第21話 リーダー


 あれから数日、俺達はまだ歩き続けていた。

 度々サポーターを背負うことにはなったが、それでも随分と深い森までやって来たと思う。

 そして雨。

 豪雨という訳ではないが、それなりの雨が降り続いていた。

 そのせいで、俺達の足並みはより遅くなっている訳だが。


 「「本当に申し訳ありませんでした……」」


 「いいから、ユーゴを手伝ってやれ。 俺は警備に向かう」


 「「了解ですリーダー」」


 「それは止めろ……」


 そう答えれば、二人は飯を拵えるユーゴの元へと走って行った。

 結局、今日も背負う事になってしまったのだ。

 やれやれ、なんてため息を溢してしまうが。

 それでも初心者、そしてつい最近まで貴族の女として生きていたと考えれば結構頑張っている方だろう。

 だからこそ、これから慣れて行けば良い。


 「大変だな、リーダーは」


 「お前程じゃない、ウチは人数が少ないからな」


 言葉を返しながら振り返れば、そこにはイズリーが立っていた。

 彼の方もまた、メンバーの状態を確認し終えた後の様だ。


 「そっちはどうなんだ? こっちはヘバった奴が数名、新人研修としてはちとキツかったかな。 でもまぁ、ユーゴの飯があるから明日にはそれなりに持ち直すだろうが」


 「頼もしいな。 こっちは、まぁ……いつも通りだ」


 なんて言葉を返しながら視線を外せば、相手からは小さな笑い声が返って来る。

 とはいえ、あまり笑い事ではない。

 コレから“スピノクロコダイル”の生息域に入るのだ。

 今の調子で突入すれば、怪我人は多く出る事だろう。

 それこそ、死人だって出るかもしれない。


 「イズリー、提案がある」


 「分かってるよ、ココでしばらく休む。 だろ? 俺もその意見に賛成だ。 この状態で“沼の大口”に挑むなんて無理だ」


 沼の大口。

 スピノクロコダイルの別名。

 一度だけ小さい個体と戦った事があるが……アレは非常に狂暴だ。

 危うく齧られそうになったくらいに、よく暴れる。

 だからこそ、皆を一度休ませてから挑むべきだと提案するつもりだったのが。

 それすらもイズリーからすれば予想の範囲内だったようで、彼は緩い笑みを浮かべながら俺の意見に賛同してくれた。


 「すまない、足を引っ張って」


 「何を言っていやがる。 こっちにも休息が必要なメンバーは多い、お互い様だ」


 「そうか」


 「そうだよ」


 なんて事を言い合いながら、俺達も警備に戻ろうとした瞬間。


 「っ!?」


 ゾクッと背筋が冷えた。

 なんだ? これは、どういう警告だ?

