第7話 逃げ道 Ⅱ
父なる神は我々に感じる心をお与えになった。
快も苦も、愛も憎も神のお与えになったものだ。
故に神を讃えなさい。
(北方教会 正聖典 第二章第一節)
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西都 ハウベットは300年の歴史を持つ由緒正しき要塞都市だ。
その長い歴史ゆえ、使われなくなった施設も数多く存在する。
その一つが、西都東側に広がる岩窟地帯だ。
岩窟は軍事目的や都市が未熟だったときの宿泊施設としての役割を担った。
しかし戦乱も終わり都市も十分に大きくなった以上、もはや不要な地帯。
それ故に城郭外の崖に位置するこの岩窟地帯は、長い時を経て不要物の溜まり場となっていった。
つまり、スラム街になったのだ。
少女に連れられて一行は町の東に聳える城郭へと辿り着いた。
西都を囲うこの城郭は、俺の背丈の倍はある。
その城壁に凹凸もなく、無理をすれば登れないこともないと言う程度の取っ掛かりしかなく、御令嬢を横抱き(いわゆるお姫様抱っこ)で抱えている俺には登れそうもない。
他の抱え方なら出来なくもなかったのだが、肩に担ぐのも背負うのもダメだと言われているので仕方がない。
未だ性癖の件を引きずっているのか一向に他の抱え方を許してくれる気配もない。お優しいパウロ様は淑女の純潔を守るべくこうして配慮なさっているのだ。信頼のなさが寂しいぜ……。
ただ心配など杞憂だった。
少女は外郭に沿って歩いて行くと扉に設置された木製のドアを開け、そのままスタスタと城郭の外へ出て行ってしまった。
この城郭は、街の内と外を分断するもののはずだ。
それなのにろくな関所もなく、扉の開け閉め一つで街の内外を行き来できるなんておかしな話である。
だが今はそれがありがたい。
俺たちも少女の後を追うようにして扉を潜った。
扉の先は薄暗い埃っぽさに包まれていた。
剥き出しの岩肌に建てられた襤褸屋は基礎も土台もあったものではない。
そこら辺の角材やら流木やらを組んで作られた納屋は、幼児の創作のように不細工で穴だらけだった。
そんな家々が崖の下までずーっと続いている。
木に石に布にと様々な材料で作られた家々は種類が豊富といえば聞こえはいいが、実際は統一感も技術もない素人の作品に他ならなかった。
だがそんなところにも人の気配はあるもので、食器のぶつかる音や騒ぎ散らす酔っ払いの声など色々なものが聞こえて来る。
ここがこの街の貧民街か。
扉の先には門番と思われる草臥れた服の男性が立っていたが、俺らに一瞥をくれた以上の反応を示さなかった。
異国の男性が気絶した若い娘を抱えていると言うのにこの反応。
さては普段から見慣れてやがるな。
大方街からそういった目的の人間が、証拠を残さないために頻繁にこの扉を使うのだろう。出なければこんな犯罪的な場面見逃すはずがない。誰が犯罪的だコラァ!
「こっち!」
少女が貧民街を駆けていく。
歩き慣れた足取りが、少女がここの住人であることを示している。
その少女を追うように、俺たちは貧民街の坂道を下っていった。
坂を下った先は穴だらけの崖だった。
穴の一つ一つが丁度人が住める程度の広さにくり抜かれており、住むにはうってつけの場所だ。
彼女は岩肌を伝うようにして奥の方の穴へと入っていく。
俺たちも少女に続いて急な岩肌を進んでいく。
少女やパウロ様はいいが、俺は御令嬢を抱えて進まなければならず難儀した。
後ろに続くパウロ様が心配そうに俺のことを見つめて来た。
「だったら抱え方なら変えてもいいか」と聞いたところ「ギリギリまで頑張って下さい」と申し訳なさそうに言われた。心配するくらいなら許可が欲しいんだが。
そうしてなんとか奥の穴に入ることに成功した。
ドカッと地面に座り込む。
すっげぇ疲れた。
「お疲れ様でした、朝護さん。
俺が非力な分負担を掛けてしまって申し訳ありません。」
「ハァハァ、いんや、この程度、どおってこと、ないさ。
それよりも、崖の、ど真ん中に、よくも、こんな所、が、ある、もんだな。」
強がってはみたものの息は絶え絶えだった。
お陰で質問もぶつ切りになってしまった。
「私も驚きました。
西都の崖には岩窟地帯があるとは聞いていましたが、こんな風になっていたんですね……。」
どうやらパウロ様も知らなかったらしい。
貧民街のど真ん中だし無理ないか。
朝護は周りを見渡した。
穴は平民の家としても十分な広さがあった。
壁は潰れた円形にくり抜かれており、床には排水用の溝が掘られている。掃除の時は床に水でも撒けば、汚れも溝から流れて行くのだろう。
そして奥行きもあるようで、俺たちのいる部屋の奥にもまた別の部屋がありそうだった。
俺が突っ込まされていた独房とは天と地ほどの差がある。もちろんあっちが地だ。
どう考えても天然物じゃねぇなこの岩窟。
それに貧民たちで作ったにしてはよく出来すぎている。襤褸小屋に住んでいる彼らに作れるとも思えない。
一体なんなんだこの岩窟は?
