第5話 邂逅 Ⅳ



 パウロ様が西都の裏路地を駆ける。

 決して逞しくはないその体躯だが、その駆ける様はまさに戦士のそれだった。

 その瞳には弱きものを救わんとする強い意志が、その口には悪逆なるものへの確かな義憤があった。

 その姿はまさに勇者の如く。


 もう少しの慎重さを持っていたら文句なしなんだがーー。




 二人の男が西都の路地を駆けていた。

 紹介するまでもないが、パウロと朝護である。

 パウロは青い善意に背中を押されるように走り、朝護は嫌そうな顔を浮かべながら小走りについていく。


 ただの農民と歴戦の武人。

 けれど今この瞬間は、どちらが勇ましいかなど言うまでもない




「本当勘弁してくれよ……」


 俺の全神経が警鐘を鳴らしている。

 これは絶対碌でもないものだ。


 アイツらを褒めるようで癪だが、この街の治安を維持するマイヤー騎士団は国でも有数の騎士団だ。

 そんな者たちが警邏している以上、大通りは比較的安全だし、この街の住人たちも進んで大通りを使う。


 けれどたくさんの人間が来る街の性質上、一歩裏路地に入れば危険がウジャウジャしている。だから住人も家の直ぐ目の前でもない限り、積極的に裏路地を使おうとはしない。

 だから、そんな所にいるのは碌でなしか、碌でなしの仲間か、碌でなしの下でしか生きられない連中か、いずれにしろ碌でもない連中だ。

 侵入しないに越したことはない。


 それに少女の悲鳴が聞こえたのは路地裏のさらに奥の方だ。

 路地裏の奥地ににいる連中など、碌でなしを熟成発酵したような連中ばかりだ。

 真っ当な人間など居るべくもない。少女もまた然りだ。


 絶対に関わらない方がいい相手だと言うのは分かっている。

 そんな人物の所に向かおうと言うのだから、そりゃ嫌そうな顔にもなるってもんよ。


 けれどパウロ様を一人にするわけにもいかない。


 この青年は若い善意に押されて走っている。

 こちらの静止など聞こえていないらしい。


 彼の善意に救われてばかりの俺が言うのも何だが、もう少しこう、他人に冷たくしてもいいと思う。

 けれどそんなところが素敵ですよ、パウロ様。




 二人は少女の下へと向かうため、裏路地を右に左にと進んでいく。


 次第にの臭いも強くなってきた。

 路上にはネズミの死骸が散乱し、その死体を食べようとするネズミが寄り集まって一つの生命体の如く蠢いている。

 どうやら都市清掃人の手も届かない街の奥地へと来てしまったらしい。


 そろそろ引き返さないと大変なことになるな。

 もし何かあったらパウロ様の身が危ない。

 丁度そう思った所で、曲がり角の先に剣呑な気配を察知した。


 咄嗟にパウロ様の首根っこを掴んで、抱え込むように壁際に身を寄せる。


「うげっ!」


 突如首根っこを掴まれてパウロ様は呻き声を上げた。

 申し訳ないが、曲がり角の連中に気付かれたくはない。

 俺はパウロ様の後ろから抱き付くようにして口を塞いだ。


 口を塞がれたパウロ様が咄嗟に抵抗したが、口を塞いでいるのが俺だと判断すると直ぐに静かになった。

 そして俺が気配を殺しているのに気づいてか彼も息を殺す。察しが良くて助かりますパウロ様。


 俺は静かに曲がり角の先を盗み見る。

 パウロ様もそれに倣った。


 曲がり角の先に居たのは三人の男と幼い一人の少女、それを庇うように立つ薄汚い格好の村娘だ。


 三人の男は手に刃こぼれしたナイフや木の棒など思い思いの武器を持っている。どこからどう見ても碌でなしであった。

 そして幼い少女はきっとあの悲鳴の主なのだろう。

 襤褸を巻きつけただけと言った服装が哀れみを誘う。如何にも「可哀想な被害者です」と主張しているようだ。


 そして最後の村娘は少し違和感があった。

 長い黒髪に薄汚いコットを纏う彼女は、確かに華奢な普通の村娘らしいと言える。

 けれどその薄汚れ方はこの町で長年使い古されたからと言うよりも木々や泥で汚れたもののように見える。垢による汚れより、引っ掻き傷や土汚れが目立っている。

 それにこの角度からだと後ろ姿しか見えないが、彼女の姿勢には相当な疲弊が見える。ほらっ、今もフラってした。

 まるで地獄の行軍訓練後の新兵のような有り様だ。

 いくら荒くれ者から少女を庇っているとはいえ、これは尋常な疲弊ではない。


「っ! ふふふふふっ!」


 助けなきゃとでも叫んでいるのだろう。


 俺の拘束を振り解いて彼女らを救おうとするパウロ様を締め上げた。

 驚愕と失望がこもった瞳でパウロ様が見上げてくる。

 

 いや待ってこんな出来すぎた状況十中八九罠だから!落ち着いてくれ!

