杉ちゃん銘仙を直す

増田朋美

杉ちゃん銘仙を直す

その日は雨が降っていて、いつもより人では少なく、ショッピングモールも、スーパーマーケットも閑散としていた。その日、今日は暇だなあと思っていた杉ちゃんだったが、午後になっていきなり杉ちゃんの家のインターホンが鳴った。

「はいはいなんだよ、こんな時にようがあるなんて物好きだねえ。」

と、杉ちゃんは、急いで玄関に行く。

「あの、すみません。影山さんのお宅ですよね。影山杉三さん。こちらで、和裁をやってらっしゃると聞いたものですから。」

と言いながら、ガチャリとドアを開けて入ってきたのは、一人の女性であった。

「はあ、それ、誰に聞いた?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ええ、影浦先生です。無理なお願いかもしれないけど、一度頼んで見たらどうかって。」

と、女性が言った。

「はあわかったよ。雨が降っているから、まあ入れ。」

と、杉ちゃんがいうと、お邪魔しますと言って、女性は、靴を脱いで杉ちゃんの家に入った。とりあえず杉ちゃんは、彼女をこっちへ来てくれと言って、女性を食堂に連れていき、まあ座ってくれと彼女を座らせた。

「で、今日はなんの用できた?着物の仕立てとか、そういうことか?影浦先生が、紹介するんじゃよほど訳ありだな。」

杉ちゃんが言うと、彼女は、

「はい。この着物の寸法直しをお願いしたいんです。身丈が短いから、おはしょりをして、着られるようにして頂きたいんです。」

と、カバンの中から、一枚の着物を取り出した。単の着物で、随分可愛らしい感じの着物である。色は朱色で、大きな黄色いユリの花がランダムに入っていた。

「はあ、これは小紋かな?」

と、杉ちゃんは着物を持ち上げて、紋意匠などと一般的な正絹とはちょっと柄付きが違っていた。つまり、これは、縮でも無ければ、紬でもない、紛れもない、銘仙の着物である。

「はあ。これは銘仙の着物だよな。こんな代物を、どこで手に入れた?」

杉ちゃんがそう言うと、彼女はメルカリで手に入れたと小さな声で答えた。

「メルカリねえ。その相手の人は、銘仙の着物を売るということにある程度覚悟は会ったんだろうかねえ。」

と、杉ちゃんは言った。

「覚悟ってなんですか?」

と、女性が聞くと、

「だからあ、こういうものは、どうしても人種差別された人が着ていたっていう事実があるから、おしゃれ着にはしないで、普段着として楽しんでくださいという覚悟だ。」

杉ちゃんは、当たり前の様に言った。

「そんな事、知らなかった。ただ、可愛らしいから、買っちゃったというだけで、私、そんな着物だったなんて何も知りませでした。一体、どういう方の着ていた着物だったんですか?確かに、ほかの着物とは違うから、特殊な着物だなと言うことはわかりましたけど。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女はそういうのだった。そういうことなら、お遊び半分で着物を着たいと主張する人ではないということがわかる。

「だからねえ、昔というか、戦前くらいまではね、まだ日本には、人種差別があっててね。今でこそ、国民全員が平等といわれているが、そうでなかった時代もあるんだよ。その、差別されていた人の日常着ということで、銘仙は格の低い着物とみなされるわけだ。まあ、紬だってさ、お百姓さんの野良着だったわけで、そういうことで礼装としては利用できないだろ?銘仙というのはね、それよりもさらに格が低いといわれる着物だよ。」

杉ちゃんがそう説明すると、

「そうなんですか。でも、このお着物は可愛らしいですし、色も鮮やかで、今度、アマチュアオーケストラのコンサートがあるんですが、そこへ着ていこうと思ったんです。」

と、彼女は言った。

「うーん、そうだねえ。アマチュアのオーケストラと言っても、見る演目はクラシックだろ?それに銘仙の着物と言ったら、オーケストラの人たち馬鹿にしているんじゃないかと、会場で着物おばさんに、いわれる可能性もあるよ。それは、やめておきな。幸い、着物は、リサイクルで安く買えるからさ。それで、友禅とか、そういうのを、買って見たらどうだ?」

と、杉ちゃんは、そう提案したが、

「そうでしょうか。友禅というのは、私、ちょっと苦手なんです。というか、着物自体若い人が着ると途端に批判の対象になりますよね。私も、おはしょりがないとか、帯の結び方がおかしいとか、色々直されたりしました。だから、こういう洋服に近い柄のものが良いかなと思ったんですけど。それはだめということですか?」

