第23話 森の悪魔


 「チッ、あばら骨をやったか……そっちはどうだ?」


 「すまねぇ、こっちは……右足だ」


 「不味いな」


 「だな……」


 土砂に流された俺達は、どこかの谷底に落ちた。

 むしろあの土砂に流されながらこれだけの怪我で済んだのだ。

 幸運といっても良い状況な訳だが、些か不味い。

 誰かが救援に来るとしても、時間の掛かりそうな場所に落ちてしまった。

 更にはこの怪我だ。

 移動にはかなり制限が掛かるし、戦闘なんて以ての外。

 しかも、もう一歩でスピノクロコダイルの生息域に入る所だったのだ。

 こんな状態で“ソレ”に遭遇した場合、間違いなく食われる。


 「とにかく、雨風を防げる場所を探す。そこで応急処置だ」


 「あぁ、頼む。ここは流石に不味いからな」


 そんな訳でイズリーに肩を貸しながら谷底を歩いていく。

 移動速度は非常に遅く、今ではサポーター二人にも劣る速度で進んでいく訳だが。


 「すまねぇな、墓守」


 「気にするな、俺たちは“手伝い”で来たんだ」


 「ははっ、そうだったな。たんまり報酬だしてやらねぇと」


 「その為には、生きて帰る必要がある」


 「おうよ、その通りだ」


 軽口を叩きながら、俺たちは谷底を歩く。

 どこか、隠れられそうな場所が見つかれば良いのだが。

 それにイズリーの方は早く応急処置しないと不味い。

 間違いなく折れている、せめて固定してやらないと。

 なんて事を考えながら歩いている俺達の耳に、耳障りな雄叫びが上がるのであった。


 「……マジか」


 「まだ遠い、急ごう。アレに見つかっては、流石に生き残れない」


 そんな訳で、俺たちは歩き続けるのであった。

 休憩できる地点、小物さえも襲って来ないであろう休憩所を捜して。


 ――――


 「手持ちではこの程度しか出来ない、すまない」


 「いや、十分だ。ありがとよ」


 「今回の仕事は“手伝い”だからな」


 「そうだったな」


 何度目かになるそんな会話をしながら、イズリーの包帯を変えていく。

 洞窟というには随分と浅い、そんな岩壁の窪みに身を顰めながら。

 もうどれくらい経っただろうか?