 必死で考えるも、すぐには分からず周囲に向かってシャベルを構える。


 「イズリー、何か来る」


 「全員警戒! 何かいるぞ!」


 俺の言葉を疑う事も無く、森の専門家は大声を上げた。

 周囲から次々に抜剣する音が聞こえて来るさなか、俺はこの恐怖に違和感を覚えていた。

 降り続く雨をその身に受けながら、周囲からは不穏な気配が漂っている。


 「何か……居るか? わからん、が。 なんかヤバイ感じがするな」


 呟くイズリーも、大斧を構えながら姿勢を低くしていた。

 そうなのだ、彼の言う通り“何かが居る気配”はしない。

 だというのに、感じるのだ。

 このままでは不味いと。


 「なんだ? 何が来る?」


 キョロキョロと周囲を見渡しながら、シャベルを地面に突き刺した。

 そこで、初めて違和感の正体に気付いたのであった。


 「全員撤退! ユーゴ! 全部マジックバッグに詰め込んで早くこの場を離れろ!」


 「え? は? どうしたんですか墓守さん」


 「えと、何がどうなって……」


 「墓守、ちゃんと言わないと分からない」


 「いいから走れ! お前達もだ! イズリー! 森の連中にも撤退命令を!」


 大声を上げる俺に驚愕の眼差しを向けるイズリーが、すぐさま撤退命令を出し始める。

 頼む、間に合ってくれ。

 そんな事を思いながら俺は仲間達の元へと走り、片付ける物を半ば蹴り飛ばしながら三人を急がせる。

 仲間達は困惑しながらも、すぐに片付けを済ませ走り出してくれた。


 「ここら一帯崩れるかもしれない! 早く走れ!」


 「墓守さん、それって!」


 「土砂崩れだ! 全部流されるぞ!」


 地面からは、普段ならあり得ない振動が伝わって来ていた。

 シャベルを突き立てた事で、その前兆に気付いた。

 これは、非常に不味い。

 強い雨によって、地面が緩み過ぎている。

 そして何より、ここら一帯が緩やかに“悪い振動”を繰り返しているのだ。

 今は山を一つ越えた所。

 このままでは、全部飲み込まれてしまうかもしれない。


 「走れ! 逃げろ! イズリー!」


 「分かってるよ! お前ら走れ! 必要最低限以外は捨てて行って構わん!」


 俺と同じように地面に剣を突き刺したイズリーは、サッと血の気の引いた顔で叫び始める。

 多くの人々が走り出す中、“ソレ”は始まった。


 「クソッ! スピノクロコダイルどころでは無くなった」


 「いいからお前も走れ墓守! 巻き込まれんぞ!」


 視線の先からは、何とも表現し難い音が聞こえて来る。

 ズリッという何かが崩れる様な、ゴリゴリと何かが削れる様な。

 そんな音が聞こえたと同時に、視線の先で“地面が流れ始めた”。


 「走れぇぇ!」


 俺達は必死で逃げた。

 大自然の恐怖から。

 アレは、どうしたって勝てない。

 どれだけ強かろうと、自然には勝てない。

 だからこそ、必死で逃げた。

 残して来たテントや野営道具を飲み込みながら、土砂崩れは勢いを増していく。

 何処まで逃げれば良い?

