チュンナク王の独白・2

 確かに私にだって王位継承権はある。けれども自分が王になるなんて、生まれてから一度も考えたことがなかった。

 私は王家にとって傍流の、しかも極めて優秀な兄を持つ次男だった。子どもの頃はジュディミスが王位を継ぐはずだったし、このときだって父の次は兄貴が即位するのが自然だった。すでに兄貴は、実質的には国王だったのだから。

「人払いをしましょう」

 兄貴はすっと立ち上がり、外の衛兵を下がらせた後で籐椅子にゆったりと腰掛けた。あの冷たくて綺麗な顔に、いくらかくつろいだ表情が浮かぶ。

 私も兄に招かれて、その隣に座った。長身の兄貴と太った私が座ると、トガラに覆われた膝と膝とがぶつかるほどに近かった。こんな風に隣り合って話すのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。

「私の仕事はもうすぐ終わります。その前に、父上にもしものことがあれば私も王になるでしょうが、ほんの短い間だけでしょう。いずれにせよ、あなたが王になる前に、私はやるべきことをやらなくては」

「言っている意味が分からないよ」

「きっとそのうちに分かりますよ」

 兄貴は何も説明してくれなかった。

 やるべきこととは何なのか。国民に重税を課すことか? 軍備を増強することか? それとも、陰で悪事を働く大臣や寺院を処断して、腐敗した王政から膿を出し切ることか? ――確かなことは、私は兄貴の本心を理解しないまま、王座を奪ってジュディミスに与えようとしているということだけだった。

 私の心に、迷いがきざした。

 ジュディミスは生き延び、極めて聡明に育っていた。経験はないものの、王の資質は十分にあるだろう。

 ならば、いま目の前にいる兄貴は? 本当にこのまま、兄貴から王位を奪ってもよいのか?

「……兄貴は、王様になりたくないの?」

 またしても、愚かな問いを発してしまった。

 しかも残酷な問いだった。兄貴に首を縦に振ってほしいのか、横に振ってほしいのか、私は考えてもいなかったのである。

 しかし私の問いに対する答えを、兄貴はずっと前から用意していたように思う。

「私は、国王になるべきではありません」

「どうして?」

「だって私は、誰からも愛されない」

 兄貴はそよ風のような微笑を漏らした。その言葉は嘆きでも憐れみでも、また諦めでもなく、ただすがすがしいひとつの真実でしかなかった。

 私は兄貴の顔に見入ったまま、返事もしなかった。「そんなことないよ」と言ってあげたかったが、空しさに耐えられずに口をつぐんだ。たとえ王として国民の敬愛を集めることがなくても、兄貴は「やるべきこと」をやるのだ。そらぞらしい慰めなど、何の意味もなかった。

 そのとき兄貴が、口元を手で覆うのも忘れて大きな欠伸あくびをした。いつも冷たく整っている美貌が歪む。

 兄貴でも欠伸をするんだな、と私は思った。欠伸をしたのに、兄貴の目から涙は出なかった。代わりに、なぜだか私の目からは涙がぼろぼろと落ちた。

「チュンナク?」

 兄貴が珍しく驚いた表情を見せた。

「どうしたのです、なぜ泣くのですか」

「ごめん」私は思わず口走っていた。「ごめんよ、兄貴」

 たったひとり血を分けた弟なのに、私は兄貴を欺こうとしていた。ほかの誰が兄貴を憎み、敵対しようとも、私だけは兄貴の味方でいるべきだったのに。

「なぜ謝るのです?」

 私は幼子のように泣きながら首を振った。

「何か、私に言えないようなことがあるのですか?」

 その通りだった。ジュディミスのことは、兄貴に話すべきではないのだ。

 ジュディミス――最も正統なる王位継承者が生きていると知ったら、きっと兄貴は放っておかないだろう。だが何も知らなければ、兄貴が手出しをすることもない。私は兄貴に、王子殺しの罪を負わせたくなかった。

「ならば、言うべきではありません。一国の王になると、人には言えぬ秘密が増えるものです。これからあなたは、いくつもの秘密に慣れねばならないのですから」

 膝の上で震える私の拳を、兄貴がさすってくれた。その手は確かに温かかった。

「……兄貴、俺は、兄貴が好きだよ」

 私に言えるのは、それだけだった。

 兄貴は呆れたように目を細め、みっともなく泣きじゃくる弟の肩を抱いてくれた。純白のトガラに鼻水が垂れても、少しも嫌がらなかった。そうだ、幼い頃から泣き虫だった私を慰めてくれるのは、いつだって兄貴だった。

「ありがとう、チュンナク」

 私は何度も何度も頷き、そして密かに決意を固めた。

 王子を――ジュディミスを殺すのは、私だと。

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