第20羽 イチバン星が駆ける空

 トリ娘コンテスト当日の朝が明けた。


 空が白みだした琵琶湖湖畔は、間もなく始まる本番に向けてウォームアップするトリ娘たちでごったがえしている。湖岸道路を走ったりするトリ娘や、その脇でストレッチや翼の手入れをしたりする集団。さらには、それを見学したり手伝ったりする『ホテル湖畔』組も加わって相当な人口密度になっていた。


 ウイングノーツも、同じくマエストロやバートライアと湖岸でウォームアップをしている。


「私もこの前のテストフライトで初めて定常飛行できたからね、今日は飛ぶわよ」

 バートライアがストレッチをしながら意気込みを語った。

「マエストロたちに遅れをとっていられないもの」


「なら、私はその先に行くわ」

 マエストロが自信ありげに笑みを浮かべてそれに応える。


「遅れも何も、アタシはまだ琵琶湖でまともに飛べてないんだけど」

 ウイングノーツは苦笑いするしかなかった。でも、今回でそれを終わりにしなければいけない。

 ウイングノーツは額に手を当てた。


「やあ、君たち」


 声に振り向くと、そこには生徒会長トーワが立っていた。その後ろには大会の審査委員たちがいる。本番前の最終チェックだ。


「――OK。マエストロ君とバートライア君は問題なさそうだね。ウイングノーツ君は直前の練習で怪我したと聞いたけど、大丈夫かい?」


 その視線は額と膝の絆創膏の上を交互に行き交っている。最後のテストフライトで転倒してしまったノーツは、翼にダメージを受けることはなんとか防げたものの、勢い余って膝と額に擦り傷を負ってしまったのだ。


「あ、ハイ。もう治っているとは思いますが、念のため絆創膏を貼っています」

「悪いけど、全部剥がして状態を見せてもらってもいいかな?」

「はい」


 痛くないようにそーっと時間をかけて一つ一つ剥がしているうちに、周りにいたトリ娘たちが何事かと集まってきて人垣ができ始めた。


「お、なんやなんや目立っとるなぁ」

 聞いたことのある大阪弁の方を4人が向くと、走り込み中だったと思われるフーシェが人垣を掻き分けて入ってきた。


「あ〜、さては自分も直前のテストフライトで転んだクチか」

 剥がしかけの絆創膏をみるやいなや、トーワの横を抜けて遠慮なくノーツの額と膝を覗き込んでくる。

ってことは、フーシェさんも怪我されたんですか?」

「まーなぁ。せやけどま、その程度やったら普通や、普通。ウチなんか今回はもーっとごっついクラッシュ何回もしてもうてるしな」

「その割には翼も体も綺麗じゃないですか」

 パッと見た限りではフーシェの体は綺麗な仕上がりでとても何度もケガした風には見えない。


「そんなん気合で治したに決まっとるやないか」

「気合でどうにかなるもんなんですか」

「そや。……と言いたいとこやけど、ここだけのハナシ、ホンマのところは節々ちょびっと痛いねん」

 小声でフーシェが苦笑いしながら手を振る。

「せやけど勝ってお立ち台に立つからにはな、できる限り最高の自分でおらんと――おっと」

 背後からのトーワの鋭い視線に気づいて、フーシェは口を噤んだ。


「フーシェ君は前回チャンピオンで最後のフライトだから、今の話は後で改めてチェックと共に聞くとして、だ」

 トーワはフーシェを一瞥したあと、ウイングノーツに向き直った。


「ウイングノーツ君、状態は見させてもらった。――結論から言えば問題ない。むしろ絆創膏は抵抗になるから外してフライトした方がかえって良いだろう。よくぞこの短期間で回復したな」

「あ、ありがとうございます!良かったです。なんとしても飛びたかったので、考えられる手を全部使って根性で治しました!」


「君、言ってることがフーシェと大して変わらんぞ」

 トーワの突っ込みに場が沸いた。


「まあいい。三人とも合格だ。自己ベストのフライトを見せてくれよ。――フーシェはまた後でな」

「「ありがとうございました!」」

 三人揃ってお辞儀をして、次のトリ娘の所に向かうトーワを見送る。


「ほなな」

 走り去っていくフーシェにも頭を下げてから、ウイングノーツたちは最後の仕上げに取りかかるのだった。



  ◆



『現在、プラットフォーム上は、富士川スカイスポーツ学園、マエストロさんです』


 マエストロが長い髪をなびかせてプラットフォームに立った。ここ2大会プラットフォーム上で横に付き添っていた萩原はぎわら臨時トレーナーは前回大会終了時点で任期満了。行雲ゆくもトレーナーは並走するボートの上だ。マエストロはそのボートの方をちらっと見てから、目を閉じてふーっと息を吐いた。