と、女性は杉ちゃんに言った。

「ま、まあ、そういうこともあるけどさ。でも、銘仙というのは、ちょっと格が低すぎますね。普段着とか、ちょっと外出したときくらいしか使えないよ。美術館とか、コンサートにはちょっと不向きな着物だよねえ。」

杉ちゃんは、もう一回いうが、

「でも、私、着物を着るようになって、自分で外に出れるようになったんです。それは、大きな進歩だって影浦先生が言ってました。昭島さんは、着物を着ることで、自信が持てるようになったんだったら、もっと着物を着て、外へ出れるようになりなさいと。それに、今の時代だったら、着物のことで、あまりうるさくいわれることはないとも言ってくれたんです。そういうことだったら、私、この着物でも、堂々と外へ出られるかなと、思ったので。」

「影浦先生か。余計なこと言ってくれるもんだ。まあ確かに、着物を着ることで、しっかり外へ出られるようになったのは、動かしがたい事実だよな。お前さんは、そういうことなんだったら、ある意味着物セラピーということもできるかな。そういうことだったら、着物はお前さんにとって、大事なアイテムになるよねえ。」

杉ちゃんはちょっと考え込んだ。

「水穂さんとかだったら、絶対に銘仙で外を出歩くのはやめろとか、そういう事を言うだろうけど。でも、まあ、しょうがないな。じゃあ、一言、注意点を言っておくが、銘仙の着物で外を出歩くんだったら、同和関係者とは無関係と思わせる様に着てくれ。いわゆる、半幅帯とか、そういう貧しい人がつけていたような帯はつけないで、割と、豪華な帯を付けて、同和関係者ではないんだとアピールしろ。」

「同和関係者というと、どういう人達の事を言うんですか?私、何も知らないんです。人種差別といいましたけど、外国には、少数民族の民芸品とか平気で売られているじゃないですか。それと同じだと考えれば、いいんじゃありませんか?」

そういう昭島さんに、杉ちゃんは今の学校では、同和問題について教えないのかと呆れてしまったのであるが、

「私、ちゃんと知っておきたいんです。家族はとても知りたがり屋で困ると言いますが、ちゃんと知ってから着るのと、そうでないとでは、違いがあると思いますので。」

と、彼女は言ったので、杉ちゃんもちゃんと教えることにした。

「あのな。戦前までは、山の奥深くとか、そういうところに住まわされて、牛や馬の革を使って、カバンを作らされるとか、そういう事を強いられた人たちが、いたんだよ。そういう奴らが住んでいたところを、同和地区というんだ。例えば、この富士市でも、あるんだよ。伝法の坂本というところが、同和地区として有名なところ。」

「じゃあ、革を使って、なにか作ったりすることで、人種差別されたということですか?私の知り合いが、レザークラフトの教室行っていますけど、その先生は、同和地区がどうのとか、そういう事は、一度もいわなかったそうですよ。」

確かに、今は、同和地区の出身者でないひとが、趣味的に革細工を習うとか、教えるとか、そういう事はよくある。革細工というと、昔は同和地区の人の特権のようなところが多かったのであるが。今は、革細工自体もレザークラフトと呼ばれ、かっこいい趣味に変貌してしまっている。

「そうかそうか。昔は革の職人と言ったら、そういうやつばっかりだったんだけどな。まあ、今を生きているお前さんには、ちょっと、わからないかもしれないな。」

杉ちゃんは、はあと、ため息を付いた。

「でも、銘仙の着物を着てると、少なくとも、お前さんは同和関係者かと話すやつも居るよな。そういう事、知っている、お年寄りって多いからさ。日本は、若いやつより、年寄のほうが多いから。」

「そうですか。確かにお年寄りは、変な事言う人もたまにいますよね。時代が変わったというのを、わからないというか、わかろうとしない人。」

杉ちゃんにそういわれて、昭島さんは、直ぐに言った。そこはわかってくれているらしい。

「でも、私、同和問題とかそういう事は、よくわからないけれど、このお着物は、可愛らしいので、着てみたいと思うんです。それに、今は着物を着る人はなかなかいないんだし。そういうことからも、着物を着る人は、貴重だと思うといわれた事もあったので。」

