第3話「毒」

「アラル様、こちらハルラディッシュのサラダでございます」


 マンドラゴラの収穫の騒ぎの後、僕は昼食のために自分の屋敷へと戻っていた。

 本来の予定であればマンドラゴラ畑の視察の後、シルフィによる剣術指南があるはずだったのだが、僕が1時間ほど気絶してしまっていたので延期になってしまった。


 流石の美人秘書も「翌日2倍稽古いたしましょう」と若干不穏な台詞こそあったが、予定のキャンセルに同意してくれた。


 少年と魔術師団のみんなにかけられていた魔法についてはシルフィに続く魔術師団のナンバーツーが責任を持って調査してくれる、ということで、腹が減っては戦はできぬ。美人シェフ、シルフィの出す料理を楽しむことにしよう。


「取れたてのハルラディッシュに色取り豊かなキノコを添えました。ぜひそのまま、お召し上がりください」


「ありがとう。いただきます」


 さて、この世界の、というか僕らエルフの料理は基本的に味付けが薄い。

 素材本来の味とでもいうべきか、調味料を使うという発想は基本的にない。あったとしも軽く塩を振る程度か、保存のために香辛料がかかっているぐらいだ。


 なので例えばこのサラダなどはまさにその最たるもので、刻まれたハルラディッシュにキノコが添えられているだけだ。

 僕は木のフォークでゆっくりとサラダを口に運び、何度か咀嚼すると──


「うまい!」


 思わず叫んでしまった。

 だだっ広い大広間にシルフィと2人きりなのでよく響く。


 さっぱりかつシャキシャキしたハルラディッシュと香ばしくも弾力のあるキノコのハーモニーが口いっぱいに広がってくる。

 サラダとは言ったもののキノコは一手間かかっていそうで是非シェフにその調理法を問いただしたくなるが、とうのシルフィは、


 「秘密です」と言わんばかりに微笑むばかりだ。

いったいどうすればただのキノコがこんなに美味しくなるんだと考えながら手を動かしているうちにあっという間に前菜を食べ終えてしまった。


 エルフ料理は調味料に頼らず、素材本来の味を生かしつつも、決してまずいというわけではない。無論、元の世界のハンバーガーやピザなどと比べてしまうと味の薄さは気になってくるが、それも慣れてしまえばどうってことない。

 もちろん、調味料での誤魔化しが効かない分、シェフの腕前が味の良し悪しに直結するのだろうが。

だからこそ、スープの難しさは言うまでもないだろう。


「お待たせいたしました。こちらチシャフラワーのスープでございます」


 うぐいす色の野菜が入ったスープはわずかに湯気を立てており、優しくも芳醇な香りが食欲をそそる。

 僕は木のスプーンで野菜ごとスープを口に運ぶと


「うまい!」


 今一度シャウトした。

 領主なのに、いやむしろ領主なので、行儀の悪さなどお構いなしだ。

 美人には美人と、うまいものにはうまいと言うのがむしろ相応の礼儀だろう。

 先程のシャキシャキしたハルラディッシュとは対照的なしっとりとしたチシャフラワーの食感、そして新鮮な野菜たちの旨み成分をこれでもかと詰め込んだであろうスープは樽一杯だろうと飲める自信がある。


 もちろん、この後運ばれてくるメインディッシュのために、おかわりを要求するのは我慢せざるを得ない。

 僕は豪快にスープ皿を両手に持って、至高のスープが一滴も残らないように飲み干した。


 はっきり言ってしまうと、僕はこの世界に来てから食事というものが楽しみで楽しみで仕方がない。

転生する前はとにかく肉と米が好きで、あとは食後にポテトチップスを食べ、コーラを飲むという生活が至福だったのだが、今となってはシルフィの作る料理がなくては生きてはいけないだろう。


 次はいったいどんな異世界料理が運ばれてくるのだろうか、スプーンとフォークを持ってワクワクしていると、いよいよ、メインディッシュが運ばれてきた。


「お待たせいたしました。こちらオムトリケットでございます」


 今日のメインはふわとろ卵のオムライスだった。

もちろん卵は鶏卵ではなくうちの農場のコカトリスの卵だが、見た目は普通のオムライスと変わらない。

 ともかく、僕は溢れ出る食欲の赴くままに、スプーンを黄金の山へと突き立てた。

 最初はフワフワの感触が強かったが、中はトロトロ、弾力はむしろプリンかというような弾力だ。

そしてその中身には──


「こ、これは!」


 チキンライスだ! チキンライスが入っている!

