第二章 対岸編

第13羽 Second Flight

 白い砂浜と青い湖面、そしてその湖面にそびえ立つパイプで組み上げられたプラットフォーム。

 ウイングノーツは再び琵琶湖――トリ娘コンテスト会場――に戻ってきたのだ。


「なんか、あっという間だったな……」

 桟橋の手前からプラットフォームを見上げて、ウイングノーツはつぶやいた。


 グラウンド練習で走りながら羽ばたいて体が浮くようになってから2週間。何回か体が浮いて飛べるようにはなってきていた。これなら何とか飛べる。前回のソラノセプシーのような大記録でなくとも、滑空部門のときの飛距離は超えられるのではないかという淡い期待を持てるまでにはなっていた。

 ただ、そうはいってもあまりにいろいろなことを詰め込んだせいか、何か地に足がついていないような感覚が残っている。


「いつもそんなもんだよ〜」

 かたわらにいるチームメイトのクラウドパルが言った。何かやり残したことはないか、もうちょっと何かできなかったか。大会直前はいつもそんな気持ちになるのだと笑う。

「本当は忘れ物は無いのに、旅行に出掛けたとたん何か忘れ物したように思っちゃうことと一緒だよ〜」

「うーん、それとはちょっと違うんじゃないかな」

 いつもの分かるような分からないような例えもついてきた。


「実際、今回はかなり無茶な日程を組んだからね」

 クラウドパルを挟んだ反対側に立っている青葉も苦笑いした。

「通常は大会前の一週間前、最低でも出発の3日前までにはテストフライトを終えてコンディションを整えることに専念するのがセオリー。でも今回は彦根行きの学園バスが発車する直前までグラウンドでフライト練習していたからね」

「すみません、無理を聞いていただいて」

 ウイングノーツが青葉に頭を下げた。

「オーバーワークにならないようにマージンをとった練習メニューにしてたから大丈夫だとは思うのだけれど。それよりもゆっくり休めた?」

「はい、バスでも彦根のホテルについてからも寝ましたから」

「OK。あとはどこまで本番で出せるかね」


 やがて、向こうからクラスメイトのマエストロもこちらに向かって歩いてくるのが見えた。行雲ゆくもトレーナーと、肌の浅黒い男性と一緒だ。


「改めて挨拶するのは初めてですね。臨時トレーナーの萩原はぎわらです。」

 その男性は合流すると、ウイングノーツとクラウドパルに握手を求めてきた。

「ウイングノーツ君は、ちょうどマエストロの直前のフライトでしたね」


「あ、始めまして!えーと、いつもマエストロがお世話になってます」

「何よそれ」

 緊張してしどろもどろになるノーツとちょっと顔をしかめるマエストロの様子に、誰となくプッと吹き出した。

「ははは、こちらこそ。飛ぶのは僕じゃないですが、お互いの健闘を祈ります!」

 笑いながら握手を交わす。


「いやー、初めてトリ娘コンテストの会場に来たけど、気持ちいいね!」

 萩原はぎわらが湖に向かって、大きく両腕を広げる。

「別にバカンスに来たわけじゃないわ」

「ほら、そこだよ」

 マエストロの言葉に萩原はぎわらが反応した。


「気持ちはわからないでもないけど、君は自他共に厳しくして固くなりすぎる時があるね。もう少しリラックスして、楽しむ気持ちを持たないと。気持ちが固いと体まで固くなって実力が上手く発揮できなくなるよ。スキージャンプもそうだった。体のバネを使うからには、直前に思いっきり緩めることが大事なんだよ」

「……はい」

 まだ少し固い表情でマエストロが頷く。


「そうそう、リラックスリラックス〜」

「アンタは緩みすぎ」

 クラウドパルとマエストロがじゃれあっていると、どこからかノーツたちの名前を呼ぶ声がする。


「マエストロ、パル、ノーツ!」

「あ、バートライア!」

 湖岸に集まっている集団の中からバートライアが手を振っているのが見えた。走ってこちらにむかってくる。


「ちょうど見かけたから。頑張ってね、みんな。湖岸から応援してるから」

「ありがとうバートライア」

 手を取り合ってエールに応える。


「ところで、バートライアたちは今何してるの?」

「うん。湖岸組で何人かに分かれて、他の選手のトレーニングを見学したり、手伝ったり、情報交換してたりしてたところ。学園以外の選手もいるわけだし、出れない分いろんなことを見ておかないとね」