とまだ、銘仙の着物を眺めている昭島さんに、杉ちゃんは、

「じゃあ、本人に聞けばいいのか。」

と、思いついた。どういうことですかと昭島さんがいうと、

「ああ、同和問題の当事者が、知り合いで居るから、そいつに人種差別の経験を語ってもらおう。」

と、杉ちゃんは言った。

「お前さん悪いけれど、障害者用のタクシー呼んでくれるか?どこの会社でもいいから。」

杉ちゃんにそういわれて、昭島さんは、スマートフォンを取り出し、障害者用のタクシーと検索して、そのタクシー会社に電話した。そして、スマートフォンを杉ちゃんにわたすと、杉ちゃんは、自分の所番地を言って、一台来てくれるように手配した。

「一体どこへ行くんですか?」

と、昭島さんが聞くと、杉ちゃんは、まあ、見とけとだけ言った。数分後にタクシーがやってきたので、杉ちゃんたちは家の外へ出る。雨は、少し小雨が降っている程度で、ずぶ濡れになるということはなかった。運転手さんに手伝ってもらいながら、二人は、ワゴンタイプのタクシーに乗り込んた。杉ちゃんは、大渕の製鉄所と呼ばれている施設へ送ってくれと言った。なぜ製鉄所と呼ばれているのかは不明だが、利用したい人がやってきて、勉強したり仕事したりする場所を貸す施設であるという。そんな施設で、水穂さんという人が、お前さんにためになる話をしてくれるだろうと杉ちゃんは言った。昭島さんは、何が起こるのかわからないという顔で、杉ちゃんと一緒に、ワゴンタイプのタクシーで、製鉄所に向かった。

数十分乗って、製鉄所に到着した。場所を貸す施設なら、普通の家とか、公民館のような四角い建物だろうなと思われていたが、なんだか古い日本旅館のような形の建物だ。杉ちゃんと昭島さんは、製鉄所の正門前でおろしてもらった。正門をくぐって、インターフォンのない、玄関をガラッと開けると、誰かがひどく咳き込んでいる音が聞こえてきた。それと同時に、ほら、水穂さんこれ飲んで、これ、と声をかけている女性の声が聞こえてきた。一緒にいるのは多分由紀子さんだ。駅員の仕事が終わって、ここへよっていくのが、彼女の習慣でもある。

「あ、水穂さんがまたやってるな。まあいい、ここはインターフォンというものがないから、もう適当に入っちまおうぜ。」

と、杉ちゃんはどんどん車椅子を動かして、製鉄所の建物の中に入ってしまう。本当にいいんですかと言いながら、昭島さんも、靴を抜いで製鉄所の建物に入った。二人は中へ入って、四畳半に行った。杉ちゃんが予想した通り、水穂さんが、布団に横向きに寝ていて、やっぱりひどく咳き込んでいた。由紀子が、ほら、水穂さんしっかりと言いながら、背中を擦ったり叩いたりしている。由紀子は急いで、水穂さんの口元へタオルを当てると、白いタオルが、直ぐに真っ赤に染まってしまった。吐瀉物は、朱色に近いほど真っ赤だった。それは、肺からの出血であることを示している。ということはつまり、どういうことだろうか?

