第16羽 お願いマッスル

「日本記録、ですか!?」


 アクティブガルから出た思いがけない単語に、思わずウイングノーツは聞き返した。


「そうよ。本当は世界記録と言いたいところだけど、まずは日本記録ね」

 いや世界記録はもっと突拍子もないだろう、とノーツは心の中で突っ込んだ。


「ということは、この前のソラノセプシーさんの24キロ超えを目指すということですか?」


 そのウイングノーツの言葉に、アクティブガルと青葉は顔を見合わせた。


「ノーツ、実はね。トリ娘コンテストの記録は、公式な飛行記録、たとえばギネスみたいな世界記録や日本記録としては認定されていないのよ」

「え!?そうなんですか!?」


 ウイングノーツはびっくりした。テレビでも大々的に放映されているし知名度も高いので、その記録は普通に公式記録的な扱いを受けるのだと思っていたからだ。


「そうなの。よく誤解されるけどね。10メートルもの高さのあるプラットフォームから飛び立つということと、そこでの足を使った助走があることがネックになって、公式記録としては扱われないのよね」


 知らなかった……。ウイングノーツは呆然とした。


「あ、でもね。決してトリ娘コンテストがダメといっているわけではないのよ、もちろん」

 青葉がノーツをなだめるように語りかけた。


「トリコンはトリコンとして独自のレギュレーションが規定されていて、競技として成り立っているから。何より定期的な競技大会として、テレビを通じてトリ娘やスカイスポーツのプレゼンスを高めるのに貢献している部分も大きいわね。これは他の国にはあまりないことよ」

「それに、トリコンに比べて公式記録はハードルが高いのよね」

 青葉の説明にアクティブガルが言葉をかぶせる。

 なるほど、それぞれにメリットとデメリットがありそうだということがウイングノーツにもなんとなく分かってきた。


「それでは、そのってどういうものなんですか?」


 ノーツが率直な質問をすると、アクティブガルは我が意を得たかのように笑った。

「話が早いわね、ウイングノーツさん。お姉さん、そういうコ好きよ」

 何を言いだすんだと一瞬眉をしかめた青葉をよそに、アクティブガルは薄い冊子をノーツに手渡した。表紙には『FSI・国際スカイスポーツ連盟』と書いてある。


「飛ぶことに限って言うと、ハードルは2つよ。まず足は使わず自分の羽根の力だけで飛ばなければいけないこと。そしてを超えないと記録として成立しないこと、よ」

「本当にハードルじゃないですか!」

 思わずウイングノーツは突っ込んだ。それを、まだトリコンでもまともに飛べていない自分が?


「……だから、この挑戦については強制ではないわ」

 青葉はノーツの目を見つめながら話した。

「さっき言った課題を克服するためのトレーニングメニューは、挑戦しようがしまいが実施するつもり。ただ、次回トリコンには出れず、それ以降の出場も分からない中、何か目標となる『本番』があった方がよいという考えから紹介したの」


「元々私一人で挑戦しようと考えていたら、青葉ちゃんからの提案があって乗ることにしたの。だからノーツちゃんの参加不参加は本当に自分の判断で決めてくれればいいわ。他にもライセンス取得とかトレーニングとは別にやらなきゃいけないこともあるし、今日急いで決めなくてもいいのよ」

 アクティブガルの言葉も、やるかやらないかはあくまで自分の選択次第であることを告げている。


「いえ――」

 ウイングノーツはアクティブガルが手渡した公式記録の手引に目を通しながらつぶやいた。

 そこには、記録認定のためのルールと、日本と世界の数々の記録もまとめられている。トリコン初参加のときにナスカから聞いたダイダラスの名前も、世界記録保持者としてそこにあった。そして4.4キロメートルという日本記録の保持者は――ソラノセプシー。

 対岸到達と公式記録両方を彼女が達成していたという事実に、ウイングノーツは震えた。


 今まで知らなかった、新しい世界。ソラノセプシーが偉業を成し遂げたもう一つの世界。

 そこに、自分が飛び込めるチャンスがあるのなら。


「やります」


 ウイングノーツは顔を上げ、アクティブガルの目を見据えて言った。


「やらせてください」


 アクティブガルはその燃えるような瞳をしばらく見つめ返した後、

「オーライ。わかったわ」

とだけ返して、青葉の方に振り向いた。


「それじゃ手筈通り、トレーニング面の実指導は引き続き青葉ちゃん。ただ、メニューは私からもアドバイスするわ。『パワー』と一言で括ったけれども、力を推力に効率よく変える技術、空気の流れを効率よく揚力に変えるための軽くて丈夫な翼と体幹もセットで初めてそのパワーが生まれるのよ。あとはライセンス取得とか飛行場申請、ルールのフォローアップは私がウイングノーツちゃんと一緒に進めるわね」


