第4話
「その前にまず、なぜあなたが気象観測をしているのか教えてくださらない?」
善は急げとばかりに、レイチェルは勝手にソファに腰掛けると質問した。一方のダミアンは戸惑っているようだ。無理もない。妻とは言えほぼ初対面の人間に突然根掘り葉掘り聞かれて、戸惑わない人の方が少ないだろう。
ダミアンの手が全然動きそうにないのを見て、レイチェルが一歩にじり寄る。
「教えてくれないなら、抱きつきますわよ」
とたんにダミアンが慌てふためいてペンを走らせた。
予想通り、どうもこの王子はレイチェルに近づかれるのが嫌らしい。乙女としては複雑な心境だが、それを逆手に取って脅しをかけるレイチェルも、もはや乙女と呼べるかどうか怪しい。
『空を見るのが好きなんだ。気象観測を始めたのは、先生が僕に教えてくれたから』
「先生?」
『前の環境大臣。名前が長いから、勝手に先生って呼んでいる』
「仲が良かったんですの?」
『仲良くはなかった。でも彼が色々教えてくれた。今はもう隠居したけど』
「優しい方なんですのね」
『優しい……よくわからない。変な人だったよ。家庭教師でもないのに、毎日やってきて勝手にあれこれ教えていくんだ』
紙の上のダミアンは、驚くほど饒舌だった。レイチェルが一つ聞けば手元が素早く動き、弾むように答えが返ってくる。いそいそと書き上げた文章を見せてくる様子は、小さな子供が摘んだ花を母親に持ってくるのにそっくりだ。
本人もその事に気づいたのだろう。彼はハッとして、手帳を大きなお尻の後ろに隠してしまう。
「あら、なぜ? もっとあなたのお話を聞きたいわ」
ダミアンを怯えさせないよう、レイチェルは優しく語りかける。
せかさずじっと待っていると、やがて、そろりそろりと巣穴から出てくる野ブタのように、ダミアンがそっと日記を差し出した。
『そもそも君は、なんで僕ができそこないじゃないって“証明”しようとするの?』
「それは……」
聞かれて、今度はレイチェルが考え込んだ。
冷静に考えれば、ダミアンができそこないじゃないと証明しなきゃいけない理由なんてどこにもない。それよりもさっさと目的を達成し、家に帰った方がいいだろう。
にも関わらず、彼女が彼にこだわった理由。
「……後悔、したくないからかもしれませんわね」
自分に聞かせるように、ぽつりと呟いた。
前世では、立場や家柄を気にするあまり、たくさんのことを我慢してきた。
「公爵令嬢たるもの品よく貞淑に」とばあやに叩き込まれ、婚約者である王子からデートに誘われてもほとんど応じたことはない。本当は行きたくてたまらなかったのに、「男性と軽々しく外出なんて」と跳ね除けたのは他でもない自分だった。
結果、婚約者は突然やってきた聖女とやらに心を奪われてしまった。
(当時は悔しさと悲しさでいっぱいだったけれど、一度死んだからかしら。今ならわたくしの至らない所もわかるわ)
思い出すのは、レイチェルが誘いを断る度、少し寂しそうな表情をした婚約者の顔。それから、めげずにずっと誘ってくれた彼の姿。そして最後に、悩み、迷い、やっとのことで本音を告白してきた彼の声。
そんな前世の婚約者を、レイチェルは憎んではいなかった。ただずっと後悔していたのだ。――もっと優しくできていたのなら、本音で語り合えていたのなら、何か変わっていたのかしら、と。
『何の後悔?』
「わたくしの個人的な後悔ですわ。だってあなた、このまま放っておいたら一生“できそこない”のままでいる気でしょう?」
『できそこないのままじゃなくて、できそこないなんだ』
「ほら、そう言うところよ。まずは自分を卑下するところから直さないと」
言って、レイチェルは考える。
(こういうのってなんて言うのかしら? お節介? でしゃばり? どちらにしろ――わたくし、この王子の事が嫌いじゃないんですわね、きっと)
初めに抱いたのは同情心だったが、彼の思わぬ一面を知って興味が湧いてしまった。だから家に帰ることより、ダミアンを優先することにしたのだ。
「それにあなたは私の“夫”でしょう? 夫のために助けになりたいと思うのは、普通の事じゃなくって?」
『君は身代わりなのに?』
「ええ。身代わりよ。でも、困っている人がいたら助けてあげる。わたくしは両親と村のみんなにそう教えてもらいましたわ。あなたはそうじゃないの?」
今まで誰も彼を助けてあげなかったのだろうか? そんな疑問を投げると、ダミアンはすぐにふるふると首を横に振った。
『先生以外、助けどころか、誰も僕と話をしたがらないよ。だって僕がそう仕向けているんだから』
「そうなんですの? 今はわたくしとお話ししてくださっているのに?」
『それは君がしつこいから。今までは大体物を投げれば、みんな諦めていったんだ』
「わたくしってしつこいんですの? ……ふふ、そう言われたのは初めてですわ」
初めての単語に、レイチェルは思わず笑みをこぼす。
今まで誰かに、しつこいなんて言われたことはない。前世では公爵令嬢というプライドから、常に毅然とした――周りから見れば傲慢ともとれる――態度を貫き通していたし、今世ではしつこく聞かなくてもみんなの方から教えてくれた。
『君も変な人だな。全然褒めてないのに』
「ふふ、先生と同じぐらい変?」
レイチェルがイタズラっぽく聞くと、ダミアンは首を捻ってうーんと考える。それから、
『変』
とだけ書かれた日記を突き出した。
「では、お互い変人同士、仲良くしてくださらない?」
悪巧みを誘うように問いかけると、ダミアンはしぶしぶと言った顔で頷いた。
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