「あ、この人の着物、私の着物と柄付きが似てますね。」

と、昭島さんが、水穂さんの着ているものを見て、すぐに言った。水穂さんは、紺地に、大きな葵の葉が入れられた銘仙の着物を着ている。

「あの、すみません。本当に失礼な質問をしてしまって申し訳ないですけれど。」

と、昭島さんは、そういう事を言い始めた。

「このお着物は確か銘仙という。」

昭島さんがそう言うと、由紀子が彼女をきっと睨みつけた。そういう事は聞かないでと言いたげな顔だ。でも、昭島さんは、

「銘仙という着物は、低い身分の人が着る着物だということを聞いたのですけれども、、、。」

と恐る恐る聞いてしまった。

「やめて!そんな事いわないで。水穂さんがかわいそうじゃない!」

と、由紀子はそれを止めようとするが、

「止めるな止めるな。銘仙の着物のことくらい、水穂さんに喋らせろ。そうやって、わかってもらわないと、誤解がどんどん広がっていくことになるぞ!」

と、杉ちゃんが急いで言った。

「水穂さんにいわせるの?そんな事させたらかわいそうじゃないの。なんで今さら、さんざん苦しんでいた事を喋らせるのよ!」

由紀子は杉ちゃんに言ったが、その時やっと鎮血の薬が聞いてくれた水穂さんが、

「仕方ないじゃないですか。わからない人もいるかも知れないけど、僕みたいな人は、こうなっても、放置されるしかできないんですよ。」

と、細い声で言った。由紀子は、水穂さん無理して喋らなくていいわ、と言ったが、

「いえ、僕達のような、身分があった事は、お知らせしなくてはなりません。そして、銘仙の着物というのが、こういう身分の人間のものだった事も伝えていかないと。」

と水穂さんが言った。

「銘仙の着物を着て、汚いとか、臭いとか、そういう事は、本当によくいわれて、しかも、反論することはできませんでしたよ。」

「水穂さんもういいわ。それより、今は休んで頂戴。たった今、ひどく咳き込んだばかりじゃないの、静かにしていることが、一番なのよ。」

由紀子は、水穂さんの背中を擦ってやりながら、そう言った。由紀子にしてみれば、今まで苦労したことを若い女性に喋らせるなんて、少々無理があると思うのだった。それに、若い女性のような人は、水穂さんの抱えている問題をわかろうとすることはないだろうと由紀子は思っていた。だから、水穂さんに自分の受けた人種差別の事を語らせるのはやめてほしかった。

「仕方なかったんです。学校へ行って、いじめがあっても必ず僕が犯人にされればいいことだし、僕のことを、不良生としておけば、ほかの生徒さんは、正常になれます。そういうふうに、最下位を飾る人間だったのかもしれませんね。それに対して、僕達が反論することは絶対にできませんでした。学校の教科書は、僕達みたいな人間のためのものではないということも知っていたから、何度破り捨ててしまいたいと思ったか。だって、学校と言うのは、僕達みたいな人間を教育するところではありませんからね。」

「まだあるぞ。大学へ行くときに、出征するような感じで見送られたりしたことも会っただろ。家が破産して、親に捨てられちまった事もあったよな。そういうもんだで片付けるしか、なかったんだよね。」

と、杉ちゃんは、水穂さんに言った。水穂さんはええとだけ頷いた。

「そういう事を言うのはやめて!水穂さんが可哀想すぎるわ。銘仙の着物を着ていて、いじめられたとしても、もうそういう事は、口にしてほしくない。それを話させることも、また人種差別なのではないかしら?」

由紀子は、杉ちゃんに言った。確かに、それもそうかも知れなかった。戦争体験を聞かせるのとは、多分また意味が違ってくると思う。

「由紀子さん、教育だと思ってさ、我慢してくれよ。彼女は、若すぎて、同和問題の事を殆ど知らないんだ。そんなやつが、同和関係者と年寄から言いがかりをつけられたらどうなるんだよ。それを、予防するために、僕達は、ここへこさせてもらったんだ。今は、着物なんて何でも適当に売れちゃう時代だけどさ、時代背景とか、歴史的な事情を、教えてやらないと、楽しく着ることはできないんだよ。和裁屋というのは、そういう橋渡しもしなきゃいけないんだ。」

杉ちゃんがそう言うが、由紀子は水穂さんが可哀想で、涙をこぼしてしまった。水穂さんが、また咳き込んだ。多分、薬が切れてしまったのだろうか。由紀子は泣き出してしまったので、ほら、吐き出しな、と言って、杉ちゃんが口元にタオルを持っていくと、またタオルが赤くなった。

「ほら、見てみろよ。こういうことが同和問題だ。これくらい、今は何でもないかもしれないけどさ。でも、水穂さんのような人は、重大な事になっちまうんだよ。」

「そういうことなんですね。」

昭島さんは大きく頷いた。

「つまり、それくらい貧しかったということですね。」

「わかってくれたのかな。」

杉ちゃんがボソリとつぶやく。

「私、何もわからなかったですけど、ちょっと銘仙の着物のことがわかるようになりました。そういう貧しい人たちと、一緒にされちゃうリスクが有るということですね。」

「ああ、やっとわかってくれたのか。やっぱり百聞は一見にしかずだな。」

彼女がそう言うと、杉ちゃんがでかい声で言った。

「でも、私は、そういう歴史があるからこそ、着たいと思いました。かわいいというか、派手な柄をしていたのは、もしかしたら、人種差別に対抗しようという考えだったのかもしれないですよね。なら、私だって、働いてないのですから、似たようなところがあったかもしれません。だから、私は、銘仙の着物を着ていきたいです。色々教えてくれてありがとうございました。やっぱり、これを、おはしょりができるように直してください。」

と、昭島さんは、言うのだった。由紀子は、変なふうに解釈しないでと言ったが、

「そうか、そう思うんだったらそうしよう。じゃあ、もし同和関係者かと年寄に聞かれたとしても、ちゃんと、対抗してくれよ。このお着物は身丈が短いから、足し布ををして伸ばそうな。」

と、杉ちゃんは、にこやかに笑って言った。






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杉ちゃん銘仙を直す 増田朋美 @masubuchi4996

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