 山を横に横断する様に逃げているというのに、まるで俺達に向かって迫って来るかの様に近づいて来る。

 そんな錯覚をしてしまう程、大きな土砂崩れ。


 「墓守さん!」


 「振り向くな! 真っすぐ走れ! レベッカとルーを優先しろ!」


 少しだけ前を走るユーゴが、振り返って俺を呼んでくるが。

 それどころでは無いのだ。

 だからこそ、彼に任せた。

 周りより少し遅れている彼女達の事を。


 「墓守! ……覚悟を決めろ」


 「……分かっている」


 そう呟いた瞬間、俺とイズリーの隣の木々が迫って来た。

 ダメだ、避けられない。

 というか、もう足元まで流れ始めているのだ。

 避けようがない。


 「墓守さん!」


 「走れユーゴ! 二人を守れ! “命令”だ!」


 その言葉を最後に、俺とイズリーは土砂に塗れながら下へ下へと流れていくのであった。


 ――――


 「リーダー!」


 「止めろ! この場所だっていつ崩れるか分からないんだぞ!」


 森の専門家達の間でも、かなりの論争が繰り広げられていた。

 助けるか、見捨てるか。

 いや、後者を選ぶ人間はいない。

 だからこそ、どう助けるかが重要になってくる事態。

 でも、多分皆俺と一緒なんだ。

 頭の中が真っ白で、何をしたら良いのか分からないんだ。


 「ユーゴ、ユーゴ! どうする!?」


 ガクガクとルナさんが肩を揺さぶって来るが、そんな答えがすぐに見つかるなら教えて欲しい。

 今やこの場に残る事さえ危険であり、より多くの命を救うなら彼らの事は一旦諦めるべきだ。

 流されたのは二人。

 森の専門家リーダーのイズリーさん。

 そして、ウチのパーティリーダーの墓守さん。

 皆を逃がす事を優先した彼らは、誰よりも後ろを走っていた。

 だからこそ、飲み込まれた。

 でも、だからこそ。

 判断を下せる者が、命令を出せる者が居ない。


 「放せ! リーダーを助けに行かなきゃ!」


 「止めろ馬鹿! この状況でお前一人飛び込んでどうなるってんだ! 死ぬぞ!」


 そこら中から、怒号が響く。

 怖い。

 全てが怖い。

 この状況も、これからどうするべきか分からないという恐怖も。

 俺は、一体どうすれば……。


 「しっかりしてくださいませ! ユーゴ様!」


 パァン! と、乾いた音が右頬から響いた。

 え? なんて声を洩らしながら視線を向けてみれば。

 そこには今にも泣き出しそうなレベッカさんが、俺の事を睨んでいた。


 「貴方の相棒のピンチです! 私達のリーダーのピンチです! ならどうすれば良いですか!? 何がベストな行動ですか!? 冷静になって下さいませ、周りの皆さまもかなり興奮しております。 だからこそ、貴方は冷静になって下さいませ! あの方の相棒なのでしょう!? 墓守という男は、いつだって適格な指示を出していましたわ! だったら、相応しい男になって下さいませ! ユーゴ様!」


 その言葉は、スッと胸の中に降りて来た。

 慌ただしく動き回る仲間達。

 そりゃそうだ、指示を出してくれる人を失ったのだから。

 ここには、新しいリーダーが必要なんだ。

 皆を動かし、納得させる指示が出せるリーダーが。


 「ユーゴ、お願い。 多分、周りの皆には無理。 イズリーさんに対しての信用が厚すぎるせいで、暴走してる。 だから、ユーゴ」


 「俺が……」


 「“英雄の写身えいゆうのうつしみ”。 その称号を持つ貴方なら、多分指揮が取れる」


 「でも、その称号は……」


 まがい物だ。

 俺の称号は、何処まで行ってもコピーでしかない。

 だからこそ、顔を下げてしまいそうになったその時。

 両頬にバチン! と引っ叩かれた様な衝撃を受けた。


 「シャキッとしろ! まがい物だっていいじゃないか! ユーゴは英雄になれる切符を手にしているんだよ! だったら頑張れ! 勇気を出せ! 声を上げろ! 別に語り継がれる英雄になれなくたって良い、誰かを助ける為に“今だけ”は英雄になれ!」


 両目に涙を溜めた彼女の言葉に、ハッと意識を取り戻す様な想いだった。

 俺なんかに、何が出来る。

 未熟で、知識も経験も少なくて。

 そんな俺が、今この場に残って何が出来る?

 何もない。

 俺達に出来る事は何もないんだ。

 だが、それが当たり前なんだ。

 なんたって俺達は、英雄でも何でもないんだから。


 「……今は、撤退します」


 「ユーゴ、声が小さい」


 「ユーゴ様!」


 「撤退するぞ! 今の俺達じゃ二人は救えない! まだ崩れる可能性もある! だったら全力で尻尾巻いて逃げて、助けを呼ぶぞ! 早くしろ!」


 大声で叫んでみれば、周りの皆もポカンとした表情でこちらを見返して来た。

 当たり前だ、俺が急に偉そうに指示を出したのだから。

 それこそ、反発だって起こるだろう。

 そんな事を考えていたというのに。


 「数名だけでも、残ってはダメか?」


 「戻ったところで、助けに来てくれる奴なんかいるのか? 俺らが“森の専門家”なんだぞ?」


 意外にも、しっかりとした意見が返って来た。


 「ダメだ、“この場”では。 安全な場所まで退避して、班を分ける。 こういう異常事態に慣れたメンバーだけを残して、俺たちは国に戻る。 全速力で」


 「戻って、どうする? 誰に助けを求める?」


 言葉を紡げば、不安そうな声が返された。

 そりゃそうだ。

 “森の専門家”だからこそ、この仕事を受けたのだ。

 彼等以上に森を知っている者はいない。

 そういう自負があるからこそ、こういう事態では本来彼等が動くべきなのだ。

 でも、今の俺達では対処できない。

 なら、もっと強い人達に頼もう。


 「俺が知っている限り、三日後。 “本物”がこの国にやって来る。 彼らは王族を守る為に、この国にくる。 その彼らに頼む、頭を下げて、泣いて縋ってでも。 助けてくれと“依頼”する。 多分それが、最善策だ。 あの人達なら、多分救ってくれる」