『さあ、フライトを待つのはマエストロ選手。前回は萩原はぎわら選手とのコンビで4位の成績を残しました。今回はどう飛ぶのか期待しましょう』


 実況アナウンサーの煽りに続いて審判員が前方で旗を降ったのを、マエストロは目を閉じたまま音で感じた。


「ゲート、オープン!」

 その合図を聞いて目を開く。

「いくわよ!3、2、1、ゴー!」


 翼を広げ、羽ばたきながらプラットフォームの端に向けて一気に駆け出す。

 観客席の歓声に押されるかのようにマエストロが飛び出した。


「「上手いっ!」」

 順番待ちで下から見上げるウイングノーツとバートライアが同じ感嘆の声をあげた。マエストロは、プラットフォームの高さほぼそのままに真っ直ぐ空中を滑るように飛んでいく。


「これは私達も負けていられないよね」

 マエストロが沖に進んでいくのをしばらく眺めてから、バートライアと加賀谷トレーナーが歩き出した。その長い腕を回しながら向かう先はプラットフォームへの桟橋。彼女の順番ももう間もなくだ。


 その間も、マエストロは少しずつ、でも着実に視界から遠ざかっている。

 遠く湖畔から見ていると宙にふわふわと浮いて漂っているようにも見えるその姿がだんだんだんだん小さくなっていく中、会場にアナウンスが響いた。


『マエストロ選手、1キロを通過しました!』


 うおおおおおおおっ!


 大会史上9人目の千メートル超えに、会場に歓声が沸き起こった。並走するボートのカメラが映すマエストロは、飛び方が安定していて優雅に飛んでいるようにも見える。しかし、


「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」


カメラがさらにズームすると、そこには苦しそうに呼吸する彼女の顔があった。インカムからの中継で伝わる声からも、彼女が全力を出し続けていることがわかる。


『3キロを通過しました!』


 少しずつ少しずつ、マエストロの高度が落ちていく。


「マエストロ!上げろ上げろ〜!」

 並走するボートからマエストロを鼓舞する男性の声がスピーカーごしに聞こえてくる。どこかで聞いたような声だと思ってふと横に立つ青葉の方を見ると、ちょうど目があった。

「あれは荻原はぎわらトレーナー、いや今は荻原はぎわらレポーターともいうべきかしら。マエストロの臨時トレーナーを経てトリ娘コンテストを凄く気に入ったらしくてね。スキーの現役引退を機に、大会を盛り上げたいって名乗り出たみたいなのよ」

「あ、やっぱり同じ人だったんですね」


 二人が話している間も、萩原はぎわらの激を受けてマエストロが進んでいく。

「ハッ……ハッ……まだ……まだ……」

 ただ、その荒い呼吸も少しずつ弱いものになっていった。


 ――やがて、観客全員が固唾を呑んで見守る中、マエストロの足が水面にわずかについた。その瞬間、まるでその足が琵琶湖にガッと掴まれたかのようにスピードが急激に落ちる。それだけ、水による物質的な抵抗は大きいのだ。そのまま彼女は水しぶきを上げて湖面に頭から突っ込んでいった。


 その体が完全に止まったのを確認してから、周りのボートが駆けつける。レスキューが彼女を引き上げると、行雲トレーナーが駆け寄ってその体を支えた。


「ゼェッ……ゼェッ……ゼェッ……」

 モニターに映し出された息も絶え絶えなマエストロの姿に、観客席から拍手が送られる。


『――素晴らしい記録が出たようです。只今の、富士川スカイスポーツ学園、マエストロさんの記録は、』


 記録を告げるウグイス嬢の声に、会場が静まり返った。


『3823メートル70でした』

『マエストロ選手!見事なフライトで現在1位に躍り出ました!』


 ウグイス嬢と実況アナウンサーの声に続いて鳴り響く歓声と拍手。体力の限界まで飛んだマエストロのフライト。その姿と記録に追いつきたい、そう逸りかけた気持ちは、肩を掴んだ青葉の手でグッと抑えられた。


「さ、のフライトをするわよ」

「あ、はい!」


 そのまま背中をポン、と叩いてトレーナー用のボート乗り場に向かう青葉。その背に軽くお辞儀をして、ウイングノーツもプラットフォームの桟橋に足を進めるのだった。

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