第16話 これが、トリコンや

『只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんの記録は』


 会場を流れるウグイス嬢の声がプラットフォーム上にも聞こえてくる。


『16メートル45でした』


「……ウイングノーツは大丈夫か?」

 次に飛ぶマエストロに付き添っていた萩原はぎわらは、不安そうにプラットフォームから下を覗き込んだ。


 湖面が、遠い。

 

 高さはあるが傾斜とレーンがついているスキージャンプ台とは違い、だだっ広い琵琶湖に切り立ったプラットフォームはまた違った怖さがある。ここからマエストロは飛ぶのか。ウイングノーツや他のトリ娘たちは飛んだのか。


 湖上をみると、救助ボートに引き上げられたウイングノーツが、上からの視線に気づいて手を振っていた。心配させないように笑顔を作っているようだが、悔しさを隠しきれず苦笑いのようになっているのが痛々しい。ただ、バランスを崩す形で落ちたのに、どこにも怪我はなさそうに見えて萩原はぎわらは少しホッとした。


「まさに前回の私よ」

 琵琶湖の沖を見据えたままのマエストロが言った。

「今回はああはならないわ」


『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、マエストロさんです』


 ウグイス嬢のアナウンスが響き、スタッフから位置に着くように指示が入る。


「ウイングノーツ君の話ではないけど、踏み切りには気をつけて。あとはリラックスリラックス」

「分かってるわ」

 萩原はぎわらの助言に答えて、マエストロはスタート地点で大きく深呼吸した。今頃は行雲ゆくもトレーナーも飛行中のフォローのためにボートに乗り込んでいるはずだ。


『さあ、フライトを待つのはマエストロ選手です。傍らに立つのはその活躍も記憶に新しい、あの冬季オリンピック日本代表、萩原はぎわら次郎選手。このコラボがトリ娘コンテストにどのような革命をもたらすのか!』


 アナウンサーの煽りが聞こえてくる。自分自身が飛ぶわけではないのに、いやむしろ自分が飛ばないからこそ、余計にプレッシャーを感じると萩原はぎわらは改めて思った。


「ゲート、オープン!」


 審判員が滑走路の上で白旗を振り上げ、すぐに脇に避けた。それを見て、マエストロがその翼を大きく広げる。萩原はぎわらはプラットフォームの後方に下がって彼女が呼吸を整えるのを見守った。


「さあ、行くわよ!3、2、1、ゴー!」


 掛け声と共に走り出すマエストロ。プラットフォームの端を蹴って、一気に前に飛び出す。


「よし!」

 スムーズにプラットフォームから飛び出したマエストロを見て、萩原はぎわらはグッと拳を握った。


 だがその直後、彼女の姿はスッとプラットフォームの床に隠れて萩原はぎわらの視界から消えた。本来ディスタンス部門はプラットフォームから真っ直ぐ飛ぶのが理想なのだが、滑空するように斜め下に向かって飛んでいるのだ。


「マエストロッ!上げろ上げろぉーっ!」

 萩原はぎわらは叫びながらマエストロの姿が見える位置までプラットフォームを駆け出した。

 スピードも想定以上に出ている。まずい。


 数分にも思えるような一瞬の疾駆を経て彼の視界に入ったのは、右翼が折れ湖面にまさに突っ込もうとしているマエストロの姿だった。


 バシャン!


 湖から聞こえる叩きつけるような音と共に、萩原はぎわらは膝から崩れ落ちた。

「そんな……事前のボディチェックでは異常はなかったし、これまでの練習でも一度もこんなことはなかったのに……」


 救助ボートに引き上げられたマエストロが、右翼を押さえながら泣いているのが見える。


『……只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、マエストロさんの記録は、』


 ウグイス嬢の声が無常にプラットフォームに響く。


『44メートル06でした』


 その上でマエストロの姿を見ながら、萩原はぎわらはしばらく立ち上がれずにいた。

「どうして……」


「これが、琵琶湖や。トリコンや」


 その声に振り向くと、萩原はぎわらの背後に小柄なトリ娘が立っていた。


『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、フーシェさんです』


「フーシェ君……」

「誰かも似たようなこと言うたかもわからへんけどな、」

 フーシェは立膝のままの萩原はぎわらの横を通り過ぎながら話し続ける。


「トリコンは、一発勝負なん。どんだけ力があったかてほんのちょっとのミスが命取りや。そやさかい、どんなこまいことにでも万全の注意を払うて臨むんや」


 フーシェは前を見据えながら、ちょっと肩をすくめて続けた。


「ホンマはそれだって足りへんねんけどな。そんだけ琵琶湖の悪魔は手強いんよ。……せやから、みんな自分なりの最適解を見つけるために毎回毎回もがいてんねん」


 フーシェはそこで一呼吸おいて、振り向いてニカッと笑った。

「ま、そこを速さと気合でなんとかするんがウチの持ち味やねんけどな。ほらほら、下がってよう見ときや、萩原はぎわら臨時トレーナー」


 ようやく立ち上がって後方に下がる萩原はぎわらを確認して、フーシェは再び沖を向いた。


「ゲート、オープン!」


 審判員の合図を受けて羽ばたきながら飛び出すフーシェを、萩原はぎわらは彼女が遠く視界から見えなくなるまで見つめていた。



 ◆



 今回のトリ娘コンテスト・ディスタンス部門は、4913メートル46を飛んだフーシェが優勝して幕を下ろした。


 1キロ超えをしたナスカとトンパが表彰台、500メートル超えをしたワスターとフォルテックがそれに続く順位となった。


 他のトリ娘たちが不振だったことも幸いしてか、マエストロは不本意ながらも9位という順位を結果的に獲得した。それに対し、ウイングノーツは16メートル45、クラウドパルは6メートル96と次回出場が危ぶまれる結果となってしまっている。


 どうすべきか。


 トリ娘コンテストのテレビ放映が終わった後、青葉はトレーナー室で一人考え込んでいた。


 流石のクラウドパルもこたえたのか、次回の出場は初めから辞退してトレーニングに専念することを申し出てきた。選手の意向を尊重し、それを最大限に活かすようにサポートするのが青葉のトレーナーとしての基本的なポリシーだ。だから、青葉は出場申込を無理強いすることはなく彼女の提案を受け入れ、中長期的なトレーニングメニューを考えることを約束したのだった。


 一方、ウイングノーツはダメもとで出場申込をすると言ってきた。そもそも実戦の経験が足りない。自分に何が足りないのか飛びながら見つけたいというのが彼女の意思だった。

 気持ちは分かる。その一方でウイングノーツ、クラウドパルに共通する課題を青葉は見出していた。今回のフライトを見る限りマエストロにも共通しているであろうその課題を克服するには、どのようなアプローチを取るのが最善か。

 コーヒーを片手に、青葉がいくつものオプションをホワイトボートに書き込んで悩んでいたその時。


 コンコンコンとトレーナー室のドアをノックする音が聞こえた。


「……どうぞ」

「はい、失礼しますね。一つだけまだ部屋から明かりが漏れてたものだから気になっちゃって」


 ガチャっとドアを開けて入ってきたのは、


「ガル先輩……」

「遅くまで精が出るわね、青葉ちゃん。でも無理は禁物よ」


 青葉の大学時代の先輩、そして富士川トリ娘スカイスポーツ学園OBにして現事務長、アクティブガル。

 その顔を見た瞬間、青葉の頭に一つのアイデアが浮かんだのだった。

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