 無論、本物のチキンライスではなく、チキンはコカトリスの肉がであろうし、橙色のライスはトトマの実をすり潰したもので炊き上げた米だろうが。

だがこのカラーリングは反則だ。食べる前から美味しいということがわかってしまう。

 そして案の定、


「うまい!」


 サイコロ上に切られたゴロゴロの肉はさっぱりかつジューシーで、トトマのライスは程よく酸味が効いてて美味しい。

 そしてオムレツとの組み合わせが絶妙である。

 文句なしのオムライスだ。


「ああ、満足した」


 あとはデザートと、食後のコーヒーを残すだけだが、もう思い残すことはないとすら思う。

 それほどまでに美味なオムライスであった。

 だからだろうか。

 そんな気持ちが引き金になったのか、僕は自分のポケットの中に入れておいた、ある物について不意に思い出した。

 思い出してしまった。

 それは、小さな小瓶だった。

 無論、瓶自体には何の特徴もない、問題なのはその中身だ。

 そこには、ヘルアコーズの根をすり潰した液体が入っている。

 ヘルアコーズは森の奥に咲く美しい紫色の花だが、

 その根には即刻性の強力な毒が含まれている。口に含んだ者を一滴で死にいたらしめるほどの。

 なぜそんなものが僕のポケットに入っているのか。

 もちろん、僕自身が入れたからだ。

 自殺に使うために。


「…………」


 僕のこの世界での第一の目的は自殺をすることだ。

 生きる苦しみから逃れたくて前の世界でせっかく

飛び降り自殺をすることができたのに、女神から異世界転生なんていう余計な真似をされてしまったせいで、エルフなんていう長寿になってしまった。このまま何百年も生きていくなんて冗談じゃない。

 しかも、女神からの「不屈の加護」なんていうおまけのせいで、一度しくじった死因で自殺は二度と成功しない。死ぬチャンスは無駄にできない。


 だが、この美味しい食事に、シルフィが丹精込めて作ってくれた料理に、毒をかけてもいいのだろうか?

 うまく言葉にできないが、なんというか、それだけはしてはいけない気がするのだ。


 と、そうこうしているうちにシルフィがデザートを持ってやってきた。


「お待たせいたしました。こちらローズベリーでございます」


 デザートはシンプルに、冷やしたイチゴというわけだ。見るからに瑞々しくて、さっきまでいっぱいだった胃袋が「あ、まだ空いてますよ」と場所を空けるくらい美味しそうだ。


「…………」


 だというのに、僕の指は一向にイチゴに伸びない。

迷っているのだ。このイチゴをただ食べるべきか、毒をかけるべきか。

 毒をかけて食べるのは簡単だ。ほんの一瞬、横にいるシルフィが目を離した隙にでも、ポケットから小瓶を取り出して、その中身をかけて食べればい。い。5秒とかからないだろう。

 だが、思い浮かぶのは、うちの農場でイチゴを一粒一粒収穫するシルフィの姿だ。

 こんなに簡単なことが、これほどまでに難しい。

 すると、ずっと黙っていたシルフィが徐に口を開いた。

 

「何を悩んでいらっしゃるのですか?」


 ドキン、と心臓が鳴るのがわかった。

 

「べ、別に。美味しそうなローズベリーだから、この山のどこから食べればいいか悩むなと思って。これかな? それともこっちかな?」

 

「左様でございますか。本当にそうならいいのですが」

 

「ほ、本当にって?」

 

「いえ、もしかしたら、ポケットにお持ちの毒をお使いになるのかどうかをお悩みになっていらっしゃるのかと思いまして」

 

 今一度、僕の心臓は、今度はギクリと音を立てた。

 バレていた。

 完全にバレていた。

 毒を持ってきていることも、その毒を使うかどうか迷っていることも。

 

「……なんでわかったんだ?」

 

「アラル様の考えることぐらい、私にはなんでもお見通しです──と、言いたいところですが、実際はもっと単純です。大広間に入ってきてからテーブルにつくまで、そしてお食事を召し上がっている間ずっと、重心が小瓶の分だけわずかに右に傾いていましたので」

 

 つまりシルフィは僕の身体の重心だけで僕が小瓶を隠し持っていることを見抜き、それが毒だと見当をつけたわけだ。

 いや普通にすごいだろ!

