。てか、shadowっていうチームは最低だね」
怒りをあらわにして、そう言い放った。
そんなヒナの意見に
「そうだな」
マサトも同意を示すように頷く。
自分が人を批判できるような立場じゃないことは、マサトも重々承知している。
だけどshadowがやっていることだけは、どうしても許すことができなかった。
これまでマサトは人に言えないような悪事を散々働いてきた。
だけど普通の学生を脅して、金を稼ぐようなことをしたことはない。
いくら悪いことばかりしているマサトでも、人として本当にしてはいけないことはちゃんと分っている。
だからマサトはケンカをする時も相手が先に手を出さなければ、絶対に自分からは手を出さないようにしているし、他人に迷惑がかかるようなことを嬉々としてやることもない。
その辺の線引きはしっかりしている。
だからこそshadowがやっていることはどうしても理解できないし、ましてや黙って見過ごすこともできないと感じていた。
「そのチームのメンバーっていくつぐらいなの?」
ヒナの質問に
「平均して20代前半の奴が多いらしい」
マサトが口にした情報は、ついさっき樹が新たに調べてくれた情報のひとつだった。
「20代前半⁉ 普通に大人じゃん。大人が学生からお金を脅して取ってるの⁉」
「そうらしいな」
「うわっ、マジで最低じゃん」
「だな」
「ん?……ちょっと待って」
「どうした?」
「shadowっていうチームのターゲットになっている学校ってどこって言ったっけ?」
「本宮と調月。あと花ヶ森にも被害者が少し出ているらしい」
「花ヶ森って星莉ちゃんが通ってる学校じゃないの?」
「そうだ」
「もしかしてマサトが心配してたのって、星莉ちゃんがshadowっていうチームに何かされたんじゃないかって考えたから?」
「まだ分からないけど。もしかしたらその可能性もある」
「……そうなんだ。それで星莉ちゃんは大丈夫だったの?」
「……」
「マサト?」
「それもまだ分からない」
「えっ? もしかして四季くんとまだ連絡取れてないの?」
「いや、四季とはさっき連絡が取れた」
「そっか、良かった。それで四季くんはなんて言ってたの?」
「まだ詳しい話は聞いてないんだ」
「どういうこと?」
「四季と連絡が取れたのは、ヒナを迎えに来る少し前だったから、明日話しを聞くことにしてる」
「……明日?」
「そう、明日」
「ダメだよ」
「ダメ?」
「うん、ダメ。他の話ならまだしも、そういう話は早く聞いてあげないと」
「……」
マサトはなにも答えることができなくなってしまった。
それは、ヒナの言葉がもっともだったからだ。
一刻も早く話を聞いてやりたい。
そう思っていたのに、ヒナを優先させた。
もちろんそれはマサトが決めたことだが、こうしてヒナと一緒にいても結局は四季のことが気になって仕方がない。
その時点でマサトは自分の選択ミスに気付いていた。
「四季くんになにかあったっていうのは、マサトも感じてることなんでしょ?」
「そうだな」
「それなら明日なんて言ってる場合じゃないよ。今すぐにでも……そうだ、今から四季くんのところに行ってきなよ」
ヒナは言いながら、店を出る支度を始める。
「今から?」
「そう。今から」
「でも、もう時間も遅いし」
「なに言ってんの? いつも深夜徘徊してるじゃん」
「……それはそうだけど」
「きっと四季くんもマサトに話しを聞いてもらいたいって思ってるはずだよ。ね? 今から行ってきなよ」
ヒナはバッグを持って立ち上がった。
こうなってしまったら、ヒナはマサトがなにを言っても聞かない。
それが分かっているマサトはヒナの言うことに素直に従うことにした。
「分かった。じゃあ、ヒナを送ってから……」
ラーメンの代金を支払うため、ポケットから財布を取り出しながらマサトが紡いだ言葉を
「今日は送ってもらわなくていいから」
ヒナは遮った。
Precious Memories エピソード9 【完結】
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