「そうなんだ」

 聞きながら、バートライアの背後にいる湖岸組の人たちの中にテレビで見たことのある常連勢が何人かいることにウイングノーツは気づいていた。


「……上の人も結構いるね」

「そうそう、普段交流のない先輩たちの話もこの機会に聞けるから意外に貴重なんだよね」


 そういう意味じゃないんだけど、という言葉をウイングノーツはグッと飲み込んだ。たとえ常連勢でも、よほど上位の結果でないと次の大会に必ず出られる保証はないのだ。


 笑顔で見送るバートライアをおいて、ノーツたちは選手待機所に向かった。いよいよ本番、ディスタンス部門が始まる。


 ◆


『只今より、トリ娘コンテスト・ディスタンス部門を開催いたします』


 会場にウグイス嬢の声が響く。


『プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、フォルテックさんです』


「うちの学年のレコードホルダーよ」

 マエストロはそう言ってプラットフォームを見上げた。


 違うクラスだから直接の接点はあまりないが、名の知れた同学年の選手が一番手ということで他の二人もウォームアップの手を止めてプラットフォームを見つめる。

 前回大会ソラノセプシーの琵琶湖横断という快挙に埋もれてしまったが、ノーツの同学年の中で初の1キロ超えをして5位に入賞していたのがこのフォルテック。その彼女が青白い翼を広げて審判員の合図を待っていた。プラットフォーム上の旗がはためていて風が強いことがみてとれる。


『ゲート、オープン!』


 審判員のゴーサインを受けて、フォルテックが羽ばたきながら走り出した。プラットフォームの端を蹴って飛び出す。


「やばっ!」

 思わずマエストロが叫んだ。フォルテックが琵琶湖に飛び込むように斜め下に突っ込んでしまったからだ。誰もが息を呑む。

 しかし、彼女は羽ばたきながらギリギリで体を起こし、水平飛行に移行した。


 会場から感嘆と安堵のどよめきが起こる。

「あそこから立て直せるんだ」

 ウイングノーツたちが感心しながら見ている間も、フォルテックは飛び続ける。


 ただ、

「なんか右に進んでない?」

 ノーツにはフォルテックが曲がって右側の岸の方に近づいていっているように見えた。


「大分風に流されているわね」

 マエストロの声にノーツはプラットフォームを見上げた。その旗の向きからして、離陸地点では向かい風なのは間違い無い。ということは、そこから少し離れただけで強い左からの横風に風が変わるということになる。


「大丈夫かな〜?岸の上まで行っちゃったら失格だよ~」

 そのクラウドパルの声が聞こえたかのように、岸の手前でフォルテックの体が左に傾いた。大きく左に舵を切ったのだ。カーブを描きながら徐々に岸から離れていく。


『ああーっと!ダメかぁー!?』


 その直後、フォルテックは実況の絶叫とともに琵琶湖に着水した。


「ちくしょーっ!」

 湖面に浮かびながら叫ぶフォルテック。


『只今の、スカイスポーツ学園、フォルテックさんの記録は、553メートル04でした』


 ウグイス嬢のアナウンスに拍手が起こる。ノーツたちも拍手をしながら顔を見合わせた。

「それでも500超えてきたかぁ〜」

「まずはそこが今日の私達の目標ね」

「うん……」


 相づちをうちながら、ウイングノーツは得も言われぬ不安を感じていた。自分よりも長くディスタンス部門にいてトレーニングを詰んできているはずの同級生。それを嘲笑うかのような琵琶湖の風。

 それに対して、飛び方も、飛ぶ感覚もまだふわふわしているような自分は、本当に飛べるのだろうか?いや、そもそも飛んでいいのだろうか?



「ウイングノーツさん、桟橋に移動してください」

 考えながらウォームアップを続けていると、しばらくしてスタッフから声がかかった。


「あ、はい」

 返事をして、ウイングノーツは桟橋に向かう。

 前回と同じく桟橋を通ってプラットフォームに登りながら、ノーツはさっきのもやもやとした不安を消せずにいた。バートライアと一緒にいた常連の先輩たちの姿も浮かぶ。彼女たちはノーツと同じように、いや多分もっと詰んできているのに飛べないのだ。

 それに比べて、自分は転向して2ヶ月しか練習していない、いわば初心者だ。


 ……自分は、この花道を登る資格があるのだろうか?


 尾翼が緊張で硬くなっている。

 前回はただ出られたことで嬉しかったが、出られたことによる責任とプレッシャーを感じたのは今回が初めてだった。


『ゲート、オープン!』


 審判員の声に我に返ると、ウイングノーツは前を見据えた。翼を広げ、羽ばたく準備を始める。


「行きます!3、2、1、ゴー!」


 掛け声とともに、練習通り思い切り羽ばたきながら走った。体に少しずつ上向きの力がかかるような感覚がある。

 プラットフォームの黄色い床が途切れ、琵琶湖の水面が見えてきた。


「飛ぶ!飛ぶんだ!飛べる……!」

 床を思い切り蹴って飛び出した直後。


 ガツッとした衝撃を左足の甲に感じて、ウイングノーツは真っ逆さまに湖面に突っ込んでいった。

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