 随分と長い事隠れて居るが、未だ救助の気配はない。

 このままでは不味い。固定している彼の右足は随分と腫れあがっているし、それ以外にも傷が多い。

 だからこそ、毎日どころかもっと頻繁に薬や包帯を変えたい所なのだが……生憎と、コレが最後だ。


 「もう代えがない」


 「これだけ使えばな……お前の方は大丈夫か?」


 「問題ない」


 「やせ我慢しやがって」


 ヘッと笑みを返して来るイズリーだが、次の瞬間には痛みに顔を顰めた。

 確かにこちらも、あばらを傷付けている。

 しかし多分完全には折れてはいない上に、その他外傷はなし。

 コレも全て、彼のお陰だと言えるわけだが。

 土砂に呑まれたあの瞬間、イズリーは俺を抱きすくめる様な恰好で庇ってくれたのだ。

 だから、彼の外傷は本来俺も受けていた筈のソレ。

 二人共この状態になっていたら、流石に薬も道具も足りなかっただろう。

 そして、この場にたどり着けるかさえも分からなかった。


 「すまなかった」


 「若いのを守るのも大人の仕事だ」


 「情けないな、俺は」


 「なら、強くなればいいさ。コレからだ」


 そう言って俺の頭に手を乗せる彼は、どれ程の経験を積んで来たのだろう。

 これまで、どれ程の若者を導いてきたのだろうか。

 ちょっと俺では、想像もつかない。


 「ダリルと言い、イズリーと言い。強いんだな」


 「そうじゃないとリーダーは務まらないさ。お前もリーダーだろ? シャキッとしろ」


 「あぁ」


 なんて事を話している内に、嫌な振動が地面から伝わってくる。

 ズン、ズン、と。

 何かが歩いて来ている様なソレ。


 「チッ、このまま息をひそめて……」


 「いや、無理だ。アイツは鼻が良い、血の匂いに気付く」


 「そうは言っても……墓守?」


 だからこそ、俺はシャベルを担いで立ち上がった。

 今回の俺の仕事は、“森の専門家”達の手伝い。

 だからこそ、俺達より彼等を優先するべきだ。


 「止めろ、何を考えている」


 「ここでジッとしていろ、どうにかする」


 「馬鹿野郎! 一人で挑んで良い相手じゃねぇ! あの足音からするに、結構なデカさだって分かるだろうが!」


 「だとしても、だ。コレでも“守人”のリーダーだからな」


 ニッと口元を上げて歩き出してみれば、イズリーが這いずる様についてくるのが分かる。

 だが、振り返ったりはしない。

 リーダーである彼が、情けない顔をしているだろう瞬間など、見てやらない。


 「ふざけんな墓守! 格好つけるにしても時と場所を選べ! このままじゃお前は――」


 「生き残るさ」


 ガツン! と地面にシャベルを突き刺し、振り返らずに答えた。


 「生き残るさ、これまでもそうして来た。これからもそうだ。今の俺には、待ってくれる仲間が居るからな」


 「だったら止めろ! もしかしたら気づかれないかもしれない、その希望に賭けろ! お前一人で行った所で勝ち目がない!」


 「だからこそ行くんだ。お前が気づかれなければ、森のリーダーは生き残れる。だから、ソレに賭ける。それが今回の、俺の仕事だ」


 「馬鹿野郎がぁ!」


 イズリーの叫びを聞きながら、俺は窪みから飛び出した。

 もう、相手の足音は随分と近い。

 時間が無いのだ。

 その時間を、俺がもっと引き伸ばさなければいけない。

 ひた走り、前日までの雨でぬかるんだ大地を踏みぬいた。

 そして。


 「見つけたぞ、スピノクロコダイル」


 呟いてみれば、目の前からは鼓膜がおかしくなりそうな咆哮が聞こえて来る。

 大きい、非常に。

 俺なんて一飲みにされてしまいそうな程、巨大。

 そんな鰐が、こちらを睨んでいた。


 「俺程度を食った所で、大して腹の足しにならんだろうに」


 シャベルを正面に構え、スッと腰を下ろした。

 体が痛い、骨も傷つけている。

 そして疲労感が抜けない。

 それでもやるのだ。

 コレは、仕事だ。


 「勝負だ」


 俺の声が合図だったかのように、相手もまた動き出した。

 バタバタと手足を動かしている様にも見えるが、異常に速い。

 突進力だけで言えば、そこらの魔獣よりもずっと上だろう。


 「チッ!」


 舌打ちを溢しながら、左に避けてシャベルを振るう。

 前足を傷つけたが……浅い。

 なんて事を考えている内に、腹に衝撃が走った。


 「がっは! ……そうか、尻尾か」


 俺の隣を走り抜ける最中、振り回したヤツの尻尾に弾き飛ばされたらしい。

 しかも、打ちどころが良くなかった。

 痛みを発していた肋骨が、更に悲鳴をあげている。

 これは、完全に折れたかもしれない。


 「やってくれる……」


 シャベルを杖にして立ち上がってみれば、相手もまたこちらを振り返ったところだった。

 痛い。

 今にも蹲ってしまいそうだ。

 キツイ。

 もう全てを投げ出して食われてしまった方が楽なのかもしれない。

 だとしても、だ。


 「俺は、“生き残る”。今まで同様、いや。今まで以上の覚悟を持って、お前を殺そう」


