第8話 逃げ道 Ⅲ
天にまします我らが父よ。
父なる神は天にて我らを常に見守っておいでなのです。
死後正しき裁きを与えるため、天に我らの善不善をお確かめあらせるのです。
故に神は地上に生きるものたちにその御業を振るうことをなさらないのです。
故に神に縋りなさい。
(北方教会 正聖典 第三章第一節)
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春の日差しのように心地よい温もりの中、彼女は目を覚ました。
これほど心地よい目覚めはいつぶりだろうか。
ふと隣を見ると、若いお嬢さんがカクンカクンと船を漕いでいた。
薄汚れた村娘にような格好だが、その姿にはどこか気品を感じる。
それに、お日様みたいな温かさも──。
「んぁっ、ふぅっふぅん……。」
うたた寝していたお嬢さんが眠気を殺しように伸びをした。
彼女は一体?
「ふぅ、よかった儀式は問題ないようですね。
では私はこれで」
そういうと、要は済んだと言わんばかりに立ち上がって外に向かおうとする。
「ま、待って下さい!
あなたは一体だ──!?」
呼び止めようと咄嗟に身体を動かしてギョッとした。
身体が、動いている。
さっきまであれほど念じても動かなかったと言うのに。
それになぜかしら。どこも痛くない。
ジュクジュクとにじむ発疹も、指先をつんざく痺れも、農場主の手のものが殴ってきた顔の痛みさえもない。
そう殴られたのだ、あの子を攫うと言いながら。
咄嗟に寝床から飛び起きようと全身を跳ね上げた。
けれど足に力が入らずそのまま倒れそうになった体がフワリと支えられた。
すぐ目の前でお嬢さんが心配そうに見つめてくる。
疲労の浮かぶその瞳は、太陽のような金色をしていた。
「急に動いてはいけません、しばらくは安静にして下さい。
彼女は私が命に代えてでも救い出して見せますから、あなたは安心して休んでいて下さい。」
そう言って彼女は母親のような柔らかな笑みを浮かべて、私を寝かしつけた。
「でもっあの子は攫われるってて、なら、すぐに行かないと!」
「彼女なら無事です。
今から私が迎えに行きますから、どうかここで待っていてください。
すぐに連れ戻して見せます。」
何を根拠に言っているのかは分からない。
けれど、彼女のその目は確信し切った目をしてたせいか、不思議と彼女の言うことを信じていい気がした。
「だから貴方はここで待っていてください。
これでも、足には自信があるんですよ?」
「──分かり、ました。
どうかあの子を、お願いしますっ」
まともに動けもしない己が行っては迷惑になるだけだろう。
駆け出したい自分を押し殺してそう言った。
「はい、任されました。」
彼女のその顔は、太陽の勇士のように凛々しかった。
その姿を見て私は「きっとまた娘の顔が見られるという」無根拠な確信を抱いたのだった。
成る程、御令嬢はこんな所に隠れていたと。
そして、なんやかんやあって少女の無事を察知して母親を医術か何かで治したと。
なんやかんやの部分が胡散臭いが、大筋御令嬢は悪人ではなさそうだ。
むしろ、慈悲深さとカリスマを兼ね備えた聖女らしい人間といえる。
こう言った感動話、さぞパウロ様もお気に召したことだろう。
そう思ってパウロ様の顔を覗くが、何やら深刻そうな顔をしている。
おや、何かお気に召しませんでしたかな?
「その、この話から推測するとなんですが、彼女はその、魔術のようなものを行使したってことですか?」
「私がこの目で確かめたわけではないのでなんとも言えません。
悪様に言うように聞こえるかもしれませんが、半日も経たず死にかけるほどの傷を治したのですから、恐らくは。」
んん? 魔術がどうたらって話か? 何が問題なんだ?
魔術なんてどこにでもあるだろ?
