チュンナク王の独白

チュンナク王の独白・1

 一国の王になると、人には言えぬ秘密が増えるものだ。

 そう言ったのは、私の先代の王だった。

 私が彼の跡を継いでから四十年近く経ったが、その言葉には深く頷くばかりだ。王は国民に対して誠実であるべきだが、必ずしも正直であるべきとは言えまい。まつりごとには常にさまざまな側面があり、民の目からは決して見えない――見せることができない深いところで、いくつもの謀略が巡らされているものだ。その当時にはなぜそんな愚かなことをするのだろうといぶかしがられた判断が、数十年、数百年の後に最善であったと証明されることは珍しくない。もっとも、その逆もまた然りなのだが……。

 国王として年を重ねるうちに、私も抱えきれぬほどの秘密を、なんとかこの丸く膨れた腹の内に収めてきた。ありがたいことに、多くの国民が私を名君だと褒め称えてくれるが、それはいまのところ私が彼らに知られてはならないことを知られずにすんでいるからに他ならない。

 中でも、私がいまからここに書き付けることは、もっとも国民に知られてはならない秘密である。

 だが、これは打ち明け話ではない。すべて書き終えた後、誰にも読まれないようこの帳面を千々に引き裂き、暖炉へと投げ込むつもりだ。いわば、ただの独り言である。

 なぜ誰にも読ませられない話をわざわざ書くのか? ――誰にも読ませられないからだ。

 この秘密は、私ひとりで抱えていくには重すぎる。

 だから書くのだ、我が国を存亡の危機に追い込んだ暗君として人々に記憶される先代のニアーダ国王――我が兄、アテュイス・ジーン・ギアッカ・ニアーダのことを。


***

 

 兄と私は、兄の先々代の王、名君ソニハット王の甥にあたる。

 幼い頃、兄は父ホルタに次いで王位継承権第二位にあったが、ソニハット王に長男ジュディミスが生まれたために、父とともに王位から遠く引き離された。

 王位を望まない父は手放しで喜んでいたが、アテュイスは違ったろう。王になるための厳しい教育を受け、また本人も努力していたのに、それらは突然無用なものになってしまったのだ。

 忍耐強い兄は決して口には出さなかったが、ジュディミスを憎く思っていたに違いない。兄は、私やほかの王族ほどには、ジュディミスを可愛がらなかった。

 しかし、ソニハット王とジュディミスが不幸な災害に見舞われて身罷みまかり、王位は突然ホルタ王――私たちの父のもとへと舞い戻ってきた。だが父は昔から心臓が弱く、長時間の政務に耐えられる身体ではなかった。そこで長兄であるアテュイスが摂政として実権を握ったのである。このとき、彼はまだ二十二歳だった。

 ああ、「アテュイス」などと、名前で呼ぶのはどうにも他人行儀でいけない。私は彼のことを、いつでも「兄貴」と呼んでいた。やはりここでもそう書くことにする。アテュイスは他人にとっては暴君でも、私にとっては優しく、尊敬できる兄貴だったのだから。

 兄貴の政策は、ニアーダ国民にとって恐怖でしかなかったろう。軍備増強のために税を増やし、風紀をびんらんするものを厳しく取り締まり、首都チェンマの憲兵たちに浮浪者を無残に殺させた。兄貴に従わず浮浪者を保護しようとした寺院はことごとく取り潰された。諫言した大臣たちも、次々に左遷または罷免され、時には何らかの罪によって処刑されてニアーダ城門前に晒された。

 チェンマの街は死に体だった。私は街へ出るたびに、かつては艶やかな女たちとほろ酔いの男たちの歓声で賑わっていたタオスの酒屋通りさえもが静まり返り、痩せ細った人々が暗い目をしてふらついているのを目の当たりにした。

 それでもなお、私には兄貴に物申すことができなかった。

 怖かったのだ。兄貴が私を殺すとはさすがに思わなかったが、苛烈な政策を次々と断行していく姿にただ圧倒されていた。私には兄貴の考えが全く分からなかった。じくたる思いだった。たったひとりの血を分けた弟なのに、私は兄貴を止めることができないでいたのだ。

 そんな時期だったのだ、死んだはずのジュディミスが、タオスの料理屋で私の目の前に現れたのは。

 彼を手引きしたのは、青い目の憲兵バライシュだった。

 十二歳で亡くなったとされたジュディミスは、センリという偽名を使い、女装して世を忍んでいたそうだ。彼は五年の月日を経て驚くほど美しく、聡明な少年へと成長していた。そして彼もまた、兄貴の政治をよく思っていなかったのである。

「私はかつて、王位など欲しいと思ったことは一度もなかった。しかしいまのアテュイスのやり方では、この国はどんどん弱体化するだけだ。あなたもお分かりだろう、チュンナク。ニアーダ王家の血を引く者として、このまま手をこまぬいて見ているわけにはいかないのだ。頼む、私に協力してくれ」