 痛み止めを口に含み、更にはいくつかの小瓶を用意してから、再び武器を構えた。

 長期戦は不味い、どうしたって相手が有利だ。

 体のサイズも違えば、こちらは初めから負傷しているのだ。

 どうにかして、一気に片をつけないと……。


 「チィッ!」


 そんな事を考えている間にも、鰐はこちらに向かって噛みついて来る。

 すれ違いざまに相手の口の中に瓶を放り込み、今度は尻尾もシャベルで受け流した。

 すると。


 「どうだ、ウチの街一番の香辛料だ。旨いか?」


 口を大きく開きながら、鰐が暴れていた。

 非常に簡単、幼稚な作戦。

 それでも、結構効くのだ。

 粉末状のソレは、周囲に撒けば目くらましになり、口に放り込めば相手はもだえ苦しむ。

 ユーゴに見られたら調味料を無駄にするなと怒られそうだが、今だけは許してくれと心の中で謝った。


 「今度はこっちの番だ」


 小さくボヤいてから地面を蹴り、再び小瓶を構える。

 相手に走り寄る前に瓶を投げつけ、鰐の顔面にドロッとした液体が撒き散らされた。

 そこへ向かって火打石を追加で投げつけ、思い切りシャベルで叩く。

 すると、鰐の顔面が激しく燃え上がった。


 「片目だけでも、貰うぞ」


 投げつけたのは、錬金術師達が作った“火の付く液体”。

 元は異世界の技術だという話だが、詳しくは知らない。

 だが、こういう場面では非常に役に立ってくれる。

 その分、値段は高価だが。

 それでも、道具とは使わなければ意味がない。

 こういう場面だからこそ、出し惜しむべきではない。


 「ぜあぁぁぁ!」


 未だもだえ苦しむ鰐の足に、シャベルを突き立て、捻る。

 ゴリッという感触が掌に伝わって来た事から、おそらく骨まで傷つけた事だろう。

 これで御相子だ、なんて口元を釣り上げた瞬間。


 「がっはっ……!」


 横から、随分と重量のあるモノで殴られた。

 それこそ体が吹っ飛ぶ勢いで。

 地面を転がり、ボヤける視線を上げてみれば。


 「器用な奴だ……見えてもいない筈なのに、顎で殴ったのか?」


 片目が白濁したスピノクロコダイルが、首だけはこちらを向けていた。

 不味い、本気で不味い。

 利き腕が痺れて動かない。

 折れてはいないと思うが、自由が利かない。

 とてもじゃないが、コレでは……。

 そんな弱音を思い浮かべている間にも、相手はこちらに向かって走り寄って来た。

 大きな口、鋭い牙。

 それが視線の殆どを覆い、次の瞬間には俺を飲み込むのだろうという距離。

 諦めて、瞼を下ろした。

 その時だった。


 「シャァァァ!」


 聞いた事の無い雄叫びが鼓膜を震わせ、ズドンッ! という腹に響きそうな炸裂音が響く。

 そして、続けざまに。


 「もういっちょぉぉ! 穿て!」


 ズドンズドンッ! と。

 まるでダリルの船の大砲の様な音が空気を震わせた。

 そして……雨が降って来た。

 やけに生暖かく、鉄臭い雨が。

 ゆっくりと瞳を開けれ見れば、そこには。


 「は?」


 悪魔が、立っていた。

 本で読んだ、悪魔そのモノ。

 真っ黒い姿に、近づくだけで恐怖しそうな程の気配。

 羽は生えていなかったが、代わりに巨大な二本の槍を掴んでいる。

 ソイツは、先程まで苦戦を強いられていたスピノクロコダイルの背中を悠々と踏ん付けていた。

 俺が敗北した獲物は頭に風穴が開き、更には首元が千切れそうな程欠損している。

 間違いなく、死んでいた。

 アレを一瞬で片付けられる、悪魔。

 どこからどう見たって、強者だ。

 先程の鰐よりずっとヤバイ代物。

 そんなモノが、今目の前に立っているのだ。


 「な、なんだ? 俺は何に遭遇した?」


 ガチガチと奥歯が震えている。

 間違いなく、出会ってはいけないモノと遭遇してしまった。

 それくらいに、気配から違うのだ。

 アレは、駄目だ。

 戦ってはいけない相手だ。

 それが、直感的に分かった。

 だと言うのに、黒い悪魔はこちらに視線を向けて来た。

 兜に隠れて相手の瞳までは確認できないが、それでも。

 “俺”を見ていると言う事だけは分かった。


 「く、来るな……」


 声が震えた、膝が震えた。

 それでも。

 生き残る為に、シャベルを構えた。

 死ねない、死ねないんだ。

 だからこそ、生きなければ。

 先程の様な、“自然な死”であれば受け入れられたかもしれない。

 獣が何かを喰らう事はごく当たり前の事だ。

 しかし、今は違う。

 アレは、なんだ?

 ただただ恐怖しか感じないソレに殺される事は、非常に恐ろしい。

 そう感じてしまったんだ。

 だからこそ、どうにかして生き残らなければ。


 「来るな!」


 恐怖の余り、震える声で叫んだ。

 だと言うのに相手はこちらに歩み寄り、そして。


 「よく頑張ったな、お前が“墓守”か?」


 「……は?」


 目の前に迫った黒鎧は、シャベルを避けて俺の頭をガシガシと撫でて来た。

 これは、なんだ?


