第23話 根性のフライト

『――続いて、現在プラットフォーム上は、富士川スカイスポーツ学園、バートライアさんです』


 バートライアの大きな体がプラットフォーム上に立つと、会場から少しざわめきが起きた。一回り大きい彼女の体躯はやはりトリ娘として異質なのだ。そのざわめきを払うように、大きな翼を横に広げる。


「ゲート、オープン!」

「3、2、1、ゴー!」


 バートライアはその体を震わせながら走って、プラットフォームから。頭が下になり湖面に突っ込む体勢となった彼女は、そのままでは墜落してしまう。


「私だってぇぇ!負けていられないんだからぁぁ!」

 尾翼を捻じると、そのスピードと重さも手伝ってジェットコースターのように急上昇した。プラットフォームを超える高さまで一気に駆け上がる。

 ダイナミックなフライトに会場から驚きの声があがった……が、それも次の一瞬には悲鳴混じりのどよめきとなった。


 上昇がピタッと止まると、バートライアの背中は完全にプラットフォームの方を向いていたのだ。つまり、空中で垂直に立っているような形になっている。こうなってしまってはもう飛ぶことはできない。進む力を失った体はやがて、足からゆっくりと落下していく。


「いやああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 悲鳴を上げながら落ちていくバートライアの背中を見て、ウイングノーツは目を瞑った。これまでまともに飛べなかった記憶がどうしても蘇る。

 ノーツは、それを振り払うように首を大きく振った。


 記録飛行を思い出せ。ここまでの練習を思い出せ。青葉さんの言葉を、アクティブガル事務長の激を思い出せ。今の自分には、今の自分なら、プラットフォームから飛べる力があるはずだ。


 目を開き、プラットフォームへのスロープを登っていく。上まで登り視界が開けたところで、大きく息を吐いた。


『現在、プラットフォーム上は、富士川スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんです』

『さあ、プラットフォームに立つのは、ウイングノーツ選手。ディスタンス部門は2回目の出場です。数日前のテストフライトで負傷をしたとのことですが、なんとか本番に間に合わせてきました』


 さっそく事前情報がネタにされている。ウイングノーツは苦笑いしながらも、翼を広げて軽く羽ばたいた。かえって気が楽になったかもしれない。


 審判員が前に進み出て、赤い旗をあげる。しばらく風の様子を見た後、白い旗を振り上げた。

「ゲート、オープン!」


 その声に、フッと強く息を吐いて、大きく息を吸い込む。

「行きます!3!2!1!ゴー!」


 羽ばたきながら走り、プラットフォームを蹴った。少し斜め下に向かって飛びだしてしまったが、先程のバートライアを思い出して尾翼を少しだけ動かす。引き起こした顔の正面に琵琶湖の水平線が見える。


「「よし!」」

 水平飛行に移って、インカム越しにウイングノーツと青葉の声が重なった。

 羽ばたきのリズムも一定になり、真っ直ぐ進むことができている。ついに、トリ娘コンテストで定常飛行をすることができたのだ。


『見事なスタートを切りました。このままいけ、このままいけ』

 実況の後押しを聞きながら、一心に、でも一定のリズムで翼を羽ばたかせる。


 バサッ、バサッ、バサッ、バサッ


 ちらっと右を見ると、ホテルレイクビュー彦根があった。何大会か前、ディスタンス部門の最初の目標だと言っていた場所だ。視線を前に戻したところで、ふっと体が何かに乗ったような感覚を受けた。右に流されつつも、体が少し軽くなったような感じになる。


「よし、捕まえた!いけいけ!」

 インカムから聞こえる青葉の言葉に、ああ、これが風を捕まえるという感覚なのか、とウイングノーツは思った。

 レイクビュー前の岸を越えると、もう前にはほとんど空と水面しかない。

 風に乗って少し楽になったのかもしれないが、結局やることはただひたすらに羽ばたき続けるだけだ。


「ハッ!……ハッ!……ハッ!……ハッ!」


 しばらく羽ばたいても、一向に見える景色が変わらない。ひたすら湖、そして空。顔に受ける風や、横目に見えるボートの様子から前に進んでいることは分かっていても、先が見えてこないような途方も無さにウイングノーツは少し疲れを感じてきた。