 ジュディミスの生存は、私にとってまさに天佑てんゆうだった。私は兄貴に、穏便に政治を諦めさせたかったのだ。たとえば暴力や反乱によって、兄の命ごと王権が奪われるなどということは、決してあってはならないことだった。少なくともジュディミスならば、兄貴を害するようなことはしないだろう。

 私はジュディミスに協力することにした。秘密裏にジュディミスをニアーダ城内へ招き、病床の父上のもとへと案内したのである。父――親父も私と同じく、兄貴に王位を継がせるべきではないと考えていたため、一も二もなくジュディミスへの譲位を承諾してくれた。

 そのままジュディミスを兄貴のところへ連れて行くこともできたが、そうはしなかった。しかるべき準備を整えてから、別の日に会ったほうがよいだろうとバライシュが提案したからである。

 自分のあずかり知らぬところで再び王位継承権が遠のいたことを、兄貴は知る由もなかった。そもそもジュディミスが生きていたことさえ、彼はまだ知らなかったのである。

 知らせるのは私の役目だった。ジュディミスを帰した後、もはや立ち上がれないほど衰弱していた父の代わりに、私はひとりで兄貴の執務室へと向かった。

 率直に言って、非常に気の重い役目だった。いままさに権力をほしいままに操っている兄貴に、「ジュディミスが生きているから、王位はそちらに譲る。親父がそう決めた」と伝えねばならない。しかも兄貴にはきちんと納得してもらわなければならない。そうでなければ、いつか兄貴とジュディミスとは争うことになるに違いないからだ。

「兄貴、俺だよ。入ってもいいかな?」

 衛兵を通さず直接声をかけると、中から「お入りなさい」と返事があった。兄貴は弟に対しても、常に丁寧な言葉を使う人だった。

 夜の闇を退けるため、兄貴は部屋中に明かりを灯して政務を続けていた。白いトガラにも、透き通るほど色の薄い束ね髪にも、少しの乱れもなかった。

 国王の執務室ではない。兄貴が摂政になる前、軍事関連の政務を担っていた頃から使っていた部屋だ。いちおう来客用の机と二人がけの籐椅子が備えられてはいるものの、ここに来たがる大臣や役人はいなかったろう。執務机周りには、私の目線と同じくらいの高さまで大量の巻物や帳面が積み上げられて、広くはない部屋を圧迫していたが、それらはすべて几帳面に整頓され、処理が済んだものとそうでないものとがきっちりと分けられていた。

「これ……全部読んで、いいか悪いか判断してるの?」

「そうですよ」

 兄貴は当たり前のように答えた。答えながら、手元で筆を走らせている。

 私は心底驚いた。昔から頭のいい人だとは思っていたが、これほどの仕事量をひとりでこなすとは。私が当時担当していた、文化芸術に関する仕事とはまるで比べものにもならない量だった。

 国王って大変だね、と私が声を上げる前に、兄貴はこう付け加えた。

「担当の大臣を処刑してしまいましたからね。まともな後任が見つかるまで、私が引き受けているのです」

「『まともな後任』って?」

 私は恐る恐る尋ねた。自分の言いなりになる人間のことを指すのか、自分と同じくらい優秀な人間のことを指すのか。

 兄貴の答えは、そのどちらでもなかった。

「決まっているでしょう。真にこの国のために働いてくれる人間ですよ」

 机上の書類を覗き見ると、兄貴の文章はすべて隣国キンドウの言葉で書かれていた。兄貴には、つうが要らないのか! 私なら、同じ文章をニアーダ語で考えるだけで丸一日かかりそうなものだ。

「少しばかり私腹を肥やすだけなら見逃してもよかったのですが……しかしこれほどの処刑者が出るとは、私も予想していませんでしたよ」

 兄貴は処刑した大臣たちの名前を次々と挙げた。

 彼らはみな重罪人だった。西のユーゴー帝国から金をもらって阿片の輸入に加担していたとか、少女を何人も農村からさらってきて売春宿で働かせ、その売上を受け取っていたとか。中には、兄貴や私の暗殺および王位簒奪を目論んだとされる者もいた。

 私はそれらが故ある罪だとは思っていなかった。むしろ噂に囁かれるように、兄貴が目障りな臣下を粛正するためにでっち上げた口実だと信じていた。

 だから私は何と言葉を継げばよいのか分からなくなり、結局先ほど飲み込んだ言葉を口にした。

「……国王って、大変だね」

 われながら愚かな受け答えだったと思う。この後どうやって、ジュディミスのことを切り出すつもりだったのだろう。「兄貴、そんな大変な仕事は、もうやらなくていいよ。ジュディミスが生きてたから」とでも言うつもりだったのか? 私は自ら話の糸口を断ってしまったのだ。

 ところが、この鈍い弟に、兄貴は思いも寄らぬことを告げた。

「私は王にはなりませんよ。王になるのは貴方です、チュンナク」

「え……?」

 間抜けな声が私の口から漏れた。

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