 「おいおいユーゴ! そんな訳の分からねぇ曖昧な情報でリーダーを見捨てろってか!? 流石にそれじゃ俺達は――」


 「その王族の護衛というのが、“悪食”だ! 若い連中以外、アンタらなら俺よりよく知っているだろ!」


 そう叫んだ瞬間、音が消えた。

 誰も彼も息を飲み、静かに俺に向かって視線を向けてくる。

 俺が考える最善策。

 未だ雨が降り続く今の状況で俺達がリーダー二人を捜しに行っても、恐らく二重遭難になる。

 本来そうならなかった筈の、次の死傷者を生む危険性がある。

 だからこそ、“本物”に頼るべきだ。

 彼らならきっと、そんな希望を思わず抱いてしまう存在が“悪食”なのだ。

 俺の憧れた背中。

 俺に生きる道を示してくれた、幼い俺を助けてくれた漢達。

 それが、もうすぐそこまで来ているのだ。

 情けないが、また彼等に頼るしかない。

 俺達だけで捜索するとなれば、多分必要以上に時間が掛かってしまう。

 更には危険が伴う。

 だからこそ、もっと強い人に。

 助けてくれるかもしれない人に、一刻も早く助けを請うべきなのだ。


 「俺だって情けない事を言っている事は分ってる……でも」


 「その情報は、確かなモノなんだろうな?」


 グッと奥歯を噛みしめながら言葉を紡いでいれば、森クランの一人が俺の胸倉を掴んだ。

 そのまま引き上げられ、彼の正面まで持ち上げられる。

 彼の顔もまた、涙を浮かべながら無理矢理引き締めた様な、酷い表情だったが。


 「本当なんだろうな!? “アイツ等”が来るって、あの暴走するバカ共が来るってのは! 戻ったところで誰も来ませんでしたじゃ済まねぇぞ!」


 「本当です、俺は王族と関わる立場に居ます。 だから、確かな情報です」


 静かに頷いてみれば彼はグッと言葉を飲み込み、襟を掴んだ拳を開いた。


 「頼む、今の俺達は冷静じゃねぇ。指示をくれ。 いつだってウチのリーダーに頼り切ってた、情けねぇツケだ……」


 そう言いながら、目の前の彼は頭を下げて来た。

 良いのだろうか? なんて思ってしまう訳だが。

 周囲のメンツも揃って頭を下げていた。

 そして。


 「ユーゴ様、ご指示を」


 「ユーゴ、英雄譚の始まりだよ」


 ウチのパーティメンバーも、ニッと口元を上げている始末。

 ならばもう、仕方ないのだろう。


 「“森”のクランでこういう緊急事態を経験した者だけ、もっと離れた場所で待機してもらいます! 雨が降っている間は近づかない事! こういう事態の専門家でもない限り、二重遭難になります! なので対処出来なければ手を出さない! いいですね!? それ以外は全速力で街に戻ります! これまでの倍……それ以上の速度で戻りますよ! 彼らは“王族”の護衛でこの国に訪れます。 そんな立場の“カレら”が絶対受けてはくれないだろうクエストを依頼しに行きます! 土下座の準備をしておいて下さい!」


 「「「了解!!」」」


 そんな言葉言い放ち、俺たちは全力で走り始めた。

 待っていて下さい、墓守さん。

 すぐ、助けに来ます。

 絶対助けに行きますから。

 だから、頑張ってください。

 だから、無事でいて下さい。

 それだけを願って、俺達は全力で山道を走るのであった。

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