この世界で魔術とは一般的ではないが普遍的な存在だ。
誰彼構わず使える便利なものというわけではないが、どこの国でも何かしらの魔術が存在している。
その呼び名もさまざまで、魔術に呪法に妖術、行、道、カバラに御業と色々ある。
そしてその効果もさまざまあって、同じ儀式をしても場所によっては効果が変わってくる。
なぜそれ程多岐にわたるかというと、魔術とは神様次第の力だからだ。
儀式の一環でもない限り、魔術を使うたびに神様を呼んだり許可を取ったりする必要はない。
それに、神様が関係していなくても魔術を行使できる場合もある。
だがそれでも、魔術は神様のものなのだ。
なぜなら、神とは通りそのものなのだから。
だから、神に最も近しい存在である神官や聖人が魔術に長けていてもおかしくはない。
むしろよその国では魔術の腕が神官の地位に直結する場所さえあるのだ。
だから、慈悲深さとカリスマを兼ね備えた神の僕が、魔術を使えてもなんらおかし事ではない。
強いて言うならば治癒に関連する能力がダメなのかもしれない。
この国の父なる神とやらは相当な武闘派とかで、「傷など唾つけておけば治る! 治癒などと軟弱なもの言語道断である!」って言うタイプかもしれない。
まぁ、聞いてみりゃいいだけの話か。
「なぁパウロさん」
「どうしました?」
「御令嬢が治癒の力を使えて何の問題があるのか?」
「いや治癒術が問題じゃなくてですね、えぇーっと」
パウロ様がうんうんと呻いている。
あれ、俺何かまずいこと聞いちゃいました?
「この国には昔から崇められている神がいます。」
パウロ様に変わって少女の母親が語り出した。宗教勧誘はお断りだぞ。
「その神は天地とあらゆる生物、そして心を与えたのち天に昇ったとされています。」
ここまではよくある神話だな。
「そして天に昇った我らが父は、死後の裁きを下すためにただ天から見守っているとされています。」
天地創造と昇天、死後の審判。
神話によく出る要素のスターターセットみたいな品揃えだ。
「それで?」
「以上です。」
「は?」
いやもっとこうないのか?
終末をもたらす悪と戦っているとか、人々に罰を下すとか、聖なるものに力を与えるとか。
「朝護さん」
パウロ様が呼びかけてくる。
「父なる神は人々に公正な審判を下すために、地上に一切の手出しをしないとされています。」
「一切の」
「はい、一切のです。」
「じゃあ父なる神とやらは以外の神様は?」
「天上には父お一人でいるらしいです。」
「じゃあ使徒や眷属は?」
「全能たる我らが父は全ての行いをご自身でなさっておいでなそうです。」
成る程、そう言うことか。
あまりに俺の常識の範囲外すぎて理解し難かったが、だから彼らが不審がったわけか。
「つまりこの国では神の御業など現れるはずがないって事だな?」
「はい、教義上は、そうなりますね。」
とんだ役立たずだなこの国の神は。
「つまり、父なる神とやらは単なる覗きまでこっちに手出ししないと。
だから治癒の力を振るう御令嬢は少なくとも父なる神とやらの僕ではないってことか。」
「はい、俄には信じ難いですが……。
それと除き魔だなんて他所では絶対に言わないようにしてくださいね?」
パウロ様達は御令嬢が御業を使ったことに対して思い悩んでいる様子。
だが俺はそもそもそんなことが懸念されていること自体に驚いた。
この国はやっぱり怪しすぎる。
無価値な神を信仰しておきながら、貴族の間では異常な数の金眼持ちを有している。
片方だけでも奇妙だと言うのにその両方が揃っているなど怪しいにも程がある
仮に無価値な神を信仰して金の虹彩持ちが少ないならばまだ納得できる。金の虹彩という神との親和性の高いものが少ない異常、神が廃れても理屈は通る。
仮に力を持った神を信仰して金の虹彩持ちが多いならより納得できる。神の強大な力を持った金の虹彩持ちが他国を侵略するなんて、国の国主にとっては夢のような物語だろう。それこそ、異界からの住人が言うちーとという奴だ。