「パウロさん、おじさんこっち」
ガキが岩窟の奥から顔を出した。
誰がおじさんだクソガキ。
「おじさんじゃなく朝護って名前があるんだ。
そっちで呼べ。」
「分かった。
朝護こっち」
さん付けぐらいしろや鼻垂れが。
それにパウロ様と対応が全然違うぞ。
あれか?
騎士団から逃げる前にネズミの群れに突っ込んだやつの胸を蹴っ飛ばしたから引かれてんのか?
でも水月に打った衝撃で心臓が止まりかねなかったんだから仕方ないだろ。
寧ろ荒くれにすら慈悲を掛けているって称賛されてもいいはずだ。
絵面はまぁ、死に体のやつに追い討ち掛けてるだけだったが。
俺はグイッと御令嬢を抱えて立ち上がった。
御令嬢は移動の最中ずっと眠りっぱなしだった。
特に気遣う事なく進んできたから寝心地は最悪な筈。
だが──
腕の中で御令嬢はスヤスヤと眠っている。
一体どれ程疲れていたのやら。
御令嬢が西都についたの早朝のはず。
それから俺たちに会うまでの間、休む時間は十分にあった筈だ。
にも関わらずこの眠りよう、こいつそれまでの間何してたんだ?
そんな事を考えながら俺は岩窟の奥に彼女を運んで行った。
このまま、抱えているわけにも行かないからな。
岩窟の奥には予想通り別の部屋があった。
床には藁と布が敷かれ、女性が一人上体を起こすようにして迎えて来た。
「事情は娘から聞きました。
なんとお礼を言ったらいいか……。」
病弱そうな女性が申し訳なさそうな顔をしてそう告げる。
本当お前の娘のせいで大変だったぞ。どう責任とってくれる? なあ?
「いえ私は何も。
ほとんどこのお二方がやってくれたらので御礼はこの二人に。」
まぁなんて謙虚なんでしょうパウロ様!
あなたが何もしていないなどとんでもない!
あなたが居なければ確実に見捨てていた訳ですからあなたが救ったようなものです!
それなのになんと思慮深いのでしょう!
さすがパウロ様!
「はい、お二方には感謝しきれない程の恩を作ってしまいました。
どうお返ししたらいいか。」
パウロ様がああ言っている手前こちらがお礼よこせと言うのも忍びな──いやそうでもないか?
命を救ったて言う大義名分があるわけだから貰ったとしてもバチも当たらないだろう。
でもなぁ、コイツらがろくなものを用意できるとも思えないし。
それなら謙虚さ装ってパウロ様の点数稼ぎした方がいいか。
「人助けをするの当たり前のことです。
気にしないで下さい。」
「そんな悪いdーー。」
女が何か言っているが無視しだ。
それより今はパウロ様の反応が知りたい。
こっそり彼の顔を盗み見る。
さっき絆のなさを体感しちまったから不安なんだがどうだ?正解か?
そんな彼の顔に写っていたのは──
──冒険譚に胸を躍らす少年のように輝く瞳だった。
ヨッシャア見たかクソガキ! これが絆の力ダァー!
心の中でガッツポーズを決めた。
パウロ様の瞳には惜しみない賞賛の色が見えた。
この選択は正解だったらしい。
まさに以心伝心ってやつだな。
ひとしきり感謝の言葉をもらった俺らは、入り口の方の部屋に移動することにした。
御令嬢の安眠を邪魔しないためだ。
別にこうして喋ってても起きる気配などしないのだから問題なさそうだが、病弱そうな母親まで移動したのだから動かないわけにもいかないだろう。
病人を動かすのは気が引けるとパウロ様は押し留めたが、たまには日の光も浴びたいのですと言われては、さしもの彼も断れなかった。
「それで、一体何があってこんな事態になったんだ?」
母親にそう質問を投げかけた。
ここまで手間かけさせた以上、相応の理由があるんだよな?