 ああくそ、声を出せないのがもどかしい。


 だってそうだろう、この状況どう考えても出来すぎている。明らかに救ってくださいと英雄願望を刺激するための演出だ。




 繁華街では、か弱き乙女が不埒な人間に襲われていると言う構図はままある。

 繁華街ゆえに治安が悪く、碌でもない連中が集まりやすいと言う要因もある。

 けれどやはり一番は、美人局だ。


 街に来たばかりのお上りさんや分別の付かず勇気だけ一丁前な人間などが正義感を刺激され誘き寄せられる。

 そうやって愚かにも釣り上げられた馬鹿は、そいつらの思うがままだ。


 実際にやられたフリをして達成感に浮かれたバカを口八丁で騙すもよし。

 美人局に背後から攻撃させるもよし。

 隠していた仲間たちと一緒に袋叩きにするもよし。


 それにこう言った表の目の届かないところは彼らの巣窟だ。

 昔何度か美人局に釣り出された時は、スラム中が総出で襲ってきて大変だった。

 あれから逃げんの大変なんだよなぁ。




 俺は周囲を確認して周りを囲まれていないか確認する。

 そんな危機をパウロ様に味合わせるわけにもいかない。


 けれどそんな気遣いはパウロ様には届かなかったらしい。

 これこそ気づいて欲しいものなのだが。


 周囲に気を払っていた俺は、突然抵抗を強めたパウロ様に重心を崩された。

 だが、咄嗟に体勢を整えようと無造作に足を動かしたのがまずかった。


 足元で何かか潰れる感触がした。

 ぐにゅっとした不快な感触から、俺は何を踏み抜いたのか直感した。


 ネズミの死体だ。


 死体に集っていたネズミどもが「ジュジィッ!?」と抗議の声を上げながら散開していった。

 革のブーツにしといて本当によかった。


「っ! 誰だそこにいんのはぁ! みせもんじゃねぇぞぉ!」


 だが生憎とあっちは良くなかった。

 誰かが居るのに気づいた三人がこっちを向いた。

 獲物から全員が目を離すなんて相当な馬鹿だな。




 だからああやって、獲物から反撃を喰らうんだよ。




 男どもに囲われていた村娘が素早く動きだし、最も近くにいた男の懐に入り込む。

 そして、直下から打ち上げる様にして掌底を喉仏に打ち込んだ。


「っ!? っっっ!!」


 喉仏を潰された男が激痛に蹲る。

 痛みと衝撃で息もできない様だ。


「おい! どうし──あがっ!?」


 こちらに視線を向けていたら突如仲間が蹲り動揺したのだろう。

 咄嗟に声をかけようとした男の下に素早く移動した村娘は、そいつの股を蹴り上げた。

 いったそう。思わずこちらの身がすくんでしまった。

 生憎と薄汚い薄布でしか守られていなかったソイツのはモロに蹴りを喰らっていた。下手したらアレ潰れたんじゃないか?


 にしても素晴らしい動きだった。

 決して武の気配を感じさせる動きではなかったが、一瞬の隙を利用して二人も沈めたのだから見事な機転だ。

 それにあの動きは、武を習ったわけではないが武の近くにはいたのだろう。相手をよく見ている。


「あぁ! てんめぇよくもやりやがったなこのアマァ!」


 男どもの最後の一人、今更村娘に襲いかかった。

 明らかに喧嘩殺法でしかない男の攻撃。

 もしかしたら対処出来るんじゃないかとも思った。だが……。

 

 彼女がフラリと動いた。

 どうやら潮時のようだ。




 俺はパウロ様を放り投げるようにして解放して駆け出した。

 体を倒さんばかりに傾けて急加速する。


 そして勢いそのまま、男の懐へ潜り込む


 頭上で男が驚愕している気配を感じる。

 突如懐にでかい人影が現れたのだから無理もない。


 俺は腰に差した打刀の鞘を掴み、そのまま男の水月へと打ち込んだ。


「ぎふゅぅっ」


 加速の勢いそのままに打ち出された柄頭が、男の肺から一切の空気を残さなかった。

 男は肺から空気が吐き出される音を上げながら、緩い軌道を描いて石畳に吹っ飛んでいった。

 そのまま弧を描いてネズミの溜まり場に落っこちていく。

 

 ドスンっという音とともにべちゃりと何かか汁っぽい潰れる音がした。

 巻き込まれた何匹かが潰れたのだろう。

 突然の到来者にネズミたちは悲鳴をあげて去っていく。


「うぇ汚ねぇ……」


 己でやったことだが予想以上に気持ち悪いものだ。男には同情しよう。


 そんなことを思っていたら、村娘に限界が来たらしい。

 フラリと倒れ込む気配がして、咄嗟に村娘を抱き上げた。


「っ!?」


 倒れ込んだ村娘の顔を見て俺はギョッとした。

 疲労に染まった表情もそうだが、何よりその眼。




 村娘の瞳は、をしていたのだ。




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