 「もう少し頑張れるか? まだ終わりじゃねぇみたいだからよ」


 「いや、えっと。は?」


 訳の分からない状況のまま、彼に手を引かれ鰐の死骸の近くまで歩く。

 そして、俺達は背中を合わせた。

 どういう状況だ? コレは。


 「どうした、ちゃんと構えろ。ちいせぇのが来るぞ、しかも結構な数だ」


 背後から聞こえる声に混乱しながら、周囲に視線を配ってみれば。

 確かに、居る。


 「ったく、普段は寄り付かねぇくせに。怪我人が居るから寄って来るのか、それとも鰐の死体を食いてぇのか知らねぇが……全く遠慮ってもんを知らねぇ奴等だ」


 軽口を叩きながら、背後で槍を振り回している音が聞こえる。

 こんな状況で、何でコイツは笑えるんだ?

 どうして、そうも余裕を持っていられるんだ?

 そんな疑問を抱きながら、周囲の敵に向かってシャベルを構える。

 まだだ、まだ終わらない。

 それこそ、一晩中戦い続けるくらいの覚悟でいないと。

 それくらいの数なのだ、そんな馬鹿みたいな数が寄って来ているのだ。

 俺達は些か、“騒ぎ過ぎた”様だ。


 「来い……」


 スッと腰を下ろし、シャベルの切っ先を一番近い獲物に向かって構える。


 「いいね、元気があって何よりだ。だが、無理すんなよ? 怪我してんだろ?」


 全く、今更どの口が。

 なんて、思わず呆れてしまった。

 彼に対しても、俺自身に対しても。

 今さっきまで恐怖でしかなかったと言うのに、背中を合わせてみて分かった。

 彼は、敵じゃない。

 確かな安心感が伝わってくる、間違いなく背面は守ってくれるという信頼感が生れてしまった。

 そういう類の、“強者”なのだろう。

 世界は広い、本当に広い。

 こんな奴も世の中には居るのか。

 そんな事を思った、次の瞬間だった。


 「こうちゃんだけ抜け駆けNGだぜ? 俺達にも分けろ」


 「デッカイの貰うねぇ」


 「細かいのはお任せを!」


 また新しい声が、上空から響いた。

 は? なんて間抜けな声を洩らしながら視線を上げてみれば。

 そこには。


 「黒鎧が、増えた」


 「安心しろ、仲間だ」


 皆谷底に落下してきている。

 だというのに、誰も恐怖を浮かべていなかった。

 一人は腕に付いた珍妙な武器で矢を連射し、もう一人は落下してくる途中で消えた。

 壁を蹴った所までは見えたが、それ以降見えなくなった。

 そして、最後の一人は。


 「せいはぁぁ!」


 周りに集まって来た魔獣の中で一番大きかった土蛇を、落ちてくると同時に一撃で粉砕した。

 言葉通り、粉砕なのだ。

 彼が殴った瞬間、土蛇の首が俺の横を物凄い勢いで通り過ぎた。

 体は未だ、落ちて来た彼の元にあると言うのに。


 「飛んでいる奴等はこちらにお任せください! 西田様、お願いします!」


 「あいよぉ、一気に片付けるぜぇ」


 獣人の女が叫び、どこから聞こえて来るのか分からないその声が響いた瞬間。

 周囲の細かい魔獣が一斉に地に伏した。

 本当に、一瞬。

 声が終わると同時に、パタッと倒れたのだ。


 「秘儀、クロック〇ップ」


 「相変わらず凄いですね……お疲れ様でした」


 「数を相手する時には、もう西君の横に出る者はなしって感じだねぇ」


 いつの間にやら俺達の近くに現れた細身の黒鎧と、先程から矢を連射していた女も呆れ顔で近づいて来る。

 そして、大物を端から盾で殴り殺していた化け物も。


 「アンタらは……なんだ?」


 唖然としながら、小さな声を洩らしてみれば。


 「俺達は“悪食”ってクランだ。勇吾から救援を受けてな、助けに来た。なぁに、“ただのウォーカー”だよ」


 先程の槍男が、そんな馬鹿な事を言い始めた。

 これが、ただのウォーカー?

 ただのウォーカーってなんだ?

 色々と頭のおかしくなりそうな事態ではあるが、とりあえず。

 “助かった”。

 そう感じた瞬間に、全身から力が抜けるのが分かった。


 「この先の窪みに、もう一人居る……彼も、助けてくれ。怪我をしている」


 「おうよ、話は聞いてるからな。安心しろ、だからお前はもう休め。お疲れさん」


 「頼んだ……」


 それだけ呟いてから、俺は力尽きた。

 地面にそのままバタッと倒れる勢いで。

 だと言うのに、俺の体は地面にぶつかることなく何かに支えられた。


 「お疲れ、よく頑張ったな」


 その声を最後に、俺の意識は完全に闇の中へと落ちていくのであった。

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