「そうですね、まずは私たちの身の上から順にお話しします。」
そう言って、母親は事のあらましを語り出した。
彼女は逃亡して来た農奴なのだそうだ。
農奴とは読んで字の如く、農民と奴隷の合いの子のような存在だ。
農民として畑を耕すが、同時に奴隷の如く扱われる。
自由恋愛などもってのほかで農場主の意思のもとに番にされ、引き離される。
場末の賭け事の景品として、兄弟から引き離されて献上される。
そう言った存在なのだ。
じゃあ奴隷の一種ということかと言うと、この国ではそうでもないらしい。
農奴とはあくまで国民の一部なのだ。
奴隷のように拘束されているものの、本質は自由民の一種だそうだ。
「人として外敵から守られ、国民として振る舞う権利を持ち、自分の家族や家も持てる以上奴隷とは違うでしょ?」と言う理論らしい。俺には詭弁にしか聞こえないが。
それに、奴隷とは手間がかかるのだ。
帝国の周囲に二つの紛争地帯を抱え、奴隷には事欠かない。
けれど言葉も違い文化も違う彼らを拘束するのは大変なのだ。
それに戦争奴隷も多く、庶民には手に負えない者ばかり。
自国に従順な農奴という存在がいる以上、庶民に奴隷を購入する利点は少ない。
故に奴隷とは裕福な者しか持てない、嗜好品の一種なのだ。
そう言った点で農奴と奴隷は違うとされているのだ。
無駄話が多くなったがとにかく、彼女は農奴として厳しい生活を送っていたそうだ。
そして、あまりの厳しさに耐えきれず少女の父親と駆け落ちしてこの貧民街に落ち延びた。
だが落ち延びてからが大変だった。
貧民故に疎まれ迫害され、余所者故に貧民からも拒まれ、子持ち故に日々の糧にも困り、文盲故に仕事などなかった。
農奴として囲まれていた頃のがよっぽど安全だった。
そんな生活の中で彼女の夫は荒んでいき、ついにはどっかへ行ってしまった
彼女は子供を抱えて一人、敵地に置いてきぼりにされたのだ。
彼女には逃げ場などなかった。
農業主に捕まれば厳しい折檻が待ち受けるだろうし、そもそも子供を抱えてここから離れても居場所などない。
だからせめて、この子だけでも大切に育てようと思ったんです。
何処かに行ってしまった父親の分も、彼女は身を粉にして働いた。
朝から夕刻まではスカベンジャーとして働き、夕刻から朝までは見知らぬ男と床を共にした。
スカベンジャーとは街の土を外に運び出す市街清掃員である。
下水や共同トイレなどないこの国では、糞尿は道路に投げ捨てる。
そうして投げ出された糞尿は、路上の埃やゴミ、馬の糞などと混じって非常に臭くなる。
そうしてできた物体を、隠語として夜の土あるいは土と呼んだ。
そんな物体を放置していては臭くてかなわない。
そこで行政はスカベンジャーという仕事が設けた。
けれどスカベンジャーは金銭的利益を生まない。よって給金は少ない。
そして土なんて扱わなければならない。よって臭い。
さらに量も多く大変だ。よってきつい。
少ない・臭い・きついの三拍子が揃った仕事をしたがるものなどいない。
だから貧民へと押し付けられたのだ。
ここにつながるあの扉も、そう言った点から監視が緩くされている。
こんな大変な生活をしていれば、体も悪くなるというもの。
事実、次第に彼女の体は、疲労と病原体と性病に犯されていった。
次第に悪化して行く体に、彼女は満足に仕事をすることもできない。
まだ幼い娘もスカベンジャーとして働かされているが、それでも生活は苦しくなる一方だった。
このままでは幼い娘の春さえ売らなければならない。
なのに体は起き上がることも出来ない。
それに追い討ちをかけるように、農場主の手のものがやってきてた。
農場主が彼女の居場所を掴んだのだ。
けれどその頃には病に犯されていた彼女を農場主は連れ帰ろうなどとしなかった。
農場主の手のものは彼女を殴りつけながらこう言った。
「代わりに娘を連れて行くからお前は必要ない。
今頃街のチンピラが、娘を追いかけ回しているだろうさ。」
ひとしきり殴り終えた農場主の手のものは、彼女を放って去ってしまった。
放っておいてもじきに死ぬと考えたのだろう。
顔の痛みと病の熱で白く染まった頭で、必死に体を動かそうとした。
けれどもう死ぬのを待つばかりの四肢は、最後の力さえ振り絞ることも出来なかった。
からの雑巾を絞っても意味はないのだ。
「あぁ、神様、私の命を捧げてもいいです。
だからどうか、あの子だけでもお救い下さい。」
「ご安心なさい。
どちらも必ずや、お救い致します。」
朦朧とした意識の中、誰かの声が聞こえた。
その声は、これまでの人生で感じた事のないほど温かかった。
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