第20話 泉の聖女 ⅰ
私の生まれたオストベルグという地は、とても厳しい場所だった。
帝国の東端に位置するこの土地は深い山林と過酷な自然、そして時折侵入してくる異民族たちとの争いにさらされ、人々の生活は楽なものではなかった。
私はそんなオストベルグを治めるオスタラグ辺境伯家の長女として生を受けた。
私の母は昔から病弱で私が生まれてすぐに産気熱で亡くなってしまったらしい。
だから、私はお母様の顔を知らない。
けれど寂しくはなかった。だって、その分の温もりをお父様や三人のお兄様たち、当時辺境伯だったお祖父様に領地のみんなが与えてくれたから。
みんな沢山優しくしてくれたが、特にお祖父様はたくさん甘やかしてくれた。
ことあるごとに「目に入れても痛くない、グレーテルに害を加えようとする不埒者は、わしの手で首をへし折ってやる!」と家中に響く大声で言っていた。
昔、私に横暴を働いた他領の騎士に対し「貴様、よくもわしのグレーテルに手を出してくれたな!一族郎党根絶やしにしてやる!」と大剣を持ってその騎士の家に乗り込もうとしたのを、お父様たちが必死で止めていたのを鮮明に覚えている。
あの時は、お祖父様があまりにも怖くて号泣してしまい、逆に私を泣かせたお祖父様がみんなから非難されていた。その変わりようとお祖父様の困り顔が可笑しくって、今でもクスリと笑ってしまう。
そんな風にみんなが私に甘いものだから、お父様は私を叱る役割を押し付けられることが多かった。もしかしたら、「母親がいない分、父親である私がその役割を果たさねば」と思っていたのかもしれない。
そうやって、叱る役割をかって出ていたせいもあってか、周りのみんなはお父様が私を嫌っていると思っているらしい。
だから、お父様が私を叱りつける度に周りのみんなが私を庇うような立場に立つことが多く、それが原因でお父様とみんなが剣呑な空気になることもあった。
けど、お父様はみんながいない所ではいつも優しかった。
特に膝の上で絵本を読んでくれるのがすごく好きで、お父様の仕事の合間や眠る前の少しの時間に何度もせがんで読んでもらった。そんな幼い私の願いを仕事でどんなに疲れていた時でも断ることなく、普段は見せないような優しい顔でいろんなお話を聞かせてくれた。
邪悪な巨人のお話に湖に棲む人魚のお話、腹ぺこなドラゴンのお話。怖い話も不思議な話も色々あったけどお話を語る時の優しい声が好きで、お父様とのこの温かい時間がとっても大好きだった。
そうやって、普段厳しく接するお父様が私に優しいことを知っていたから、みんなの前でどんなに私を叱ったとしてもお父様を嫌うことはなかった。ちょっとだけ怖くは感じていたけど。こうやって叱るのもきっと母親を亡くした分の役割もかって出ているんだなとも薄々感じ取っていた。
だから一度お父様に「お父様は新しいお母様を迎えないの?」と聞いたことがある。お母様に対して別に必要を感じてはいなかったが、お母様が居ればお父様も肩の荷が下りるかな?と安直に考えたからだ。
その時のお父様の苦悩した顔がずっと記憶に残っている。
お父様はその後深く目を瞑ってから「やっぱり、グレーテルはお母さんが恋しいか?」とすごく寂しげで苦しげで、申し訳なさげな顔をして問い返してきた。
この時、私は自分の質問がどんなに無神経な質問だったのかを初めて気づいた。
当時は知らなかったが、お父様はとてもお母様を愛していたらしく、お母様が亡くなっても再婚など考えられないと語っていたらしい。
そんなお母様の忘れ形見である私に対し、人一倍の責任と愛情を捧げることをお母様の墓前で誓っていたらしい。
だが同時に、私に母親がいないことへの負い目も常に感じていたようで、お祖父様や親しいものに再婚すべきかどうか度々相談していたそうだ。
「私の意地で、マルガレーテに寂しい思いをさせてしまっているんじゃないか?」
普段厳しく人に弱みを見せないお父様が酒の席でそんな事を言っていたことを、この時の私は知りもしなかった。
けれどこの時お父様の浮かべた顔や声や瞳の中に、私やお母様に対する深い愛情や申し訳なさ、そして何よりお父様が自身の不甲斐なさを悔いているのを感じてしまった。
だからこの時は必死で弁明してことなきを得た。
それ以来私はお父様に再婚な話を振ったことはない。
だって、お父様やみんなの愛情だけで私はいっぱい、いっぱい満たされてるんだから。
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