 というか普通できない。

 

「それで、どうするつもりだ。いつも通り僕の自殺を止めるために小瓶を取りあげるつもりなのか?」


 僕のポケットから小瓶を取り上げるなんてこと、シルフィだったらそれこそ5秒とかからない。

 

「いえ、どうぞ遠慮なく毒をローズベリーにかけて構いませんと、お伝えしようかと思いまして」

 

 シルフィはいっそ清々しく、きっぱりと言い放った。

 

「私にはアラル様の心の奥底までは見通せません。なので貴方様がどうして自分を殺したがっているのかはわかりませんが、何か考えがあってのことでしょう。どうぞご存分に死んでいただいて結構です。

 しかし私も貴方様の側にいるものとして、私の目が黒いうちは、全力でその自殺は阻止させていただきます」


 僕は唖然として、10秒くらい固まった。そしてシルフィとローズベリーを交互に見つめた後、ひとり大広間で大笑いしてしまった。

 その様子はシルフィにはさぞ間抜けに見えたことだろう。

 好きにしろ。ただし全力で止める。

 相手のことを尊重しながらも自分の意見はしっかり通す。

 そのあり方はとてもシルフィらしいと思ったからだ。

 

「でもどうするつもりだ? 小瓶の中にある毒はヘルアコーズの根から抽出したものだ。即効性かつ効き目はバツグン、解毒剤もそうそう作れない猛毒だぞ? いくらシルフィでも今から解毒剤を調合するのは無理なんじゃないか?」

 

「ご心配には及びません。解毒ならすでに済んでおりますので」

 

「なんだって?」

 

 どういうことだろうか。身体の重心の変化で僕が毒を入れた小瓶をポケットに忍ばせていることは看破できても、その中にいったい何の毒が入っているのかまで見抜くのは流石のシルフィだって無理なはずだ。

 それに既に解毒はすませた、とは。いったいいつ? どのタイミングで?

 

「先ほどまでアラル様がお召し上がりになったコース、その全てにあらかじめ、ある食材を使用しておりました。ここまで言えば、もうお分かりでしょう?」

 

 !!!

 流石の僕も気がついた。

 マンドラゴラだ!

 あれは収穫すると悲鳴のような音をだし、聞いたものを発狂させ死にいたらしめるが、最大級の呪いである石化すら破るほどの万能の解毒剤になる。

 

「まさか、サラダにも、スープにも、そしてあのオムレツの中にも、マンドラゴラを入れてたっていうのか!?」

 

「ええ、きちんとお伝えしたはずです。全力で、あなたの自殺を阻止すると」

 

 これには驚きを隠せない。

 調理の段階で、既に僕が自身に毒を盛る可能性について予想していたという点もそうだが、全ての料理に同じ食材が入っていると僕に気づかせないその調理技術の方がむしろびっくりだ。

 万能すぎてむしろ怖いくらいだ。

 

「ですから、どうぞ毒をかけていただいても結構です。まだマンドラゴラは消化されていないでしょうから、多少苦しむ可能性はありますが、絶対に死ぬことはありません。この私が保障します」

 

 その間に、私は食後のコーヒーを淹れてまいりますね、とシルフィは厨房へと戻っていった。

 残された僕はローズベリーを前にひとり残された。

 シルフィはああ言ったが、僕にだってシルフィの考えはわからない。

 僕の自殺を阻止すると言いながら、僕が毒を飲むことそのものは止めようとしなかったり、わからないことだらけだ。

 けれど、僕が自殺しようとしてそれをシルフィが止めるというのは、何故だかわからないが、とても僕たちらしいと思ったのだ。

 

「やっぱり、このイチゴに毒をかけることはできないな」

 

 せっかくシルフィが用意してくれたものを味わわないのはもったいない。

 ならばどうするか。

 僕はガツガツとイチゴを平らげ、存分に味わった後、それを喉の奥に流し込むように、お風呂上がりの牛乳よろしく、毒を思いっきりあおった。

 

 多少は苦しむ可能性があるとシルフィは言っていた。

 それも覚悟の上、シルフィの手を煩わせた自分への報いだと考えたが、いくら待っても痛みは来ない。

 どういうことだろう。もしやマンドラゴラの解毒効果はそれほど優秀だということなのだろうか?


 そうしているうちに、食後のコーヒーを持ったシルフィがやってきた。

 

「どうかしましたか?」

 

 僕が不思議そうにしているので、シルフィも気になったらしい。

 

「いや、ヘルアコーズの毒を飲んだんだけど、ちっとも痛くないんだ。マンドラゴラってもう僕の体に吸収されたのかな?」

 

「どうでしょう。解毒剤の効き目について私の予想が外れた可能性はないと思いますが……ハッ、もしや」

 

 と、シルフィは自分の手元をみる。

 そこで僕も思い当たる。

 今朝の自分の行動に。

 

「もしかして、僕が今朝コーヒーをがぶ飲みして死のうとして、失敗したけど、それって毒を克服したってことになるのかな?」

 

「おそらく……」


 急性カフェイン中毒を服毒自殺と解釈するのはいささか強引だと思うのだが、どうやら、女神様は案外いい加減なのかもしれない。

 僕はシルフィと見つめ合うと、ほぼ同時に笑い出した。

 これはこれで僕たちらしいのかもしれない。

 そう思った。

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