だが無価値な神を信仰して金の虹彩持ちが多いなど、道理に合わないにも程がある。
侵略国家や宗教国家が聞いたら泣いて抗議するような状況がこの国では常識とされている。
そして世界の常識のような彼女が、この国では非常識とされ迫害されている。
「────」
いかんな、変な同情を抱きそうになった。
旅は道連れ世は情け。
旅の仲間は己を道連れにし、世は簡単に情に流される。
これ以上余計なものを背負っては、一歩も前に進めなくなる。
余計な感傷は奈落に捨てしまえ。
「そろそろ夕食の時間だし、表でなんか買ってくるわ。」
「私もお供します。」
そう言って男二人は立ち上がった。
時刻はすでに夕方、斜面に位置する岩窟地帯に山脈の影が差し込んでいる。
夕食の時間としてはバッチリだろう。
生憎と女性陣は揃いも揃って役立たずだ。
病人、眠り姫、追われ人。よくもまぁこんな連中が揃ったもんだ。
仕方なく男二人が買い出しに出ることとなった。
崖から一歩外に出ると、川向こうの斜面が夕陽に照らされ燃えるように輝いている。山脈の影との対比で、黒と赤の巨大なキャンバスのようだ。
崖下のフルッツ川は黄金色に転じていた。
こんな貧民街にあっても、自然の美しさは健全だ。
「何してるんですか朝護さん! 夜が来ちゃいますよ!」
パウロ様にとってはどうでもいい光景のようだ。意外と食い気に走るタイプか?
昼に食った腸詰は美味かったなぁ、あれは確実に買いだ。それに魚もよかった丸焼き以外にもあるだろうか。フライなんてあったら最高なんだが、嗚呼でも川魚ならスパイスも欠かせないよな川魚に合うスパイスと言ったらペッパータイムガーリックにいろいろある。それに夜になれば酒を振る舞う店も増えるだろう。天下に名高い帝国の美酒、ワインに麦酒に──
10歩も歩けば頭の中は食い物のことでいっぱいだった。
旅の娯楽といえば旅先で食べる珍味・美味・新味だろう、存分に楽しまなくては!
そんな皮算用しながら城郭の扉へと向かっていた。
嗚呼何を食べようか、ゴクリ。
「──すまないパウロさん、財布忘れたから先行っててくれ。」
「いえお金くらい私が──」
パウロ様から離れた俺に、視線を送るものがいるな。
貧民達のものではない、明らかに武術の心得を持ったものの気配だ。
それも二人。見えるところ以外は鎧を纏っているな。
だがマイヤー騎士団のものでもない。
あいつらみたく威圧感と自尊心丸出しの気配じゃなく、むしろ押し殺すような気配。
こんな分かりやすい動きでも気配を紛らわそうとしない以上、こちらとの接触を図りたいと言うことだな。
面白い受けて立とうじゃねぇか。
面倒ごとはごめんだが舐められるのは癪なのだ。
俺はそいつらを誘い込むように襤褸小屋の裏へと入り込んだ。
俺は襤褸屋の裏で構えをとっていた。
入り込んできたらいつでも反撃できる準備はとっている。
さあこいすぐこいいますぐ──。
そうして待っていると目の前に何かが飛び出してきた。
来た!と思い刀を走らせようとした。
が、寸前で止めた。
飛び出してきたのが、騎士の剣だったからだ。
それも鞘付きの。
なんだそう言う技か? 意識を逸らすための陽動か?
警戒を緩めることなく、構え続ける。
するとまたしても何かが飛び出してきたのが。
今度こそ! と思い抜こうとした刀をなんとか押し留める。
またしてもとんできたのは剣。
もちろん鞘付き。
これで追手の二人分の剣が目の前に落っこちてきたこととなる。
「すまない話を聞きたいだけなのだ!
必要とあれば鎧も脱ごう!
だから警戒を解いてはくれないだろうか!」
どうやら追手は話をしたかっただけらしい。
あれ、てことは俺目の前に飛んできたおもちゃに意気揚々とじゃれついていただけってこと?猫か何かかよ……。
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