「ハイ、よろしくお願いします。すみません、ご自分の準備もあるのに」

 頭を下げる青葉に、アクティブガルは手を振った。

「いいのよいいのよ。私の分と一緒にやるだけだからそんな手間じゃないわ。それに、久しぶりに可愛い後輩を指導できるしね――」

 アクティブガルは再度、ウイングノーツに向き直った。


「今のところ記録飛行は次回トリコンの2週間後を想定してるの。それまで、お姉さんと一緒に特訓を乗り越えていきましょう。やるからには日本一、いいわね!」

「はい!よろしくお願いします!」


 ウイングノーツは、差し出されたアクティブガルの手を強く握り返した。



 ◆



 それから、ウイングノーツはひたすらトレーニングに励んだ。基本はアクティブガルの指示に基づく青葉とのトレーニングと、CBFによる体幹トレーニングのルーチン。それに加えて、アクティブガル自身も仕事の合間にときどきアドバイスをくれるようになった。


「まだまだまだ!まだ出力出せるはずよ!」

「はい!」

「今の負荷でそのまま羽ばたきもう10分続けて!」

「はい!」

「パワー!パワー!あと2分全力出しきって!」

「はい!」

「日本一の成果を出すためには、日本一努力するのよ!」

「はい!」


 アクティブガルの指導は、実際に飛んだことのある豊富な経験に基づくもので、青葉と視点が異なるものもあった。その言葉通り要求も厳しい。

 体やフォームを改造していきながらも、体重は現状維持あわよくば減らしていく必要がある。トレーニング中にふと自分の姿を鏡で見て、これってまさにテレビやドラマで観たプロボクシング選手みたいだな、とウイングノーツは思った。


 ◆


「こちらが、アクティブガル事務長とウイングノーツさんのレビューを元に最終決定した記録飛行プランになります。OKでしたらこのまま連盟事務局に提出しますので最終確認お願いします」

「……はい、確認しました。OKです。よろしくお願いします」


 筋力トレーニングのさなかに差し出された書類に目を通してウイングノーツはOKを出した。

 書類を抱えた生徒――クラスメイトで航空技術専攻だった――は「じゃ、トレーニングがんばってね」と一言残して走っていった。


 ふう、とウイングノーツは一息ついてダンベルのベンチに横たわる。なんとかトレーニングに必死に食らいついているうちに、あっという間に2ヶ月が過ぎようとしていた。


 今回の挑戦は、彼女のようないろんな人の協力ボランティアで成り立っていることも分かってきた。ならば、なおさら変な結果は出せない。最低限、記録を残せるように2メートルのハードルを超えないと。


 青葉、アクティブガルとの相談の結果、今回の挑戦はソラノセプシーが記録を持っている一般クラスではなく、重量制限のあるフェザークラスでの挑戦となった。フェザークラスの日本記録はワスターの従姉妹にあたるゼルフィスのもので、約1キロ。目指す記録が近くなった分、より体重に気をつけながらトレーニングする必要があるのだ。

 もちろん普通に飛ぶ上でも軽いほうがよいのは間違いないのだが、制限があるとなるといつも以上に気をつかわなければならない。さらには、2メートルという物理的ハードルはクラスに依らず共通のため、離陸するためのパワー獲得という課題の難しさは変わっていない。


「ノーツぅ〜、交代ね〜」

 ウイングノーツがトレーニング室を出て体育館裏に行くと、ちょうどCBFから出てきたばかりの汗だくのクラウドパルと出会えた。あえてトリコンを回避した彼女は、これまでのトレーニングをこなしながら自分の目指すべきスタイルを模索しているように見える。


「あ、そういえば」

 そのままCBFに入ろうとしたノーツを、クラウドパルが呼び止めた。


「明後日からのトリコン、ノーツはどうするの〜?」

「……は?」


 少し冷や汗が出たのをウイングノーツは感じていた。トリコンに向けた準備の話題はマエストロやバートライアたちと日頃していたものの、記録飛行に集中していたせいで肝心のコンテスト開催日を忘れていたのだった。


「あぁぁー!行く!行くよ!……なんか申し込みとかしないとまずいんだっけ……!?」

「ううん。どうせ湖岸泊でしょ〜? バスだけ満席になってないか確認すればいいんじゃないのかな〜?」

「ありがとう!これ終わったら青葉さんに聞いておく!」

「忘れずにね〜。あたしもこれから青葉さんとトレーニングだから念のため伝えておくよ〜」

「うん!ありがとう!」


 お礼を言って、ウイングノーツはCBFの密閉扉を閉めた。クラウドパルが残した予熱の中、体にローションを塗って圧縮スーツを着る。

 これまでほぼ毎日続けてきたおかげで最近は大分コツも掴めてきて、圧縮スーツを切らなくてもスムーズに脱ぎ着できるようになってきていた。それに、このトレーニングのおかげで体重も軽くなっているし、体も強くなってきたことが体感でわかるようになってきている。


「さて、今日は羽指をいつもより重点的に鍛えてみようかな?」

 トリ娘コンテストを観に行く間は、まともな練習は出来なくなる。その分をカバーするために今日明日をどう使うか、ウイングノーツは頭の中でトレーニングプランを組み直しながら機械のスイッチを入れた。

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