 だんだん、頭がボーッとしてきたようにも思える。


「ウイングノーツ〜、下がってきてるぞ〜上げろ上げろ〜」

 萩原はぎわらレポーターの声が遠くから聞こえてくる。

「ノーツ!!湖面が近い!ピッチ上げて!」

 青葉の叫びに、ウイングノーツはハッとした。


 視界が湖面で埋め尽くされている。


 しまった、と思ったと同時に、右足が水に浸かった。グッと足首を引っ張られるような感覚。琵琶湖が、アタシを引きずり下ろそうとしている。


 青葉も、萩原はぎわらも、実況も、観客も凍りついた――その一瞬を、ウイングノーツの叫びが引き裂いた。


「うあああああァァァァァァッ!」


 頭が、体が、カッと熱くなる。


 アタシは、まだ飛べる。翼だって、心だって――折れていない!


「ぁぁぁぁあああアアアアァァァァァァッッ!」


 尾翼を思いっきりねじり、これまで以上の強さと速さで羽撃く。カラダが浮き上がり、バシャッと右足が水から離れた。


『なんと!着水したかと思いきや、復活しました!なんというパワーと根性!』


 実況の声も耳に入らない。

 なんとか、少しでも、飛んで、前に進むんだ。


「ハア……ハア……ハア……ハア……」


 着水からの急上昇は体力を予想以上に消耗していた。体が、羽が、重すぎる。足を水につけないようにするのがやっとだ。


『ウイングノーツ選手、1キロを通過しました!』

「ノーツ!1キロ超えたって!」


 青葉の声に反応する余力もない。ひたすら、羽ばたいて、羽ばたいて、羽ばたくだけ。


『まだ粘る、まだ粘る。湖面スレスレを飛びながら落ちないウイングノーツ!ここまでの粘りは、根性は、どこから生まれてくるのでしょうか!?』


 だんだん腕に、翼に、力が入らなくなってくる。それでも、少しでも飛び続けたい。それだけを考えてひたすら腕を振り続けた。


 ――やがて、もう尾翼を動かす力もなくなったところで、ウイングノーツはそのまま湖面の上を滑るように着水した。視界が水で覆われて、慌てて顔だけを水の上に出す。あっという間にボート数台に囲まれた。ライフセーバーが泳いで近づいてくるのが分かる。


 担ぎ上げられて乗り込んだボートには、青葉が待っていた。

「よくやったわ!ノーツ!素晴らしいフライトだった!」

 がばっと青葉が抱きついてくる。

「へ、へへへへ……。一回目の着水のときに思った以上に消耗しちゃいました……」

 抱き返す余裕もなく、腕と翼をだらんとさせたままでウイングノーツは小声で答えた。


「……お疲れ様」

「……こちらこそ、ありがとうございます。青葉さんのおかげで、ここまで飛べました」


『――只今の、富士川スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんの記録は、』


 ボートに置かれた無線から、ウグイス嬢のアナウンスが聞こえる。


『――1709メートル50でした』


 記録の発表に続いて、無線の先から観客席の歓声が聞こえる。


『こーれはいきなりの大ブレイク!2回目の挑戦にして史上10人目の1キロ超えを達成したー!ウイングノーツ!!』


 ポンと、肩をたたかれると、そこに青葉の笑顔があった。やったんだ。ついに、飛べたんだ。しかも、最初の目標だった500メートルを超えて、1.7キロ!


 ウイングノーツはボートの縁に頭を預けて上を見上げた。もっと飛べたかもしれない、という気持ちは正直ある。一度着水しなければ。もっと粘れていれば。でも、この初めて湖上で眺める空と風に、もう少しひたって体を冷ましたいと思うノーツだった。

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